第737話
モーリスは広々とした客室へリオを案内した。
天蓋付きの上質なベッドへクリスティーナを寝かせたリオは改めて彼女の顔色を窺う。
「お部屋は本当に一室でよろしいのですか」
「はい。一人にさせる事は出来ませんから」
「畏まりました。ではせめて布団をこちらにお持ちしましょう」
「お気遣い痛み入ります」
「それと、お湯と布も用意しました」
「ありがとうございます」
桶に組んだお湯に布を潜らせ、モーリスはそれを絞る。
そしてリオの隣に立つとクリスティーナの乱れた前髪を分け、彼女の額から熱の具合を調べると濡らした布でその顔を拭い始めた。
しかしすぐにモーリスはその手を止めてリオの顔色を窺った。
「……失礼しました。触れられるのはお嫌なご様子でしたのに」
「いいえ。まあ、俺の事を抜きにしても異性に触れる事は控えた方がよろしいかとは思いますが」
「しかしリオ様はクリス様に触れていらっしゃいますし、私もエマ様のお世話はしますが」
「……それと面識のない異性に触れる事は別の問題があるかと」
「そうなのですね」
モーリスは濡らした布をリオに託す。
その際に指先が触れ、モーリスは不自然な速度でリオから離れた。
そして相変わらずの鉄仮面で彼をまじまじと観察する。
「……いや、俺は男ですよ」
「そうですよね、安心しました。端正な顔立ちなのでもしやと。失礼しました」
「いいえ、もう慣れているので」
リーゼとアベルに初めて会った日の事を思い出し、リオはこっそりと息を吐いた。
男性の中でもそれなりに高い背丈であっても、こうも頻繁にこのようなやり取りが繰り返されるものなのかと彼は半分呆れにも似た感情を抱いていた。
そこへ別の使用人がノックと共に部屋へ足を踏み入れる。
彼は別室のベッドに置かれていたのであろう布団を一式、クリスティーナの眠るベッドの側に置いて退室した。
「では、私もそろそろ失礼します」
「何から何まで、ご配慮とご厚意をありがとうございます」
「いいえ。私共にも得があるからこそお手伝いをしているに過ぎませんので」
「得……? それはどういう――」
彼の言葉の真意を問おうとしたその瞬間、リオは大きな目眩を覚える。
それは迷宮『エスケレイド』の最奥と同じ感覚――耐え難い睡魔だ。
「……やはり貴方も随分ご無理をされていらっしゃったのでしょう。お疲れのようですから、一先ずはお休みください」
(まずい、今意識がなくなるのは――)
抗おうとする意志も虚しく、リオの体は崩れ落ちる。
それを受け止めたモーリスは彼の体を持ち込んだ布団へ寝かせてやってから静かに呟いた。
「お話の続きは後程。…………目覚める事ができたら、の話にはなりますが」
「ねぇ、モーリス」
「はい、エマ様」
謁見の間、玉座の上でエマは両足をぶらぶらと揺らしながら無邪気に笑う。
「私、あの子達が欲しいわ」
「そうおっしゃると思いました」
「……やっぱり、貴方には全てお見通しなのね」
玉座の前、モーリスは膝を突いて彼女に頭を下げる。
エマは彼の前に立ち、その頬をそっと撫でる。
「あの子達は新しいお友達になってくれるかしら」
「勿論、そうなるでしょう」
「ありがとう」
「……もう貴女がひとりになる事はありません」
幸せそうな笑い声が降る。
それに耳を傾けていたモーリスはしかし、何かに気付いたように途中でふと顔を上げた。
「モーリス?」
「……また、お客様が増えそうですね」
「まぁ! 本当? 嬉しいわ。こんなに初めての人に会える機会があるなんて。……その子達もお友達になってくれるかしら?」
「きっと、そうなるでしょう。では私は、お迎えに向かいます」
「ええ、よろしくね」
頬に触れる手が相手を慈しむようにもう一度モーリスを撫でた。
その手は持ち主の声色とは相反した、氷のような冷たさを孕んでいた。
***
「……驚いた。こんなに広い洞窟があったなんて」
薄暗い洞窟の中、二つの足音とクロードの声が反響する。
一夜を仮屋で明かした二人は朝を迎えてから半日を掛けて湖の周辺を歩き回り、斜面の中に紛れる小さな空洞を見つけた。
その先がどこかに繋がっている事に気付いたクロードが半ば無理矢理、塞がっていた穴を剣でこじ開けて二人は先に続く洞窟に潜り込んだのだった。
「クリス様やリオが逃げたのと同じ洞窟だといいんだけどな」
「位置や規模を鑑みても、その可能性は高いと思うよ。問題は……合流する術が今の所ないって点かな。とはいえ二人も一夜を明かしているはずだし、水に濡れていたはずだからどこかで暖を取ったり休んでる可能性は高い。その痕跡さえ見つけられればそこを中心に探す事もできるんだけど」
「あんま時間掛けたくねぇな」
「そうだね。時間が経てば経つ程、二人が残した痕跡を見つけても経過時間や行き先を絞りにくくなる。手がかりとしての効力が薄くなってしまうからね」
クロードは話しながら辺りを見回す。
一見すればただの広い洞窟。しかしここが人里から離れた場所であるからこそ存在する明確な違和感があった。
「それにしても、ここにも生物の気配がない。魔物が好みやすい環境でありながら一体も見かけないなんて」
「それな。なんか静かすぎるっつーか、不気味っつーか」
「――わっ!!」
「ドワァッ!?」
真剣な面持ちで辺りを警戒していたエリアスの耳元でクロードが大きな声を上げる。
突然の出来事と、エリアス自身が緊張から身構えていた事もあり、彼は肩を跳ね上げさせて悲鳴を上げたのだった。




