第49話 走る緊張
「ああ、何だぁ? 俺達の出番はなさそうじゃねぇか!」
シモンを連れたノアの様子や返り血を浴びたエリアスの様子を見て、合流したオーバンが開口一番に文句を言う。
「皆、どうしてここに?」
先程涙した面影を残さない様に、ノアは普段と同じ声音を取り持つ。
投げかけられた問いにオーバンは不服そうに顔を顰めた。
「そっちの嬢ちゃん達がお前を助けに行って、付き合いの長ぇ俺達が助けに行かない理由なんてねーだろうが」
「森へ向かう嬢ちゃん達を見て、負けてらんねーって焚きつけられたのさ」
「あ、おい!」
にやにやと笑いながら告げ口をする冒険者の女性をどつき、オーバンはノアから目を逸らした。
どういうことかと問う様にノアはクリスティーナの顔を見たが、喧嘩を売ったと言っていたリオの言葉を思い出したのか事の経緯を自力で予測したらしい。
小さく吹き出された彼の笑いはオーバン達の耳にも届き、あっという間に彼は締め技を食らわされることになる。
「なーに笑ってるんだお前!」
「あいだだだっ、死んじゃう、死んじゃうってぇ!」
大袈裟に悲鳴を上げるものの、十分に手加減はされているのだろう。目が合い、笑いかけてくるノアを見ながらクリスティーナは肩を竦めた。
気遣いや親切といった優しさは与えすぎると毒にもなり得る。何もせずとも与えられる甘美な蜜に人は依存し、やがてそれが当たり前となり、甘えとなって現れる。
彼が無作為に人へ与える優しさは毒としての素質が十二分にあった。その結果彼が与える親切を享受し、自ら動くという考えを鈍らせた人々が大量に生産される。
彼はそれを知っていたはずだ。けれど自分の為だからと他者から向けられる期待を裏切ることなく、愚行そのものである親切を続けた。
そして同時に、本来あるべき感謝や敬愛……他者が自身へ向けるはずだった純粋な好意を諦めた。
度を越えた優しさは毒だ。しかし彼が他者へ与えたのは親切だけではない。
自分の為と彼は言うが、例え打算の基に生まれた行いだとしても彼が相手を想う気持ちも本物であるはずだ。
他者を見限ることで自分を好きだと言えなくなる可能性があるということはつまり、他者を心から想いやる気持ちが彼の中にあるということである。彼は何も機械的に愚行を続けたわけではない。
人を助けたいと思うその瞬間、彼はその人の境遇に共感して、またはその人自身のことを思いやって動いてきたのだろう。
例え自分の為の行いであったとしても、彼の中に生まれていた想いもまた偽物ではないのだ。
そして彼から与えられたものが優しさだけではないことに気付ける者がいるならば、彼に自分の予測を越えた光景を見せてくれることもあるだろう。
今回のオーバン達はまさしくそうであるとクリスティーナは思った。
「来てくれてありがとう。嬉しいよ」
「……フンッ」
素直に礼を述べるノアと、居心地悪そうに視線を泳がせて鼻を鳴らすオーバン。
対極的な態度を眺めていたクリスティーナだったが、いつまでもこうしている訳にもいくまい。
「この辺りで多くの魔物が見つかっているわ。街へ戻って警備を整えるのがいいと思うの」
「そうだ。人手が増えたのなら手分けをして少しでも混乱を落ち着かせたい。もうすぐ魔導師団が来ると思うからその間だけでも……」
「折角来たってのに何の成果もないってのはこっちのメンツも丸潰れってもんよ。任せときな」
豪快に笑い、胸を張る冒険者達。
ノアはその様子に擽ったそうに微笑んで頷いた。
「うん、じゃあ街の方は皆に頼もうかな。問題は森か……。これだけ頻繁に、それも多くの魔物が発生してるとなると、まだ近くにいるかもしれない」
「要は、森を見回る戦力が欲しいということでしょう」
顎に手を当てて思案するノアへクリスティーナが声を掛ける。
彼女は二人の護衛へ視線を向けるが、双方がわかっていると言うように小さく頷きを返した。
一連の流れに目を瞬かせるノアは言わんとしていることを悟ると困った様に眉を下げる。
「い、いや。そもそも君達はこの国の人間ですらないのに、これ以上迷惑かけるわけには……」
「宿に戻っても、騒々しいだけだもの。おちおち休んですらいられないわ。それなら散歩でもしていた方が気晴らしになるもの」
「散歩って、君ねぇ」
呆れたようにため息が吐かれる。
ノアは小言を言おうとするが、クリスティーナやリオ、エリアスの真っ直ぐな目を見て、小言の代わりに苦笑を返した。
「……わかった。君達ほど心強い助っ人もそうそういない。ならお言葉に甘えさせてもらうよ」
街へ向かう冒険者一行にシモンを任せ、その背中を見送ったクリスティーナ達四人。
ノアは伸びをしながら辺りを見回す。
「さーてと。とりあえず方角を見失わない様に道を外れよう。こういう道よりも茂みとかで息を潜めていることが多いからね」
「普通はそのはずなんだけどなぁ」
二十体同時襲撃という一件を思い出しながらエリアスは遠い目で虚空を見た。
魔物は襲撃者を避ける為に人の行き来が多い場所……特に人里や、整備された道周辺を避ける傾向にある。
しかし先の襲撃や濃霧の影響を考えるに、普段の常識が通用する状況でないことは明らかだろう。
「何もなければそれに越したことはないんだけどねぇ。とりあえずそっちへ……」
エリアスに同調して乾いた笑いを零していたノアは右手の茂みを指し示して移動の指示を言いかけたところではたと声を止めた。
クリスティーナはどうかしたのかと問う様に視線を向ける。しかし彼はその視線に気付かない。
代わりに額に汗を滲ませた彼は数秒の間を空けてから素早く振り返る。
自分達が進んできた道だ。そちらを睨む彼の顔は今までにないほど蒼白としており、その肩は小刻みに震えている。
何事かと声を掛けようとしたクリスティーナを遮る様にノアは声を荒げた。
「っ、リオ! さっき俺が渡したの持ってる!?」
「はい」
「付けて、今すぐ!」
切迫した声に従う様に、リオは手早く自身の手首へブレスレットを付ける。
「一体何?」
「説明する時間がない、とりあえず街まで逃げ――」
ノアの指示の途中、クリスティーナ達を囲む霧が不自然に濃くなった。
隣の人物の顔が辛うじて確認できるほどに深まった霧。その様子に指示の途中で思わず息を呑んだノアだったが、彼の指示せんとしたことを察した一行はただならぬ様子に森へ背を向けた。
しかしクリスティーナが街へ向けて走り出そうとした瞬間。
エリアスは突如振り返ったかと思えば、剣を抜いてノアの前方へ駆け出した。
「クリス様――」
同時にリオはクリスティーナの肩を突き飛ばす。
予想外の方向からかかる力に体勢を崩したクリスティーナはそのまま地面へ尻餅をつく。
刹那。
何かが弾かれる音と砕け散る音が森を劈いた。
濃霧から、地面と平行に繰り出された長く細い氷の刃。
それをエリアスが咄嗟に剣を振り上げて弾き返し、エリアスとノアへ向かった氷の刃は砕け散る。
しかしそれは刀身の全てを破壊するには至らなかった。
道の両端の長さを越える程の刃はその半分を残してクリスティーナの立っていた場所へ走る。
幸い、クリスティーナは転倒したことによって刃に裂かれることはなかった。
しかし庇う為に主人を突き飛ばしたリオは回避行動が間に合わない。
見上げるクリスティーナの視線の先、多量の鮮血が飛び散った。
すぱっと小気味良い音を伴って攻撃を受けてしまったリオの首が落下し、クリスティーナの脇を転がった。
「リオ! クリス!」
「っ、よそ見すんな! 死ぬぞ!!」
時間差で崩れ落ちる体。声一つ残せず地面に倒れ伏した従者へ本能的に視線を向けそうになるノアをエリアスが一喝した。
クリスティーナのいる位置からですら二人の様子が視認し辛い程に霧は濃い。
「……来るぞ」
表情はわからない。
しかし日頃より低く重々しい騎士の声は、彼の技量をもってしても警戒すべき対象の存在を示唆していた。