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悪女と名高い聖女には従者の生首が良く似合う  作者: 千秋 颯
第二章―魔法国家フォルトゥナ 『魔導師に潜む闇』

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第39話 不吉な予感

 いつものように夕暮れの街並みを眺めて歩いていた時。ノアがふと呟いた。


「そうだ。今朝耳にした話なんだけど、ミロワールの森の霧が広がってきているみたいなんだ」

「ミロワールの森」


 聞き覚えがある。確かエリアスが皇国騎士時代の遠征で訪れた地であったはずだ。

 そう考えてクリスティーナはエリアスへ視線を向ける。


「ミロワールかぁ。発生する霧自体の脅威はそこまでなかった気がするけど」

「おっと、聞いたことがあるんだね」


 エリアスの言葉を肯定するように頷いたノアが説明を続ける。


「ミロワールの森を包む霧は幻覚作用を持っている。森の訪問者達に深く根付いた記憶を具現化するんだ」

「霧が映像を生成する感じ。実体はないけどその場にいる全員が視認できるから、黒歴史とかが出されると……まあ悲惨だったりとか」

「……それは脅威がないと言うのかしら」


 クリスティーナの指摘に頭を掻いて苦笑する騎士。

 一方でノアは彼の言葉をフォローするように言葉を加えた。


「精神的なダメージを受ける人はいるかもしれないけど、さっきも言った通り霧が生み出す幻自体は実体を持っていないから攻撃してきたりもしない。つまり霧の見せる幻そのものが原因で怪我をすることはないんだ」

「なるほど」


 生命を脅かされる直接的な要因とならなければ脅威としての認識も浅くなるらしい。

 つまりミロワールの森以上に危険な現象が存在しているということだろう。


「ただ、森に充満する霧ってのは何もなくても厄介だからね。視界が悪いから地形の変化にも、魔物の接近にも気付きにくくなる」

「まー、あとはあれかな。幻覚ってのは人の注意を引くには十分な要因だからどうしても隙が生まれやすい。だから十分面倒な場所だとは思う……ます」


 自身の口調が砕けていることに今更ながら気付いたのか、エリアスが唐突に不自然な敬語を使い始めた。

 主人と護衛という立場である以上確かに適切なのは敬語を使うことだろうが、クリスティーナの身分を知らないノアが傍に居る以上それについて咎めるつもりもない。その為やってしまったという顔で強張っている騎士のことは無視をすることにした。


「うんうん。国としても不必要に入らないようにと注意はしているし、風向きなどによる霧の動きを考慮した上でミロワールとその周辺を厳重注意区域として定めてはいるのだけれど、今回はどうもそれを越えてきているらしい」


 片手に握った杖で額を掻きながら南方へ視線を向けるノア。

 フォルトゥナの国土は東大陸上でも狭い方に該当する。

 故にフォルトゥナ南端に位置するミロワールの森は東端に位置するこの街と十分な距離があるとは言い難い。


「学院も警戒して動き出してはいるけれど、出来ることは霧によって人里まで迷い込んだ魔物を狩るだとか驚異を押さえる程度のものだからね。霧の広がりそのものを止められるわけじゃあない」


 クリスティーナは来た道を振り返る。

 自分達が日頃足を踏み入れている森が道の先に見えた。ノアもまた、クリスティーナの視線を追うように振り返って続けた。


「フロンティエールの森とミロワールの森は繋がっているからね。霧の範囲が広がれば魔物の影響を受けやすいはずだ」


 彼の言葉に小さく頷きを返す。フォルトゥナの大まかな地理は事前に確認済みだ。


 フォルトゥナに森林地帯は一か所しかないのに対し、森と呼ばれる地域は二つある。一つの森林地帯を二つの区域に分割しているのだ。

 南のミロワールと東のフロンティエール。国が厳重注意区域と定めた箇所をミロワールの森とし、霧の影響を受けない東側と区別をつけたのだ。


「とは言っても霧の広がり方は緩やかだし、仮にフロンティエールまで広がったとしても森へ入らなければ滅多なことは起らないだろう。幸い、魔力制御の訓練は森でなければならないわけでもないし、訓練の妨げにもならなさそうだ」


 気が付けばクリスティーナ達が宿泊している宿が目先まで近づいていた。

 ノアが足を止める。


「ただ、万が一に備えて伝えておいた方がいいとは思ってね。一応気に留めておいてくれ」


 彼の忠告を受け止めた三人は各々が頷いた。



***



 オーケアヌス魔法学院が所在するフォルトゥナ首都、グロワール。

 クリスティーナ達への指導を買って出てからというもの、学業との並行の為に数日に一度はグロワールとフロンティエールを往復していたノアはこの日も学院へ戻っていた。


 日はすっかり沈んだ後。静まり返る校舎を横切って学生寮まで辿り着いた彼は建物を回り込んである一室の窓を外からノックする。

 暫くすると紫紺の髪を揺らしながらレミが顔を覗かせる。


「やあ」

「今日も戻ってきたのか」


 彼がそう言うのはノアが昨日もこのルームメイトの手助けを得て帰寮した為だろう。

 まともに帰ってこられないのかと小言を零しながらも窓からの侵入に協力するように彼は距離を取る。

 それに礼を述べながら部屋への侵入を完遂したノアは窓を閉め直してから伸びをした。


「うん。アレット先生に聞きたいことがあって」

「ふぅん」


 話し半分に二段ベッドの下の段へ戻っていったレミは仰向けに寝転がりながら開きっぱなしだった教科書を読み始める。

 双方が背を向けるように置かれた机の内一つ、備え付けられた椅子に腰を掛けながらノアはレミを見つめる。


「ミロワールの方はどんな感じか聞いてる?」

「さあ。ただいくつか休講の授業があったから、教師も何人か対応に回っているのは確かなんじゃないか」

「ってことはまだ落ち着いてはなさそうだなぁ」


 霧がミロワールの森を出たという前例は聞いたことがない。いくら実害がないからとはいえ、霧の生み出す幻が一般人を巻き込めば混乱を招くことになるだろう。

 相変わらず教科書に目を通したままのレミは一つ大きな息を吐いた。


「会長サマはお忙しいご身分のようで」

「やーだな、ちゃんと仕事はしてるでしょ。それにどうせもう代替わりの時期だし、引継ぎも済んでる。そもそも、俺が必要な仕事なんてもうないはずだ」


 わざわざ役職の名を出してくる辺り、最近のノアが学院を離れがちなことに対して思うことはあるようだ。

 しかしそれがノアに対する直接的な不満ではなく、どちらかと言えば心配から来るものだということをノアは知っている。


「……いくら単位に余裕があると言っても、あまり休み過ぎるとここぞとばかりに叩かれるぞ」


 ほら見たことかと笑いそうになるのを堪え、顔を逸らす。

 つまるところ、目の前のルームメイトはノアが悪く言われることを良しとしていないわけだ。


「ぼくは咎めているつもりなんだけどな」


 誤魔化したつもりだったがバレてしまった様だ。

 臍を曲げないでくれと自分の非を認めるようにノアは両手を軽く上げる。


「心掛けているつもりではあるけど、もし万が一君に迷惑が掛かりそうなときはきちんと教えてくれ。その時はきちんと改めるから」

「ふん」


 本のページが捲られる音がする。

 気が付けば日付は変わろうとしていた。

 そろそろ寝るかとベッドの梯子に手を掛けたノアはそれを上る前に下の段へ身を乗り出してレミの顔を覗き込む。


「それと、言いたい奴には言わせておけばいい。どの道結果を出している内は粗探しに精を出すことしかできないんだから」


 教科書の位置をずらしたレミと目が合う。

 彼は髪とよく似た紫の瞳で静かにノアを見る。


「俺は気にしてないよ」


 おやすみなさいと告げて梯子を上るノア。


「……嘘つきめ」

「うん? 何か言った?」

「何でもない、早く寝ろ」


 再ふんと鳴らされた鼻。呟かれた声。

 上手く聞き取れなかったノアがわざわざ梯子を下りようとする為、それを阻止すべくレミは就寝を促す。


 やがて部屋の光も消され、一室に静寂が訪れた。




 翌日の朝。校舎は慌ただしく行き交う人々で普段の何倍もの騒々しさを齎していた。

 共に寮を出て登校していたノアとレミはその光景を見て互いに顔を見合わせる。


「ノア、レミ!」


 その時、たまたますれ違った同級生が二人に声を掛けた。

 同級生は挨拶もそこそこに話を切り出す。


「今日、全面休講だってさ」


 その言葉にドッと嫌な予感がノアの脳裏へ押し寄せる。

 鋭く息を吸ったノアは滲む汗を感じながら焦る気持ちを何とか押し留める。


「ミロワール関係?」

「ああ。今朝突然、霧がフロンティエールまで到達したらしい。急なことだったから教員の魔導師が殆ど招集されたらしい」

「なっ、昨日の今日だぞ? 今までの読みなら少なくとも一週間はかかる見込みだっただろう」

「詳しいことは俺もわかんねーけどさぁ。やっぱ結構やばそうだよな」


 ノアの問いに答えた同級生とレミがその後も議論を続ける。

 しかしその殆どが頭に入ってくることはなかった。


 霧自体はそこまで脅威的ではない。屋内にいれば魔物の襲撃も免れるだろう。

 厄介な問題ではあるが、甚大な被害には及ばないはずだ。

 それに、クリスティーナ達の実力は出会ったその日に把握している。万一予想外のことが起きたとしても彼女達が窮地に立たされるとは考えにくかった。


 しかし、何故だろうか。酷く胸騒ぎがする。

 じりじりと嫌な予感が自分へ詰めよってくるような感覚。


 やがてノアは弾かれたように走り出した。


「ノア!?」

「ごめん、ちょっと行ってくる!」

「行ってくるってお前、まさか……!」


 レミの静止が聞こえてきたが、それを振り払ってノアは走った。

 まず立ち寄ったのは教員の研究室が立ち並ぶ廊下。その一室の扉をノックもせず開け放った。


「アレット先生!」


 難解な魔導書や書類に埋め尽くされた一室。開け放った扉の前には荷物を纏め、今まさに出掛けようとしていたアレットの姿があった。

 あと少しで扉に頭をぶつけるところであったアレットは眉間に皺を寄せて、不機嫌な顔つきになった。


「ノア、せめてノックはしろ」

「ごめん! ちょっと慌ててて……っ! よかった、まだいたぁ……」


 魔導師は体力作りよりも研究時間に重きを置く者が多い。ノアもその例外ではなかった。

 その為彼は走って校舎を一つ跨ぐだけでその体力を使い切ってしまい、両膝をついて息を切らすという体たらくを見せる羽目になってしまう。


「悪いが呼ばれていてな。用件があるなら手短に頼む」

「うん」


 まともに話せる程度にまで呼吸が落ち着いてきたところでノアは再び口を開いた。


「頼んでたのってできたかな?」


 具体的な物の名前は上げていないが、最近ノアがアレットに『頼んでいた物』は一つしかない。

 その言葉がどれを示したものであるか伝わったらしいアレットはため息を吐いて書斎机へ向かった。


「できたというにはあまりにも質が悪い。あくまで試作品……もっても三日程度が限界だろう」

「三日か……」


 書斎机の引き出しから取り出したものを持ってアレットがノアの前まで戻ってくる。

 彼女から差し出されたそれを受け取り、数秒ほど観察してから微笑む。


「うん、ありがとう。先生」

「頼むからこれ以上の面倒ごとは勘弁してくれ」

「うーん、善処します……」


 試作品というこれがどれほど役に立つかはわからないが、ないよりもある方が助けにはなるはずだ。

 アレットに礼を述べてノアは再び走り出す。


 そのまま学院の敷地を出た彼は街へ出て馬を一つ借りる。

 普段であれば速度を落とし、風を感じながらのんびりと目的地まで向かうところだが、今日は気が急いている。

 故に出来る限りの速度を出してノアはフロンティエールを目指した。

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