第35話 冒険者ギルド
訓練中、クリスティーナは小さくため息を吐く。
結局フォルトゥナに滞在してから一週間が経過してしまっていた。
魔晶石を壊すことはなくなったものの、それ以降の進捗は芳しくい。
魔力の流れを辿ろうとしても途中で途切れてしまい、上手く循環の動きを把握することが出来ないのだ。
リオも苦戦しているようで、互いに同じような工程を繰り返す日々が続いていた。
ノアの声掛けで休憩を挟むが、訓練の指揮を執る彼の顔色は実践に励むクリスティーナ達のものより酷い。
「……大丈夫か?」
一週間の内に何度も見たその様子に慣れ始めたエリアスは最早体調不良の原因を聞くという過程をすっ飛ばして声を掛ける。
その言葉にノアは弱々しく首を振って答える。
「大丈夫じゃない……気持ち悪い……」
「お嬢様、お酒を嗜むようになってもこうはなってはいけませんよ」
二日酔いに苦しむ魔導師を冷ややかな目で見降ろしながらリオが言った。
イニティウム皇国での成人は十六から。望めばクリスティーナも酒を飲める年ではあるのだが、一度試した時の酒の度数が高く美味しさがわからなかった経験から、社交界の付き合い以外で進んで飲むことはしてこなかった。
そしてこの旅が続く間は酒に溺れるような余裕もないだろうが。しかしあまりにも情けない年上の姿を見て、これから先もこんな惨めな姿を晒す大人にはなるまいと密かに誓ったのだった。
「断ればいいじゃない」
「うーん、それはそうなんだけどね……。普段は学校に籠りがちだから、こういう時くらいしか会えなくてさ。会いたいって言ってくれるのが嬉しくて無下にできないんだよねぇ」
それで体調を崩していたら本末転倒ではないかと思うのだが、彼が頼みを断らない性格なのは毎度目にする道草の多さが物語っている。
「でも、魔晶石の方はクリスが安定して作れるようになったから俺が作る必要もなくなったしだいぶ楽になったよ」
自分の魔力量やクリスティーナの作る魔晶石の質の高さを考えたノアは二日目から訓練の効率化を図った。
クリスティーナが魔晶石を作り、リオがそれを消費して魔法を使用する。
慣れが生じていること、そしてノアが言った様に魔晶石の生成の際に恵まれてか、クリスティーナは質の良い魔晶石を回転率高く作れるようになっていた。
リオが一つの魔晶石を使い切る頃には魔晶石が三から四つ、調子のいい時は五つ程作れるようになった為、使い切った魔晶石よりも生成される魔晶石の数の方が上回るようになっている。
お陰でタイムロスもなく各々が訓練に集中できる仕組みが確立したのだった。
しかしこの効率化作業は決して二日酔いの飲んだくれの為のものではない。
クリスティーナがため息を吐くと、今の空気に気まずさを感じたのかノアが素早く話題をすり変えた。
「あ、そういえば、冒険者に興味あるって話だったよね」
突然の話題の転換に数秒反応が遅れる。
しかし記憶を遡れば確かにその様な話をした覚えがある。
「ええ」
「なら、今日は少し早く切り上げて寄り道をしよう」
ノアの提案にクリスティーナは瞬きをする。
いつもよりも数時間早く訓練を切り上げた一行は彼の案内で街まで戻ることとなったのだった。
***
「冒険者は職業柄、依頼を受注する場所が必要だろう? 大体どの国にも一つはそういう場所がある」
時折すれ違う人々に声を掛けられては手を振って答えながらノアは説明を続ける。
「と言ってもフォルトゥナの治安は比較的良いし、首都部は主に学院の魔導師が治安維持を図っている。更に魔物やごろつきの対処なんかの依頼が出るのは森と隣接している場所だ。つまり」
ノアは足を止める。目の前に建つのは赤みを帯びた木材を基調とした大きな建物。
看板には竜を貫く剣の紋章と、酒場のマークが彫られている。
「冒険者ギルド、フォルトゥナ支部はここ、フロンティエールにあるんだ」
二階建てで高さは他の建物と変わらないが、広さは周りの酒場の二倍はある。
更に中からはげらげらと品のない笑い声が上がったり何かが倒れる音が聞こえたりと、クリスティーナには今まで縁がなかったような騒々しさを感じる。
「えーっと、ちょっと元気な人が多いけど。悪い人達じゃないから」
そんなフォローを入れながらノアは先陣を切って建物の中へ入る。
それに続けば、中の様子が視界に広がる。
まだ夕方にもなっていないというのにジョッキを片手に顔を赤くする者や、酔っ払って椅子から落ちる者、机を強く叩きながら声を上げて笑う者など。
想像以上の騒がしさに思わずノアを睨んだ。
「……ちょっと?」
「う、うーん……結構? だいぶ?」
鋭い視線に降参のポーズを取って苦笑する彼は、酔っ払いに絡まれる前にと入って左手の壁に貼りつけられた大きな掲示板の前へ誘導する。
掲示板の上部には左から順にD、C、B、A、Sとチョークで文字が記されており、そこから縦割りになる様引かれた線によって掲示板のスペースは区切られ、数えきれない程の紙切れが貼りつけられている。
「これが冒険者が実際に受ける依頼だね。左から順に難易度が上がっていく。実際に依頼を受ける時は奥のカウンターまで紙を持って行く」
簡単に説明を終えてから、ノアは首を傾げた。
「依頼を受けるには手続きを踏んで冒険者としての手形を発行してもらわないといけないんだけど、結構急ぎで登録が必要だったりする?」
「うーん、そういう訳ではない……よな?」
路銀はまだまだ余裕があるし、自分達の目的はどちらかと言えば味方を増やすことである。
エリアスが自信なさげな語尾で答えながらクリスティーナとリオを見る為、頷いてやる。
「質問なのですが」
「うん?」
言葉を選んでいるのか、顎に手を当てて考える素振りを見せてからリオが口を挟む。
「例えば傭兵を雇いたい場合、ギルドで依頼することは可能なのでしょうか」
「ははん、なるほどね」
冒険者に興味を持った理由が路銀の外にもあるということを察したのだろう。ノアは納得したように頷いた。
「勿論可能だよ。依頼するだけなら登録も不要だ。ただし依頼が受注された際は前金と達成後の報酬を用意する必要がある。それと……」
ノアは酔っ払いの集う空間を親指で指しながら片目を閉じる。
「ギルドはここの様に酒場と併設されてることが結構ある。情報の売買やコミュニケーションを取る場としては打って付けだ。場合によってはギルドを通さず交渉をすることもできる」
「交渉、ですか。金銭が絡むのであればギルドを通した方が確実な気はしますね」
「そうだね。つまり個人間で交渉するメリットは金銭以外で取引が出来ることだ」
どういうことか、とリオが視線を投げかける。
それに対し、ノアは視線を泳がせて考える素振りを見せた。
「そうだなー。例えば双方に戦力を欲していて且つ目的地が同じだった場合とか。二人組と三人組がいたとして、それぞれAという国からBという国までの移動を目的としているが、道中は強い魔物が多くてもう少し手練れが欲しい……という場合、利害が完全に一致しているだろう」
「なるほど。双方に利益になる場合であれば金銭を介さず戦力を得られる可能性がある、ということですね」
「そういうこと」
「しかし……利害が完全に一致している人物を探すというのは、聊か骨が折れそうですね」
なるほど、と頷きはしたものの未だ腑に落ちないリオが呟く。
「まー現実問題、全く同じってのは難しいよね。だから妥協や交渉次第、あとはいかに巧みに口説き落とせるかいったところかな」
「なるほど。参考になりました」
ありがとうございますと頭を下げるリオに対しノアは軽く手を振って答える。
「さて、それじゃあお暇……ゲフッ」
退出しようと踵を返したノアは素早い動きで首を捕らえられ、呻き声を上げた。
「おー、ノア!」
がっしりとした腕が彼を引き寄せるように肩を組む。
彼を襲ったのは訓練初日の夜に見かけた大男だ。
「今日は随分早いじゃねーの! 依頼か?」
「知人を案内してただけだよ、ほら」
大男は顔を紅潮させ、組んでいない方の手には空になったジョッキが握られている。
酔っ払った男はノアに示された方――つまりクリスティーナ達の方へ視線を寄越し、豪快に笑った。
「おーおー、新入りか? まあゆっくりしていきな! おーい、野郎ども、ルーキーだルーキー!」
「あ、ちょっとちょっと!」
大男が酒場へ向かって叫ぶと、集っていた酒飲み達がわっと沸き立つ。
気が付けば人に囲まれ、四人揃って成す術もなくテーブルへ連れられていた。
近づく酔っ払いをノアが嗜めたり、さりげなくリオが間に割って入ったりとしてくれている為何か起こっているわけではない者の、場の雰囲気と勢いについていけずクリスティーナは瞬きをしながら呆けてしまう。
勿論このような酒場など足を運んだのは初めてだし、ここまで品のない酔い方をする者に囲まれるのも初めてだ。
不快感などよりも新鮮味の方が強く、同時に現実味があまり湧かない。
故に周囲の喧騒を暫し眺めていると先程の大男がクリスティーナの正面へ音を立てて座る。
「嬢ちゃんは何飲む? 酒はいける口かい?」
「……私?」
「あんた意外に嬢ちゃんがどこにいるよ」
声を掛けられ動揺し、思わず聞き返してしまう。
すると大男はこれまた狼の遠吠えの如く大きく笑った。
しかしクリスティーナには彼の笑いのツボはよくわからず、面食らったまま固まってしまう。
ただでさえこのコミュニケーション能力の低さは敵を作り続けてきたのだ。それに加えて全く未知数の性格の相手に遭遇したことが重なれば、口を開くことを躊躇われる理由としては充分であった。
何と返したものかと考えるものの一向に答えが出ないでいると、他のテーブルから声が飛ぶ。
「ちょっとアンタ! ここにもいるでしょーがよォ!!」
叫んだのは鍛え上げられた腕をタンクトップから覗かせた赤髪の女性。歳は三十程だろうか。
そんな彼女に対して大男は負けじと大声を上げる。
「うるせぇ! おめーは嬢ちゃんじゃなくてババアだろうが!」
「ああん!? なんだこのクソゴリラ!」
大男の声にドッと笑いが上がる。
どちらも子供でも分かるような直接的な罵倒を繰り広げているのにもかかわらず、険悪な雰囲気はない。
周囲も、本人たちですらも声を荒げながらも愉快そうに笑っているのだ。
人を傷つけない罵倒が飛び交っているこの空間は異質だった。
「クリス、クリス」
酔っ払いを追い払ったノアが片手を口元に当てながら顔を近づけて囁く。
「嫌なことがあれば言ってくれ。離れたければ手伝うし……」
自分が案内したことが発端だからか、彼が普段以上にクリスティーナを気遣っていることが伝わってくる。
やや焦りを滲ませる彼は罪悪感を覚えているようだった。
「悪い人達じゃないし、君達を歓迎してるだけなんだけど」
「……ええ」
威圧的な態度や高圧的な態度は得意じゃない。自身を大きく見せるような大声やヒステリックな甲高い声……騒がしさも苦手だ。
目の前に広がる光景は自分の知らない世界で、自分の中の常識には当たらない、明らかに異質な空間だ。
(……けれど、不思議ね)
「大丈夫よ。嫌いじゃないわ」
自然とそんな言葉が出た。
勿論距離の近い酔っ払いはリオ達周りの人間が引き留めてくれたり等、上手く立ち回ってくれているお陰もあるのだろうが。この騒がしさは不快ではないと感じた。
ノアはクリスティーナの表情を見て目を丸くする。
何か気になることでもあるのかと問うように目を細めれば首を横に振って笑われる。
「いや。どうやら事実のようだ。安心したよ」
「おいそこー! なーに若いもん同士でいちゃついてるんだ!」
「は?」
女性と言い合っていた男がクリスティーナとノアが密かに話合っている姿に気付いてヤジを飛ばす。
直後に飛んだ冷たい声は何故かリオのものである。
「ねえ! 酔っ払いより怖い人混ざってるんですけど!!」
酔っ払いに絡まれてやんわりと相手をしていたはずの従者の外面は完全に消えている。
圧の強い視線に怯えたノアが喚きながらクリスティーナの元を離れて大男の影に隠れる。
「そら、お喋りばっかしてないで飲みな飲みな! マスター、ルーキー達にビール四杯!」
離れた酒場のカウンターまで注文を叫ぶ大男。
この雰囲気にも慣れ始めたのだろうか。抵抗感や緊張も和らいだような気がする。
「……ごめんなさい、お酒はあまり好きじゃないの」
出たのは目の前の大男の声の十分の一程の声だったが、テーブルを挟んだだけの距離であれば十分聞こえる声量だ。
「すみません、自分もアルコール以外でお願いします」
このような不慣れな場で発言することに少なからず緊張を覚えていると、いつの間にかクリスティーナの傍まで戻って来ていたリオが穏やかな口調で続けた。
そして安心させるようにこっそりと目配せをしてくる辺り、クリスティーナの心情を察しての立ち回りなのだろう。
一方で男は気を悪くした様子もなくまたもや大きく笑った。
「マスター、変更だ! ビール二杯とオレンジジュース二杯!」
大きなジョッキを片手に叫ぶ大男の口からオレンジジュースという単語が出るとは、凄まじい違和感だ。
その不釣り合いさが何だか愉快で気が抜けてしまうのをクリスティーナは感じた。