第19話 二つの選択
「質問の意図がわからないので一つ目で」
意味深に選択肢を提示したセシルを涙目にしたのはクリスティーナの躊躇いない選択だった。
「わからないならせめて詳細を聞いて欲しかったなぁ……」
「今のでお話は終わりですか? 自室へ戻ります」
「待った待った! 本当に聞いてくれないの!?」
辛辣な態度に肩を落とす兄を無視して失礼しますと頭を下げ、踵を返すクリスティーナ。それを引き留めようとする情けない声が背中越しに聞こえる。
自身が話す必要性を感じるのであれば自ら話せばいいだけのことで、それだけの価値すらない話なのであればクリスティーナは耳を傾けるつもりもなかった。
しかし兄へ背を向けたクリスティーナの前に立ったのは意外にも、先ほど彼と睨み合っていたリオであった。
「クリスティーナ様、お気持ちはわかります。しかし少しだけ付き合って差し上げてください……」
「……驚いたわ。貴方はお兄様のことが嫌いだと思っていたのに」
セシルがリオを気に入っており友と呼ぶのは昔からのことだが、対する彼は日頃の外面の良さからは考えられない程セシルに対しての当たりが強かった。
それを知っている為クリスティーナは彼が兄を嫌っているのだと認識していたのだ。だから彼の肩を持つことに意外だと感じたのだが……。
「嫌いですよ」
「やっぱりそうなのね」
「聞こえてるからね!!」
本人の前であるのにもかかわらず、リオはあっさりとその事実を認めた。
誰も庇ってはくれない自身の悪口に半泣きになる兄を置いてクリスティーナは少々考え込む。
兄を毛嫌いするリオが彼の肩を持つのは、恐らく彼の為ではなく自身の……もしくは主人であるクリスティーナにメリットがあると考えているからだろう。
「当初の予定通り動くとしても時間に余裕はあります」
確かに、出立の時刻まで余裕があることを先に指摘したのはクリスティーナだ。
この後部屋へ戻ったとしても本を読んで時間を潰す程度の予定しかない。
「俺はクリスティーナ様がどのような決断をなさろうがその意思を尊重します。ただ……決断した後に後悔しない選択を取っていただきたいのです」
「貴方は私が後悔するかもしれないと考えているのね」
「……わかりません。ただ、話を聞いておけば後から不安を抱く可能性も低くなるのではと」
裏庭に用意された馬車といい、兄は自身の提示した二つ目の選択を選んで欲しいと考えているのだろうということをクリスティーナは察していた。
元より田舎での生活を望んでいたクリスティーナにとって彼の発言は愚問な上、話を聞いてやること自体が掌で転がされているような心地がして面白くはない。
しかしリオがクリスティーナにここまで食い下がることも珍しい。
「わかったわ。話を聞くだけなら」
恐らくリオはクリスティーナ以上にこの状況を理解しているはずだ。でなければ彼がクリスティーナに食い下がって進言するに至るまでの材料がない。
そしてクリスティーナは自身の予想が正しければ、数日前の夜彼が話した『今はまだ話せないこと』にこの件が絡んでいるのではないかと踏んでいた。
自身に向き直った妹の視線を受けたセシルは満足そうに小さく頷いてから再び口を開いた。
「まず僕の質問の意図を説明する前に確認をしたいのだけれど、クリスも聖女様の伝説については知っているよね」
「はい」
どの時代にも聖女を名乗る者は存在したが、彼の言う『聖女様の伝説』とは初代聖女が魔王を倒したという話だろう。
この世界で知らない者などいるのだろうかという程有名な伝記だ。
セシルは一つ頷く。
「聖女様が魔王を倒すことを志してから初めに行ったのは仲間を集めた」
「七人の従者様の話ですね」
「そう。そしてその七人は聖女様からの絶対的な信頼を得て、それぞれ突出した能力を得た」
聖女は神からの寵愛を受けし者。聖女に認められた者は彼女を介して神からも認められ、六属性の魔法に分類されない神の力の一部を賜ったという。
聖女が優れているのはその影響力が個人に留まらないことだ。
彼女は闇魔法に対抗する力は持っていたが純粋な戦闘は不得手だったという。これは初代聖女の魔法適正が聖魔法を除けば一種のみだった為である。
一方で魔王を含めた魔族一行は一番得意とした闇魔法を封じられたとしても他の属性の魔法が扱える者や近接戦闘に長けている者も多かった。
そんな聖女の弱点を補うように集ったのが七人の仲間だった。彼らは魔法や戦闘能力等、元より個々で持っていた才能を更に底上げさせるような力を授かることで常人をはるかに上回る力を手に入れた。そうしてそれぞれ突出した才を持った八人のパーティーは魔王討伐にまで至ったという。
セシルの話は長く回りくどいが、クリスティーナは彼の意図に薄々気付き始めていた。
「……お兄様はあの晩の出来事が私によるものだと考えていらっしゃるのですね」
あの晩というのは建国祭二日目の晩、アリシアが聖女だと騒ぎになった時のことだ。
セシルは静かに微笑む。彼女の言葉を肯定するものだ。
「僕は君が聖女だと確信をしている」
「だから私に伝説と同じ様に旅をしろと……?」
「まあ、簡潔に言うならそうなんだけれど」
「……わかりません」
兄の言いたいことはわかった。しかし重要なのはそこではない。
「旅に出ろと……七人の従者を探せとおっしゃる理由は私に強大な力を得て欲しいから。そういう事でしょう」
セシルはクリスティーナの言葉の続きを待つ。真っ直ぐと彼女を見つめたまま黙って続きを促す彼はまるでこの後聞かれることを完全に予測しているかのようだ。
「ではその絶対的な力を私が得たとして、貴方は私に何をさせたいのですか? 何を私に求めているのですか?」
深夜の冷えた風が二人の間を通り抜けていく。
クリスティーナの瞳は不安と疑念で揺らいでいた。
数秒の静寂の後セシルはゆっくりと息を吐き、沈黙を破った。
「近いうちにこの国は危機に晒される」
何を根拠に、という言葉をクリスティーナは吞み込んだ。
断言するということはそう判断するに値する何かが彼の中にあるからである。
故に反論よりも先に詳細を聞くべきだと思い直し、セシルを睨みつけながら詳細を促すことにした。
「少し話を戻そう。初代の聖女様一行は魔王を倒し、殆どの魔族がその戦によって命を落とした。しかし魔族の部隊を指揮していた魔王直属の七人の幹部は頭を潰されたことにより皆散り散りになった……つまり死亡が確認されていない」
「その、何百年も確認されていない魔族達が今更動き出す可能性があると?」
「残念ながらことはさらに深刻だ。もう動いている可能性が高い」
魔族が長寿だという話は有名だ。そして現に戦争の時代から現在に至るまで生存する魔族として有名な噂が一つある。
故に志望の確認されていない魔族が生きているという可能性は往々にしてあり得る話だ。
問題なのは太古の時代、人の脅威となり得た彼らが再び動きを見せるのかという部分。
「……その情報は確かなのですか」
事実であるのだとすれば、大戦の再来を招く程の深刻な火種と成り得る。
クリスティーナの問いに対し、セシルは肩を竦めた。
「無事とは言い難い状況だったが、情報を持ち帰ってくれた者がいたからね。瀕死の彼の姿はクリスも見たはずだ」
セシルの指摘を受けて真っ先に浮かぶのは中庭に横たわっていた騎士達の様子だ。
彼が本当に魔族と遭遇したのかはさておき、街で騎士達を害した何かがいたというのは事実。イニティウム皇国内で悪意が芽生えているという根拠としては十分だ。
その考えに至ると同時に、クリスティーナの背筋は冷えていった。脳裏をある一つの憶測が過り、更に嫌な感覚を加速させる。
しかしセシルは話しを止めてはくれない。
「気付いただろう。三日前の出来事が殿下の暗殺を目的としたものであればイニティウム皇国の国勢を揺るがそうとする者の仕業。リシアが狙われていたのだとすれば聖女の噂を聞きつけた何者かの仕業である可能性が高い。勿論数日前に聖女の力を実際に使ったのはクリスだから、真実に気付いた何者かが君を狙った可能性もゼロではない」
リシアはセシルがアリシアを呼ぶときに使う愛称だ。
話に耳を傾けていたクリスティーナはセシルの顔を見て僅かに息を呑んだ。淡々と話す彼の瞳が鋭く光る。
未だ口角は上がっているものの、彼の双眸は正体を見せず暗躍する存在に対する明確な敵意を宿していた。
「それに、魔族との関係性は定かではないものの、この国を敵視する何者かの存在を裏付けとして皇族か公爵令嬢を狙った犯行というのは十分な説得力を持つだろう」
「…………そういうことですか」
あまりにも早い判決、違和感のある宣告、フェリクスの表情――。
「……殿下もご存じだったのですね」
「聖女という存在は大袈裟な話なんかではなく、簡単に一国の立場を揺るがす存在だからね」
セシルの返答から察するにも、どうやらフェリクスはクリスティーナが毒を盛る訳がないと確信していたらしい。そして間違っても皇太子の暗殺未遂として死刑にせざる得ない状況を避けるべく、そして危険から少しでも遠ざけられるようにと都からの追放を言い渡したといったところか。
クリスティーナの呟きに対するセシルの返答から察するに、真相が明かされる前に冤罪を被せられる結果となったのは恐らく彼が一枚噛んでいたからなのだろう。
自覚していないだけで、とっくに自分は巻き込まれていたというわけだ。
クリスティーナは深々と息を吐く。
「お兄様がこの後言わんとしていることはわかりました」
「おや」
「叔父様の元に身を置いても安全は保障されないという脅し文句でしょう」
「概ね間違っていないけれど、その言い方はまるで僕がクリスを虐めているみたいじゃないか」
心外だと大袈裟に肩を竦める兄に軽蔑の眼差しを注ぐクリスティーナ。
出来ることならこの兄の予定を全部狂わせて痛い目を見せてやりたいところだが、無関係の叔父や彼の傍で働く者が巻き込まれる可能性を考えると流石に気が引ける。
何より何者かによって自身が狙われている可能性がある以上、特定の場に留まり続けるのはよろしくない。
更に今朝の謁見の間でクリスティーナが判決を下された際、その場にいた者達は皆彼女がボーマン伯爵領へ追放されたことを知っている。その噂はきっと瞬く間に広がるはずだ。クリスティーナの居場所を知ろうと思えば簡単に知れることだろう。
そして監視は皇宮直属の騎士。一度監視が付いてしまえばそれを掻い潜ることは容易ではない。途中で選択を変えることは出来ないのだろう。
五年間ボーマン伯爵領に身を置き続けることと転々と場所を変えながら息を潜めること、どちらの方が安全だろうか。
残念なことに、悩むまでもなく結論は出てしまった。
「……私が国を出るとして、同行する予定であった監視をどう誤魔化すおつもりですか」
「うちの者ならまだしも、彼らは君のことをよく知らない、皇宮から遣わされたものだ。髪と瞳の色……その特徴を押さえた影武者を向かわせればバレることもないさ。叔父上の元には手紙を持たせてイアンを同行させるつもりだ。事情説明は彼が上手くやってくれる」
どこまで手を回しているというのだろう。妹の家出に対して用意周到すぎる兄に最早ため息しか出ない。
その上このような重要事項を本人を差し置いて当たり前のように把握している人物が身近にいたということに対し、他者を疑う性格に拍車がかかりそうだ。
「…………リオ」
クリスティーナは後ろで息を潜めていた従者を睨みつける。
イアンまでもが知っていたのだ。聖女の偽装に率先して動いたアリシアとリオが何も知らないということはあるまい。
冷たい視線を受けたリオは顔を強張らせると深々と頭を下げた。
「……お話できず申し訳ありませんでした」
下げられた頭を一発殴るくらいであれば許されるのではないか、と思いはしたがクリスティーナは思い留まった。
クリスティーナが聖女であるという情報を軽率に口にすればいつどこでその情報が漏洩するかわかったものではない。彼が口を閉ざしたのは主人の為でもあるはずだ。
それに、聖女を偽装した晩、彼の吐露を咎めず見逃したのは自分自身である。
「もういいわ。不快な思いをさせた分私に役立つことで返しなさい」
「……仰せのままに。必ずご期待にお応え致します」
自分の置かれた立場も粗方把握はした。従者の隠し事については理解した。
色々言いたいことはあるが、後一つこの場でどうしても問うておきたい事があるとすればそれは――
「……お兄様はいつから私が聖女だと知っていたのですか」
彼がクリスティーナの正体を確信したタイミング。
クリスティーナが自覚したのはつい先日だ。
しかしセシルが確信を持ったのはあの場ではないはず。リオ、アリシア、フェリクス……三人の振る舞いは全て想定内の出来事で完結したものではなく、知らされていた情報を駆使した上で応用を利かせたものであるはずだ。
そして前もって事情を知らされていなければこの数日で起きたイレギュラーの数々に対する柔軟な対応は不可能であろう。
彼らの指揮を執っていたのはセシルであると仮定する。そして彼自身が話した内容を踏まえても随分前から対策を練っていたことが窺えた。
クリスティーナの問いにセシルは少し考える素振りを見せる。
「クリスが生まれた瞬間から……かな」
「……は?」
思わず漏れたのは軽蔑を孕んだ冷たい声。
「初めてクリスとリシアに会った時、この世にこんなにも可愛らしい存在があっていいのかって思ったんだよね……。思えばもうあの時から君たちは僕の聖女だったのかもしれないなぁ……」
ふざけるなと言おうとしたが兄は至って真面目な様子である。
そのことが余計にクリスティーナを幻滅させた。
「クリスティーナ様、どうしますか。殴りますか」
「……許可するわ」
「え? 待って待って! 何で!?」
拳を握るリオの前に立ちはだかるセシルの従者の背中から困惑した声がする。
今まで接する機会が少なかった為自身の兄に対してこれといった大きな感情を抱くことはなかったが、今なら彼を嫌うリオの気持ちがわかるような気がした。
「リオ、君はもうさっき殴ったじゃないか!」
「一度では嫌悪が収まらないようので……」
「……さっき殴った?」
当事者を置いてやいやいと言い合いを始める二人の会話に口が挟まれる。
それを合図にリオの動きが止まった。
一方で情けない声を挙げていたセシルは従者の脇から顔を覗かせて笑顔で自身の右の頬を指さした。
「そうそう。クリスの冤罪ゴリ押しの件、リオに通してなかったからさ。帰ってくるなり怒っちゃって」
「主人が謂れもない大罪擦り付けられて怒らない人間がいると思いますか? 事前に知らされていたとしても止めてました」
「……って、さっき殴られちゃった。でも流石に僕、今公爵代理だしさ……。使用人に安々と殴られる公爵代理って面目立たないでしょう? だから解雇しちゃった」
「……はい?」
「か、い、こ」
笑顔で親指を立て、自身の首を掻っ切るような仕草をするセシル。
――『俺、ここに居ても仕事貰えなくなってしまったので』。
自室を出た際のリオの言葉を思い出したクリスティーナは絶句する。
「貴方さっき、同行の許可を貰ったって……」
「ああ、それは問題ないよ。どの道うちから追い出さないといけなかったし……」
セシルの言葉を呆けながら聞いていたクリスティーナは、現実へ戻るまでに数秒要した後にリオの後頭部を拳で殴りつけたのだった。