第76話 神の賜物
警戒に鋭く光らせた目を思い出し、僅かに眉根を寄せるクリスティーナ。
その表情の変化に気付いたらしいノアは肩を竦めて苦笑してみせたが、すぐにオリヴィエを同行させるのはどうかという提案に至った経緯を説明し始めた。
「彼が休学している話は聞いただろう?」
「ええ」
「休学後、彼がどんな生活をしてきたか詳細は知らない。けどその間彼がニュイに滞在していたのではないかと俺は予想している。この辺は念の為本人にも確認しておくけど、恐らく間違いないと思うよ」
彼は根拠まで延べることをしていないが、断言するだけの理由はあると自信ありげに話す。
「要は、君達の目的地は彼の帰り道と一致しているだろうって話だ。わざわざ別々に向かわなくたっていいだろう?」
「けど、彼は快く思わなさそうよ」
ノアの言い分はわかった。クリスティーナも別に異論はない。
だが先のオリヴィエはクリスティーナ達を良く思っていないように見えた。ノアが良かれと思った提案も彼が跳ねのけてしまえば意味はない。
その指摘に対し、安心させるようにノアは片目を瞑った。
「大丈夫。一度ベルフェゴールに歯向かった以上彼自身も安全とは言えない。リヴィとしても単独で動くよりは固まった戦力を確保すべきだろう。それに、君達がベルフェゴールの狙いだとわかっているからこそ、自身の監視下に置いておいた方が安心できるという考え方もできる」
「目の届かない範囲で問題を起こされるより目の届く範囲に置いておいた方がマシ、ということね」
「まあ、彼の考えとしてはそんなところだろう」
まるで疫病神のように認識されているのは不服であったが、彼の立場から考えればそれも仕方のないことだろう。
友人を危険に巻き込んだ要因であり、それが今度は自分の拠点へ足を踏み入れるとなれば嫌でも警戒しなければならない。
「これは慰めとかじゃあないけど、リヴィって割といつもあんな感じだからさ。本当に気にしないでいいよ」
ノアの言葉にクリスティーナは首を傾ける。
彼女の脳裏には先のオリヴィエの表情が未だ残っていた。
「あれだけ明らかに牙を剥かれれば気にしないというのも無理な話だと思うのだけれど」
「そうなんだよねぇ……。だから友達少ないんだよなぁ……」
ノアが困ったように頭を掻き上げる。
クリスティーナ達とオリヴィエ、双方の身を案じての提案なのだろう。故にクリスティーナにどう頷いてもらおうかと彼は頭を悩ませる。
「……別に嫌とは言っていないわ」
その様子を視界に捉えながらクリスティーナため息を吐いた。
事実、オリヴィエの実力を目の当たりにしているクリスティーナにとっても彼の同行は心強いこと限りない。
移動してすぐに別れるのならば自分達の都合に彼を巻き込んでしまう可能性も低く済むだろうし、ニュイに着いたら自分達がそのまますぐにフォルトゥナを出ればいいだけの話だ。
クリスティーナはそう結論付けた故に、本人が納得するのであれば同行自体は問題ないと考えていた。
「本当かい!? よかったぁ」
「ただし、彼が承諾した場合に限るわ」
「それは勿論。後で話してみるよ」
ノアはほっと胸を撫で下ろす。
それを眺めながらもクリスティーナはオリヴィエとのやり取りを思い浮かべる。
鋭い言葉、思慮の浅い言動。それらを思い浮かべた後に過ぎったのは戦闘時に扱っていた特殊な魔法についてだ。
「……これはただの興味だから、言えない事なら断ってくれていいのだけれど」
「うん?」
彼の魔法を目撃し、自身の中で導いていた確信染みた予測。
少し躊躇いながらもクリスティーナはそれを言葉にした。
「彼は神の賜物なの?」
ある程度予想していた問いだったのだろう。
ノアは動揺することもなく、僅かに目を細めて頷いた。
「そうだよ」
「そう……」
――神の賜物。
人族の中に根付いた魔法適性という概念から外れた特殊な存在。彼らの扱う魔法、もしくは彼ら自身のことを纏めて人は神の賜物と呼ぶ。
それは神から与えられた特別な才。前世で徳を積んだ魂が輪廻転生の際に神の寵愛を受けた証として授かったものと言われる。
神の賜物は実例が少なく、古い言い伝え程度の認識で語り継がれてきた存在。実在するかどうかも怪しいという説を唱える者が数多いる程に珍しい存在である。
斯く言うクリスティーナもこの目で見るまではあくまで昔の話が誇張されて生まれた存在という認識を持っていた一人だ。
広義では聖女も神の賜物に該当し、七人の従者が与えられる力も後天的な神の賜物と呼ばれることがある。
しかし狭義の神の賜物と聖女達とでは明確な違いが存在する。
一つは聖女や七人の従者は聖魔法や聖女から授かった能力の外にも魔法適性という概念を持つことが許されているという点。
聖女は他の者が扱うことのできない聖魔法を使用しながらも一般的に魔法と呼ばれる六属性の魔法を魔法適性という制約の中で行使することができる。
クリスティーナが氷魔法を行使できる体質のまま回復魔法等の特別な魔法を行使出来ていることなどがこれに該当する。七人の従者も然りだ。
一方で神の賜物は神から授かったと言われる特別な魔法以外、一切の魔法を扱うことが出来ないと言われている。
戦闘中にオリヴィエが六属性の魔法のどれかを扱う姿は見られなかったことからも、この説は濃厚だろう。
そしてもう一つ。明確な違いは――
クリスティーナの頭を過った考え。彼女が言わんとしたことを悟ったのだろう。ノアはゆっくりと首を横に振った。
「クリス、彼に同情するような態度は見せないでやってくれよ」
胸の内を言い当てられるような言葉に内心虚を突かれる。
僅かに肩を揺らすクリスティーナに苦笑を返しながら彼は言った。
「『過ぎた力』に代償は付き物だ。神の賜物は人一人の器では身に余る程に強大な力を秘めている。本来備わるはずのなかった力を保有するという事は人体が本来想定していない負担を抱えるという事だ。神の賜物として生まれた者の代償は本人すら自覚しないうちに体が蝕まれていくところにある」
ノアの言葉が重く、クリスティーナの頭に響く。
「神の賜物が生きられるのは三十までと言われている」
短命であること。それが神の賜物が持つ、聖女や七人の従者との明確な違いだ。
神の賜物は三十までしか生きることが出来ないというのはクリスティーナも耳にしたことがある。故に彼の背負うものの重さを察して口籠ってしまったのだ。
一方で聖女は寿命による制約がない。聖女から力を分け与えられる形の従者達もそれは同様だ。
正確に言えば『一人の寿命では補えない程に強大な力』を誇る為、個人の命を以てしても支払えない程の対価が求められるとされている。
尊き存在を救済として人里へ与えてやる代償。神は生まれる聖女自身からは何も奪わない代わりに、聖女の力の代償をその周囲に支払わせるものとしたという。
『代償』の支払いは聖女が生まれる前から求められた。
例えば聖女の故郷は田畑が深刻な不作を訴えたり、大きな災害を齎したりという環境の問題から聖女の身近な存在へ降り掛かる心身への多大な影響に至るまで。聖女が現れる前兆として複数の不幸が必ず訪れるとされた。
だが、その小さな犠牲のもとに生まれた聖女は世界の光となるだけの可能性を秘めており、人々の喜びと救いの象徴として他者からは喜ばれる。それだけの価値が聖女の力には秘められている。
(……あ)
クリスティーナの思考はそこで止まる。今まで考えてこなかった可能性。
神の賜物の話をきっかけに思い出した数々の情報。それが嫌な予感としてクリスティーナの心へ忍び寄った。
(どうして今まで思い至らなかったのかしら)
母が何度も読み聞かせてくれた聖女にまつわる話。そこから自分からも興味を持って読み漁った文献。そこから得た聖女の知識。
自分が聖女であると知ってから真っ先に思い至っていてもおかしくはなかった可能性。
自分の誕生が多くの者を、延いては身内を不幸へ陥れていたかもしれない可能性。
クリスティーナの脳裏を真っ先に過ったのは今は亡き母の姿だった。
「彼は今十八だから、残された時間は人生の半分を切っていると言えるだろう。でも……クリス?」
膨らみ続ける嫌な想像に呑まれ、上の空になっていたクリスティーナへノアが声を掛けた。
不意に顔を覗き込まれたクリスティーナは我に返ると同時に、思わず身を引いてしまう。
「クリス、大丈夫かい? 顔色が……」
「っ……ええ。少し、疲れたのかもしれないわ」
「……そうかい」
動揺に声が震えそうになるのを何とか堪える。
今憶測を立てたところで何かが変わる訳ではない。考えを振り払おうとクリスティーナはゆっくり首を横に振り、目の前の相手の顔色を窺った。
リオやエリアスなら多少の動揺を悟られても問題ないが、今傍にいるのはクリスティーナの正体を知らないノアだ。
彼は賢い。更に転移の直前、クリスティーナが咄嗟に取った行動も目の当たりにしている。
クリスティーナの不自然な反応から何かを悟り、彼女の正体にまで辿り着かれないとも限らなかった。
「じゃあ話の続きは明日にしよう。今日はゆっくり休んで……」
穏やかな口調で話を切り上げようとするノアの声は殆ど頭に入らなかった。
何とか表情を取り繕い、この場を凌ごうとするも、自身の指の震えが止まらないことにクリスティーナは遅れて気付く。
誤魔化すように両手を重ね合わせ、強く握ってみたところでそれは変わらない。
一方で伸びをしながら明るい声音で話していたノアはそこで言葉を止めた。
「ク~リス」
彼は両手をクリスティーナへ伸ばす。
その指先が彼女の頭に触れた瞬間、ノアは目一杯に彼女の髪を掻きまわした。
「な……っ、何をするの!」
「はははっ」
思わず声を荒げてしまったクリスティーナの反応が珍しかったのか、ノアは愉快そうに笑い声をあげる。
しかしどうやら頭を撫でまわす動きを止めるつもりはないらしい。
「君。普段は躊躇なく思ったことを口にするくせ、自分の弱みが絡んだ途端表に出すのを避けるだろう」
図星を衝かれ、鼓動が早まるのを感じる。
なるべく顔に出ないようクリスティーナは口元を引き結んだ。
「つまるところ、君は意地っ張りなんだ」
意地っ張り。そんな簡単で幼稚な言葉で片付けられるようなものではないとクリスティーナは心の中で言い返した。
貴族令嬢たるもの、誰かの主たるもの、気高くあるべきなのだ。
上に立つ者が頼りなければ自ずと士気は下がるものだし、他者から軽んじられることにも繋がる。
故に簡単に弱みを曝け出すなどあってはならない事なのだ。そういう考えの下クリスティーナは生きてきた。
そこに聖女などという理不尽な肩書が追加されれば心中が更に複雑なものとなるのも当然である。
「……不敬な上に不快だわ」
反論の代わりに不服を申し立てる。
だがそれは笑いながら一蹴されてしまった。
「俺が知っているのはただの旅人としての、友人としてのクリスだからね。そこに身分なんてものは存在していない。そうだろう?」
くしゃくしゃに乱れた髪の下でクリスティーナは目を丸くする。
ただのクリス。その言葉は言外に身分など気にしなくていいのだと言われている様な気持ちにさせた。
「不安や悩みなんかは少しくらい口に出した方が気が楽になるものさ」
「……それ、貴方が言うの?」
「色々と悩みまくってる俺だから言うんですー!」
撫でまわしていた手が緩やかに動きを止める。
その代わりに掌が優しく頭の上を跳ねた。
煩わしくて仕方のない手の動きだが俯いたままの姿勢を強いられている為、自然と自身の表情を隠すことが出来ていることはある意味救いだったかもしれない。
「君。リオの体質のことを共有するの、本当はちょっと嫌だったんじゃないかい?」
頭上から降る優しい声。抵抗するように相手の両手首を掴んでいたクリスティーナはそれを聞いて動きを止めた。
同時に彼女の頭を過ったのは、リオと森で二人きりになった時のとある光景であった。