第186話 幸福の量り方
取締局に属する者が死刑判決を下される程の大罪を抱えた罪人であるという事。そしてリオとエリアスがヴィートから感じたという殺気。
それらを鑑みれば、ヴィートの告白は予測出来得る内容あった。
「たくさん殺した。何人かーとか、どんな顔してたかーとか、思い出せないくらい、たくさん。……それ以外に生きていく方法を知らなかったから」
先を進む小さな背中からのんびりとした口調の声が聞こえる。
ヴィートは大きく伸びをして、体一杯に日光を受ける。
「おれは物心ついた時には人を殺す事を教えられてたし、そうする事でしか生きていけないって言われ続けてたから」
その場の空気が凍り付いてもおかしくない話題でありながら、彼の暢気な態度が変わる事はない。
感情的になる事もなく、ただ事実を語るのみ。己の過去について関心があまりないのかもしれない。
「楽しいこととかよくわかんなかったし、痛いとか怖いとかもよくわからなかったけど。生きるか死ぬかなら生きる方がいいんだろうなぁって事だけは何となくわかってたから……生きる為に何となくでたくさんの人を殺したんだ」
子供の様な無邪気さを持ちながらも、起伏のない感情。他者が容易に持ち得る感情の一部を置いてきてしまったかのような妙な違和感がそこにある。
そして彼の姿がクリスティーナの幼い頃の記憶を静かに思い起こさせた。
「暗殺者だけを集めた秘密裏のギルドってのが世界中にあって、おれはそこにいたんだってさ。ディオンのおっさんが教えてくれた」
ヴィートは振り返ると眉を下げてはにかむ。
そしてエリアスへと両手を合わせて見せた。
「今はね、こうして仕事をしながら殺気を消す練習もしてるんだけど……元々そういう事を知らずに生きてきちゃったからあんまり癖が抜けないんだよねぇ。びっくりさせてごめんね」
「い、いや……。今は気にならないし、大丈夫だ。オレも嫌な態度とって悪かったし」
「じゃ、仲直り? だね」
再び明るく笑うヴィート。
彼の境遇に思う所があり、黙っていたクリスティーナではあったが、ふとその脳裏を先のオリヴィエの言葉が過った。
――『自身の価値観を易々と他者へ押し付けるな』。
思い出したその言葉は、クリスティーナが抱いた感情を吐露してしまうことを阻止した。
溢れそうになった言葉を呑み込んだクリスティーナは改めて口を開く。
「……今、楽しい事はあるの?」
過去の話をする際、楽しいことがわからなかったと告げたヴィートの言葉を思い出し、クリスティーナは彼へ問いかける。
ヴィートはその問いに目を丸くし、瞬きを繰り返した後に笑みを深めて大きく頷いた。
「うん! それこそ、さっきみたいにキレイな物を見る時とかさ」
自分がヘマやヴィートと同じ境遇であったなら、それは耐え難い物だろうとクリスティーナは思う。
だが、それはあくまでクリスティーナが培ってきた暮らしや経験から成るクリスティーナの考えだ。当事者が幸せだと考える事象に対し、自分であれば苦しいだろうと感じるだろうという考えを押し付けて否定する事はあまりにも傲慢だとクリスティーナは思った。
(……何と言うべきか。彼の発言はいつも正しい様に思えるわ)
その物言いは厳しくあっても、思い返してみれば間違った事を言っている訳ではないとわかってしまう。
オリヴィエにはあまりに単純な反応を示すことや浅慮だと感じる行いも目立つ。だが周囲の者が口を揃えて馬鹿であると言う程に彼が考えなしかと言えばそうではないとクリスティーナは感じる。
馬鹿であるどころか、実は聡明なのではと思う様な部分すら見られる程だ。
「前は生きる為に必要な事以外考える余裕もなかったけど、今ここで皆と話したり、真昼間に堂々と街を歩いたり、新しい物を見つけたりするのは楽しいなぁって思う。ここに来て、初めて知ったことが沢山あるし、そういうの全部が今は大事なんだ」
ヴィートは自身の幸せについて語る。
多くの者にとっては同情し得る身の上であったとしても、当の本人が心の底から笑っている。
それを見て、彼の幸せを否定できる者が一体どこにいるというのだろう。
「だからおれ、今の居場所がすごく好きだよ」
「……そう」
クリスティーナは睫毛を伏せ、小さく微笑んだ。
彼の感じる事に対し、他者が口を挟める事は何もない。
故に口を閉ざした彼女はしかし、ふと横切った屋台を視界に捉えて足を止めた。
「……待って頂戴」
「うん?」
立ち止まったヴィートが目を丸くする。
そんな彼を無言で手招きしながらクリスティーナは屋台へと近づいた。
三人が向かったのは先程ヴィートが足を止めた場所と似た物が売られている屋台だ。
安価なアクセサリーが並ぶ屋台でクリスティーナは商品を静かに観察する。
興味津々にクリスティーナの様子を窺うヴィートの視線を間近に感じながら、彼女は暫く装飾品を見た後に一つのネックレスを手に取った。
それは美しいガラスを宝石に見立てて作られたシンプルな造りの物であり、鎖に繋がれた大きなガラス玉は黄緑色に光っている。
クリスティーナはポケットから硬貨を出すとそれを店主へ渡し、ネックレスを購入する。
そして手に握られているそれを持ったままヴィートの後ろへ回り込んだ。
「そのまま動かないで」
「え? こう?」
不思議そうにしながらも言われた通りに待つヴィートの首元へクリスティーナは手を伸ばす。
そして持っていたネックレスを彼へ掛けてやる。
「え……っ、わぁ」
「あげるわ」
ヴィートは自身の首に掛ったネックレスを片手で掬い、瞬きを繰り返す。
そして大きなガラス玉に見惚れた後、目を輝かせてクリスティーナを見た。
「いいの?」
「ええ。……お詫びのような物だから」
「ん?」
オリヴィエの言葉を思い出すと同時に生まれた小さな罪悪。自身の価値観を押し付けようとしたことに対する後ろめたさを清算する為にも、そして生まれたばかりの子供の様に無知な彼に小さな幸せを与えたいという思いから、クリスティーナは些細な贈り物を施した。
詫びられる覚えがないヴィートは首を傾げたが、浮かんだ疑問もすぐに喜びが掻き消していった。
「……おれ、プレゼント貰ったの初めてだ。ありがと、クリスさん」
「いいえ」
「大事にするね。ずっと付ける!」
「飽きたら外してもいいのよ」
「そんな日来ないよ」
本当に些細な物。だが彼はわかりやすく喜んで見せた。
ガラス玉を何度も指で撫でては照れ臭そうにはにかむ。その姿を見ながらクリスティーナもまた、ネックレスを改めて観察した。
出会って間もないヴィートの好みをクリスティーナは正しく把握していない。
輝く物が好きで、クリスティーナやオリヴィエの瞳を気に入っている。その程度の情報でプレゼントを選ぶのであれば自ずと選択肢は狭まる。
自分の瞳の色かオリヴィエの瞳の色のどちらに寄せるべきか迷いはしたが、結果クリスティーナはオリヴィエの瞳に似たアクセサリーを選んだ。
とは言えそこに特に深い意味はなく、ただ自分の瞳の色の物を他者へ押し付ける事が恥ずかしいと感じた為である。
「ニコラの目に似てるね。やっぱりキレイだ」
「そうね」
「……クリスさん達は、ニコラの事あんまり好きじゃない?」
未だガラス玉をまじまじと見つめながら、突如そんな問いが投げられる。
それにクリスティーナが目を丸くするとヴィートが肩を竦めた。
「皆、最初はニコラの事が好きじゃないって言うんだ。いつも怒ってるみたいだし、気難しい感じがするんだって」
「否定はしないし、確かに好意を持っている訳ではないわ」
「やっぱり! いい奴なんだけどなぁ……どうしたら誤解が解けるんだろ」
「悪い人だと思っている訳ではないのよ」
誤解しているという考えがまず誤解であるとクリスティーナが主張するものの、ヴィートは聞く耳を持っていない。
ヴィートは腕を組んで唸りながら考え込んでしまい、クリスティーナとエリアスは彼のどう声を掛けて彼の考えを中断させるべきかと互いに顔を見合わせる。
だが二人が口を挟むよりも前、ヴィートは屋台に置かれていたお洒落用の眼鏡に目を付け、一人納得したように声を掛けた。
「……あ! これ」
「眼鏡がどうかしたのか?」
「ニコラって普段眼鏡をかけてるでしょ? でもあいつ、目は良い方なんだよね」
「なら、お洒落のつもりなのかもしれないわね」
「ううん。前なんでって聞いたんだよ。そしたらさ」
ヴィートは咳払いを一つして、眼鏡を押し上げる仕草をする。
恐らくはオリヴィエの真似をしているつもりなのだろう。
「『頭が良さそうに見えるから』って!」
「……ああー…………」
「ね、ちょっとイメージ変わるでしょ?」
「あーウンウン、親しみやすさみたいなねー」
エリアスが妙に納得した様に間の抜けた声を漏らし、ヴィートの言葉に適当な肯定を示す。
その傍らではクリスティーナがため息を吐いていた。
「やっぱり彼は大馬鹿者なのね……」
呟かれた声には呆れる思いが多分に含まれている。
見栄を張り、堂々とそれを公にする。その発言自体がそもそも頭の悪そうな物であるという事実に気付いていなかったのだろう。
クリスティーナはつい先程、彼の事を聡明と評してしまった事実を大きく恥じるばかりであった。




