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悪女と名高い聖女には従者の生首が良く似合う  作者: 千秋 颯
第二章―魔法国家フォルトゥナ 『魔導師に潜む闇』
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第70話 撤退作戦

 ベルフェゴールは転移大結晶が起動している様を見て焦りを滲ませる。

 転移大結晶の起動、それを手掛けている魔導師の存在に気付いていなかったわけではない。

 ただ、それが正常に動くよりも先に自分は目的を果たせるだろうと踏んでいたのだ。


 ただの小娘一人を殺し、ついでに周りを掃除するだけ。

 その計画は転移大結晶の起動により一気に崩れようとしている。


 戦闘で油断も手抜きもしていなかった彼女はしかし、己の能力に慢心をしていたのだ。

 いくら手練れとは言え、たかだか人間の集まり。それもたった五人の。自分はそれを圧倒するだけの力がある。

 そう思い、高を括っていた結果が今、最悪な状況として彼女の目の前に現れていた。


 長距離の移動を可能とするアーティファクト。その使用を許せば彼女達の行方を辿るのは困難となる。

 このまま逃亡を許せば事態は複雑且つ厄介なことになるのは目に見えていた。

 それだけは避けなければならない。


 ベルフェゴールは転移大結晶に触れるノアを睨む。

 彼女は集う人間の中で彼が一番『平凡』であることを知っていた。


 一番力のない者が唯一の逃走経路を確保している。

 ならばそれを叩きさえすれば事を有利に運べるはずだ。


 故にベルフェゴールは魔法を行使する。彼の体を貫く武器を多量に生成し、彼らの防御を打ち破るだけの威力で叩きのめそうとした。

 だが、氷が生成されるほんの一時。その間を衝いて動いた存在があった。


 彼女の後頭部を潰そうと襲い掛かる何か。

 それに気付いたベルフェゴールは身を翻した。

 手元は狂い、生成途中の武器たちはあらぬ方向へ飛び出し、壁や床を削るに留まる。


 一方でベルフェゴールへ襲い掛かった土塊の礫もまた、目標へ命中することはなく地面へ激突して粉砕する。


「――そいつに怪我一つ負わせてみろ」


 ベルフェゴールの視線の先、オリヴィエはふらつきながら立ち上がる。

 その足元は抉れていた。先の攻撃は彼の魔法によるものだったのだろう。


 口元を乱暴に拭いながら彼は眼鏡の奥でベルフェゴールを睨みつけた。


「どんな手を使ってでもお前を捻り潰すぞ」


 まともに動くことすらできないことは明らかであるのに、警戒心を煽られる気迫。

 それに気を取られていると今度は彼女の脳天目掛けてナイフが飛ぶ。

 頭を傾けることで回避するベルフェゴールだが、更なる追撃が次いで顔面へと襲い掛かった。

 それさえも何とか片手で受け止めることはできる。しかしその勢いを殺しきることは出来ず、彼女は数メートル程地面を滑りながらの後退を余儀なくされた。


「動けますか」


 リオは背で庇うようにオリヴィエの前に立って声を掛ける。

 オリヴィエは眼鏡を押し上げながら小さく頷きを返した。


「僕の場合歩けなくても問題はない。ただ、この場に留まっても足を引っ張る要因になりかねないだろう」

「お先にどうぞ。俺は最後に行きます」

「頼んだ」


 リオは囮と時間稼ぎを買って出、オリヴィエは自分の状態を客観視した上で先の撤退を選択する。

 ベルフェゴールを警戒している故、互いに視線を交わせることすらない端的なやり取り。


 そして彼女が能動的に動くよりも先に二人は動き出した。

 リオは手元で生成されるナイフを掴んではベルフェゴールへ向けて投げつけ、近づき、その肉を切り裂かんと振るい続ける。

 時折二人の間に出現する水柱がベルフェゴールの注意を削ぎ、無駄に回避行動を取らせることで彼女から隙を生み出そうとした。


 後方の支援を受けながら攻め続けるリオ。だがその攻撃の殆どをベルフェゴールは避けてみせる。

 だが、それでいいのだ。自分達の目的はあくまでその場からの撤退。相手の深追いでも撃退でもないのだから。


 時間を稼ぐリオの背後をオリヴィエが素早く通過する。

 道中、転がっていたエリアスの剣へ足を伸ばし、爪先で掠めるように触れる。

 そして低空で飛行する彼は、体に負担が掛からない範疇で可能な限りの速度を以てエリアスへ近づいた。


 エリアスもまた、地面に手をついて体を起こそうとしていた。しかし壁へ激突した際にどこかを酷く痛めらしく、彼は立ち上がることすらままならないようだ。

 そんな彼へ近づいたオリヴィエがその肩へ触れる。


「っ、オリヴィエ――」

「その様で文句なんて言ってくれるな。今の僕達に求められる最善は先の撤退だ」


 主人が残っている場での撤退を良しとしないエリアスの言い分を悟ったオリヴィエは先回りするように言い放つ。

 まともに動けない前衛は役に立たないどころか、足を引っ張ることになりかねない。自分の意志や誇りよりも優先しなければならない選択も時には存在する。


 それを短く指摘され、エリアスは顔を歪める。それは自分の無力さや望まぬ選択に対する苛立ち、悔しさから来るものだった。

 彼は項垂れるが、それ以上口を挟むことはしなかった。


「……わかった。頼む」

「賢明な判断だ。”飛べ”」


 エリアスの体がオリヴィエと同じように上昇する。

 それを確認するとオリヴィエは転移大結晶へ向けて最速で移動を始めた。


 道中、彼は後方を気遣うように視線を動かした後、人差し指で何かを招くような素振りを見せる。

 それに応えたのは地面に転がったままであったエリアスの剣だ。合図を受け取ったそれは、独りでに浮かび上がった後にオリヴィエ達の背を追って滑空した。


「リヴィ、エリー!」


 自分の元へ近づく二人にノアが声を掛ける。


「悪い、先に行く。お前も後から必ず来い」

「勿論だ。先で待っていてくれ」


 すれ違い様に短い言葉を交わすノアとオリヴィエ。

 一方でエリアスもクリスティーナへ声を掛けた。


「すみません、オレ……」

「不要な謝罪よ」


 エリアスは思っていることが顔に出やすい。

 顔を曇らせる彼の考えを察したクリスティーナはその声を遮った。


「貴方は良くやったわ。先に休んでいなさい」

「……っ、はい」


 ぶっきらぼうな労いの言葉。だが紛れもなく本心から来るものだ。

 それがどれだけ彼に伝わったかは定かではないが、エリアスは唇を噛むと小さく頷いた。


 エリアスとオリヴィエの体が魔法陣の範囲へ入り込み、遅れてエリアスの武器もやって来る。

 同時に彼らの体は淡い光で包まれ、輪郭が朧気になっていく。


 そこでエリアスが後ろを振り返った。

 光に包まれ消える瞬間、彼はリオとベルフェゴールが立っている場所目掛けて片手を翳した。


「……っ!」


 その意図にいち早く気付いたのはノアだ。

 薄く笑みを浮かべると、彼もまた同じ位置を見据えた。


「アクア」

「ソイル・マイアー」


 二つの詠唱が重なった次の瞬間、エリアスとオリヴィエの姿は霧散した。

 その場に残るのは光り続ける魔法陣のみ。どうやら彼らは無事に転移したらしかった。


 そして二人が転移した直後、それは起こった。

 攻防を繰り広げていたリオとベルフェゴール。その足元に突如として水が現れ、地面を濡らした。

 ただの水溜まり。それは脅威になり得ないと判断したベルフェゴールは一瞬身構えた後に再び臨戦態勢を取るが、リオは違った。

 襲撃前のエリアスとノアのやり取りを聞いていた彼は後ろへと大きく飛び退いたのだ。


 刹那、地面が歪む。

 攻撃や防御に活用できるほどの固さを誇っていた地面は多分の水分を含んで液状化し、小さな泥沼を生成する。


 床へ敷かれていた土の量が少ないせいだろう。それは非常に浅く、人の体を丸々呑み込むような脅威にはなり得ない。

 だがそれでも、足止めをするには十分すぎる効力を持っていた。


 泥沼に足を滑らせ、咄嗟に膝をつくベルフェゴール。

 リオはそれを確認すると即座に身を翻した。


「全く、彼は相当な負けず嫌いのようだね」


 一連の流れを眺めていたノアは目を細める。

 クリスティーナは彼の言葉に心の内で同意をしながら、エリアスの評価を見直さなければならないと考える。


 元より殆ど面識がなかった相手。彼が相当の実力者であることは理解していたが、それに驕ることもなく常に自分の上を見続ける存在。

 加えて生や勝利に対する執着心。それは向上心に直結するものであるし、また向上心は当人の実力の伸び代を意味する。

 今以上に成長する可能性を秘めた強者が自分の傍にいるのは素直に心強いと感じた。


 転移大結晶へ向けて走り出すリオ。遅れて体勢を立て直したベルフェゴールがそれを追いかける。

 そこへ彼女の足を遅らせるべくクリスティーナとノアは魔法を連発する。

 水柱を出鱈目にいくつも放っては相手の選択する道筋を狭めて地面を濡らし尽くすノアと、的確にベルフェゴールへ向けて氷を降らすクリスティーナ。


 それは全て避けられてしまうが、足を遅らせるという意味に於いてその手段は十分に有効であった。


「――アクア・スフィア」


 更に短い詠唱がされると同時に、三十程の水の球体がベルフェゴールの周囲を囲んだ。

 そしてそれは瞬く間に破裂し、水飛沫を辺りに散らす。


 その様を視界に捉えクリスティーナもまた、彼の魔法に続いて詠唱する。


「アイス・フリーズ」


 彼女が唱えたのは中級魔法。一定範囲を凍結させる魔法。

 しかし魔法の威力とは元より本人の魔力と周囲の環境によって左右される。用意された条件が術者にとって都合の良いものであればある程その威力は増す。時として行使した魔法よりも上の等級の魔法と同等の効果を齎す程に。

 クリスティーナの人並外れた魔力量、そして戦闘を担いながらも密かに仕組まれていた『下準備』。

 それは彼女の魔法をより強力なものへと変化させた。


「俺の魔法はさぞ避けやすかったことだろう、ベルフェゴール」


 クリスティーナを中心に突如下がる気温。そして凍り付く地面。

 凍結はクリスティーナからベルフェゴールの元へと凄まじい速度で広がっていく。


 その光景を視界に留め、ノアは不敵に笑う。


「闇雲に撃ち続ける、数だけの魔法。脅威には至らないものだと。そう思っていたんだろう?」



***



「俺の強みはね、相手の油断を誘いやすいことだ」


 迷宮『エシェル』の最奥を目指し突き進む一行。

 その道中でノアが口を開いた。


「要は、実力者だと自負している奴ほど無意識に俺を舐めてる場合が多いってこと……って、そんな顔しないでくれよ」


 相変わらず自身を卑下するようなノアの発言に呆れ混じりの視線が四つ、彼へと集まる。

 誤解だと言いながら自分の信用のなさに困り果てる彼は、弁明の為に補足を入れた。


「俺だってめちゃくちゃ不本意さ。けど、それが強みにもなり得るってのも事実。戦場で役立つこともあるんだ」


 例えば、と彼は人差し指を立てる。


「天才のミスはその意外性から注目を浴びるが、実力が伴わない者のミスは仕方のないもの、些細なものだと流されやすいだろう? それと同じことが俺にも言える」

「実力不足に見立てて相手を騙す戦法が取れるという事ね」

「そういうこと。ただしこの戦法を取ろうにも俺一人では実現できない」


 藍色の瞳がクリスティーナへ向けられる。

 彼の眼差しには期待と信頼が含まれていた。


「だから……もし彼女との戦闘が免れない時は君の力を借りることになるだろう、クリス」



***



 複数人を相手にしていれば警戒すべき順位は自ずと付いて回るものだ。

 ベルフェゴールは油断しているつもりなどなかったのかもしれない。しかし結果として、殆ど命中しなかった彼の魔法はその全てが実力不足から来るものだと、自分が格上故の単なる実力の差であると結論付けてしまった。


 それが致命的な判断ミスであったことをベルフェゴールは遅れて気付かされることになる。


 地面から広がる凍結。ベルフェゴールはそれを跳躍することで避けようとした。そして既に凍っている地面へ着地しようとしたところで、皮膚がひりつく感覚を覚える。

 不審に思い、該当の箇所へ視線を向けた彼女はその顔を引き攣らせた。


 部屋全体が凍り付くことにより始まった気温の下降。それは皮膚の温度を奪い去り、彼女の体をも徐々に凍結させていた。

 彼女は戦闘中に何度か水を浴びている。それは全身を湿らせるには十分な回数であった。

 それが仇となったのだ。


 まずいと感じた時には着地した足が凍り出し、地面との癒着を開始する。

 それを振り解くことがないようにと、追加で生成された氷が更にその足を覆い尽くしていった。


 氷結は床から壁、更には天井へと広がり、やがて部屋全体を氷漬けにする。


「布石ってのはバレずに打ってこそだろう?」


 計画通りだと目を細めて口角を上げる魔導師。

 ベルフェゴールは彼を睨みつけることしかできない。


 やがて氷によって完全に拘束された彼女を置き去りに、リオが後衛と合流を果たした。

 それを視界の端に捉えてからノアは魔法陣へ入るようにとクリスティーナとリオへ目配せをする。


 最大の目的を逃しそうになるベルフェゴールは焦りから効果力の炎を生成し、無理矢理氷を溶かそうとした。

 しかし急激な温度変化に耐えられない氷はベルフェゴールの体ごと亀裂を走らせた。


 氷が無残に砕け散る音。それは彼女の足を巻き込むように破壊した。

 氷の拘束を解く代償として、彼女は体の一部を失う。

 割れた陶器の如く手足を片方ずつ崩壊させた彼女は、自立すらままならずその場に膝をついた。


「……そう。確かに、わたしはあなたを見縊っていたのかもしれない」


 魔法の行使は可能だが、目標の傍には彼女の動きに対応するだけの身体能力を誇る存在がある。

 これ以上の追跡は不可能だと、ベルフェゴールは足搔くのを諦めた。

 動きを止めた彼女は深々とため息を吐く。


 それを横目に魔法陣へ足を踏み入れようとしたクリスティーナは、唐突に嫌な予感を覚えた。


 目の前には起動した転移大結晶。一方で直立すらできない敵。

 彼女が詰んでいることは明らかであるはずだ。


 だが、それにも拘わらず。視界の端に捉えた彼女の表情には強い意志が宿っている。

 その瞳は獲物を品定める獣の如く鋭い光を帯びていた。

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