第60話 難儀な弱点
球体はその巨体故に穴へ落ちることはなく、そのままクリスティーナ達の頭上を通過していく。
迫る危機から逃れ、更に落下死を回避した一行は互いの無事を確認しても尚その場に留まっていた。
冷ややかな目で腕を組むクリスティーナと圧を纏った笑顔のリオ、更に今回ばかりは擁護できないと二人の後ろで押し黙るエリアスを前にノアとオリヴィエは正座で座り込んでいた。
「私達、危険性は低いという話で迷宮に足を踏み入れたのだと思っていたのだけれど。結果危険に晒されていたら同じじゃないかしら」
「仰る通りです……」
「そもそもいつ追いつかれるかわからない状況である以上、一刻も早く安全を確保する必要があるのよね?」
「はい、その通りです……。俺が周りを見れてませんでした、申し訳ありませんでした……」
ノアはバツが悪そうに項垂れ、素直に非を認めた。
彼が魔法のことになると周りが見えなく質なのは魔力制御の授業の際に把握済みだ。申し訳なさそうにしている様子を見る限り、本人も自覚はあるようなので一度灸を据えておけば弁えてくれるはずである。
しかし、先のアクシデントで一番の問題は彼ではない。
そう思いながらクリスティーナはノアの隣で正座するオリヴィエへ視線を向けた。
彼は首を見事に九十度近くまで捻ってその視線から逃れていた。
「……彼は何なの?」
一向に目を合わせようとしない様子に深々と息を吐き、代わりにノアへ視線を戻す。
答えを求められたノアは大袈裟に肩を竦めたかと思えば、神妙な面持ちになった。
「いいかい、クリス。人には秀でているところもあれば劣っているところもある」
「はぁ」
つい先程まで咎められた側であったのにも拘らず、何故だか言い聞かせるような、諭すような口調で彼は話す。
何が言いたいのかわからず、クリスティーナはついつい冷たく相槌を打ってしまった。
「彼の場合秀でているところと言えば真っ先に出てくるのは魔法だろう」
首を捻ったまま胸を張るという器用さを見せつける隣の男はどうも自分の立場が分かっていないようである。
彼の様子を横目で見つめながら、ノアは神妙な面持ちで続けた。
「けど、彼は馬鹿だ。それも筋金入りのね」
「誰が馬鹿だ」
馬鹿という単語にだけ異様な速度で食いつくオリヴィエの言葉をノアは真横で聞き流した。
「基本的に彼は難しいことを考えないし躊躇いもない。馬鹿なんだ」
「馬鹿ではない」
「だから彼の突飛な行動を止めたいのなら誰かが見張っておくしかない」
「そんな何しでかすかわからない幼子みたいな……」
「そう思ってくれて構わないよ」
馬鹿と言われる度に否定をする声を無視して繰り広げられる会話。
呆れ混じりのリオの言葉にノアは否定しなかった。
「ただ、能力だけを見るなら彼は本当に優秀だよ。まさかこんな風に再会するとは思ってなかったけど、正直彼がいるだけで心強さは段違いだ」
「貴方がそこまで言うのなら、嘘ではないのでしょうけど……」
クリスティーナは得意げに鼻を鳴らすオリヴィエへ視線を送る。彼は未だ顔を背けたままだ。
賞賛が入った途端得意げになり、罵倒される度に機嫌を悪くする。
ころころとわかりやすく態度が変わるオリヴィエは控えめに言っても容姿よりも幼く見える。
それに頼りなさを覚えてしまうのは致し方ない気もするのだが、既に彼の魔法が役立っているのも事実だ。戦力が多い方が望ましい現状で優秀な人材が助っ人に加わるという状況はありがたかった。
多少動き辛さが出るかもしれないが、事前に彼の性質を知っていれば怪しい装置に触ろうとしている彼を事前に止めるなど、上手く立ち回ることもできるだろう。
「それとクリス」
「何かしら」
名指しされたクリスティーナは改めてノアへ視線を戻した。
彼は呆れ混じりに苦笑しながら顎でオリヴィエ指し示す。
「あんまりリヴィを見つめないでやってくれないか」
「……どういう意味かしら」
ノアの指摘を基に、今までのオリヴィエの言動を振り返る。
よくよく考えればクリスティーナには合流した後からオリヴィエと視線が交わった記憶がなかった……というよりも、オリヴィエが意図的に目を逸らしていたような気がしてくる。
「彼は私のことが気に入らないということ?」
「違う、そうじゃないんだ」
気を悪くさせるようなことがあったのなら相手の言い分を聞くべきだし、文句があるのであれば受けて立つべきだ。
クリスティーナは思わずオリヴィエを見つめる。
するとノアは大きく肩を竦め、オリヴィエは片手で自身の横顔を隠してみせた。
視線が合いそうになるだけでこの態度はこちらの身分を差し置いても失礼ではないかと気分を損ねそうだったクリスティーナだが、その気持ちはとあることに気付くと同時に萎んでいく。
横顔を完全に隠したオリヴィエの表情はわからなかったが、代わりに隠されていなかった耳を視界が捉える。
その耳はわかりやすく赤く染まっていた。
鳩が豆鉄砲を食ったように呆けるクリスティーナを見てノアはくつくつと喉の奥で笑う。
「リヴィは極めて女性に弱いんだ」
「女性に……弱い……」
理解が追い付かずに聞こえた言葉を反芻するクリスティーナ。
暫し瞬きをしながら赤くなった耳を見ていた彼女は納得をしかけつつもふと思ったことを口にする。
「……貴方、以前会った時はそんな素振りなかったじゃない」
「あ、確かに。何なら口説き落とす勢いで」
「は?」
「リヴィが女性を……?」
仮面をつけたオリヴィエに会った時のことを話題に出せば、状況を知っているエリアスが補足のように口を挟む。
それに対して従者はすかさず敵意を剥き出しにし、更にノアが意外だと目を見張った。
「その話なんだが、僕はお前達に会った記憶がない。……というか」
横顔を隠していた手をゆっくり下ろしながらオリヴィエは顔を顰める。
しかしその頬は耳よりも赤く、その心中はありありと察することが出来た。
「お、女の顔なんていちいち覚えている訳ないだろう! 顔合わせられないんだから!! こっちは精々服装から性別を判断するので手一杯だ!」
「あ、だよね。良かった、通常運転だ」
「それ、胸張ることではないと思うわ。普通に無礼よ」
開き直りか、決して女性を視界に入れまいと目を閉じながら声を張るオリヴィエの態度にクリスティーナはほとほと呆れる。
恐らく一番人情のあるエリアスからですら異質なものを見るような温度を仄かに感じる為、この場で彼を擁護する者はいそうにもない。
「お前達の話だと、その時の僕は今と姿が違ったんだろう。なら素顔はわかり辛かったはずだ。多少視線が外れていても違和感は抱きにくかったのかもな」
「そもそも初めから視線をずらしていたという事ね」
「それしか考えられないな。どんな姿をしていようと僕の性分が変わることはないし」
「そう」
確かに以前の彼は仮面をつけていた。仮面から瞳の色は確認できたもののその視線の先まで明確に認識できていたかと言えば否だ。
彼の言い分では目が合わないように工夫していたという事らしく、それが事実ならば彼と初めて会った時にクリスティーナが何かしてしまったという訳でもなさそうだ。
そして元からこの性格で変えようがないと言われてしまえばクリスティーナにどうこうできる問題でもないだろう。
「……わかったわ。不服だけど、ここで物申しても時間の無駄だもの」
「悪いね。彼も君に何か思うことがある訳ではない。それは本当だよ」
「難儀だなぁ」
クリスティーナとリオの後方で一連の流れを見守っていたエリアスが哀れむようにオリヴィエを見る。
そこでふと思うことがあったのか、彼はそういえばと手を打った。
「じゃ、戦闘時は問題ないって事か」
「ん?」
「ほら、オリヴィエの魔法って触れたものにしか効かないって話だけど、さっきは魔族の動き止めてくれたじゃん。だから私情に左右されない、メリハリつけられるタイプなのかなって思ったんだけど……あれ」
クリスティーナはふとベルフェゴールの姿を思い出す。
彼女と相対したのはほんの一瞬であったが、その見た目は明らかに少女たるものであった。
オリヴィエがベルフェゴールとの戦いに手を貸したのだとすれば、勿論彼女と接触したことになる。
視線が一斉にオリヴィエへ集まる。
エリアスが途中で話すのをやめたのは彼の異変に気付いたからだろう。
「霧濃かったし……というか余裕なくて全然見てなかった、けど……待てよ」
彼は見る見るうちに顔に大量の冷や汗を掻き、最早溶岩のように赤くなる。
冷静さを取り持とうと努力をしているつもりなのか、小刻みに震えた手で眼鏡を押し上げる素振りを繰り返すその姿は逆に忙しない。
「という事はあ、あれ……ぼ、僕、もしかして女性の…………」
眼鏡を押し上げていない方の手を凝視している彼は脳の処理速度が限界を迎えたらしい。
ほんの一瞬、全ての動きが停止したかと思えばオリヴィエは勢いよく仰向けに倒れ込んだのだ。
「だ、大丈夫か!?」
「あーあーあ」
「この方、予想の数倍は面倒臭そうですよ」
情けない顔のまま鼻血を噴き出し、目を回す青年を見下ろすリオの言葉にクリスティーナは内心で激しく同意した。