第22話 仮面の貴公子
「……と、まあこの様に戦力が偏っている感じなので。魔導師を探すのが良いのではないかというのが俺の考えです」
ハンカチで口元を拭いながら何事もなかったかのようにリオは話しを続行した。
「わかった、わかったからもう動かないでくれ……本当に死んだかと思ったんだぞ!」
「はは、これは失礼しました」
「笑い事じゃねーよ!」
(本当に死んだのだろうけれど……)
リオの容態を必死に確認するエリアスの姿を眺めながらクリスティーナはぼんやり思った。
血を吐いたままぴくりとも動かなくなったかと思えば三秒後に体を起こしたリオの調子は至って良好そうだ。
その様子を見る限り一度本当に絶命してから体のコンディションがリセットされたのだろうが、エリアスの反応を見ると彼はその結論に至っていないようだ。もしかしたらリオが不死身であることを事前に知らされていないのかもしれない。
リオの身体能力は常人を遥かに凌駕する程のものであるが、その代わりに魔法を殆ど使えないというのが彼の体質である。
誰もが魔法を使えるのが当たり前の世界で一度でも魔法を使うと死に至るという極小の魔力保有者は非常に稀だという。
魔法的な観点から見れば彼ほど使い物にならない人間もそうそういないだろう。
魔導師の味方をつけるという提案に賛成を示しつつクリスティーナは荷台を降りて地図へ近づいた。
「魔導師を当たるなら、それこそさっき話に上がったフォルトゥナは有力かしら」
「ええ。俺もそう考えていました。この一週間西進して来ましたから距離としても比較的近くて足を運びやすいこともあります」
「東にも魔法学者が多く集う有名な国はありますが、東進は避けた方がいいとセシル様から言われていますもんね」
大体の現在地からフォルトゥナまでの進路を辿るリオの指先を見つめながらもエリアスの補足に頷くクリスティーナ。
彼女は出立前に選別の品を二つ渡されながら言われた兄の言葉を思い出していた。
***
「もし暫く目的地がなくて困るようならシムラクルム森林を目指してみると良い。僕の知人がいるはずだ。一応地図に印も打っておいたから」
「はぁ」
受け取った地図を早速開きながらクリスティーナは兄を訝しむように睨んだ。
当の本人はにこにこと笑ったまま小首を傾げてみせる。
「シムラクルム森林は流石に私でも聞いたことがあります。三人で向かえというのはあまりにも無謀では」
「そうだね。だから足を踏み入れるかの判断は君達に任せるよ。僕からの助言は一先ず西端まで進んでみると良いということだ」
「それが私達の為になると?」
「メリットがあるというよりはリスクが少ないという感じだね」
兄の言葉の意図がよくわからず眉間にしわを寄せるクリスティーナの表情にセシルは笑いながら指を一つ立てた。
「まあ旅の目的地はあった方が動きやすいかなと思ったのもあるけど。君たちが気にすべき目下の問題は魔族との対立と、聖国だ」
イニティウム皇国から東南に位置する聖国サンクトゥス。
その名を聞いて漸くクリスティーナはセシルの言わんとしていることを理解した。
彼は西進を望んでいるのではなく東進を避けるべきだと言っているのだ。その理由は彼が聖国サンクトゥスの脅威を警戒しているからに他ならない。
「聡い君なら皆まで言わずともわかるね?」
「はい、恐らくは」
ここ数日、自身を取り巻いていた出来事や兄から告げられた量の多い情報についていくのがやっとだったクリスティーナは聖国に関する懸念が完全に抜け落ちていたことに、自身の至らなさを痛感した。
聖国は聖女を祀る国。神に愛されている国と言われる。
その理由は長年聖女の力を授かったという少女がその国民から現れているから。
聖女を名乗る少女は聖国の大神殿にて厳重に保護され、高貴で尊ぶべき存在であることから、祭事や祈祷の時や重い病や怪我に苛まれる人々の治療に当たる時以外は姿を見せることがないという。
聖女が死すれば新たな聖女が生まれる。聖国の中で。
そうして今まで聖国は聖女の生まれる、神に愛された国として自国の権威を国民や他国へ示してきた。それは現在も変わらない。
しかし聖女は同時に複数存在することが出来ないという理があり、クリスティーナが聖女として生まれてしまった以上、聖国の主張は覆されることになる。
今聖国に存在する聖女は偽物だということになるのだ。
国の権威を支えていた存在が偽物だったという話が広まれば嫌でも聖国の権威は揺らぐことになるだろう。
聖国が、自身の囲っている聖女が偽物であることを認知しているかしていないかは大した問題ではない。問題なのはどちらのケースであっても本物の聖女に当たるクリスティーナの存在は聖国にとって邪魔以外の何物でもないということだ。
『本物の聖女』の存在に気付いた時、聖国がどのような動きに出るのか簡単に予測することはできないが、厄介事へ発展することは明らかであった。
「幸いにも聖国はイニティウムとそう離れていない国であるし、武力や魔法などの戦力の規模もこちらが上だ。怪しい動きが見られれば圧力をかけることも出来る」
聖国がアリシアを聖女と認識した場合であればイニティウム側は皇族に保護されている彼女の安全を確保した上で強気に出ることもできるだろう。
しかし表向き罪人として追放されているクリスティーナが聖女とバレてしまった場合には国が大手を振るって動くことは難しい。
「向こうからイニティウムへ圧力が掛けられた場合には国として対処できるが、クリスティーナ個人を守る為に動くのは難しい。万一聖国絡みで君が危機に陥ってもこちらが手を打てるとは限らないわけだ」
「だから私達自身も東側を警戒しておいて欲しいと、そういうことですね」
「流石出来の良い妹だ。話が早い」
ぱちんと指を鳴らし片目を瞑って見せるセシルの様子は真面目な話の内容にはどこか不釣り合いである。
彼はクリスティーナによって開かれたままの地図を反対側から覗き込み、聖国の位置を指で指し示した。
「他にも、海を跨いだ世界規模の障害が発生する可能性もあるにはあるのだけれど、この辺りは話せばキリがないからね。真っ先に大きな問題へ発展するとすれば聖国についてだろう。とりあえずはその辺りを肝に銘じておいてくれると助かるよ」
さらっととんでもないことを言ってのけた兄を睨みつつも、クリスティーナは小さく頷いた。
***
「聖国を物理的に避けるに於いても、魔導師を探すことに於いてもフォルトゥナは都合がよさそうですね。とはいえ、国をいくつか跨ぐことになりますから到着にはまだ時間を要します。定期的に物資の調達を挟みつつ、焦らず向かいましょう」
目的地が決まったところでリオは地図を丸めて革袋にしまい込む。
話し込んでいる内に日は真上を通り過ぎたようで、集中力を欠かせるように空腹感が襲った。
荷物を纏めたリオが袋から乾いたパンとフルーツを人数分取り分け、互いに交わす言葉も少なに食事を摂る。
朝食兼昼食を終えた後、一行は傾く太陽を追うように馬車を走らせた。
フォルトゥナの国境を越えたのはそれから更にいくつも日を跨いだある日のことだ。
夜も始まったばかりの時間、新しい国土へ足を踏み入れたクリスティーナは興味深げに周囲を見渡していた。
至る所に看板を抱える酒場からは豪快な笑い声や怒号、脇道へ逸れた場所には露出の多い服を纏った女性が道行く男性へ声を掛けている。
馬車を停められる宿を見つけたリオが先に受付で話を済ませ、エリアスは繋ぎ場で馬を休ませている。
魔法国家フォルトゥナ東端に位置する街、フロンティエール。
彼らの仕事を宿の前で待つ傍ら街の様子を窺っていたが、このフロンティエールという街、治安はお世辞にも良いと言えなさそうである。少し前までであれば自分がこのような場所に足を踏み入れるとは考えもしなかっただろう。
故郷とは随分変わった街並みの新鮮さからクリスティーナが辺りを見回していた時、彼女を照らしていた月光が突如何かの影によって遮られる。
ふと視線を上げたクリスティーナが見たのは上空から降る人影。
それはまるで体全体が羽で出来ているかのような軽やかさで物音一つ立てずにクリスティーナの前に降り立った。
「おっと、失礼」
月光に晒される黄橡の髪、顔の上半分を隠す豪奢な仮面によって覆われた顔は彼の風姿を視認させることを拒んだ。
しかし仮面の下で細められた黄緑の双眸は少なくともクリスティーナへ悪意を孕んでいるものではなさそうだ。
仮面の青年は穏やかな口調で一つ謝罪を述べると、クリスティーナから一歩離れて片手を自身の胸に当てながら深々とお辞儀してみせる。
「お怪我はありませんか? レディ」
「…………問題ないわ」
「それはよかった」
淡い笑みを口元に携える青年は姿勢を正す。一連の恭しい動きはどこかわざとらしさを覚える程にゆったりと丁寧に行われる。
「今宵は月が綺麗ですね。このような素敵な夜に貴女のような麗しい女性をエスコートできたのならそれ以上幸福なことはなさそうですが……生憎それは叶わなさそうだ」
彼の視線が自身の背後へ向けられる。
何者かの走る音が複数、こちらへ近づいてくることにクリスティーナは遅れて気付いた。
仮面の青年は自身の口元に人差し指を携えてから優しく地面を蹴り、ふわりとその体を宙へ浮かべた。
「気を付けて、レディ。君のような女性が一人佇むには、この夜は少々危険が多い」
彼はそのまま近くの建物の屋根へ着地したかと思えば更に足場を蹴り上げて移動を図り、やがてその姿は宵闇に紛れて消えた。
文字通り空を飛ぶ仮面の青年を呆然と見送るとすぐ傍から暢気な声が届く。
「ほー、あんな魔法もあるんですね。風魔法……とか?」
エリアスの呟きにクリスティーナは深く息を吐く。
この騎士、一挙一動が大袈裟に見えるがその実、気を抜くと何食わぬ顔で傍に居るような基本動作に無駄のない手練れである。
リオ程ではないにしろ気配を消すのが上手い。油断していると度肝を抜かれることがままある。
「……いたのなら声を掛けなさい」
「あ、すみません。相手が怪しい動きをしたらすぐ対応できるように様子を見てました」
更に質が悪いのは、恐らくそれを無自覚で行っていることだ。
自覚のないものには咎められても首を傾げることしかできない。その為クリスティーナはこの件に対してエリアスに嫌味を零すことが出来ないでいた。
「……そう」
「お二人とも、部屋の用意できたそうですが……何かありましたか?」
「何でもないわ」
クリスティーナは宿屋から顔を出したリオに対し、首を横に振る。
建物の中へ入るクリスティーナの背後を慌ただしく駆けていく足音が複数聞こえた。
しかしそれらは彼女の後に続いたエリアスが扉を閉めたことにより、掻き消されてしまった。