第65話 本性
オリヴィエ・ヴィレットの魔法は特殊且つ強力だ。
六属性という括りに縛られない特殊な魔法を扱う彼は逆にそれ以外を扱うことが出来ない。
他にも様々な制約を持って成立している才だが、それを考慮して尚現代の常識を逸脱していると誰もが口を揃える。
『触れたものを浮かせることが出来る魔法』『触れたものを地面に縫い留めることが出来る魔法』そのどちらもが真実だ。
しかしより正確に言うならば……
――自身と自身が触れたものに掛かる『重力を操る魔法』。
彼は重力操作という六属性から外れた魔法のみを扱う例外的且つ規格外な存在であった。
跪くベルフェゴール。彼女は倍増した重力に逆らい、無理矢理立ち上がろうとする。
更にオリヴィエと挟み込むように彼女の背後へ回り込んでいたエリアスが剣を振り下ろす。しかしそれはすんでのところで半身で避けられた。
「チッ……!」
伸し掛かる重圧を受けても尚動いて見せる敵にオリヴィエは舌打ちをする。
ならばと魔法の威力上昇を図るが、ベルフェゴールへ人差し指を向けた瞬間、鋭く光る眼光がオリヴィエを貫いた。
咄嗟に跳躍した彼の足を何かが過る。
それは一周して真逆に立っていたエリアスへも襲い掛かったが、彼は地面に滑り込む形で身を低くし、それを避けた。
ベルフェゴールを中心に二人の胴体を切り裂こうとしたのは大鎌。その速度は通常時の何倍もの重さを背負った動きとは思えない程素早いものだった。
大鎌の回避と共にベルフェゴールへと距離を詰めたエリアス。彼は倒れた姿勢のまま剣を真横に振るう。
狙うは地面に縫い付けられている敵の足。
いくら重さに逆らって動けるとはいえ飛び退く程の力を持たない彼女は回避行動を封じられる。
剣先は彼女の足を深々と捕らえ、その肉を切り裂いた。
両断するには至らない威力。しかし歩行を封じるには十分な威力の攻撃。
ベルフェゴールは咄嗟に地面へ片手をついた。
「”沈め”!」
刹那、響くのは短い命令。ベルフェゴールを中心に地面に亀裂が走った。
更なる負荷を掛けられた体を抱え、彼女は傷口から血を噴出させる。
一方で斬撃の直後に体勢を立て直したエリアスが更に追撃を試みる。
しかし直後、身動きの取れないベルフェゴールが一点を睨みつけていることに気付いた彼はオリヴィエとの距離を詰めた。
「後ろだ!」
オリヴィエは即座に振り返る。しかしその頃には数十もの氷の刃が彼に襲い掛かっていた。
回避行動は間に合わない。エリアスの足でもオリヴィエには僅かに届かない。
「くそ……!」
彼はせめて急所を庇えるようにと腕で顔を覆う。
だが瞬く間に襲い掛かるはずであった激痛はやって来なかった。
代わりに陶器が床に叩きつけられるかのような音が無数に鼓膜を揺らす。
すぐさま異変に気付き、開いた目に入り込んだのはオリヴィエと刃の間に聳える氷の壁。
それは大きさも耐久も十分すぎる性能を誇り、全ての攻撃を防いでみせた。
「後衛が優秀だと動きやすくて助かる……なっ!」
粉砕し、ばらばらと散りゆく氷の欠片。
その気配を感じながらもオリヴィエは去った一難の裏に潜む影を見逃さなかった。
彼は距離を詰めていたエリアスの腕を引いて背に庇うと地面を蹴りつけ一歩後退る。
「”浮け”」
自身とベルフェゴールの間を指さすオリヴィエ。
彼の声を合図に地面は不自然に罅割れ、その一部が持ち上がった。
大きな土塊と化したそれは彼とベルフェゴールの間に立ちはだかる。
瞬間、それは轟音を伴って爆ぜた。
僅かに鼻を衝く焦げ臭さが炎魔法の類が土塊と衝突したことを悟らせる。
辺り一面に土煙が充満した。
視界の妨げとなるそれをベルフェゴールは風魔法で吹き飛ばす。
再び開ける視界。目くらましは僅かな時間しか通用しない。
だが土煙の発生からの過程が生んだ数秒間はエリアスとオリヴィエにとって十分な猶予となった。
土煙が霧散すると同時、ベルフェゴールの後方右側からエリアスが飛び込んだ。
走る閃光。ろくに身動きの取れないベルフェゴールの体を三度、刃が走り抜けた。
それから間を空けることなく、彼女の後方左側からオリヴィエが手を伸ばす。
ベルフェゴールは彼の魔法が厄介であることを痛感している。故に彼に対する警戒心は一層強かった。
押し潰されそうな力の中、彼女は無理矢理にでも後ろへ仰け反る。
しかし回避行動を取った彼女が見たのはオリヴィエの勝ち誇ったかのような笑みだった。
彼は伸ばしかけていた手を途中で止めた。
かと思えば両手をついて素早く地面を蹴り上げる。
倒立状態の体は勢いをつけて捩られ、それは回し蹴りとなってベルフェゴールの左肩へ伸ばされる。
巧みに、そして自然に織り交ぜられたフェイク。
それは彼女の隙を生み出す一手となった。
爪先が掠める程度の接触。
彼にとってはそれで十分だ。
「”歪め”」
地面へ頭を向けたまま、視線だけを敵へ送りながら彼は呟く。
接触という条件を果たした魔法。その効果は即座に現れた。
彼の一言を合図にベルフェゴールの左腕が瞬く間に捻じれ、圧縮され、変形する。
肉の潰れる音、骨の砕かれる音を響かせ、彼女は苦痛に顔を歪めて悶える。
そこに更なる追い打ちを掛けたのは三つ目の人影と彼女を包囲する数十もの氷の剣。
迎撃の気配を感じ、後退するエリアスとオリヴィエと入れ替わるようにそれらはベルフェゴールへと襲い掛かった。
先に動くのは氷の剣。それは規則性を持たず予測不能な動きと速度でベルフェゴール一点を狙い撃つ。
だが相手もまともに攻撃を受けてやることはしない。
その体を蜂の巣にしようと剣が迫る僅かな時間。その一瞬の間に彼女は魔法で地面を隆起させ、自身を覆うように変形させた。
それはさながら土で出来た繭。だがその強度は侮ることはできない。
降り注ぐ剣は繭に当たっては砕け散る。氷魔法による猛攻により、繭に亀裂が走った。
だがそれは障壁の崩壊へ繋がるような大きなものにはなり得ない。
更に彼女の守備は止まらなかった。
ほんの僅かだとしても繭を破られる可能性があることを悟ったベルフェゴールは更に魔法を行使する。
繭の内側から彼女は無事である方の腕を持ち上げる。
直後、繭全体を取り囲むような炎の膜が発現する。
氷と炎は相性が悪い。更に魔族の手掛けた魔法となればその威力の凄まじさも段違いだ。
故に残された剣は繭に触れる事すら叶わない。それらは溶解し、蒸発して消え去った。
炎は氷に強い。クリスティーナの魔法では彼女の鉄壁を切り崩すことは出来ないだろう。
だが――。
「……を下せ。アクア・フラッド」
猛攻が止んだ空間に詠唱の一節が響く。
炎へ襲い掛かるのは多量の水を出力した攻撃。巻き込んだ物を容易く吹き飛ばすほどの物量を持つそれは飛沫を散らし、辺りを水浸しにしながら十に渡って繰り出された。
水が気体と化す激しい音。量の暴力が土塊を殴りつける音。
水による攻撃と炎の防壁の頑丈さ。それは一見拮抗しているようにも思えた。
だがしかし。
炎は氷に強い。だが、水相手ならば?
子供でも分かる、単純な道理である。
攻防共にその精度が互角。ならば、この攻防に決着をつけるのは何か。
それは相性の差であると言えるだろう。
更にノアの行使した『アクア・フラッド』は魔物の襲撃の際に扱ったものよりも威力が底上げされたものであった。
上級魔法の連発、更に通常時を上回る威力の上昇。
それを可能にしているのは魔導師の手中に収まる多大な魔力である。
相性と効力の上昇。それらの要因が次の一手への道を切り開く。
当たりの視界を濁らせる程の水蒸気を伴い、苛烈を極める水と炎の攻防。
やがてそれは終わりを迎えた。
止まらない水魔法の猛攻に押された炎の膜はその力を徐々に失い、やがて完全に消滅する。
同時に炎に守られていた土の繭の姿が再び顕わとなる。
土の繭に入った罅は度重なる攻撃により大きく広がっていた。
あと一撃。決定打となる攻撃を受ければそれは崩壊するだろう。
それを悟ったベルフェゴールは即座に新たな魔法の行使を試みる。
隙を隠し、相手の追撃より先に反撃に出る。それがベルフェゴールに求められた選択だった。
「……え」
だが魔法が発動するよりも前、彼女が見たのは開けた視界と飛散する繭の残骸だった。
一切の猶予を与えない。
そんな意志を持ち、誰よりも早く動いたのはリオだった。
彼は目にも止まらぬ速さで接近。途中でナイフを投げ捨て、代わりに手元で生成された氷の剣を握りしめる。
そしてベルフェゴールが動くよりも先にその繭を両断した。
宙を舞う氷の破片の中、殺伐とした雰囲気に似合わぬ穏やかな口調で呟かれる。
「手柄はお譲りしますよ」
彼の扱った剣は繭の強度に耐え切れず、その一撃で砕け散る。
だが彼から余裕が消えることはない。
剣を振るった直後、ベルフェゴールの背後で腰を低く落としたリオ。彼の視線は背後のベルフェゴールへ――いや、その更に後ろへと向けられる。
「ッハ、ならお言葉に甘えようかね……ってな!」
少女の背後で赤髪が揺れる。
リオが繭を破ると同時、ベルフェゴールの背後から距離を詰めていたエリアスは口角を上げる。
彼はポケットに入れていた小瓶の栓を開け、敵へ向かって放った。
そして自身の武器を構えて腰を落とす。
宙を舞う小瓶。その中に納まっていた液体はまるで意志を持ったように自ら瓶の外へと這い出た。
それはいくつかの水滴となり、浮遊する。
「アクア・ミスト」
「フレイム・ヴェイル」
二つの詠唱が重なった。
刹那。浮遊した水滴は弾け飛び、霧散して宙を漂った。
同時にエリアスの剣が炎を帯びる。それは辺りを煌々と照らしながらベルフェゴールへと襲い掛かる。
迫る刃。未だ重力に行動を制限された彼女は、それでも身を引いてみせる。
だがその回避行動はエリアスの剣本来のリーチを想定した回避行動に他ならない。
帯びた炎によって伸びた刃先。その軌道の先から逃れることは出来なかった。
エリアスの剣は横に一線を描く。
瞬間、炎は辺りに霧散していた液体を巻き込んで発火する。
飛び散る火の粉は更にベルフェゴールへ僅かに付着した霧をも巻き込んでその威力を高めていった
炎の刃は確実にベルフェゴールの肉を穿ち、更に付着した液体へ燃え移り、少女の頬を、肩を、脚をと至る所を焦がしていった。
全てを包み込む威力ではないものの、肉を焦がす炎の攻撃は確実に彼女を追いこんでいた。
「っ……痛い、熱い」
激痛に顔を歪めて歯を食いしばる少女。
彼女はぼろぼろになった体を抱え、ぶつぶつと独り言を繰り返す。
「ああ……痛い、いたいいたいいたい、面倒くさい、本当に、いらいらする……つかれる」
相手の不気味な様子に怪訝そうな顔をしつつも、エリアスは止めを刺す為に剣を構え直した。
反対からはリオが同じように武器を構えていた。
相手は魔族だ。決して油断はしない。
今彼女が見せている隙を確実に叩き、今度こそ息の根を止める。
エリアスは地面を踏みしめ、剣を振り下ろした。
その時。
「――もういい」
ぴたりと彼女の声が止む。
それと同時に、振り下ろした剣は弾き返された。
「くっ……」
彼女と剣の間に割って入ったのは大鎌。それは意志を持ったかのように主人の手から離れ、エリアスの攻撃を弾き返したのだった。
彼女の異変に感づき、後退するエリアス。追撃に備えていたリオも接近を中断して彼女から距離をとった。
警戒の眼差しを多方から受けながら、ベルフェゴールはその身を起こす。
覚束ない足取りながらも、彼女は地面を踏みしめてしっかりと立ち上がってみせた。
「な……っ、馬鹿な、どれだけの力が働いてると思ってるんだ!」
動揺を見せたのはオリヴィエだ。余程の重圧を受けているのにも拘らずそれに抗って見せる様に彼は顔を顰める。
そして更に負荷を与えるべくベルフェゴールへ手を翳した。
彼の試み自体は成功する。ベルフェゴールに更なる負荷を与えることに成功し、彼女は増加した力に従うように膝をつきかけた。
だが、彼女はそれにすら抗おうとした。
傷口から血が噴き出そうとも、それらを一切無視した上で足に力を込める。足場にクレーターが出来る程の力が掛かろうとも重圧に抵抗し続ける彼女は決して膝をつくことをしなかった。
「……くっ」
オリヴィエは顔を顰める。
彼女が抵抗すればする程、反発する力を押さえ込む為に更なる力を要す。その反動は彼の体に掛かっていた。
何とか力づくで押さえ込もうとするオリヴィエの腕は力むあまりに震えている。
魔法の精度を維持するべく、彼は翳した腕をもう片方の手で掴んで震えを止めようとする。だがそれすらままならない程の負荷がその腕には襲い掛かっていた。
その時ベルフェゴールの赤い瞳がオリヴィエを射止める。その瞳は怒りと敵意が満ちていた。
次の瞬間、彼女は更なる力を以て重圧に抗い、立ち上がる。
彼女の反発する力はオリヴィエが対抗できる範疇を完全に超えたのだった。
圧倒的な力を振り切ったベルフェゴール。
彼女が自身に伸し掛かる重圧を完全に振り切ったと同時に、オリヴィエの翳していた腕が悲鳴を上げた。
無理をした結果だとでも言うように、負荷に耐えかねた血管が指先から肩へと千切れては血を噴き出す。
それが肩へ到達した時。オリヴィエは腰を折り曲げて多量の血を吐き出した。
二度、三度と咽ては地面を濡らす彼は膝をつき、酸素を求めて喘ぐ。
「リヴィ……ッ!」
前衛と後衛とは距離がある。だが遠目からも見て取れたオリヴィエの変化にノアが声を漏らした。
それが届いたのだろう。視線は敵へ向けたまま、オリヴィエは片手を挙げた。
未だ会話できる状況ではなかったが、強敵を前に味方に構っている余裕はない。血で口を濡らしながらも彼はそれを訴えた。
「……っ」
彼の言わんとしていることを悟ったノアは唇を噛み、敵へと注意を戻す。
未だ倒れる様子のないベルフェゴール。オリヴィエの魔法を切り抜けた彼女は体勢を立て直しながら深々とため息を吐いた。
「……力を使うの、疲れるし面倒。……多分あっちも影響が出るし…………でも」
重みから解放され、自由を取り戻した体。その身から黒い靄が滲み出るのを五人は見た。
それはじわりじわりと彼女の顔や体を部分的に覆い隠していく。
「……わかった。あなたたちには本気を出さないと。もっと面倒になる」
天井を仰ぎながら独り言を続けるベルフェゴール。
黒い靄は触れた箇所から彼女の姿を変えていく。
左頭部には捻じれた大きな角、口から覗くは鋭くとがった八重歯。臀部からは牛を連想させるような長い尾が姿を見せ、右目の強膜は白から黒へと移り変わる。
人としての姿を基盤としながらも部分的に人ならざる姿を顕わにした少女。
その歪な容姿を晒し、ベルフェゴールは自身の敵である五人を見回した。
「だから、あの子以外も皆……殺すね」
彼女から滲む気迫は、今までとは段違いのものであった。