第33話 魔晶石
強張った笑顔のまま呆けている魔導師より先に動いたのはリオだった。
「クリス……様、お怪我は!?」
やや動揺してか主人の本名を呼びかけた従者はそれでも何とか自力で取り繕う。
失礼しますとクリスティーナの手を取り、観察をする。
「問題ないわ」
破裂に驚きはしたが、怪我には至っていないようだ。
自身の目でも主人の怪我の有無を確認してからリオは頷いて手を離した。
一方でエリアスも驚いて腰を浮かせていたが、怪我人がいないことを悟ると深く息を吐いて安堵する。
しかしリオは主人に怪我がなかったことに安心するよりも先にノアを睨みつけた。
「このような可能性は窺っていなかったと思いますが」
「あ、ああ……えーっと、ごめんね」
視線を受けて漸く我に返ったノアは軽い口調で謝罪をするが、リオの視線がより鋭くなったことを察すると軽く両手をあげて首を横に振ってみせた。
「待った待った、驚かせたのは悪かった……というか正直俺も驚いてるけど! 怪我の心配とかはないから! ほら、実際クリスも無傷だろう?」
従者は相変わらず冷ややかにノアを見つめてはいるが、一先ず彼の言い分は聞くつもりのようだ。
事実、彼の言う通り怪我は負っていないことも事実である以上、彼の話を聞く理由は充分にある。
「魔晶石は石に含まれた魔力の瞬間的な増減が著しいものになるとその不可に耐え切れなくなって破裂しちゃうんだ」
ノアはバツが悪そうに頬を掻く。
「この現象は本当に稀だから話してなかった……というか、俺も初めて見るから頭から抜けてたんだけど。君の魔力量を考えれば先に話すべきだったね。俺のミスだよ、ごめん」
クリスティーナは首を横に振る。
散々規格外だなんだと話された後だと、彼のことを一方的に責め立てることもできまい。
常識はずれなのはどちらかと言えばこちらの方なのだ。
「……いいえ」
「ただ、さっきも言ったけど怪我の心配とかはないからそこは安心して欲しい。君自身が今確認しただろうけど、魔晶石は破裂するとほぼ視認できない程度まで細かな粒子になって消えてしまう。石の破片で指を切ったりという心配もないよ」
「そう」
どうやらリオも納得したようだ。
様子を窺うクリスティーナの視線に頷きを返し、威圧的な視線をしまい込む。
「そうですか……。先に咎める形となってしまい申し訳ありませんでした」
「いいや、これは俺の落ち度だからね。君達が気を悪くするのも仕方がないさ」
堅苦しいのはやめてくれと苦笑しながらノアが両手を振る。
「けれど、そっか……。やっぱり君達はすごいね」
新しい石をクリスティーナに渡しながらしみじみと呟かれる言葉。
長い睫毛の下に揺らぐ藍色がどこか憂いを孕んでいるような気がして、何か声を掛けるべきかと躊躇われる。
しかし出会って間もない彼のことなど理解できるはずもなく。遅れて交わった視線の先で不思議そうに首を傾げる彼に何でもないと首を振った。
「そうだ。ノア様」
「お、何かな」
更に折を見てリオから声が掛けられると彼の様子は完全に通常時と変わらぬものとなり、一瞬だけ見せた仄暗い感情はすっかり鳴りを潜めた。
リオは自身が握っていた魔晶石を見せる。
先程の美しい見た目と打って変わり、黒く変色した石。
魔晶石に含まれた魔力を使い切った際に起こる、通常の反応だ。
どうやらクリスティーナが集中して周囲の様子に気が付いていない間に、彼は自身の訓練に勤しんでいたようだ。
「こちらの魔力を使い切ってしまった様で。替えはありますか?」
「ああー、よかったよかった! リオの方は問題なさそうだ。体調の方はどうだい?」
「問題ありません。予想以上に負担もかかっていないみたいで驚いてます」
「そうかいそうかい」
これ以上の予想外な展開を危惧していたのだろう。ノアは心底安心したように息を吐いた。
そして懐から石ころを数粒取り出すと握り込んで同時に魔晶石を生成させる。
「素人の作ったものだから、質の良い石を使ってもやっぱり初級魔法数回分が限界だね」
「魔晶石が安価な物から高価なものまで幅広く売られているのは石に含まれた魔力の密度が理由ですね」
「そう。因みに素人が作ったものと市場で売られている物は全くの別物だと考えていい。売り物になるレベルは経験を積んだ専門家でもなければ、なかなか作れるものじゃあない」
どうぞ、と掌に魔晶石を転がされるリオ。
代わりに使用済みの魔晶石を受け取るとそれを手元で何度か放って眺めながらノアがため息を吐く。
「魔晶石の問題点は再利用する方法が見つかってないことだねぇ。一度魔力の尽きた魔晶石は魔力を弾いてしまう」
「真っ黒な石も見た目だけならかっこいいとは思うんだけどなぁ。活用方法もないんじゃあな」
黒い石が宙を舞う様を目で追いながらエリアスは暢気に呟く。
彼の言葉にいるかい、とノアがそれを差し出すが使い道もなく大して珍しくもないそれを集めるような変わり者ではないようで、エリアスは首を横に振ってそれを断った。
冗談を織り交ぜたやり取りを切り上げた後、ノアがクリスティーナへ微笑みかける。
「クリスはまず、鉱石を破壊しないように魔力を調整するところからだね」
「ええ……」
彼の言葉に耳を傾けながらも、クリスティーナは自身の能力に対して疑問を抱いていた。
自分は今まで自分の予想を遥かに超えて魔力を使用してしまうといった経験をした覚えがない。使う魔法が初級であれば初級の、中級であれば中級の標準をやや上回る程度の威力に留まってきたし、うっかり制御を誤って周りの度肝を抜かせたりなどしたことはないはずだ。
日頃魔法を使うときと同じ感覚で、抽出した魔力の放出量をほんの少し増加させただけのつもりが、思いもよらない結果を招くとは。
聖女の能力に目覚める以前と今とでは自身の感覚と実際に招く現象に齟齬が生まれているということを認めざる得なかった。
何が原因かは未だわからないが、魔力の制御が以前より困難になっている。大きな弊害を齎す前に自身の変化に慣れなければならないだろう。
「クリス?」
考え事をしていたせいか、呆けてしまっていたクリスティーナの目の前でノアが片手を振る。
「何でもないわ」
「君はそればかりだね」
首を横に振ると苦笑されてしまう。
それ、というのは下手な嘘を吐いて話題を切ろうとすることに対してだろう。
確かに悩みの種は減らないし、何でもない訳はないのだが。彼に話せることが何もない以上、首を横に振る手段しかないのだ。
気を悪くしたのだろうかと数秒程相手の顔色を窺ったが、彼は相変わらず穏やかに微笑むだけ。
「体調が悪いとかじゃないならそれでいいのさ。さて、再開しようか」
「……ええ」
彼から不快感や疑念の類は感じられない。
彼の言葉に深い意味はなかったのかもしれないと思い直し、クリスティーナは新しく用意した石に集中した。