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悪女と名高い聖女には従者の生首が良く似合う  作者: 千秋 颯
第二章―魔法国家フォルトゥナ 『魔導師に潜む闇』
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第25話 得も言われぬ不快感

「お前自分の命大事にしろよぉ……今度こそ死んだかと思ったって……」

「これ俺の一張羅なんだけど……染み抜きで取れるかなぁ」


 静々とハンカチで口元を拭うリオにしがみ付いたエリアスは顔を押しつけたまま情けなく泣いていた。

 一方でリオが倒れたことによって地面から解放されたノアは白いローブを吐血によって汚されたらしく半泣きになっている。


「その……先に引き続きうちの生徒が悪かったな」

「いいえ」


 混沌とした光景を気にした様子もなく、素知らぬ顔をしながらクリスティーナの傍に立っているリオはアレットの様子に爽やかな笑顔で答える。


「魔力量については本当に心当たりがありませんが、アレット様達のおっしゃることが事実であれば俺が疑わしく映るのも仕方のない話ではあるのかなと。……それに実際にお見せするのが一番わかりやすく手っ取り早い方法だったと思いますし」

「体調に問題は……?」

「先程は最悪でしたが今は大丈夫そうです」


 リオの様子を窺うレミにも丁寧に返答をした上で彼はアレットに向き直る。


「そうだ。学院の方に情報を共有するというのは……」


 先のアレットの発言を取り上げた上でその意図と共有される情報の内容の範囲を問うリオの質問にも彼女は誠意をもって答える。


「ああ、君達二人の魔力量ははっきり言って規格外だからな。魔法に精通する者であれば気付いて警戒してしまうはずだ。故に私と同じような過ちを犯す者が現れる前に君達のような存在を上に報告しておこうかと思ったのだが」

「……なるほど」


 リオが何か言いたげにクリスティーナへ視線を送る。

 クリスティーナは彼の考えているだろうことを察する。


 オーケアヌス魔法学院の上層部には国家魔導師を兼任しているものも少なくない。首都部を中心に活動する学院上層部はフォルトゥナの中枢組織の一部を担っていると言っても過言ではない。

 魔力量が理由で襲撃を受けるのもごめんだが学院の上層部にクリスティーナの存在が広がった結果悪目立ちし、目を付けられるなどという悪循環は一番避けたい問題だ。


 アレットの提案が謝罪と誠意から成るものであることは理解できたが、クリスティーナ達としては断っておきたい案件だろう。


「……その気遣いは不要だわ」

「あーらら、訳ありって感じ?」

「ノア」


 アレットの厚意を断ったクリスティーナへノアがすかさず口を挟む。

 興味本位からの発言と捉えたアレットがそれを窘めるが本人は「違う違う」と否定した上で補足する。


「魔力量の探知ってのは何も難しいものじゃないんだ。経験を積んでいる人ならできる人はざらだし、感覚的にできちゃう人もいるくらい。つまり学院の人間じゃなくても君達が規格外だって気付く存在はいくらでもいるんだよ」


 彼の言いたいことは粗方理解した。リオやエリアスも恐らくは同じはずだ。

 三人がそれぞれ考えるように口を閉ざしているとノアは丁寧に自身の言いたいことの結論まで添えてくれる。


「だからアレット先生の提案を呑めない理由が身を潜める系のものならこの国を出るだけじゃあきっと意味はないし、君達から見えてるものを隠せないと結局どこかのタイミングで目立っちゃう日が来る」

「それって隠せるもんなのか」

「軽く訓練すればね。魔力探知出来る魔導師は大体そうしてるかなぁ。俺はここまでの才能しか有りません! って自分の限界を見せびらかしながら歩いてるような感じがして逆にむず痒くなるんだ」

「へぇ」


 ノアの指摘は実に的確だ。嘘を吐いている様にも見えない。

 しかしクリスティーナとリオに魔力量の隠ぺいという課題が追加されたとして、どのようにその技術を身につければよいのだろう。


 フォルトゥナは魔法に特化した国。その中心で魔法に関する書物を漁れば手掛かりが得られるかもしれないが、首都部へ足を踏み入れる前に魔導師がクリスティーナ達の存在に気付いたということはこれ以上国の中心地へ近づけば他の魔導師も勘づく可能性が高いということだ。


 しかし他の国へ移動しようにもノアの忠告は無暗に移動するという選択を避けたくなるような内容である。移動中に何者かに目を付けられるという危険性が常に付きまとう中、長距離を移動しようともあまり思えない。


(フォルトゥナは優秀な魔導師が多くいるし首都部へ入れば悪目立ちするのは確実ね。であれば引き返して他を当たった方がリスクは低いかしら)


「ね、アレット先生」


 行動方針の変更を余儀なくされそうだと考えていたクリスティーナをよそにノアがアレットの名を呼ぶ。

 呼ばれた本人は何を言われるのかを粗方予測しているのか面倒臭いと言わんばかりに顔を顰めた。


「今回の件に関してはー、ほら、アレット先生も同罪じゃない?」

「一番に特攻してったのはノアだけどな……」

「シッ!」


 どうやら都合の悪い指摘だったらしいレミの言葉を遮って、ノアは更に何やら説得を始める。


「俺、卒論は終わってるし進路もほぼ決まってるようなものじゃん? 出席日数も余裕だし」

「……好きにすればいいさ」


 一方でアレットは彼の説得をまともに取り合うつもりはないようだ。

 結論を聞くよりも先に彼の希望を承諾してしまう。


「やった、アレット先生ならわかってくれると思ってたよー! 大好き!」

「滅多なことを言うな虫唾が走る」


 辛辣な態度に凹む様子もなく、ノアは何やらご機嫌な様子でクリスティーナを見た。


「ね、そういう事だからよかったら魔力操作の特訓してあげるよ」

「はぁ、この数秒で何故そのような結論に……?」


 魔導師間だけでの問題かと高を括って聞き流していれば唐突に告げられる思いがけない提案。クリスティーナから出たのは気の抜けた声だった。


 教えを請える相手がいるとなればクリスティーナの懸念も随分軽減される為ありがたいことこの上ないのだが、如何せん彼が自ら名乗りを上げることに何のメリットがあるのかと疑問に思う。

 すると逆に質問の意図がよくわからないというような顔を返されてしまった。


「困ってるんでしょ? 俺に出来ることで助けられそうだから提案してるだけだけど……」

「それで貴方は何かを得られるのかしら。関係を築いていない相手からの無償の好意って一番信じるに値しないものだと思うのだけれど」

「え、そんなに言う……? 何か理由があった方がいい?」

「悪いな、元からこういう奴なんだ。生粋のお人好しっていうか、人たらしっていうか……とにかく他意はないよ」


 たじろぐノアの様子に痺れを切らしただろうか。レミが助け舟を寄越す。


「本当に余計な世話なら断ってくれてもいい。こちらとしては手違いで迷惑を掛けたわけだから何かしらの詫びになるようなことが出来るなら面子も救われるってものではあるけど」

「……二人の考えを聞かせて頂戴」


 自身が疑り深い質だということは自覚している。それ故に無意味な警戒によって最善の選択を逃す可能性についてやそれによるリスクについても理解していた。


 今までの安全圏での暮らしであればまだしも、現在は従者や騎士に命を預けなければならない状況である。主人の決定一つで状況が左右される可能性を孕んでいる旅路である以上、全てを独断で決定するのもいかがなものかと思ったのだ。


 クリスティーナの言葉にリオは予想通りの一言。


「俺はお嬢様の決定に従います」


 彼が何でもいいと言うときは本当に何でもいいのだ。

 それがただの無責任な発言ではなく、どのような選択をしてどのようなリスクが発生しても対処できるという絶対的な自信から来るものであることをクリスティーナは知っている。この不敬且つ仕事のできる従者は、何か問題があれば都度口をはさんでくれるはずだ。


 故にそれ以上彼には言及しない。代わりにエリアスへ視線を移して発言促す。

 視線を受けた騎士はやや緊張した面持ちになるがすぐにリオに続いて口を開いた。


「オレは割と賛成寄りかな。学院の生徒ってことは魔法のエキスパートだろうし、そういう人から直々に話聞けるのって結構貴重なんじゃないかなー、って思ったり」


 エリアスの言葉に何度も深く頷くノアの動きが何だか煩わしく感じる。

 しかしやはり彼の言動から悪意の類は感じられない。


 更にクリスティーナにとってとても都合の良い話だということもある。

 結局、クリスティーナはエリアスの意見に後押しされる形でノアの提案を受け入れることにした。




「じゃあ早速明日からでいいかな? 待ち合わせは……君達の宿の前とかどう? この道を戻るつもりだろう。この先に街は一つしかないし、居場所は魔力量で特定できると思うよ」

「……そう」


 そんなにもわかりやすいものなのかとノアの発言から改めて思い知らされる。

 待ち合わせには便利かもしれないが、今後の旅路に於いて圧倒的に不便を齎す代物であることは間違いない。


 アレットは再度謝罪を述べてから伸びている部下を起こしに向かう。ノアやレミも別れを告げてアレットを手伝いに行こうとするが、ふとレミが足元に落ちていたものを拾い上げた。


 シンプルな刺繍の施された、清潔感の漂う白いハンカチ。

 リオが先程自身の口を拭うのに使っていたものだ。いつの間にかポケットから落ちてしまっていたのだろう。

 こちらも衣服同様ににセシルから支給された物のようで血を拭った痕跡は綺麗さっぱり消えていた。


 先に馬車の荷台へ乗り込んでいたリオも遅れて自身がハンカチを落としたことに気付いたようだ。ポケットを確認した上で少し身を乗り出した。


「すみません、俺のです」

「どうもありがとう。渡しておくわ」

「いや。……すごいな、随分凝っている」


 魔導師から見ても感心する程の代物らしいそれをレミは興味深く観察する。

 しかしすぐに不躾だと思い留まったのかそれを丁寧に畳み直した上でクリスティーナへ差し出した。


「すまない、珍しい物だったからつい」

「いいえ」


 クリスティーナはそれを受け取る。

 指先が質の良い布の手触りを感じ取り、そして僅かにレミの手に触れた。


 ――助けて!


 瞬間、声が頭に響く。


(っ、これは……)


 クリスティーナは思わず動きを止めた。

 エリアスを助ける直前に感じた、頭の内側に直接響くような声。

 前回と違うことといえば、その声が幼い子供のものであるということくらいだろうか。


 ――助けてください、お願い、お願いします! 何でも……何でもしますから……!


 切実に助けを求める声。涙混じりのそれは繰り返されるにつれて悲痛さを増していく。

 心臓が握りつぶされてしまうと感じる程軋む痛みは声の主が抱く強い悲しみと絶望感によるもの。


 苦しくて、悲しくて、誰かの助けを淡く期待して懇願する。

 どれだけ叫んでも、誰も助けてなどくれない。こんなにも、死んでしまいそうな程胸が痛くとも差し伸べられる手はない。


 クリスティーナの意識が深い悲しみに吞まれようとしていたその時。


 突如、泣き声がぴたりと止んだ。

 溢れる感情が収まったのか。張り詰めていた息を吐き出そうとしたその時。


 ――死んでしまえ。


 憎悪に満ちた冷たい声が脳を揺さぶった。

 先と同じ子供のものであるのにも拘らず、酷く悪意に満ちた声。


 それなのに、同時に酷い悲しみを孕んだ声。

 自分のものではないはずの感情に再度引きずり回されて、胸が酷く締め付けられた。


 もはや収拾のつかない感情の波に息を殺して耐えることしかできない。

 固く目を閉じて奥歯を噛み締める。


 自身の本来持ち合わせる感情とは全くの別物である激情に苛まれたクリスティーナを正気に戻したのはたった一声。


 ――可哀想、可哀想な子。


 今までの子供のものとは打って変わった、ねっとりとした甘さを含んだ女性の声。

 哀れみを向けた言葉のはずなのにも拘らず、全くと言ってそれを感じられない言葉。


 突然頭から冷水を掛けられたかのように現実へ引き戻される意識。

 その声に対してクリスティーナが抱いたのは本能的な嫌悪だった。


「――大丈夫か?」


 優しく肩を叩かれる。ハンカチを手に取ったまま暫く呆けていたせいでレミが心配したようだ。

 彼は善意からクリスティーナの肩を叩き、顔を覗き込む。


 しかし彼の手が自身の肩に触れていると認識するよりも先、クリスティーナは咄嗟にそれを振り払った。

 自分の肩の上を大きな蛞蝓が這いずったかのような、得体の知れない不快感。彼女の本能が何かを拒絶した。


 乾いた音が響き、手を振り払われたレミが目を丸くする。

 近くにいたノアや馬車から顔を覗かせていたリオもまた、驚いた顔をしている。


 一方でクリスティーナの息は乱れ、本人は自覚できていなかったがその顔は蒼白としていた。日頃あまり感情を表に出さない彼女にとっては珍しい程の取り乱しようだったと言えるだろう。


 訪れる静寂の中、今この場で様子がおかしいのは明らかに自分なのだと、呼吸を繰り返して酸素を取り込むことによって徐々に理解していく。

 少しでも気まずさや疑念を晴らす為にはこの沈黙を破らなければ。


「ご、ごめんなさ……」

「申し訳ございません、お嬢様は長旅で疲れていらっしゃるようです。どうかお気を悪くしないでください」


 取り繕うべく咄嗟に口を開いたクリスティーナの言葉を遮ったのはリオだった。


「あ、ああ……。こちらこそ気分を損ねさせたのなら悪かった」

「いいえ。失礼します」


 馬車から出て来たらしい彼はクリスティーナの体を抱き寄せ、代わりにレミへ謝罪を述べると有無を言わさず彼女を抱きかかえて荷台へ向かった。


「おっと、大丈夫かな……。明日も厳しかったらきちんと教えてよー」


 リオの背中越しに聞こえる、相変わらず暢気な声が少しだけクリスティーナに落ち着きを齎してくれるようだった。

 荷台へ運び込まれて馬車が動き始めるとそれだけで随分と気が楽になる。


(さっきのは一体……)


 エリアスの時のことを思い返せば聖女の能力であることは間違いないはずだ。しかし具体的にどんな能力であるのか、未だ見当がつかない。


 更に以前は感じなかった不快感や嫌悪感……。思い出す度に嫌な汗が滲みそうな女性の声。


 移動先まで休んでいてくれと主人を気遣うリオの言葉に甘えて瞼を閉じるも、先程まであった眠気は消し去っていてとても眠れそうにはなかった。

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