第72話 生首の似合う聖女
オーケアヌス魔法学院学生寮内。
学校が全面休講になったことで休日を喜ぶ生徒やミロワールの霧に関する事件の情報を求める生徒達が行き来する中、レミはその一日の殆どを寮の自室で過ごしていた。
勉学や読書に時間を費やしつつも、時折徐に席を立っては部屋の中を徘徊する。彼が見せる落ち着きのなさの要因は全てルームメイトにあった。
朝、ミロワールの霧に関する話を聞いた途端に飛び出していったノア。日が暮れ、門限や夕食の時刻を過ぎても結局彼は帰ってこなかった。
(ノアがフロンティエールにいるかもしれないという話は通信機を借りてアレット先生に連絡した。他にぼくが出来ることはないだろう)
アレットは国中でも有数の腕利きの魔導師だ。彼女が気に掛けてくれていれば余程のことはないと思いたいが、ルームメイトの問題を引き付ける体質が厄介極まりないものであることをレミは知っている。
故に不安を拭いきることは出来ず、机に向かってはいるものの勉学も読書も殆ど進んではいなかった。
「……そもそも、あいつはいつだって問題に首を突っ込み過ぎなんだ」
過去のノアの行いの数々を思い出してしまい、更に募る苛立ちから貧乏揺すりをするレミ。
そして彼が乱暴に頭を掻き毟った時。
その視界の端が突如として青く光りだした。
「……っ!?」
(魔法陣……?)
視界の端に現れる複雑な図式。それに気付き何事かと咄嗟に椅子から腰を浮かせ、レミは身構える。
そして現れた魔法陣から人が二人、姿を現した。
一人は数週間前に対峙した赤髪の騎士、そしてもう一人は久しく顔を合わせていなかった知人。
「君は……っ、というかそっちはオリヴィエか……!?」
状況を呑み込めず目を剥くレミの前で既に満身創痍であったエリアスとオリヴィエは倒れ込む。
「一体何が――」
見るからに激しく消耗している二人へとレミは駆け寄る。
そんな彼の顔を掠めるように、何かが素早く通過した。
それは鈍く大きな音を立てて壁に突き刺さる。
「まずいな、勢いをつけ過ぎたか」
突如襲い掛かった何かにレミは絶句し、冷や汗を掻きながら視線だけを後方へ向ける。
ぱらぱらと破片を散らしながら壁に突き刺さるのは剣だ。一歩間違えればそれは彼の顔へ突き刺さっていたことだろう。
にも拘らずオリヴィエはやけに平然とした態度でそれを目で追っていた。
発言からして壁に穴を空けるに至った原因が彼にあることは間違いない。レミは引き攣った笑みを浮かべてオリヴィエを見下ろした。
「どういう状況か、勿論説明してくれるんだよな?」
「……面倒だな。こいつの説教は長いんだ」
「説教されるようなことをしでかす方が悪いとは思わないか?」
自分と同じように隣で横たわっているエリアスへ、オリヴィエは小声で囁く。
その声はレミにも届いていたようだ。彼はラックに置かれていた救急箱を手に取りながらすかさず口を挟んだ。
だが、彼が更に小言を続けるよりも先に部屋の戸がノックされる。
「レミ? そっちから何かでかい音が聞こえてきたんだけど」
「寮長だ」
静かにしているようにと人差し指を立ててからレミは廊下に出ていく。
エリアスとオリヴィエは言われた通りに口を閉ざし、その後姿を見送った。
「悪い、ノアの奴が魔導具改造してて」
「またかぁ!? その部屋、度々爆発してないか? 爆発音聞こえる度に気が気じゃないんだぞ」
「言っておくよ」
扉の先で聞こえるのは出鱈目で誤魔化すレミの声と、それに驚きつつも納得を示す寮長らしき声。
知人が妙な濡れ衣を着せられる現場を聞かされるエリアスが複雑な顔をしているとその隣でオリヴィエが体を起こした。
近くに置かれた救急箱に手を伸ばして自分の手当てを始めながら、彼はエリアスへ視線を落とす。
「動けそうか」
「あー……歩くくらいまでなら多分何とか。けど、骨いってる気がするなぁこれ……あだだっ」
エリアスもまた、呻き声を漏らしつつゆっくりとした動作で体を起こす。
軽くはない怪我を負っている二人はのろのろとした動きで応急処置を施し始めた。
その途中でレミが廊下から戻ってくる。
彼は事情聴取の続きでもしてやろうと意気込んでいたが、自身の手当てを熟している二人の傷を見ると彼は顔を顰めて口籠った。
「……ただ事じゃなさそうだな」
結局彼は一言だけ呟くに留まり、その後は二人の傍へ腰を下ろすと自力で手当てが難しい箇所を手伝ってやることにした。
「ぼくはてっきりノアが君達の元にいるものだと思ったんだけどな」
エリアスの背中に布を押し当て、軽く圧迫するように固定してやる。
その作業の途中で呟かれたレミの言葉に対し、エリアスは小さく頷いた。
「さっきまで一緒にいたのは本当だ。すぐに来ると……思うんだけどな」
「ノア合わせて後三人は追加で来る」
「……っ! そうか」
魔法陣へと視線を移すエリアスの言葉にオリヴィエが補足を入れる。レミは彼らの言葉に顔を上げた。
ノア以外の二人がエリアスの連れを指すことは察しが付く。
一先ずルームメイトの動向を知れたレミはそのことに安堵し、深くため息を吐く。
聞きたいことも言いたいことも山程あるが、今中途半端に口を挟むよりは一度落ち着いた環境を築いた後に話を聞く方が円滑に事が運びそうだ。
そう考えたレミは現時点で話を掘り下げることはやめることにした。
そして丁度エリアスとオリヴィエの処置が終わった頃。未だ浮かび上がっていた魔法陣の光が強さを増す。
それをレミが視認した次の瞬間、魔法陣からクリスティーナとリオが姿を現した。
「クリス様、リオ!」
二人の無事を確認したエリアスが喜びを顔に浮かべる。一方で無事転移が成功したことにクリスティーナが安堵の息を漏らしたのも束の間。
「あ」
リオが短く声を漏らしたかと思えば、その首がごろりと床へ転がった。
縦に長い胴体は糸が切れたように崩れ、クリスティーナへと覆いかぶさるようにもたれかかる。
どうやら転移直前に放たれた風魔法はリオへ命中し、その首を刈り取っていたらしい。彼の首は地面を跳ねたままエリアス、オリヴィエ、レミの横をすり抜けていく。
「「「う、うわぁあああっ!?」」」
事情を何も知らないレミは勿論、彼の不死身体質を知っている二人も何の前触れもなく生首が飛んで来たとなれば驚かずにはいられない。
顔を青くさせた三人の悲鳴が重なり、室内を大きく響かせた。
「……重いわ」
それを他所にクリスティーナは魔法陣から抜け出す。
彼女は力尽きたリオの体を引きずり、魔法陣の横へ転がしてから生首の回収へ向かった。
「レミー!? 夜だから静かに……」
そこへ廊下から声が飛ぶ。
あまりの騒々しさから注意をしに来たのだろう。先程レミを呼び出した声が騒々しさを咎める。
だがその声の途中で再び魔法陣が光を帯びた。
今にも失神しそうな程顔を青くするレミ、そして生首を見てげんなりとするエリアスとオリヴィエ。
そんな大騒ぎを前に、白いローブをはためかせた魔導師が姿を現す。
彼は伏せていた睫毛を持ち上げると目の前で広がる騒々しい光景に目を丸くした。
「……え? これどういう状況?」
説明を求めようにも誰もが冷静に話をできる状況ではない。
求めた問いの答えが返ってこない為、仕方なく自ら今の状況を推測すべく視線を彷徨わせたノアは足元に転がる何かに気付いて視線を落とす。
そこに転がるのは首を失った男の胴体。
切断面から新鮮な血を垂れ流した死体。それを唐突に見せられたノアは一拍呆けた後、見る見るうちにその顔を青ざめさせていった。
「うわぁあっ!?」
「コラー!! 二人とも煩いぞ!」
注意の最中だと言うのに追加で上がった悲鳴に対し、扉前に立っていた男が我慢の限界だと声を荒げた。
部屋の隅に転がった生首を両手で拾い上げたクリスティーナは部屋の外が落ち着くまでは無暗に動かない方がいいだろうかと腰を下ろしたままその場に留まった。
既に手遅れである感じは否めないが、不必要に部屋を汚さないようにと膝の上に従者の首を乗せる。
廊下では部屋の主であるノアとレミが寮長に呼び出され、説教を受けている最中であった。
ノアはともかくとしてレミに至っては完全にとばっちりである。多少の哀れみと罪悪を抱きつつも残された面々は騒ぎが余計に広がらないように息を呑んで見守った。
「失礼、直前の攻撃が被弾していたようです」
「貴方、今日だけで二度目よ」
膝の上に乗せた頭の表情がわかるようにと長い前髪を優しく分けてやるクリスティーナ。
その指先が額に触れると、擽ったそうに赤い瞳が細められる。
「うげ、その状態で喋るのか」
「体も動きますよ」
「動かさなくていい……!」
新鮮な反応を面白がっているのだろう。怪訝そうな顔をするオリヴィエの言葉に応えるように、彼は片手を持ち上げて振って見せた。
それに対してエリアスがすかさず首を横に振る。
「リオ」
「失礼」
ただでさえ騒々しい二人だ。刺激をすれば寮室に部外者が入り込んでいることが浮き彫りになりかねない。
咎めるように名を呼べば、すぐさま謝罪が返ってきた。
「……しかし、お嬢様」
主人の顔を見上げていた従者は緩く弧を描くように口角を持ち上げる。
「随分と、機嫌がよさそうですね」
従者の指摘に瞬きを数度繰り返す。
エリアスやオリヴィエが首を傾げていることから、わかりやすく表情に出ていた訳ではなさそうだ。しかしそう感じさせるものが彼には見えたのだろう。
そしてそれを否定できない事にもクリスティーナは気付いていた。
「……そうね」
小さく緩められる口元。
「あまりにも滑稽な反応ばかり返ってくるものだから、気が抜けてしまったのかもしれないわ」
「おい」
「クリス様……!?」
言外に馬鹿にされたエリアスとオリヴィエが不服そうな声を漏らす。
生首へ注意が向いていた二人は彼女の表情の些細な変化に気付かなかったようだ。
しかし一方でクリスティーナの顔色が良く窺えるリオは静かに目を伏せて微笑んでいた。
「貴方もよく働いてくれたわ」
「勿体ないお言葉です」
目を閉じる従者の首を優しく持ち上げ、その頭を撫でてやる。
普段、自分よりも高い位置にその視線があるからだろうか。たまにはこうして彼を見下ろしてやるのも悪くはないと、クリスティーナは手触りの良い黒髪を指に絡めながら密かに思った。
張りつめる空気を切り抜け、安心感が募る。
すっかり緩んだ雰囲気が場を満たし、僅かに残っていた緊張すら静かに溶けて消えていく。
やがてノアとレミは寮長からのお咎めを終えたらしく、部屋の戸が開かれた。
「……酷い有様だな、本当に」
「ははは」
大勢の客人や頭と体が分離した存在。混沌とした光景を再度目の当たりにしたレミは青い顔のままこめかみを押さえた。
そんな彼に続いてノアも部屋へ足を踏み入れ、後ろ手に扉を閉める。
そしてそこで視界が捉えた光景に目を奪われる。
彼はふと足を止めた。
「ノア?」
「……え、ああ。何でもないよ」
何かあったのかと問う視線が傍らから注がれ、ノアは我に返る。
首を横に振りながらも、彼の視線が捉えるのは先程と同じものだった。
頭から足まで、返り血塗れになった少女。
美しい銀髪や白い肌と対比になるように付着した赤は色素が薄く儚い雰囲気を与える彼女へ彩りを与えているかのようだった。
更に品のある仕草で抱き上げられているのは同じく血だらけの生首。
しかし頭だけとなった従者の生首はとても穏やかな微笑みを湛えており、痛みや苦しみを連想させるには程遠い雰囲気だ。
両手を血に濡らす少女はそれを静かに見つめている。
冷たい印象を与えやすい釣り上がった目と空色の瞳。そこには彼女の人となりを知る人物のみが気付ける温かさが確かに込められていた。
口紅の代わりだとでも言うように彼女の薄い唇へ足された鮮血。それを巻き込んで緩く弧を描く彼女からは背徳的な美しさすら感じられた。
(こんなことを思うには場違いすぎるんだろうけれど……)
間違っても天使だとか神聖なものとしては例えられないだろう有様。
それでも血に塗れ、人の頭を優しく抱き上げる少女が彼へ与えた印象は――
(……綺麗だな)
元より薄い色だけで構成されたような容姿を持つクリスティーナ。
しかし無造作に浴びせられた赤も、大切そうに抱き上げる従者の生首も、初めから彼女の為の装飾として用意されたのではないかと思わせる程に……
その様は良く映えていた。