第142話 内通者
突如ジルベールの口から零された聞き覚えのある名。それにクリスティーナは眉根を寄せた。
「誤解なきよう先にお伝えさせていただきたいのですが、ディオン様はお三方と無理矢理接触を図ろうと試みている訳ではありません。あの方と繋がりのある私が皆さんとこうして顔を合わせることになったのも偶然に過ぎません」
「……それはどうかしら。私達がここへ来たのはそのディオンという男の元に属する者からの紹介だったわ」
あのうさん臭い男の関係者となれば容易に信用すべきではない。
そう判断したクリスティーナはジルベールの言葉に疑いを掛けるが、本人はそれに対し首を横に振った。
「オリヴィエ様のことを仰っているのですね。彼とは親しいわけではありませんから、これは私の憶測になってしまいますが……あの方はシャルロット様のことを大切に思ってくださっています。お三方をシャルロット様へご紹介したことに何か裏があったとは考え辛いかと」
「……お嬢様、この点に関してはジルベール様のお言葉を信じても良いのかもしれません」
使用人の前で堂々とオリヴィエの不法侵入について触れるシャルロット。そこからこの館の使用人間でもオリヴィエの勝手な出入りは黙認されているものであるとクリスティーナは推測していた。
そして現に、ジルベールはオリヴィエの名を出した。それは彼の存在を認知しているからに他ならない。
であるならば、オリヴィエやジルベールが結託することも難しくはないのではと思っての疑りであったのだが、それはリオによって否定された。
彼はクリスティーナの耳元で囁く。
「第一にオリヴィエ様は嘘が吐けない性格ですから、何か企みがあったのであれば何かしらの態度に出る事でしょう。第二に、彼と俺達はそれなりの接点があることから、敢えて第三者を使うなどという回りくどい手法を取るだけのメリットがありません」
「……本人が直接動いて説得なり工作なりすればよいという事ね」
「はい。……それに、彼は俺達をシャルロット様の元へ案内したものの、その後のことについては一切指示を出されませんでした。それどころか変に付き合い続ける必要はないと明言されていましたから……」
シャルロットと接触する機会を設けたのは間違いなくオリヴィエであったが、確かに彼が何かを促す様な発言はなかった。
今の様にジルベールを通じてディオンの名を聞かされるような展開を予測して動いていたと理由付けるにはあまりにも彼の能動的な行いが少なすぎると言えるだろう。
「……そうね。少し疑い過ぎたわ」
冷静にオリヴィエの立場や自分達が選択した一連の流れを思い返してからクリスティーナは自身の予測が誤っていることを素直に認めた。
そして話の腰を折ってしまったことに軽く頭を下げると話の続きをジルベールへ促す。
「オリヴィエ様の行いに何か企てがあったわけではないことはご理解いただけたかと思われます。次は私自身の話をさせていただけますと幸いです」
クリスティーナへ小さく頷きを返し、ジルベールは次の話題へと着手する。
「私はディオン様と接点がありはしますが、あの方の率いる組織に属している訳ではありません。言うなれば内通者の一人……互いの利害の為に協力している関係に過ぎません」
彼以外が口を閉ざしている空間は声一つですら僅かな余韻を齎す。
その中で彼は伝えるべきだと感じる情報を惜しみなく語った。
「彼らが求める情報を私が提供する。その代わりに自身では果たせない私の望みを叶える為に動いていただく。そんな協力関係にあります。ディオン様方にとって私は数ある情報提供者の一人でしかありません」
「……情報?」
エリアスの呟きにジルベールは頷く。
そして呟かれた疑問に対し明確な答えを用意するよりも先に詳細を語った。
「この街では日々数多の魔導具が出入りしています。そんな街だからこそ、希少な品が取り扱われることも少なくはない」
クリスティーナ達も把握しているニュイの特徴。
それを提示した上で具体的な例が淡々と並べられていく。
「珍しい魔術の組みこまれた古代魔導具、最先端の技術を使用した高価な魔導具……そしてそれら物珍しい物の中には生命に悪影響を与える危険な魔導具も存在します」
「危険な……」
クリスティーナの脳裏を過るのは館の廊下を横切るような闇、そしてディオンと出会った夜に感じた懐中時計から漂う不快感だ。
顔を顰めながら反芻された言葉にジルベールが首を縦に振った。
「本来、危険性の高い魔導具の使用は禁止されており、厳しく取り締まられています。……しかし、このような街では規則だけでは対処が追い付かないのも事実です。そして、それらの魔導具による被害が広がらない様動いていらっしゃるのがディオン様方になります」
「しかし……その話が事実として、危険性の高い魔導具を一つの組織の元に集中させる手段はリスクが高すぎるのでは? それに、集めた後の措置はどうされているというのでしょうか」
危険な魔導具の収拾と保管という行いは謂わば大量の火薬を倉庫に溜め込んでいる様な状況と言えるだろう。
自分達の予測を超えた不慮の出来事が起きた際、それらが齎す影響は計り知れない。
そして更にもう一つ問題がある。然るべき機関で処理すべき危険物をそれ以外の団体が収拾するという行いは偽善で終わる可能性が高いだろう。
善意で収拾を行っていたとしても、それは違法に変わりないという事実がある。更に敢えて個人で収拾することが良い流れを生む可能性も高くはない。
それらの疑念をリオが吐露するが、それに対してもジルベールは冷静に言葉を返した。
「私の口からディオン様方の事情を多く語ることは出来ません。ただ、考えなしに危険物を収集している訳ではない事、そして回収後の対処も的確になされていることは間違いないと断言できます」
「そのお返事では……こちらは納得できませんね」
「そうですね。ですから、組織そのものが信用しきれずとも今は構いません。今は、話を聞いていただけるだけで……」
説得できるような具体的な話が伏せられている以上、警戒を解くことは難しい。
だがそれはジルベールも理解しているのだろう。彼はリオの言葉をすんなりと受け入れるだけで無理に自身の言葉を信用させようとはしなかった。
「お三方について、ディオン様からは世間話の延長として伺ったに過ぎません。回収対象であった魔導具の危険性に直感で感づいたという面白い人物にお会いしたと……そしてその人物らの特徴を大まかに聞かされていたのです」
変装用の魔導具を購入してから、外出の際のリオは髪と瞳の色を変えている。
だがそれはクリスティーナやエリアスとは異なるものであり、個々の特徴がそれぞれ際立っている三人の旅人というのはやはり、それぞれの特徴を並べられるだけでそれなりに特定できてしまう様だ。
「ディオン様がクリス様方へ接触すべく私に働きかけたという事実はありませんし、私もこの館の客人と使用人という互いの関係が成立している状況だからこそこうしてお話させていただいたに過ぎません。そうでなければ顔を合わせることすらなかったことでしょう」
ジルベールはそこで一つ息を吐く。
そしてその顔を僅かに曇らせながら三人を順に見やった。
「私がお三方にこうしてお声掛けしたのは、ディオン様の仰る人物が皆様であればと……シャルロット様をお救いできるかもしれない人物であるのならばという一縷の望みに賭けたのです」
彼はそこで漸く僅かに感情を覗かせる。
「身勝手な言葉であることは理解しております。それでももし、シャルロット様のことを少しでも気に掛けてくださっているのならば……どうか、一度ディオン様にお会いしていただけませんか」
小さく震える息を堪えるように深く息を吸うと、ジルベールはその頭を深々と下げたのだった。