第144話 孤高で傲慢な嫌われ者
オリヴィエ・ヴィレットは入学当初から有名人であった。
神の賜物である彼は幼少の頃からオーケアヌス魔法学院の敷地内で魔導師らに目を掛けられて育ったという彼はその天性の才や本人のひねくれた性格から学生たちの噂の的になりやすかったのだ。
授業に殆ど出席せず、にも拘らず殆どの授業で成績上位を維持し続ける。出席日数が足りていない授業であっても必ず単位が認められる。
本人が優秀であることを除いたとしても学院全体による異例な程の特別扱い。努力を積み重ねて漸く学院への入学を果たした学生らにとって、彼ほど鼻につく存在はいなかっただろう。
同級生、上級生、教授に関係なく振るわれる傲慢な態度と口の悪さ。学院という大きな後ろ盾と、彼だけに許された能力は彼自身の悪評を学院中へ瞬く間に広げていった。
尤も、何を言われようとも本人が気にすることはなかったし、喧嘩を売られれば相手が上級生であっても返り討ちにしてしまうだけの力が彼にはあった。
故にわざわざ本人へ真っ向から嫌がらせをする者は殆どいなかった。進んで関わろうとする人間が殆どいない中、オリヴィエという学生は孤立していた。
斯く言うシャルロットも当初はオリヴィエを快く思っていなかった大多数の内の一人であった。
関わればすぐに吐き出される皮肉と嫌味、学生の本分を放棄する不真面目さ、彼の為だけに用意された強力な魔法。そして多数の蔑みの目はもしオリヴィエと関りを持とうとする者がいればその者へも向けられるだろうことをシャルロットは知っていた。
だからこそ、彼と関わるのは怖いという考えが彼女の中にはあった。
だが、そんな考えはある日を境に一変したのだった。
***
課外学習で森での実践演習が行われた時のことであった。
六名の班を組んで魔物の討伐の為に森の奥へ向かっていたシャルロット達は本来その区域にはいないはずである巨大且つ獰猛な魔物と遭遇した。
実践不足である班員は皆困惑し、近くにいるはずの教員を探して逃げ惑った。
勿論シャルロットも撤退を選択したが、闘争の最中に彼女は運悪く木の根に足を取られて転倒してしまう。
班員達はそれに気付きながらも自身の身の安全を優先し、危機に瀕した仲間から目を逸らして走り去ってしまい、シャルロットは一人取り残されてしまったのだ。
すぐ背後まで迫る大きな危機に足は竦み、冷静さはとっくの昔に失われた。
半狂乱になりながら乱雑に放つ魔法は魔物へろくな怪我を与えることもできず、刺激する材料にしかならなかった。
――そこへ現れたのがオリヴィエだった。
彼は上空から着地すると、その小さく華奢な体で自身の何倍もある魔物を圧倒した。
魔物の腕を、足を捩じり切り、頭を圧縮させ、胴体を地面へと押し潰す。
容赦ない程に叩きのめされ、絶命した魔物。それから噴き出した血を多量に浴びながら、彼は不機嫌そうに舌打ちをする。
そしてシャルロットの姿を目に留めると速足で距離を詰めた。
「おい、いつまでそうしてるんだ。他にも来る前に早く立て」
「あ、えっと、その……」
血に塗れたまま鋭く向けられた視線に委縮したシャルロットは声を掛けられて漸く立ち上がろうとするが、体は思う様に持ち上がらない。
先程の恐怖を体が覚えているのか、足の震えが止まらず立ち上がることすらままならなくなってしまったようであった。
「ごめんなさい、腰が抜けちゃったみたいで……」
「は? そんなんでよく演習に参加できたな」
「返す言葉もないです……はい」
「はぁ……」
顔を顰めるオリヴィエからシャルロットは視線を落とす。
情けないやら友人から見捨てられてしまった悲しさやらで俯いたまま何も言えずにいると、ふと目の前に手が差し出される。
「ほら」
「え?」
「……動けないんだろう。僕が運ぶ」
噂から得る印象からは予測できなかった厚意に思わず目を丸くする。
その意外だと言わんばかりの表情に気を損ねたのだろう。オリヴィエは眉を顰めた。
「生憎、他人であろうと無暗に魔物の餌にするような趣味はない。……お前達は揃いも揃って僕のことを何だと思ってるんだ」
早くしろと急かす様に差し伸べられた手が揺らされる。
血に塗れ、汚れた手。だが、縋るには十分すぎる程心強い手だ。
シャルロットは促されるがままに彼の掌へと自身の手を伸ばした。
――そして互いの手が触れ合った時。
(……震えてる?)
シャルロットは相手の手が震えていることに気付いた。
重なった手からオリヴィエの顔へと視線を移す。するとシャルロットを視界に入れることを拒むように顔を限界まで背けた彼の姿があった。
「貴方、もしかして」
「こっちを見るな」
「……女の子が苦手とか、ある?」
遮るように挟まれた声を無視してシャルロットは問いかける。
返されたのは沈黙だ。だが気まずそうに苦々しく引き結ばれた唇が全てを物語っていた。
「ふ……っ、あははっ!」
「……笑うな!」
図星だと言わんばかりの素直な反応に思わず声を上げて笑ってしまう。
オリヴィエはそれに対し声を荒げたが、彼がどれだけ凄もうとシャルロットの内に渦巻いていた彼への恐怖心は完全に消え去っていた。
不貞腐れた態度のオリヴィエの魔法で宙を漂う様に移動をしながらも彼女の笑いが落ち着くのには時間を要し、それに対してオリヴィエは嫌味をいくつも吐き出す。
その様は孤高の天才などではなく、どちらかと言えば幼い少年みたいであった。
自分達と変わらない人としての一面を見たからか、シャルロットの中には一つの好奇心が芽生えていた。
何故自分を助けてくれたのか、本当に噂程酷い性格なのか、澄ました態度の裏にどんな姿を隠しているのか。
一度生まれた興味はなかなか冷めない。苛立ちながらも手を差し伸べてくれた彼の考えをもっと知りたい。
そんな思いからシャルロットは半ば無理矢理オリヴィエとの接触を試みるようになったのだった。




