第192話 襲撃者の標的
降り注ぐ槍はその全てが氷の障壁に行く手を阻まれる。
手数を重視した魔法は防御に特化した魔法を破る事が叶わない様だ。
相手の魔法が無詠唱でありながらクリスティーナの詠唱が間に合ったのは相手が同時に複数の魔法を行使した弊害だろう。複雑な技術を必要とすればする程、魔法の発現速度や精度は落ちる物だ。結果として、相手の魔法の行使に生じたタイムラグはクリスティーナが対処する時間を与える事となった。
相手の生成した氷が砕け散る様を透明の天井越しに見据えるクリスティーナはとある違和感を抱く。
宙から落ちる槍の軌道。それはただ自由落下に身を委ねている訳ではない、不自然且つ意図的な動きを孕んでいたのだ。
その事から一つの推測に辿り着いたクリスティーナはすぐさま自分達を背に庇うエリアスへと視線を移す。
彼もまた、一点目掛けて走る数々の攻撃を斬り伏せていた。
彼は自分の横をすり抜けようと動く氷の矢、鎌風を裂き、叩き、それらが後方へ伸びる事を避ける。
エリアスが的確に脅威を防ぐ姿を見守ったクリスティーナは、自身の中に浮かんだ一つの推測が確信へと変わっていった。
(これは私達を狙った襲撃じゃない……)
クリスティーナが考えを巡らせる間も、魔導師の攻撃のどれもがただ一点へと向かって飛んでいく。エリアスはそれ全て受け止めるが、その中に紛れた稲光だけは剣で受ける事が出来ない。
鋭く走る光の存在に気付くと同時、エリアスは眉根を寄せながら後方へと片手を伸ばした。
その手はオリヴィエの肩を突き、後方へと力を加えられた彼は崩し掛けた体勢を整えるべく一歩後退る。
その眼前を稲光が通過して消えた。
「……っ」
(――やっぱり)
稲光が真っ直ぐとオリヴィエ目掛けて走る様を目の当たりにしたクリスティーナは自身が至った結論に間違いがない事を改めて認識する。
稲光然り、それまでの攻撃然り。クリスティーナのいる方角へ施された魔法は全て、オリヴィエに狙いを定めた物であった。
その事を告げようとクリスティーナがオリヴィエを見やったその時。
「僕から離れろ」
彼は周囲からの攻撃に備えながらクリスティーナ達から距離を取るように後退った。
その顔に浮かぶのは強い警戒と嫌悪。彼もまた集団の目的が自分である事に気付いているのだろう。
だがそこに動揺は見られない。それは自身が執拗に狙われる理由に心当たりがあるとでも言う様であった。
何故オリヴィエが狙われいるのかまでをクリスティーナが推し量る事はできない。
だが彼が相当の実力者であることは迷宮『エシェル』での一件で目の当たりにしている上、彼の魔法を用いれば建物の屋根を越えて逃走する事も可能だ。
魔導師達の狙いとなっている本人が先に離脱する事で事態の好転を図ろうとしているのだろうと判断したクリスティーナは一歩オリヴィエから距離を取った。
だがそこへ新たに生まれた氷の矢が魔導師の杖の先から彼へと再び迫った。
オリヴィエはそれに気付き自らを庇う様に両手を前へ構える。だが幸いにもそれがオリヴィエへ接触する直前、放たれた氷はエリアスの剣によって砕かれた。
「貴方……っ」
エリアスの助けがなければ負傷していたであろう一手。それを目の当たりにしたクリスティーナは眉根を寄せてオリヴィエを見た。
「何故魔法を使わないの?」
自身に迫る危機に気付きながらもオリヴィエは魔法を使わない。魔法を使えば回避行動をとる事も、その場から離脱する事も容易であるのに拘わらず。
それがクリスティーナには理解できなかった。故に彼に問い質す。
クリスティーナの指摘にオリヴィエは顔を顰める。
「魔法は使えない」
「は……」
(急に何を言い出すの?)
彼の告白にクリスティーナは面食らうことしかできない。
オリヴィエが魔法を使えるという事実をクリスティーナは既に知っている。彼が今更嘘を吐く必要はない。
ならば何故その様な突拍子のない嘘を吐くのか。
始めこそ彼の考えが理解出来ず怪訝そうな顔を向けていたクリスティーナだったが、そう時間を有することなく、周囲を警戒する彼の視線が時折ブランシュへ向けられている事に気付く。
(――そういうこと)
ブランシュを気に掛ける理由。そして魔法が使えないと主張する理由。
彼の考え全てを理解できた訳ではないが、彼の不自然な言動から大まかな事情をクリスティーナは察する。
オリヴィエが回避や離脱の為に魔法を扱えば彼の行使する魔法が異質な物である事を周りに知らしめる事になる。
そしてブランシュはオリヴィエの扱う魔法が特殊な物であることを知らない。
彼の発言は恐らく、ブランシュの前では魔法を使うことが出来ないという事なのだろう。
『遊翼の怪盗』を特定される事を避けてか、自分の魔法その物を秘匿したいのか。そうしたい理由の細部まで汲み取る事は出来ないが、身の危険を察してもすぐさま魔法を遣おうとしない辺り、それなりの事情がある事は間違いなさそうだ。
ならばとクリスティーナは自身の傍で緊張した面持ちで辺りを窺っていたブランシュの手を掴む。
そして更にオリヴィエから距離を取る様に彼から背を向けたのだった。




