第67話 『目が良い』魔導師
瞬く間に距離を詰めた強大な存在。
それは少女の姿を象っているものの、その数倍の大きさを持つのではないかと錯覚するほどの存在感と気迫に満ちていた。
大槌がクリスティーナの体を押し潰さんと迫る。
横から胴体へ叩きつけるように動いたそれはしかし、クリスティーナへ触れるよりも先に下から与えられた何物かの力によって軌道を逸らした。
下から上へと押し上げられ、クリスティーナの頭上を通過する大槌。
巨大な武器を押し上げた正体はその物量と対抗するだけの水柱。それは渦巻き、水飛沫を散らしながらベルフェゴールの視界の端に映り込んだ。
「っ、邪魔」
再度、今度は反対の方角からベルフェゴールが大槌を振るう。だがそれはまたもや多量の水によって押し上げられ、あらぬ方向へと逸らされる。
(見えている……?)
その後三度、四度と振るわれる大槌は全て狙ったかのように弾かれる。彼女は手は抜いていない。油断しているわけでもなかった。
にも拘らず水の防護は的確に放たれる。ベルフェゴールは目を見張った。
敵の動きを間近で目の当たりにする前衛ならば多少の慣れが生じることもあるだろう。だが後衛が、それも武道による戦闘能力よりも魔法に特化した者が近接戦闘に長けた者の動きに対応できるかと言われれば、非常に難しいというのが答えだ。
だが、水魔法による防衛は偶然という言葉で片付けることのできない正確さが備わっていた。
ノアは瞬きをするのも惜しんで、ベルフェゴールの動きを注視する。
(俺には強敵と直接対抗できるだけの技術も才も持ち合わせていない)
魔物を数体相手にする程度であれば水魔法で対処もできる。
だが彼女のような強敵を前にした時、水魔法一つで相手に致命傷を与えることはまずできない。それは魔法適性を水しか持たない者の宿命だった。
生まれ持ったもので決まる世界。魔物やならず者など小さな脅威に晒され続けるこの世界では、戦う術を得られない者に対する風当たりは強い。
その現実はどれだけ努力を積んだとしていても付き纏う。
(……けど、だからこそ支援と防御だけは譲れない。得意とする領域ですら押し負けてしまうようならば、俺の存在意義は本当に潰えてしまうから)
複数の魔晶石を強く握りしめ、ノアは強敵を見据える。
攻撃手段を磨くことは疾うの昔に諦めた。
だがその代わりに彼が得たもの。それこそが数多の支援と防衛の手段だった。
目立たなくていい、裏方でいい。それでもいいから、自分がそこにいる意味をきちんと残せるような存在で在りたい。
表に立つ者を支える、必要不可欠な役割として在りたい。
それこそが『特別』を追求した在りし日の少年が辿り着いた答えであった。
(だから、意地でも逃さない。俺は俺の役目をやり遂げてみせる……!)
ノア・ド・ヴィルパンは目が良い。
それは視力が良いという意味でもあり、優れた洞察力を持つという意味でもあり、動体視力に秀でているという意味でもあった。
ベルフェゴールの動きについていけるだけの身体能力も体力も持ち合わせていない。
だが、彼には常に彼女の動きが見えていた。
(気を抜くな、見失うな、食らいつけ)
勢いをつけるべく後ろへ引き上げられた大槌が再度クリスティーナへ向かって振るわれる。その一連の流れを視界に収める。
そしてその攻撃がクリスティーナへ直撃する手前、彼は上級魔法『アクア・フラッド』を無詠唱で行使する。
発動に生じる時間を最低限に留めた魔法は地面から天井へ向けて放たれ、何度でもベルフェゴールの攻撃を妨害してみせる。
「……ああ、もう。面倒」
何度横方向から殴りつけようとしても妨害される攻撃。痺れを切らしたベルフェゴールは大槌を自分の頭上へ振り上げた。
それは大槌を垂直に叩きつける予備動作だ。
先までは地面付近から水を発生させることで攻撃を防いでいたが、今回はそこにクリスティーナが立っている。同じ手法は使えない。
「――そう来るよね」
だが、守る手段を失ったはずのノアは口角を上げる。
相手の心理を汲んだ作戦。それは彼が得意とするものの一つであり、今現在眼前に広がる光景もそれを用いて生み出した計画の一種に過ぎない。
攻撃範囲の広い横方向からの攻撃は回避が難しく、予備動作から攻撃に移るまでのタイムラグも少ない。
一方で垂直方向からの攻撃は武器を振り上げる予備動作により前者よりも多くの時間を要し、更に回避の成功率も僅かに上昇する。
ノアはそれを待っていたのだ。
「頼んだよ」
ノアは『アクア・フラッド』の行使を止めて呟いた。
それと同時に、クリスティーナの手中に水が生み出される。
長く美しい銀髪がそれに応えるように靡く。
ノアの視線の先でクリスティーナは頭上で振り上げられる大槌を真っ直ぐ見上げた。
「標的を前によそ見とは、随分と舐められたものね」
ノアの対応力を警戒していたベルフェゴールをクリスティーナは鼻で笑う。
そして素早く、しかし品のある動きで彼女は腰を落としてみせた。
腰元に添えられた手。
その中に生成された水は棒のように細長い形状を象った。
「まさか、一介の元令嬢では戦闘一つまともに熟せないとでも?」
クリスティーナは空色の瞳を細め、冷えきった視線をベルフェゴールと大槌へ浴びせる。
その手中では生成された水が瞬く間に凍り付いていく。
「武器を手に取らないだなんて、私は一言も言っていないわよ」
華奢な少女は、彼女の見目に似合わない不敵な嘲笑を湛える。
その手には細身の剣が握られていた。