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悪女と名高い聖女には従者の生首が良く似合う  作者: 千秋 颯
第六章―太古の砦・小国パーケム――エンフェスト山脈 『眠る氷城』
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第747話

 気が付けば果てしなかった花畑が端から徐々に姿を消し始めていた。

 白色に飲み込まれ、輪郭を溶かしていく景色を眺めながら、クリスティーナは花畑の先を目指して歩く。


 その途中、視界の端で影が揺れた。

 クリスティーナは足を止めてそちらを向く。


 リオのものとは形が違う燕尾服に身を包んだ長身の男性が立っている。


「……ジルベール」

「いかがなされました?」


 消えていく世界を眺めていた彼は名を呼ばれてクリスティーナを見た。

 彼はとても穏やかな顔をしていた。


 クリスティーナが小さく首を振ると「そうですか」と返される。


「……お世話になりました。私も、シャルロット様も」

「何もしていないわ。貴方に礼を言われるようの事なんて、私は何も」

「ご謙遜を」


 ジルベールは近づく白色を再び眺める。

 眩しそうに目を細める彼の横顔はどこか晴々としていた。


「自分で選んだ事です。例え結末がわかっていたとしても私はきっと同じ選択をしました」

(これは私にとって都合の良い夢。だから彼は私が望む言葉をくれている)


 クリスティーナは今いる場所が夢であると悟ったからこそ、ジルベールの言葉を素直に受け取る事ができなかった。


「クリス様は人一倍責任感がお強く、自分に厳しいお方ですから、きっと私が何を言っても納得はできないのでしょう」


 風が流れる。

 花弁同士が擦れる音がした。


「今見ている光景が全て偽りだとしても、都合よく利用しても良いのではありませんか」


 ジルベールは自身の口を片手で隠し、クリスティーナを見る。

 隠された口から笑う気配があった。


「死人に口なし。この世界を貴女様がどう受け取ろうとも、どうせ私には口出しできないのですから」


 死人という言葉に彼の最期が過ぎる。

 思っている事がなるべく顔に出ないように取り繕うも、ジルベールはそれを見抜くように笑いながら息を吐いた。


「覆らない過去を振り返るよりも、偽りでもこうして出会えた事を喜ぶ方がずっと有益です。この時がクリス様の一助となり背中を押せるのならば私にとって光栄な事です。……ここでは何を言っても疑わしいでしょうが」


 そう言ってジルベールが肩を竦めたその時、彼の体が淡く光る。

 その輪郭が徐々に朧げになり、崩れていく。


「そろそろ時間ですね。……ご武運を(・・・・)


 ジルベールは頭を下げる。

 その言葉や姿は過去の姿と重なる。


 クリスティーナは小さく息を呑む。

 だがすぐに口角を上げると鼻で笑った。


「貴方が言うと少し不吉よ」

「そうでしたね。しかし、もう失う命もありませんから……再び願わせてください」


 一時の別れだと思っていた瞬間が彼と言葉を交える最後となった。

 今と同じ言葉で別れた彼が次にクリスティーナの前へ姿を見せた時、それは最期を迎える瞬間だった。


 それを冗談混じりで指摘すれば、ジルベールはきょとんとした後、参ったと眉を下げた。


「また、とはもう言えませんが。クリス様達のご無事を祈っています」

「ええ。……ありがとう、ジルベール」


 柔らかな笑みと共に、その姿が白色に掻き消される。

 気が付けば、自分の足元以外の全ての景色が白く塗り潰されていた。


 白い世界へと一歩踏み出せば、ここから抜け出せる。

 直感的にクリスティーナはそう感じた。


 辺りを包み込む痛い程の静寂、そして再会と別れはクリスティーナに心細さを感じさせた。


(……早く戻りましょう)


 夢へ迷い込む直前の記憶は曖昧だが、いつまでも眠っている訳にはいかないという気持ちだけは強くあった。

 それでも、一歩踏み出す事を躊躇する。


 足を持ち上げ、白い空間へと伸ばす。

 だがそこで動きを止めてしまう。


 僅かな期待と諦めがクリスティーナの胸の内に居座っていた。


「……貴方は現れてくれないのね。夢の中なのに」


 思い描くのは一人の友の姿。

 自分でも気が付かないうちに漏れていた独り言にクリスティーナは苦く笑った。


「――だって、必要ないだろう?」


 刹那。

 聞こえたのは穏やかで、心地よい声だった。

 相手を試すような、僅かな企てを含んだ、揶揄うような声。

 その声をクリスティーナは知っている。


 彼女は咄嗟に振り返りそうになるが、その瞬間、後ろから大きな何が覆い被さる。

 白くて大きなローブだ。

 それが振り返るなとでも言いたげにクリスティーナの視界を一層白く塗り潰した。


「君は孤独の中でも立ち上がれる。前へ進む事ができる。……そういう強さを持ってる事は俺がよく知ってる」


 ローブ越しに、背中を叩かれる感触を覚える。

 だがそれは無理矢理前へ押し出そうとするような力強さはなかった。

 あくまで、自分から踏み出せと伝えているのだろう。


「だって俺は、そういう君を好きになったんだから」

「……ずるいわ」


 笑う気配がある。

 だが、彼はそれ以上は何も言わなかった。


「あのね、ノア。私――」


 途中まで出掛けた言葉があった。

 しかしクリスティーナは途中で思い留まる。


 何かを語らう事を諦めたクリスティーナはかたく目を閉じる事で、目頭が熱くなるのを堪える。

 そして深く息を吸い込み、覚悟を決めると――


 ――一歩、前へと踏み出した。


 刹那、背中を軽く押される感触がある。

 覚悟を決めた彼女の一歩をより大きなものとするような後押しだった。


「いってらっしゃい、クリスティーナ」


(――ああ。貴方って、本当にずるい)


 白い世界へ飛び込んだ彼女が感じたのは緩やかな落下。

 中途半端に重力が働いているような、ゆっくりとした下降を感じながら、クリスティーナは目を閉じる。


(最近になって、漸くわかったのよ。私――)


 閉じた瞼の裏に過ぎるのは、彼と過ごした僅かな時間。

 彼が見せてくれた笑顔も景色も、その全てが今は眩しく思えた。

 儚くて、尊いその記憶が、どうしようもなく愛おしく思えた。


(――貴方に、恋をしていた)


 もう二度と伝える事はない、誰にも知られることの無い秘め事。

 きっとこの想いも夢の世界のように薄れていってしまうだろう。

 それでも自分の想いに漸く名前をつけられた事で、クリスティーナは少しだけ晴れやかな心地になったのだった。

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