第183話 正さと罪
「アタシ達は大森林の中、小さな集落でひっそりと暮らしてた」
過去を振り返っているのか、ヘマは目を細めて遠くを見やる。
その声は落ち着いていつつもどこか重く物悲しさを感じさせた。
「大自然に囲まれた故郷では不便な事も魔物に襲われる危険もあったが、祖先が長年に渡って築いてきた生きる術のお陰でさほど不満もなく細々としつつも穏やかな生活がそこにはあった。……だが」
ヘマは遠くへ向けていた視線の先、道を横切っていく子供達の姿を捉えて一つ息を吐く。
何のしがらみにも束縛されず、自由を主張する様に無邪気に笑う子供達。彼らの姿は今の彼女の立場とは対極的である。
「ある日、大勢の余所者が故郷に足を踏み入れた。彼らはアタシ達の長と顔を合わせ、友好関係を結びたいと言った。特殊な環境下で築いてきた生活様式、長期に渡って余所者との関りを持たなかった故に確立された部族の遺伝による特殊な体質、その全てを魔法の発展の為に調べさせて欲しいと」
「それってつまり……」
ヘマの話に耳を傾けていたエリアスは困惑の色を浮かべ、眉を下げる。
言い淀んだ彼に頷きを返したヘマは自嘲気味に僅かな笑みを見せた。
「友好というのは建前。実際は研究対象って訳だ。勿論長は憤り、その提案を突っぱねて余所者を集落から追い出した。だが話はそこでは終わらない。……その後何が起こったと思う?」
彼女の口振りから良からぬ事が起きたのは明白。そこから一つの推測に至ったクリスティーナは眉根を寄せた。
仮に推測が当たっていたとすればあまりにも胸糞が悪く、そんな可能性を自ら言葉にする事が躊躇われたのだ。
だがクリスティーナの僅かな表情の変化に気付いたヘマは、彼女の心中を悟った様に肩を竦めた。
「誘拐だ。奴らは女子供を中心に夜間の内に無理矢理攫おうとした」
ヘマの話から推測するに、部族側の人数は多くないはずだ。数でならば押し勝てるという考え、そして長年集落外と干渉していなかった小さな部族が消えても大した問題には発展しないという考えに至る事もおかしな話ではない。
だがそれはあまりにも相手の尊厳を軽視した行いだ。
クリスティーナは小さく息を吐いた。
「アタシ達一族は規模が小さいからこそ深い繋がりを持つ。家族に仇なす奴を許してはおけない。それは相手が魔物であろうと人であろうと……アタシ達にはアタシ達なりの信念があったんだ」
ヘマは悔しさと悲しみ、そして怒りに顔を顰める。
だが一つ深呼吸をした次の瞬間には彼女は平静を取り持っていた。
「その後は抗争だ。アタシ達一族は他者よりも部に長け、魔力量が多かった。各国から派遣されたという魔導師達とも途中までほぼ互角に戦った。だが……数と技術には勝てないな。最終的には殆どの者が捕らえられた」
淡々と紡がれる言葉。
だがそこから告げられる殺伐とした話は簡単に聞き流すことなどできない。
「その後、見せしめとして集落の中枢を担っていた者の首は落とされ、一族は同胞でなければ即座に牙を剥く獰猛且つ危険な人物の集まりだという判断が下された。……その後、アタシ達を襲った魔導師達に連れられ、捕縛された一族はばらばらになり、アタシは一部の者とこのフォルトゥナへ運ばれた」
ヘマは先程ほんの少し感情を顕わにしたものの、その後は落ち着いた声音で話し続けている。
もしこの話がつい最近起こったことであったのだとすれば、こうも冷静に話は出来ないだろう。彼女の話す過去が近くはない物である事は想像に難くない。
「アタシ達の汚名は世界中に広がり、魔導師の手から逃れた生き残りも捕えようと動く国もある。一族を生かしておくことが危険だと判断された国では命を落とした同胞の為と移送した部族全員の首を刎ねたらしい」
部外者であるクリスティーナ達はヘマの主張だけを鵜呑みすべきではない。
恨みや妬みという感情から生まれ、語られる記憶には主観が入りやすい。そのことをクリスティーナは理解していた。
だがそう理解していたとしても、彼女から語られる話はあまりにも理不尽で嫌悪を抱くような物だ。
「フォルトゥナでも無暗に抵抗した者は殺されたし、一族の壊滅へ携わった者達の思い通りになるくらいならと自死した者もいる。……怒りに任せて暴れたアタシが生きているのは処刑の直前、偶然ディオンさんと出会えたからに過ぎない」
ヘマはそこで間を空けると、重苦しい空気を和らげるように大袈裟に肩を竦めた。
そして呆れ混じりの苦笑を漏らす。
「……まあ、これはディオンさんから聞かされた事でもあるし、自分で調べて確信した事でもあるんだが。集落の派遣の主導権を握っていたのは一国であり、他の国は研究の成果の共有を条件にその国へ人手を貸していたに過ぎなかったらしい。フォルトゥナもそうだ」
「どういうこと?」
国境を越えた騎士の派遣による討伐遠征や魔導師の派遣による共同研究等は珍しい話ではない。
その際、互いに求める結果は同様であり、故に手を差し伸べ合うのが普通だ。遠征や研究には詳細の話し合いや下準備等、互いの利益の為を考えれば人材の派遣以外にもすべきことは多くある。
故に人手を貸していただけという言い回しはどうにも違和感があるとクリスティーナは感じた。
「協力した国々は魔導師を何名か派遣したものの、この件に殆ど口を出さなかった。そして丸投げにしている内、この件を任されていた国から好ましくない事の顛末を聞かされた――つまり、協力した殆どの国は真相を知らない可能性が高いという事だ」
「魔導師側から乱暴を働いたとしてもそれを隠蔽出来てしまう訳だ」
「あくまでお互い同意の上での研究を進めたかったけど、向こうが話を聞いてくれなかった、みたいな言い方も出来ちまうってことか……」
クリスティーナの問いにヘマが答え、更に簡潔な回答がオリヴィエから語られる。
そこで漸く理解を示したエリアスは低く呻きながら頭を雑に掻いた。
「多少の人員を貸すだけで魔法に関する情報をぼろぼろ落としてくれるとなれば、魔法の知識に飢えたこの国は喜んで手を貸すだろうさ。他国が自ら干渉をしなかったのはあくまで目新しい話があれば幸運程度の軽い気持ちであり、そこまで関心がある訳ではなかったからだろう」
「真相を知っているはずの当事者たちも事実を口にすれば罰せられることはわかっている。加担した以上、誰も進んで口にはしないだろうしな」
オリヴィエは軽蔑を交えて鼻で笑い、静かな苛立ちを募らせる。
ヘマはそれに頷きを返しつつ、疑問を滲ませるように顎を撫でて首を傾けた。
「だが、殆どの国はこの件について徐々に疑念を抱き始める。隠蔽方法がザルだったのか、罪悪に負けた関係者が告発したのかはわからないが……。以降、この件に絡んだ国の殆どは主権を握っていた国との関係の殆どを徐々に断っていくことになる」
「聖国サンクトゥス。あの国が東大陸上で孤立し、その内情が不明瞭であるのはそういった理由もあるのかもな」
「聖国……」
オリヴィエの口から聞き覚えのある名が告げられる。
クリスティーナの脳裏を過ったのは兄の顔だ。そして同時に彼の警告が頭の中を反響する。
「まあ、聖国の計画や動向を知らなかったとしても到底許せる行いではない。そんな無責任な主張を許容できる訳がない。アタシは一生この国を恨むだろう」
クリスティーナの意識を現実へ引き戻したのは落ち着きを見せつつも淡白に吐き出される恨み言。
我に返った彼女がヘマの顔を再び見やれば、視線が交わった。
ヘマは困った様に笑う。
「これがアタシの罪だ。魔導師を殺し、同胞以外の多数を恐怖に陥れるきっかけを作った。……けど、アタシ達はアタシ達の暮らしと家族を守りたかっただけだ」
下げられた眉、作られた微笑み。
悲しそうに湛えられる笑みは、心から笑う事を忘れてしまったかのような切なさを見ている者へ与えた。
「ただ、当たり前のことを貫いただけ。……アタシ達の行いは本当に罪だと思うか? これが罪だというなら……正しさと罪の基準は一体何なんだろうな」
正さと罪の境界。それは問い続ければ永遠に迷い続ける解なき問いの様だとクリスティーナは思った。
小さく呟かれた言葉にクリスティーナは口を閉ざすことしかできなかった。