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悪女と名高い聖女には従者の生首が良く似合う  作者: 千秋 颯
第二章―魔法国家フォルトゥナ 『魔導師に潜む闇』
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第50話 無気力な少女

 顔を強張らせて一方を睨みつけたまま動かないエリアスとノア。

 彼らに遅れる形で、クリスティーナもまたこちらへ向かってやって来る気配に気が付いた。


 どくりと全身の血管が大きく脈打つような感覚。その場に膝をついてしまいたくなるほどの圧倒的な重圧感。

 ゆっくりと歩み寄る足音は一つ。しかし他者の魔力を感知できずとも、洗練された戦士としての勘を持たずとも感じられる程の存在感をそれは放っていた。


 クリスティーナはしゃがみ込んだままゆっくりと後退る。後方へ転がったリオの首を回収する為だ。

 今まで遭遇したことのない、底知れない実力と得体の知らなさを感じさせる相手は間違いなく敵意を持っている。先の攻撃こそがその証拠だ。


 クリスティーナは未だ地面に横たわるままのリオの体を見る。

 リオの不死の体質はその常軌を逸している再生力と引き換えに、死亡した瞬間から数秒間意識が飛んでしまうというタイムラグが発生する。その隙を埋める為にも彼が五体満足ですぐ戦線復帰できるよう頭と体は近くに存在していることが好ましい。


 そして彼の体質の事情を知っているのはこの場でクリスティーナのみ。彼の意識が戻る前に対処できるのは彼女のみという事になる。


 リオの頭が数メートル先に転がることをクリスティーナは確認する。

 そして前方から迫る脅威へ警戒をしながらも数歩後退った後、覚悟を決めてエリアス達から背を向け、転がる従者の頭へと両手を伸ばした。


 難なくそれを拾い、抱き上げたクリスティーナは踵を返そうとすぐさま振り返る。


「逃げたら、駄目」


 しかし、その時。すぐ耳元でぽつりと声が降る。

 気だるげで、その声自体に覇気は全く感じられない。にも拘らず全身の産毛が逆立ち、頭の奥で警鐘が鳴る。


 ねっとりと鼓膜にこびりつくような言い知れぬ不快感を齎したのは女の声だ。

 それはとてつもない既視感を生じさせる声音だったが、その正体を認識するよりも先にクリスティーナの頭は真っ白になり思考が止まった。


「っ、クリスティーナ様!」

「クリス!」


 濃霧の中、クリスティーナの背後に立つ相手が手を伸ばす。その気配を感じながらもクリスティーナは動くことが出来なかった。

 彼女の放つ重圧と不意を衝かれた驚き、差し迫った危機を感じ取った脳は冷静な判断を下すことよりも思考の放棄を選択した。


 何の前触れもなく後方へ回り込んだ相手の動きに反応しきれなかったのだろう。エリアスとノアがそれぞれ遅れて動き出すが、とても間に合いそうにはない。


 足の先から頭まで駆け上がる震えを堪えるように、従者の頭を包み込んでいた両腕に力が籠められた。

 手を伸ばされただけで感じる底知れぬ脅威に目をきつく閉じる。

 その瞬間、乾いた音がクリスティーナのすぐ耳元で鳴った。


「……っ!」


 驚いて振り返ると、漸く背後に立っていた相手の姿を視認する。

 水色の髪の少女。宝石のように鮮やかな赤色を伴った彼女の瞳は僅かな驚きを表すように見開かれた。

 伸ばされた腕は何もない虚空へ弾かれ、クリスティーナと彼女の間に立つように首のない体がたった今蹴り上げたらしい足を宙に浮かせていた。


 両腕を地面に付けた代わりに浮かせた足で回し蹴りを繰り出したリオは更にその勢いを殺すことなく、両腕で地面を押し上げ、宙で体を捻りながら着地する。


「……そう。あなたは……」


 ほんの一瞬驚きを顕わにした少女は一人で納得したように呟いた後、すぐに落ち着きを取り戻すと無言で前方に片手を翳す。

 それ以外の予備動作も前触れもなく彼女の手の中には突如氷で形成された大鎌が握られた。


 詠唱も、無から有が生み出される過程やそれにかかる時間も。人の中にある魔法の常識を全て無視したかのような魔法の行使。

 呆気に取られるクリスティーナを他所に、少女は自身の身長を優に超える大鎌を軽々と振り被った。


 地面と水平に振るわれた刃がリオの胴体を切断しようと目にも止まらぬ速さで彼へ迫る。

 しかしリオは繰り出された攻撃を意にも留めず持ち前の脚力で前進した。


 だがリーチが圧倒的に長い大鎌が相手ではリオが距離を詰め切るよりも先にその刃先が彼を捕らえてしまう。彼が自身の攻撃範囲ギリギリへ辿り着いた瞬間、大鎌はその軌道にリオの体を捕えた。

 迫る刃。空を裂く音。


 それは容易にリオに触れるかと思われたが彼はすんでのところで地面へ滑り込み、無傷で躱す。その体ギリギリを掠めるように大鎌が過ぎ去った。

 しかし少女の猛攻はそれに留まることはない。


 大鎌を振るったことによって生じた少女の隙を衝くようにリオは相手の懐へ潜り込んだ。

 その頭上に影が差す。

 彼の頭上には一瞬の内に生成された五十を超える氷の矢が浮いていた。そしてそれは一刻の余裕も与えまいと、無慈悲にも生み出された直後に肉を抉るには十分すぎる程の速度を持ってリオへ降り注いだ。


 地面ごと抉る無数の騒音。濃霧に加えて砂埃が巻き起こり、視界は更に悪化する。

 悪くなる視界や目に入る砂に思わず目を細めそうになるクリスティーナの視界。降り注ぐ槍が地面を抉る瞬間、それは被弾を避けるべく地面を転がったリオの姿を何とか収めていた。


 多少被弾しつつも致命傷を回避した彼は地面に手を付いて体を捻る。

 再度回し蹴りを試みる彼の足は先程とは違い、地面を掠めるかと思われる程低い位置へ放たれた。

 それは攻撃へ意識を削がれていた少女の足を捕え、その体勢を崩すことに成功する。

 不意を衝かれた少女は目を丸くしながらその場に尻餅をつく。


 繰り広げられる戦いが高度な物であればある程、一秒という時は重要になる。一秒で命を左右する戦場に於いて、転倒による隙などもっての外である。


 しかしリオは相手の転倒を確認すると同時に踵を返し、素早くクリスティーナを抱き上げた。

 そしてそのまま自身の脚力を最大限に発揮して少女からの逃亡を図る。


「っ、リオ……!」

「すみません、撤退します」


 抱き上げていた彼の頭が短く告げる。

 その口調は日頃の余裕を含んだものではなく、真剣且つ緊迫感のあるものだ。

 クリスティーナは咄嗟に異を唱えようとするが、すぐにそれを考え直した。


 ノアを探しに行きたいと考えていた時、彼はそれを肯定してくれていたし主人の気持ちを尊重したいという意志も伝えてくれた。

 更に知人が危険な目に遭うことをクリスティーナが良しとしないことを分かった上で、この判断を下さなければならない理由が彼の中にはあるのだろう。


 主人の思いを尊重するあまり命を落とさせてしまえば元も子もないのだ。


 つまり、戦闘を続行すればそうなる可能性があるとリオは判断したのだろう。

 そして目の前で繰り広げられる戦いを見ることしかできなかった者がその場に残ったところで役に立てることもない。

 クリスティーナは静かに唇を噛んで俯いた。


 その間もリオはクリスティーナを連れて奥へと森を駆け抜ける。

 逃走の際に霧に紛れるエリアスとノアの姿、そして彼らの傍で歪み始めた霧の集合を視界に捉えたがそれも一瞬のこと。彼らの姿は少女諸共あっという間に遠ざかってしまった。



***



「ああ……。油断しすぎた、怒られちゃう」


 水色の髪の少女――ベルフェゴールは地面に座り込んだままクリスティーナとリオが逃げた方向を見る。

 彼女はやる気がなさそうにゆったりとした動作で腰を上げ……。


 ――瞬間、姿を消す。


「っ、させるか!!」


 弾かれるように動いたのはエリアスだった。

 彼は一見何もない場所へ向かって剣を振り上げる。しかしそれは視認が困難な速度で移動を図っていたベルフェゴールの軌道を断ち切り、彼女の鼻先を掠めてその足を止める。


「……めんどくさい」

「悪いなぁ。これ以上の失態は職に関わりそうなんで……ねっ!」


 一歩踏み込んで左上から右下へ一振り。更に片脚を軸に体を捻って一蹴。真横へ一振り。

 ベルフェゴールはそれを小気味良さすら感じる軽快なステップで交代しながら避ける。


 しかし三撃目、エリアスは更に大きく踏み込んだかと思えば彼女の首へ突きを繰り出した。

それは首を傾けられて躱される。だがそれはエリアスの予想の範疇だ。


 彼は更に突きを繰り出す。四、五……その攻撃は数を増すごとに速度を上げ、十を越える頃にはベルフェゴールの頬や首の薄皮を裂き始めた。


 一歩、また一歩と前進しながらも突く速度は止まらず。首、肩、腰、太腿と無作為に迫る剣先にベルフェゴールは持続的な後退を強いられる。


「……邪魔」


 また一つ、剣先が彼女の頬を一層深く傷つけた時、ベルフェゴールが小さく呟いた。

 刹那、エリアスの目先で火花が弾けた。


「っやべ……」


(魔法か……っ!)


 攻撃を中断させ、後退を図るエリアス。

 先程までのリオとベルフェゴールの戦闘は極短時間に行われていたことと濃霧の影響によりほぼ視認できていなかったが、それでも彼女の行使する魔法に殆ど時差が生じていないことは把握していた。


 つまり何かしらの前触れを感じ取った瞬間には既に危機が差し迫っているということ。

 少しでも生存確率を上げる為にと剣を盾の代わりに顔の前で構えた瞬間、目の前で光が瞬いた。


 しかし、それだけ。

 何も起こらないことに驚きながらも素早く後退してベルフェゴールと距離を取ったエリアスは、彼女が自分の隣を見ていることに気付いた。


「無詠唱ってのは何も、君達だけの独壇場ではないのさ」


 未だ顔を強張らせつつも口角を上げるノア。

 先程エリアスが立っていた場所には煙が立ち込めている。二人の様子から、恐らくはノアがベルフェゴールの攻撃を食い止めたのだろう。


 散った火花、そしてノアの魔法適性を考慮するならばベルフェゴールが炎系統の魔法を使用したことに気付いたノアが水魔法で相殺させた……という所だろうか。


 ベルフェゴールは頭を掻きながら深々と息を吐く。


「……忘れてた。人間、便利だけど……面倒なのもいた」


 瞬間、彼女の眼光が鋭くなる。

 先程までのやる気のなさは一変し、まるで獰猛な獣が獲物へ狙いを定めた時のような明確な殺意。

 準備運動だと言うように大鎌を振り回す彼女の動きは、大抵の人間ならば突っ立っていても視認するのがやっとだという程に速い。


 一層強まる敵意とそれに連動するように強まった重圧感が二人を襲う。

 怒涛の流れについていくことでやっとだったノアは遅れてクリスティーナとリオが立ち去ったことを思い出し、苦笑した。


「置いてかれちゃったねぇ」

「まー、正直懸命な判断だなぁ。お前には悪いけど」

「逃げられるもんなら逃げるべきだろうね、こんなの。俺は無理だけど」


 乾いた笑いを漏らすノアはベルフェゴールへ視線を向けたまま、エリアスへ問を投げかける。


「因みにだけどエリー、君って運良かったりするかい?」


 彼と同じくベルフェゴールへ注意を向けながらエリアスは少し悩む。

 しかし最近の出来事や自身の過去を思い返せば、結論は呆気なく出てしまう。

 笑うしかない、と言うように無理矢理口角を上げて彼は答えた。


「魔族に会ったのならこれで二回目だな。前回は死に掛けてる」

「なにそれ、笑えないよ」


 笑えない、と言いつつ彼の口角も上がりっぱなしなのはエリアスと同じような心境だからだろう。


「困ったな、俺も悪いんだ」

「そりゃ最悪だ」


 敵は圧倒的な強さ。運も味方しそうにはない。

 困ったものだと自分達の不運さを嘆きながらも彼らは臨戦態勢を継続させた。

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