第162話 隠されていた物
「これはまた、随分と厳重ですね」
この先に何かがあると言わんばかりに丈夫な鉄扉。その閂を躊躇うことなく外しながらリオは呟いた。
「リオ」
「わかってます。何かあればすぐに下がります」
皆まで言われずとも主人の言いたいことを悟るリオ。
彼はクリスティーナの望んだ答えを返すと鉄扉をゆっくりと開いた。
重く軋む音を響かせながら、リオはその先に続く空間を確認する。
角度の都合から、その光景を廊下のクリスティーナ達は把握することが出来ない。しかし鉄扉を開けたその時、クリスティーナの胸中を渦巻いていた不快感が膨れ上がった。
部屋中を埋め尽くす『闇』の根源。それがこの先にあるのだという確信をクリスティーナへと与える。
「小部屋ですね。恐らく建設当初は緊急時の脱出経路を考慮して作られたものであることを考慮すれば、どこかに装置でもあるのでしょうが……一見してわかるような物ではないようです」
「魔導具らしきものは見つけられそう?」
「ええ」
クリスティーナやジルベールにもわかる様、リオが状況を説明する。
そして内部の詳細を更に求めるようクリスティーナが問いを投げれば彼は頷きを返した。
「部屋の中央、両手で漸く持ち運べる程の橙色の宝石が一つ台座に乗せられています。むしろそれ以外に物がないと言って差し支えないでしょう……が」
リオはそこで言葉を切り、怪訝そうに眉根を寄せる。
どうかしたのかとクリスティーナが問うよりも先に、彼は低めた声で呟いた。
「これは……枝?」
「枝?」
「はい、部屋の至る所に枝が張り巡らされており――」
やや早口で状況が伝えられる。だが、その報告は途中でクリスティーナが遮ることとなる。
突如、膨れ上がる嫌悪感、そしてまるで頭から冷水を被ったかのような悪寒がクリスティーナの体中を駆け巡った。
小部屋の様子を直視することが叶わずとも悟る程の大きな危機感。それをクリスティーナが感じ取った一方でリオもまた僅かに目を見開いた。
クリスティーナとは違う形で異変を感じ取ったのだろう。だが彼が何を見たのか、確認を取る余裕をクリスティーナは持ち合わせていなかった。
「っ、リオ! 下がりなさい!」
鋭く発せられた指示。それを聞き届けるや否や、リオは大きく後方へと飛び退いた。
小部屋から距離をとったリオの前髪をどす黒い闇が掠める。
小部屋からリオ目掛けて飛び出した『闇』。それは最早煙などという喩えよりも汚泥といった表現が似つかわしい程に黒く、色濃い姿をしていた。
まるで実態を持っているのではないかと思う程の濃度を誇る闇。それにクリスティーナの脳は警鐘を鳴らすが、その一方で彼女とは別の何かを視界に捉えたらしいジルベールもまた焦りを滲ませていた。
「リオ様!」
彼が叫んだことによって、クリスティーナは自身以外にも目視が出来る形で危険が現れていることを悟る。
そしてその声につられるように『闇』以外に着目したクリスティーナは、彼に遅れを取る形でリオやジルベールが目の当たりにしている脅威の姿を見た。
小部屋から伸ばされたのは『闇』だけではなかった。
細い物、太い物など形状は様々な枝が複数、小部屋の外へと這い出てはその鋭い先端をリオへと伸ばしていた。
その動きは気を抜けば皮膚を裂かれてもおかしくはない程不規則且つ素早いものだ。
リオは大きく飛び退いてそれらを躱し、腰を落とす。そして袖口からナイフを滑らせると迎撃に入った。
足元を狙う枝を飛び越え、同時に切断。更に頭蓋を破ろうと伸ばされる別の枝は腰を反らして避けた後、切断。
掠めた前髪が散る最中、更に三本の枝が腕を伸ばす。
だがリオは追撃に焦りを見せることなく、すぐさま体勢を立て直した。
次の瞬間、彼は小さな音を立てて床を蹴り上げ、前進する。
足元を掬おうとする枝は飛び越え、眼前に迫る二本目の枝を切り裂き、左肩目掛けて迫る三本目の先端は床へ転がり込んで避ける。
そして瞬く間に鉄扉まで舞い戻った彼はそこから伸びる枝を余すことなく斬り落とし、傍へ散らばった残骸を部屋の中へ蹴り入れた。
それでも小部屋の枝は尚も外へ向かって手を伸ばすが、それが溢れるよりも先にリオは鉄扉を足で蹴り付け、素早く閉めた。
万一にも扉がこじ開けられることの無いよう閂を掛け直せば、初めは扉を叩いていた無数の枝も観念したのか大人しくなる。
それを確認してからリオは一歩後ろへと下がり、左右に移動していた本棚の縁に手を掛ける。
そして中央へ向かって軽く力を籠めてやれば先程と同様、人の手を借りることなく自動で元の位置まで移動を始める。
やがて本棚は元通りの姿を取り戻した。その奥に扉が隠されていることなど、その事実を知る者でなければ分からないだろう。
「……少々散らかしてしまいましたね」
外部の者がいた痕跡が残ればそれだけ相手を警戒させてしまう。床に散らばった枝の破片を片付けようとリオは手を伸ばした。
「お待ちください」
しかし、それはジルベールの声によって制止させられる。
どうかしたのかと問う様にリオが視線を投げかけるが、彼はそれに答えるより先に呪文を唱えた。
「フレイム」
刹那、床へ散った枝の欠片にのみ小さな炎が宿った。
それは煙を上げながら枝を燃やし尽くすと満足したように姿を消す。
ジルベールが行使したのは一番基礎的な炎魔法。だがその精密さは中々のものであった。
散らばった枝だけを燃やす為にはただ炎を起こすだけではなく、炎を出現させる場所や炎の強さなどにも気を遣わなければならない。
遠目からでもそれをやってのけた彼は多少なりとも魔法の知識も持っているのだろう。
「先の枝が魔導具の影響によるものであることは明白。となれば無暗に触れることはしない方が良いはずです」
「それもそうですね。ありがとうございます」
ジルベールの使用した魔法によって絨毯は僅かな黒ずみや炭を残したが、それも目を凝らさなければわからない程度だ。もしこれで侵入を悟られてしまうのであればどのような手段で潜り込んだとしてもその殆どが通用しないだろう。仕方がなかったと割り切るしかなさそうだ。
得体の知れない物に触れるリスクを担うよりも悟られてしまう僅かな可能性を置いていく方が賢明だとジルベールは判断したらしい。
彼の言葉に納得を示したリオは速足でその部屋を後にする。
「リオ様、お体の調子はいかがですか」
「正直少し覚束なさはあります。本調子ではありませんが……ここから離れれば次第に落ち着くはずです」
「そうですか……。気分が優れない時は無理をなさらず仰ってください」
「お気遣いありがとうございます」
退室したリオによって閉じられた扉の前。この後は一度休むか、念の為館全体を見て回るか等をリオとジルベールが話し合い、クリスティーナはそれに耳を傾けていた。
一時は姿を見せた脅威も鳴りを潜めた安心感から少し気を緩めて話していた三人であったが、その途中でクリスティーナがふと顔を上げる。
鉄扉や部屋の扉が閉ざされたことによって薄まった嫌悪感が僅かに膨らんだのを感じる。
嫌な予感がして扉へと視線を投げたクリスティーナは扉を無視する様にすり抜け、多量の黒い煙が溢れ出している様を目の当たりにする。
そうだ。あの『闇』は実態が無く、だからこそシャルロットの元まで辿り着くことが出来たのだ。
脅威が視界から遮断されたからと言って安全だという証拠にはならない。現に、扉から溢れる『闇』は三人を呑み込もうと大きく口を開いていた。
ドッと早くなる鼓動、それに反して顔から引いていく血の気。鋭く息を呑んだクリスティーナは突然の出来事に眩暈を覚えながらもリオとジルベールの袖を引いた。
「っ、逃げないと」
「……畏まりました」
主人の顔色と所作。それだけで判断したのだろう。
リオは目を見開くとすぐさまクリスティーナを抱きかかえ、ジルベールの腕を引いて廊下を駆け出した。




