第168話 致命的な癖
クリスティーナ達は倉庫から離れ、本館へと向かって歩みを進める。
「先程はありがとうございました」
「いいえ。ご無事な様で何よりです」
先導するジルベールへリオが声を掛ける。
緩やかに首を横へ振りつつも、ジルベールは気遣うような視線を彼へ向けた。
「それよりも、やはりお休みになられた方が良いのでは?」
「歩いている分には問題ありません。薬剤の作用も徐々に薄れている事は感じられますし、次第に落ち着くでしょう」
「……畏まりました」
ジルベールはリオの話に頷くと素直に引き下がる。
リオの消耗について、クリスティーナやジルベールは気掛かりであったし当の本人も自覚していた以上に影響が出ている事は悟っていた。
そこで一度シャルロットの元へ戻り、エリアスと交代をすべきではという案も出たのだが、シャルロットの見舞いという名目で訪れているクリスティーナ達が長時間の離席に加えて二度も部屋を離れる事はいくら寛容なシャルロットであっても不審に思うはずだという結論に三人は至った。
幸いにもクリスティーナの『闇』を認知する能力は必ずしも発生源との距離を詰めなければならない訳ではない。
隠し部屋に置かれた古代魔導具の気配は部屋を跨いでも感じ取ることが出来るものであったし、『闇』を実際に何度も目の当たりにしてきた経験と感覚から発生源が孕む危険度は『闇』の濃さと関係があるのだろうことも察しが付いている。
それはつまり、一部屋ずつ確認をせずとも廊下を歩き回るだけである程度の脅威の有無は察知することが出来るという事だ。
更に至近距離でしか感じることが出来ない程度の『闇』であれば取締局が特別警戒している古代魔導具ではない可能性が高いと言えるだろう。
そしてシャルロットに影響を与えている古代魔導具は既に見つけていることから、クリスティーナやジルベールの立場からも危険度が比較的低い古代魔導具の発見に対する優先順位も低いと言える。
つまり、無理に一部屋ずつを確認する必要はないという結論に至る訳だ。
これであれば再度脅威に晒される可能性は低くなり、リオに負担を強いる事も無くなる。
古代魔導具に無暗に近づく事さえなければ脅威がクリスティーナ達へ及ぶ可能性も低い。リオに負担を強いる事も避けられるだろう。故にクリスティーナ達はリオとエリアスを交代させるのではなく、なるべく早く本館の廊下を回る事としたのだ。
本館内を歩き回り、隠し部屋とは別の位置から脅威を感じ取った場合はその位置だけを把握して離れる。そしてジョゼフの帰宅までに余裕があった場合のみ、シャルロットと別れた後、宿へと戻る前に該当箇所の確認へ向かう。
これが話し合いの末に三人で決定した行動方針であった。
リオの言葉にジルベールがあっさりと引き下がったのも、直前に話し合って決めた方針があったから。彼が声を掛けたのは作戦に意義があるというよりも、リオが本当に無理をしてはいないかを確認する為の物だったのだろう。
やがて辿り着いた本館の裏口をジルベールが静かに開き、クリスティーナとリオを招き入れる。
そして三人は人が少ない廊下を進んだ。
「そう言えば、ジルベール様は珍しい武器をお使いになるのですね」
「ああ……。お察しの通り、魔導具の一種ですね。従者が武器を晒して歩くわけにもいきませんから、こちらの方が都合が良いのです」
先の戦闘を思い出してかふと呟かれた声にジルベールは瞬きをしてから、自身の懐を探る。
そしてクリスティーナやリオに見える様に剣の柄を取り出した。
「従者は武力を求められる職ではありません。しかし同じ量を熟すことの出来る従者候補が二人いるならば万一の際に主人をお守りできる者であった方が安心できる。その様な理由からシャルロット様の従者に選ばれたものですから、特別にこれを持ち歩く事が許されているのです」
「持ち運びが楽で隠し持てる上に、折れても修復する武器ですか。便利ですね」
「ええ。……しかし、問題点はあります」
「問題点ですか」
ジルベールは剣柄を懐へしまいながら苦笑する。
「まず、刃を生む為の魔力の消耗が激しいことです。そして魔力で生み出される刃は実際に職人によって作られた武器よりも酷く脆い」
「なるほど。となると扱える剣士も限られてきますね……。剣術を極める方には魔力量に恵まれず魔導師を志すことが出来なかった方も多いと聞きますから」
クリスティーナは何度も折れては彼方へと弾かれた細剣の刃を思い出す。壊れやすく、修復には大きなエネルギーを必要とする代物。強敵と相対した時、修復する為に必要な魔力が枯渇した状態で刃を失ってしまえば剣士になす術はないだろう。
「はい。故に実戦で使う者は殆ど居らず、普及もしていないのです」
「という事は裏を返せばジルベール様の魔力量は相当なものであるという事ですね」
「人並み以上ではあります。ただ、私は剣の名家の出ですし……争いを嫌っていましたから。家から魔法を学ぶ機会が与えられることもなければ、戦の腕を磨く為に自ら魔法の知識を学ぼうとすることもありませんでした。魔導の腕は素人同然と言えるでしょう」
クリスティーナはジルベールの話に耳を傾けながらも周辺に異質な気配がないことを確認する。だが周囲に『闇』は見えず、嫌悪感等を感じる事もない。
何か怪しい箇所はあるかと問う様に向けられたジルベールには首を横に振った。
それに彼は頷きを返すと再び進路へと視線を向ける。
「私が細剣を好むのは、魔力の消費量を削減するという目的の為でもありますが……ちょっとした反抗でもあるのです」
「反抗?」
「はい」
聞き返すクリスティーナの言葉にジルベールは頷く。
「何かを傷つける為の意図で生まれる武器……特に近接武器は鋭さと相応の重量を兼ね備えているものが多い。銀色に鋭く輝く刃も、受けた血による鈍い輝きも……私はそのどちらも好きではありません。できれば見たくはないのです」
鋭く尖っているという共通点こそあれど、細剣は他の刃物に比べれば刃の面積が狭いと言える。更に刃が細いからこそ、獲物を求める獣の如く反射する銀色が他に比べて目立つことはない。
「何かを傷付ける為の武力だけが全てではないのだ、という……家や、戦う力を評価するこの世の中に対する対抗心、の様な物です。……武器を手にしている時点で結局は同じ穴の狢なのですが」
ジルベールは顔だけをクリスティーナ達へ向けると、困った様に眉を下げて自嘲する。
その語りを静かに聞いていたリオは、意外そうに瞬きをした。
「先程の動きは、自分の意志に反する行いを強いられて来た方の様には到底見えませんでした。しかしジルベール様がそう仰るのであれば……元から剣の素質がお有りだったのかも知れませんね」
「剣の素質……? いいえ、そんなことは」
面を食らったジルベールは足を止め、リオへ振り返る。
「……失礼しました。ジルベール様にとってはあまり快い言葉ではありませんでしたね」
その反応が気を悪くさせた故の物だろうと推察したリオはすぐに頭を下げる。
だがジルベールは顔を曇らせる訳でもなく、ただ不思議そうに目を丸くしていた。
「いいえ。ただ……私は剣術に於いて間違いなく兄弟の中でも一番落ちぶれていましたし、その様な言葉を頂いたことはあまりなく、驚いてしまったのです。……なんせ、自身の斬るべき相手すらまともに見ることが出来ませんから」
ジルベールの返答に、リオは怪訝そうに眉を寄せる。
クリスティーナもまた、同じ様な表情で彼を見やっていた。
「……謙遜をされ過ぎでは? 勿論気配を読むのに長けているという事もあるでしょうが、先程の動きは相手を見ずに出来るような類ではないでしょう。もし本当に見ていなかったというのであればそれこそ誇れるだけの才をお持ちという事では」
ジルベールが述べた自身の評価は明らかに過小だ。しかし彼が心からそう考えていることはその表情や口振りから汲み取れる。
故にリオは過ぎた謙遜に腹立たしさを覚えているというよりも、自身が劣っていると頑なに言い張ることに対し純粋な疑問を抱いている様であった。
「先の……ですか」
リオの指摘を受け、ジルベールは先の戦闘を思い返す様に黙りこくる。
そして口を閉ざして数秒の間を空けてから、難しい表情のまま小さく呟いた。
「……本当、ですね。確かにあの時は躊躇いや気後れの類はなかったように思えます。相手を見ることが出来ないというのが今もある癖であったことは確かなのですが……何故急に消えたのでしょう」
自身でもよくわからないと困惑混じりに呟いた彼は不思議そうに首を傾げた。
胸の中に何かがつっかえているかのようなもやもやとした感覚。それに眉を顰めるジルベールだったが、彼は静かに首を横に振るとクリスティーナとリオへとはにかんだ。
「……と、今は先を急がなければなりませんね。行きましょう」
足を止めたことに対する謝罪を短く述べてから彼は歩き出す。
彼の癖や武力についての会話はあくまで移動中の世間話の一環。そこまで気に掛けるような話題でもない。
クリスティーナとリオはこの話題についてそれ以上興味を惹かれる事もなく、ジルベールの背を追いかけた。




