第62話 転移大結晶
道草を好んだり場違いに興奮したりと問題はあったものの、迷宮内の案内に於いてノアは非常に有能であった。
正しい道筋を覚えているだけでなく、事細かに把握したトラップ一つ一つの存在を事前に共有することで一行の危険の回避にも貢献する。
彼がいてくれてよかったというのはその場の誰もが考える事だろう。
クリスティーナも例外ではない。ただし……。
「ほら見て、クリス。古代魔術の痕跡だ……あ、魔術は知ってるよね? 大まかな括りだと魔法の一種とされているのだけれど複雑な図式を用いることで六属性以外の効果をも齎すことが出来る魔法で、遥か昔は現在の魔法ではなく魔術を主流に使われていたと言われている。昔は六属性も魔法陣を使って行使していたのではとも言われていているんだよね」
壁や床に描かれた円形上の図式。一般的に魔法陣と呼ばれるそれを指し示しながらノアはクリスティーナの横で早口に捲し立てた。
咎められたことを覚えているからだろう。先のように興味を引く対象へむやみやたらに近づくことはしないが、それらに対する気持ちは抑えきれないようだ。
ただし、興味の対象へ近づくことができない反動が彼の発言に現れているようだった。顔にはもっと近くで見たいという欲望がありありと書き記されている。
「魔術は現在の魔導具にも活用されている。六属性以外の効果も齎せる魔導具は殆どが魔晶石と魔法陣を用いて恩恵を得ていると考えていいだろう。昔の人々の六属性に縛られない魔術の在り方からは詠唱を用いる魔法も六属性に縛られない時代が存在していたのではないか、なんていうのも言われているね」
良くもつれないなと一周回って関心すらしてしまう早口な解説をクリスティーナが聞き流していると、きちんと隊列を守っていたオリヴィエが何やら床の仕掛けを踏み抜いたらしい。彼は突如としてエリアスの隣から姿を消した。
床が抜けたらしく、人が垂直落下する様を目撃してしまったエリアスが悲鳴を上げ、クリスティーナも思わずぎょっとする。
幸いにもオリヴィエは自身の魔法のお陰で事なきを得たが、先程の落とし穴と違って底に針山が待ち構えていたトラップは彼以外が引っ掛かっていればひとたまりもなかっただろうことを窺わせた。
「実際、人族以外の種族――魔族や、他に有名なのだとエルフかな? みたいに六属性に囚われず詠唱魔法や無詠唱魔法を行使する存在も確認されているようだし、昔は人族もそうだった可能性も十分……あれ? リヴィ、もしかしてそこのトラップ踏んだかい?」
「しっかりしてくれないか、ガイド役」
「うわ、会話に夢中になってた。ごめんよ」
浮遊しながら落とし穴から脱したオリヴィエと、彼が無傷であることに安堵するエリアス。
それに遅れて気付いたノアはクリスティーナやオリヴィエ、その他多方面に頭を下げ乍ら元の持ち場へ戻っていく。
「魔法が絡んだ途端垣間見えるあれさえなければ文句なしの優秀さだと思うんですけどね」
クリスティーナの隣で同じく彼の長話を聞き流していたリオが呟いた。
監視の目があっても何故か無意識で罠へ引っ掛かるオリヴィエに振り回され、迫りくる天井に押し潰されかけたり死角から無数の槍が飛んできたりと場が騒然することは多々あった。
しかし恐らくは、通常の迷宮探索に比べれば十分円滑に進んでいる方であると言えるはずだ。
勿論ノアの功績によるものが大きいが、それ以外にも魔物による危険要素がすべて排除されていることが迷宮全体の難易度が著しく下がっていることに繋がっていると予測できる。
本来迷宮には魔物が住まうものだが、どうやらその殆どは魔導師による調査の過程で駆逐されたようだった。
おかげでクリスティーナ達の身に降り掛かる危険はトラップ関連のみ。事前知識を持った上で警戒さえ怠らなければ十分回避することが出来る危険だ。
故に小さな問題(主にオリヴィエによるもの)はいくつもあったが、結果として事は順調に運んでいた。
「いやぁ、思いの外骨が折れたねぇ」
「こんだけ見張ってても罠引っかけて来るって最早才能だろ……」
「僕だって望んでこんな目に遭ってるわけじゃない……」
主に前列組がぐったりとした中、一行は開けた空間へと辿り着いた。
地上を連想させるようにわざわざ敷かれた土。それを踏みしめる音が五つ鳴る。
彼女達の目に留まったのは数十メートルという高さの天井、それに頭が掠めるかと思う程大きな兵士の石像が二体。
そして石像に挟まれた、これまた異様なまでに大きい扉だ。
今まで通り道で目にしてきたものは全て当時備えていた価値を仄めかしはしつつも重ねた年月相応の朽ち方をしていた。
しかし今クリスティーナ達の前に構えた扉は別だ。
複雑に彫り込まれた模様、隅々まで磨き上げられたかのような輝きを孕む金属の扉。その煌びやかさは一切褪せた様子がなく、当時の姿そのままを象っているような様である。
その先は明らかに特別な場所であると、そう感じさせるような雰囲気がそれにはあった。
「さて、無事辿り着いたね。あとは中に入って転移大結晶に触れるだけ。起動に僅かな時間は要するけど、一度正常に動き出せば起動した本人が手を離すまで同じ場所へ転移できるはずだ」
漸く気が抜けそうだと一息吐く一行。
ノアが両手で扉に触れると、そこから淡い光が現れる。それは扉全体を包み込んだと同時に訪問者を招き入れるようにゆっくりと開く。
先に広がるのはまたもや広い空間。
しかし物は殆どない。扉の特別感に見劣りしそうな程閑散とした、どこか物悲しい雰囲気の場所だ。
よく見れば多くの物が配置されていた痕跡があちこちに残っていることから、恐らく以前は多くの宝物が眠っていたのだろうことは予測がついた。
粗方の物は魔導師が回収してしまったようだ。
だが、五人の目を引くものが一つだけその空間には存在した。
照明用の魔導具すらほぼ残されていない、薄暗い部屋を照らす青い灯り。
それは空間の最奥に鎮座した巨大な水晶が伴う光だった。
十メートル以上の高さを誇る水晶。
それは壁から伸びた無数の蔦と地面を押し上げて姿を見せる太い根に守られるようにして固定されている。
更に伸びた蔦と根は途中でその水晶と融合するように溶け込み、輪郭を消していることから完全に一体化してしまっていることが視認できた。
また蔦や根の発生源はわからないが、壁や床を這うそれらは建物の一部であると主張するように複雑に絡み合い、根元から引き抜くことは不可能であると告げている。
これを移動させようと考えるのなら植物の根元を探す作業から行うしかなさそうな上、場合によっては部屋何個分もの規模を建物から切り離さなければならない可能性、それだけのリスクを負っても尚移動が不可能だという結論に至る可能性も十分に考えられる。
魔導師は知識に貪欲な研究者が多いが、その分知識に対する敬意を忘れない者も多い。迷宮という古き時代の知識を寄せ集めた建物を無暗に傷つけることを避けるのも納得である。
クリスティーナはそう考えた。
「あれが転移大結晶……」
先へ進もうと足を進めた一行の中、ノアだけはその足を止めた。
うっかり追い越しそうになったクリスティーナは隣で足を止め、彼の顔を覗き込む。
彼の目は転移大結晶の光を反射して煌めいている。まるで小さな子供のような純粋さを秘めた瞳は感動を言い表していた。
数秒程呆けていた彼は遅れてクリスティーナの視線に気付き、ハッと我に返る。
「……あっ、ごめん。初めて見たものだから、感動しちゃって」
「構わないわ。見惚れる程美しいのは私にもわかるもの」
他三人が後に続かないことを不思議に思ったのか、先に歩いていたエリアスとオリヴィエが振り返る。
「おい、急ぐんじゃないのか?」
「ごめんごめん、今行くよ」
ノアはクリスティーナへ向けて片目を瞑ると、オリヴィエの急かす声に答えながら速足で転移大結晶へ近づく。それに続く形でクリスティーナとリオが足を進め、全員が入室を果たすと同時に大きな扉はゆっくりと閉じていく。
それに一瞬気を取られつつも一行は転移大結晶の元へ辿り着く。
全員がその場に揃ったことを確認し、目配せをしてからノアはそれに優しく触れた。
刹那。転移大結晶が孕んでいた光が一瞬にしてその強さを増す。
広々とした空間を覆う闇全てを打ち払う程の強さを持ったそれに、一行は思わず目を閉じる。
そして徐々に光の強さに慣れ始めた目をクリスティーナが開くと、数多もの魔法陣が転移結晶を囲んで浮き上がる光景が視界に広がった。
更に足元からも淡い光が放たれており、視線を下げればノアを中心に大きな魔方陣が形成されていることも確認できる。
「……うん、きちんと動きそうだ。学院のものと違ってほとんど使われていないからか、転移大結晶に含まれた魔力も膨大だ。魔力の消耗も気にする必要はないね、よかった。……けれどやはり、移動には少し時間を要するだろう」
「そう」
「起動は俺に任せてくれ」
魔法陣の上にきちんと乗るようにというノアの指示に従って身を寄せる四人。
後は時間の経過を待って移動するだけだと気を抜きそうになったその時。
「――っ!」
ノアの顔色が急変する。
彼が目を見開き、咄嗟に天井を見上げた瞬間。
突如として迷宮全体に轟音が降り注いだ。
今まで体験したトラップの比にはならない音、建物が崩壊するのではないかと思う程の揺れ。
それは尋常ではない何かの訪れを一行に教え込んだ。
「……ノア様、移動までに掛かる時間は?」
「残念ながらまだ先だ。恐らく先に彼女が追い付く」
静かに剣の柄へ手を添えたエリアスを横目に、リオが問う。
ノアは顔を引き攣らせながら笑う。
「無茶苦茶だな。自分諸共生き埋めにでもなるつもりか?」
止まらない揺れと轟音に伴いぱらぱらと落ちる天井の破片。それを見上げながらオリヴィエは呆れたように呟いた。
五人の間に緊張が走る。
しかし取り乱す者はいない。その場の誰もが冷静であった。
「接触は避けられそうにない。けど俺達の目的は彼女の撃退じゃない。彼女からの逃亡だ。そうだね?」
「……やるべきことが明白なのは嫌いじゃないわ。自分だけが逃げださず済みそうな状況もね」
「そうですね、今回はお嬢様の手もお借りすることになりそうです」
「残業なんて今に始まったことじゃないしなぁ。もういっちょ踏ん張りますよ」
「要は時間を稼げばいいんだろう。余裕だ余裕」
改めて自分達の目的を確認するノアの声にそれぞれが言葉を返す。
「起動したらすぐに転移大結晶周辺の魔法陣へ入ってくれ。このアーティファクトの都合上、俺は最後に移動する。俺が手を離せばこれはすぐに停止してしまうだろうからね。それと、転移大結晶を起動している間、俺は動けない。遠方から支援するくらいしかできないだろう……けれど」
敵が居らず、話せるうちにとノアは懸念点を早口で伝える。
しかしその言葉は途中で呑み込まれた。
ノアと転移大結晶を守るような形で並んで立つ四人。
彼女達は迫りくる脅威ともう一度立ち向かうべくその扉が開かれる瞬間を待っていた。
「君達ほど心強い味方もそういないだろうね。頼んだよ」
四人の仲間の背中に安心感を覚えた彼は笑みを深めた。
脅威が辿り着くまでに残った時間はほんの僅か。少しでも有利に事を運ぶ為にはこの時間すら持てあますのが惜しい状況だ。
残された時間で行うべきことは何か。一行が互いに顔色を窺っていると、リオが口を開いた。