第179話 誤魔化した弱音
「いや、何当たり前の様に見張り番しようとしてるんだよ!」
「声が大きいですよ」
真夜中の客室でそう叫んだのはエリアスだ。
その大きな声をリオが小声で窘めるが、クリスティーナとしては今回ばかりはエリアスの肩を持つ外ない。
「お前、昼間に変な薬吸ったって言ってただろぉ……。寝ろ、寝るんだよ!」
「薬の作用自体は随分前に抜けているのですが」
「不死身だって疲労はあるんだろ。それにオレは今日殆ど動いてないんだから、こういう時くらい甘えればいいんだよ」
「はぁ」
「なんで不服そうなんだよ……!」
どこか他人事の様な答えばかり返すリオの様子に頭を抱えたエリアスは既にベッドへ腰を下ろしているクリスティーナを見る。
助けを求めるような視線と不毛なやり取りに耐えかねたクリスティーナは息を一つ吐くと床に敷かれている布団を指さした。
「リオ、彼の言う通りにしなさい」
「ほらぁ!」
「本当に問題はないのですが……」
リオが自身の不調や疲労について無頓着なのは今に始まったことではない。
故に何故ここまで心配をされているのかと怪訝そうな態度を取るのも想定内ではあるのだが、エリアスの言う通り、リオは不死身であっても疲労を感じないわけではないのだ。
主人の言葉にすらどこか不服そうにする従者の姿を見ながらクリスティーナは少し思い悩む。
エリアスも自身の怪我に疎い節があるが、その点についてリオも言えた口ではない。納得して貰うにはどう伝えるのが良いだろうか。
そう考えたクリスティーナはふとオリオール邸の倉庫前で、彼とした会話を思い出す。
同時に思い浮かんだのは一つの企てだ。
「……その布団を持ってきて頂戴」
「何故布団を……うわ」
「どうしたのかしら」
「惚けないでください。俺を陥れる方法を見つけた時の様な顔をしてますよ」
疑問に思いながら主人の顔を見やったリオはその表情を見てげんなりとする。
クリスティーナの表情が乏しい事は周知の事実であり、今この時もわかりやすい変化があった訳ではない。実際にエリアスが何か気付いた様子もない。
だが、長年主人に仕えてきたリオには僅かな表情の変化のみでクリスティーナの心情が読み取れてしまう。
日頃のクリスティーナは従者の飄々とした振る舞いや揶揄いに振り回されてばかりだが、極稀に仕返しの機会を見つけることがある。そういう時は決まって勝ち誇った様な顔をしていると以前のリオから聞いたことがあった。
今はその時の様な顔をしていると彼は言いたいのだろう。
しかし主人の命令は絶対だ。
リオは意図もわからず渋々と布団を移動させ、ベッドの隣へ並べる形で配置する。
「リオ」
「……なんでしょう」
嫌な予感がすると言いたげにぎこちない笑みを彼は見せる。
何を言い渡されるのやらと身構える顔を見るのは久しぶりで、いい気味だと鼻で笑ってやりたい衝動に駆られる。
しかし何とか表情を意のままに操り、笑みの代わりに眉を下げた困り顔を披露した。
「言ったでしょう、傍で支えて欲しいと」
「……お嬢様?」
クリスティーナは息を一つ落とす。一方のリオは既に嫌な予感を感じてか、上げた口角を僅かに引き攣らせた。
「今日は本当に色んなことがあったから疲れているし……正直、私も参っているのよ」
そう呟きながら、クリスティーナは静かにリオの両手へ手を伸ばし、自身の両手で包み込む。
そして彼の赤い瞳を真っ直ぐと見つめながら更に言葉を続けた。
「一人だと何かと考えてしまって落ち着けない様な気がするの。だから今日は傍で一緒に寝て欲しいわ」
覗き込まれる視線。物理的に縮まっている距離。
リオは何度か瞬きをしながら呆けた後、部屋中に響き渡るかと思う程盛大なため息を吐いた。
「……本当にずるい人ですね、貴女は」
普段より低い声で何かが呟かれる。だがそれをクリスティーナが聞き取ることは出来なかった。
何か言ったかと首を傾げた時。リオは添えられていた両手をクリスティーナの膝の上に戻し、その両肩に自身の手を置いた。
「そういう事は、他の方には絶対に、してはいけませんからね」
「しないわよ、貴方以外になんて」
「俺でもいけません。というかどこでそういう事を学んできてしまうんですか」
「そういう事?」
「いいえ、何でもありません」
やけに『絶対に』を強調する口調。
らしくもなく早口で捲し立てる彼が動揺をしている事は明らかだ。
世間知らずの令嬢であったとは言え、流石のクリスティーナも今の自身の言動が少々はしたない物であった自覚はある。
一緒に寝て欲しい等という誘い文句や、意味もなく異性に近づいてその手を握る事。それらははしたない言動――リオの言う『そういう事』に入るのだろうことも察している。
それでも敢えてこのような言動を取ったのには、彼を揶揄ってやりたいという意図や半ば強引にでもリオを寝かせようという魂胆以外の理由も起因していた。
「俺を揶揄うのも程々にしてくださいね」
「貴方が分を弁える日が来たら考えるわ」
リオが靴を脱ぎ、布団の上に上がったのを確認してからクリスティーナは横になる。
体を横にし、顔をベッドの脇へと向ければ腰を下ろしたままのリオの顔がすぐ正面にあった。
(……何だか昔みたいね)
今となっては羞恥も覚えそうな幼い記憶が過る。
レディング家に来て間もなかった頃のリオは背も低く、酷く痩せていた事や少女らしい顔立ちなどからクリスティーナは彼が年下であると勘違いしていた。
義弟のイアンが来る前であったこともあり、末っ子として育ったクリスティーナは弟が出来たみたいだと喜び、事あるごとにリオを連れ回した。
互いに身分の差を自覚する前だった為に今では到底考えられない様な事もしたものだ。その経験の一つにクリスティーナが自身のベッドにリオを連れ、共に眠るという物があった。
当時のクリスティーナからすれば弟を寝かしつけているような感覚であり、更に言えばおままごとの延長のつもりだったのだが、それでは許されないのが身分差だ。
これについては後々父と兄の耳に入り、知ると同時に仕事や学業を放り出して駆け付けた双方にクリスティーナとリオはこっぴどく叱られることとなった。
今となっては誰にも話せない様な記憶が思い浮かび、昔の面影を残しながらも成長したリオの姿を見て気が抜けていくのをクリスティーナは感じる。
植物と化した人だった物。生命を軽視し、冒涜する様な魔法が確かに存在するという事実。潜む脅威が膨らみ続ける事への不安。
それらが少しずつ溶けて曖昧になっていく様だった。
クリスティーナがリオを揶揄ったのは、彼との『約束』を守る一方で本心を隠したいという思いがあったからだ。
クリスティーナは人を頼ることが下手だ。誰かに頼み事をすることに照れ臭さもあるが、何よりも自身の弱みを見せることが惨めに思えるからこそ隠し、気丈に振る舞おうとする。
安全な場所で伸び伸びと育ったクリスティーナにとって、今日経験した全てが衝撃的で、易々と受け入れることの出来ない現実ばかりだった。
自分に出来ることをやると決めた反面、恐怖や不安は絶えず存在していたのだ。
倉庫前で交わした『苦しい時は伝える』という約束。
クリスティーナを信じて目を覆う手を離してくれたリオを裏切る様なことはしたくないと思いながらも、自身の弱みを上手く言葉に出来ない彼女はリオを『揶揄うふり』をする事で言葉の重みを誤魔化そうとした。
そんな主人の意図を目の前の従者が察しているのかを窺う余裕はクリスティーナにはなかった。
ただ、重く苦しい感情が薄れていくと同時に安堵が生まれ、少しずつ訪れる睡魔が理性を連れて行こうとする。
だからクリスティーナは気付かなかったのだ。
心の緩みが生んだ、自身の表情に。
安心した様にどこか幼く微笑むクリスティーナの表情は傍にいるリオの目にしか留まらない。
彼はそれを見た途端に動きを止めて目を見開いた後、まるで光り輝く何かを見たかのように眩しそうに微笑んだのだった。
……そんな穏やかな空気を意図せず壊したのは、エリアスの声だった。
「あっ、クリス様、もしかして怖かったんですか……!? すみません、オレ気が回らなくて……オレも近くに行った方がいいですか!?」
二人のやり取りをやや遠巻きに見守っていた彼はハッと我に返ると焦りを見せる。
クリスティーナの微睡はそんな彼に妨害され、意識が急激に浮上した。
「……怖い訳じゃないわ」
「…………ん゛っ」
覚醒し始めたクリスティーナは即座に否定をする。
実際はエリアスの言う通りなのだが、彼の物言いはまるで幽霊に怯える子供をあやす様な物であり、如何とも肯定し難いものがあった。
耳の端を赤くさせながら否定したものの、目の前の従者は全てを察している様に小さく吹き出す。
考えなしの騎士に図星を衝かれ、更に主人の羞恥に目敏く気付いた従者に笑われるという状況はクリスティーナにとって耐え難い屈辱だ。
「そ、そうですね……お嬢様は大層怖がられている様子で、一人で寝るのは心細いと……っふふ」
「……そっか、クリス様も年頃の女の子だから…………」
更には先程の仕返しのつもりか、口元を隠して誤魔化しながらリオがエリアスの言葉を肯定する。
リオからは堪えきれていない笑いが漏れているのにも拘らず、単純な騎士はその言葉を丸々鵜呑みにした。そして小さくしみじみと呟いたかと思えば慌てた様子で距離を詰める。
「怖くないって言ってるでしょう、近づかないで頂戴」
「だ、大丈夫ですよ! オレ達が守りますから、怖くないですから!」
「っ、やめて、話を聞いて頂戴」
「んっ……ふふっ、っははは! お、お二人共、やめてください、笑い死にますから……っ」
「誰のせいだと思っているの! 貴方も何とか言って!」
最早クリスティーナが何を言っても強がっている少女にしか映らないだろう。
大丈夫だと雑な慰めをしながらベッドの傍に居座るエリアスにクリスティーナは押し負け、狼狽えてしまう。
そこで笑いを堪えるのにも限界が来たらしいリオが珍しく大きな声で笑い出した。
腹を抱えながら蹲り、過呼吸になりながら震える従者と、何を言い返しても心配そうな顔をする騎士。
最早収拾のつかない状況は隣の客室から壁を蹴られるまで続き、クリスティーナはベッドの上で途方に暮れたのだった。




