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悪女と名高い聖女には従者の生首が良く似合う  作者: 千秋 颯
第二章―魔法国家フォルトゥナ 『魔導師に潜む闇』
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第40話 期待と諦念

「これは……酷いね」


 フロンティエールへ辿り着いたノアは思わず引き攣った笑みを浮かべる。


 街全体は濃霧に包まれ、数メートル先の建物の姿ですら朧気だ。

 道中、目的地へ近づくにつれて濃くなる霧に嫌な予感はひしひしと感じていたが、事は想像以上に深刻なようだ。


 怒鳴り散らす男、何かから殴られ続ける女、走り回る魔物、果てには実在し得ないはずのゴーストなどの異形まで。

 ミロワールの霧は人に根強く残る記憶を見せる。


 そして人の記憶は良い経験よりもトラウマなどの悪い経験が定着しやすい傾向にある。

 故に今のフロンティエールは住人のトラウマや恐怖、嫌悪の対象で埋め尽くされていた。


 更に、周囲で引き起こされるパニックというのは伝染しやすい。

 嫌悪すべき記憶を見て錯乱した者の姿を見て、更に別の者が恐怖心を抱き、自身の悪しき記憶を連想してしまう……。

 そんな負の連鎖に陥ったフロンティエールの状況はノアの予測の何倍も悪い方向へ向かっていた。


 街の至る所に現れる幻覚に侵された人々は混乱に陥り、幻覚に怒りをぶつけたり、頭を抱えたり、逃げ惑ったりと騒ぎは拡大する一方だ。

 最早どれが幻であるのか、見ただけでは判別もつかない。


 出立前、アレットが魔導師の招集へ向かう最中であったことを考えるに、集められた魔導師達がフロンティエールに到着するのは少なく見積もっても一時間後だろう。

 それまでは場の収拾もつきそうにはない。


 混沌とした光景に眩暈を感じながら、ノアは馬を引いてクリスティーナ達が宿泊している宿へ向かう。

 その間も彼の頭を過るのは不自然な霧の広がり方だ。


(……厳重注意区域は天候を十分考慮した上で定められたものだ。それを越えた霧の拡大は今回が初めて)


 風がノアの頬を柔く撫でる。少しずれたフードを片手で直しながらノアは足を進める。


(風は強くない。それに風向きを考えても霧がフロンティエールへ向かって広がるのは不自然だ)


 現在の風向きは北。霧の拡大が風によるものである場合、西や南でなければならないはずだ。

 結論は出ない。そも、一介の学生でわかるような要因ならば魔法の専門家である国立魔導師団や学院魔導師が既に解決策や打開策などを導いているはずである。


 深く息を吐く。気付けば目の前に見えていた宿の繋ぎ場を借りて馬を休ませ、建物へ入ろうと扉に手を掛ける。

 そこで自分の名前を呼ぶ声が後ろから飛んだ。


「ノア!」

「オーバンさん」


 振り返った先に立っていたのはノアを良く飲みに誘う冒険者、オーバンという大男だ。

 ずかずかと大股で歩み寄った彼の表情には動揺と焦りが見られる。


「今朝からこんな感じだ。冒険者全体に迷い込んだ魔物の駆除の依頼も出回ってるが、本物と偽物の区別もつかない上に幻覚も現れやがる。見ての通り大混乱さ」


 周囲の異変を顎で示しながら彼はノアへ詰め寄る。


「なあ、お前何か聞いてないか? 学院側の話とかよ」

「残念だけど、原因については何も。ただ、もうすぐ魔導師が来るはずだから、そうすれば多少は落ち着くと思う」

「そうか」


 オーバンは胸を撫で下ろす。

 魔法の知を誇るフォルトゥナに於いて、魔導師に対する信頼はとても大きい。

 魔導師が来るならば何とかなるだろう。根拠がなくともそう思わせることが出来る程に。


「一先ず、不必要に建物外に出ないこと。幻覚は実害を及ぼすわけではないことを今一度伝えて欲しい。あとはギルドの方に深刻な精神ダメージを受けてる人を保護するべきだと進言を――」

「ノアさん……!」


 声を遮ったのは別の方向から駆け寄ってくる女性の悲痛な声だった。


「ルイーズさん、どうしたの?」


 彼女はノアの前までやってくると同時に膝から力が抜けたように崩れ落ちる。

 慌ててそれを支えてやりながら自身もしゃがみ込んで目線を合わせつつ、事情を窺う。

 顔を青くさせたまま小刻みに肩を震わせる女性は縋る様にノアのローブを握りしめた。


「シモンを見なかった? 家に帰ってもいなくて……っ」

「シモンが?」


 その声は酷く震えている。


 シモンというのはノアがフロンティエールへやって来る度に遊びをせがんできた子供の一人だ。

 クリスティーナ達の訓練に付き合う初日に悪ふざけからノアの首を絞めてしまった子供であり、最近も何度か遊び相手をしてやっていた。


 母、ルイーズは娼婦の為、夜は一人留守番することが多いシモンは昨晩も一人で家にいたのだろう。

 彼は朝になると近所の子供と遊ぶ為に出かけるが、現在の街のあり様では勿論その可能性は皆無だ。


「……ごめん。今日は一緒にいなかったから俺にもわからない」

「そう……」


 ノアの言葉にルイーズは涙を流す。

 引き攣った嗚咽を聞きながらも、どう声を掛けてやるのが正解なのだろうとそれを見つめることしかできない。

 ノアが途方に暮れているとルイーズが啜り泣きながらも言葉を紡いだ。


「街を探し回ってもいなくてっ、もしあの子が森まで行ってしまっていたらと思うと、私、私……っ」


 涙に濡れた目がノアを映す。

 ノアは小さく息を呑んだ。


「私、私がいけないのはわかってるの。こんな仕事しかできないから……あの子のことも気に掛けてやれなくて……っ。でも、でも……」


 後悔と罪悪。彼女は息子の身を案じて、無事ではなかった時のことを思って胸を痛めている。

 母親として息子を想う気持ち。それが見て取れた。

 けれどノアは気付いてしまった。


 その中に微量に混じった、自身に向けられた期待に。


 ルイーズは何かを守る為の武も知識も不十分な一般人だ。森に足を踏み入れても息子を見つける以前に、魔物に襲われて、自分が命を落とす可能性もある。


 一方でノアは学生であり見習いであるとはいえ、大陸一、二を誇る程の優秀な魔法学院の魔導師なのだ。

 それに加えて彼は、例え相手がフォルトゥナで社会的地位の低い娼婦であってもその話に親身になって耳を傾けてくれる数少ない人物である。


 社会的信用と十分な金銭を持たないルイーズは冒険者ギルドで依頼を出すことが出来ない。

 けれどその親切心から、今まで幾度となく人を助けてきた彼ならば。オーケアヌスの名を背負うだけの実力を持った魔導師ならばきっと。


 そんな期待が言動の節々から見えてしまった。


「ルイーズさん……」


 誰にも気付かれぬよう、己の内に湧き上がる感情を耐えるように奥歯を噛みしめる。

 一度だけ深く息を吸ってからノアはルイーズの肩に手を置いた。


「俺はまだまだ未熟だから、絶対なんて言葉を使えない」


 顔を歪めるルイーズを安心させるように、ノアは口元を緩めた。


「けれど、俺が出来る範囲で探してくるよ。それでもいいかな」

「っ! はい……はい……っ。ありがとう、ノアさん」


 安心と感謝に輝く瞳。謝辞を述べる彼女の涙が落ち着くまで傍についてやってから、ノアは息を吐いて立ち上がった。

 一部始終を見ていたオーバンが何か言いたそうな、けれど言い辛そうに口を開閉させている姿に気付かないふりをして移動を図ったその時。


 いつの間にか開いていた扉の前にクリスティーナが立っていることに気付いた。

 遅れて、彼女の後ろに続いているリオとエリアスの姿も視認する。


「おっと、三人とも。こんにちは」


 ノアは真っ先に口を開いた。クリスティーナが咎めるような目でルイーズを見下ろし、口を開こうとしていたからだ。

 彼女の不服そうな様子を見るに、少なくともルイーズとのやり取りは見られていたとみてよいだろう。


「そういうことだから、今日はお休みでもいいかな? こんな状況だしね。落ち着くまでは君達も外に出ない方がいい」

「貴方……」

「おっと、そうだ。リオ」


 不自然に早口になった自覚はあった。先の会話を彼女達に聞かれていたことが、何だか後ろめたかった。

 故に怪訝そうに視線を向けるクリスティーナの声をノアは更に遮った。


 そして懐にしまっていたアレットからの貰い物をリオへ投げて寄越す。


「それ持ってて。役に立つかもしれない」


 動じることなく片手で受け取ったリオはそれを見て瞬きを繰り返した。

 本来ならばきちんと話をしてから渡したかったが、残念ながらのんびりと説明する余裕はない。


「それじゃ!」


 クリスティーナ達の声を聞くよりも先にノアは今度こそ森へ向かって走り出した。


「あ、おいノア! お前、森に行くっつったってよぉ!」


 野太い声がノアを引き留める。オーバンのものだ。


「お前じゃ無理だろ!」


 何に対する否定の言葉なのか。その言葉の意味するところをノアは知っていた。

 だからこそ彼は振り返って笑い飛ばしてやった。


「……知ってる!!」


 結局、ノアは森へ入るまで足を止めなかった。



***



 フロンティエールのとある路地裏。建物に寄り掛かる人影が一つ、折り畳み式の鏡に向かって話しかけていた。

 人と幻が入り混じる通りの光景を横目に見ていた青年は、その視界を横切っていく白いローブの魔導士に気が付く。

 小さく口を開けて僅かに驚くような表情を見せた彼は、もたれていた背を浮かせた。


「……ボス、今日は休みます」

『は? おい、急にどうし――』


 鏡から彼のものではない声が飛ぶが、それを最後まで聞くことなく彼は鏡を閉じた。


 霧に姿を消した魔導師が向かった方角には森しかない。

 青年は黄橡の髪を揺らしてその場を立ち去った。

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