第140話 虚言の理由
クリスティーナ達を先導し、速足で廊下を歩いていたジルベールはジョゼフとの距離が十分に離れ、その姿が見えなくなったところで緊張を解くようにため息を吐いた。
それを視界に留めながら、クリスティーナは説明を急かす様に口を挟む。
「……嘘なのでしょう?」
声に反応したジルベールの視線が自身へ向けられるのを感じながら、クリスティーナは言葉を付け加える。
「彼は愚鈍で浅慮だけれど、与えられた仕事を熟すことに於いては妥協しないもの。くだらない理由で職務を放棄するとは思えないわ」
「同感ですね。彼がジルベール様の仰るような失態を犯すとは考えにくいです」
エリアスは考え足らずな言動を取る場面が見受けられることもあるが、護衛という仕事を軽んじることはない。
ただでさえ魔族とさほど距離を置けていない状況下で気を許し、自身の体を壊すような事態を彼が招くとはクリスティーナもリオも考えていなかった。
そもそもとして、自分達がシャルロットの部屋に訪れた際、菓子を出されてなどいなかったという最大の矛盾も存在する。
それでもジルベールが館の主人であるジョゼフに嘘を吐いていることを悟りながら二人が話を合わせたのには、彼なりの考えがあってのことだと考えたからだ。
クリスティーナはジルベールの顔色を窺いながら自身の憶測を語る。
「私達をすぐにでもあの場から遠ざけたかった。そんな思惑があったのではないの?」
相手の出方を窺う二つの視線。
それを受けたジルベールは暫し黙りこくった後、眉を下げて困った様に笑った。
「……全てお見通しなのですね。恐れ入りました」
彼は周囲を見回し、自分達以外の人間が近くにいないことを確認する。
「恐らくクリス様とリオ様は私の先の言動の意図が気になっていらっしゃっていることでしょう。……しかしそれにお答えする前に私の方からも質問させていただきたいのです」
ジルベールは真剣な面持ちで二人を交互に見やる。
そして一つ間を置いてから彼はゆっくりと口を開いた。
「お二人は聡明な方であると、私は理解しております。それに加え、この建物は広さこそあれど、シャルロット様の寝室から手洗いまでの道のりは複雑な物でもありません。故に思うのです。お二人には私共に偽りを述べてまで館を歩き回りたい理由があったのではないかと。……違いますか?」
ジルベールはほぼ確信をしている様に迷いなく発言する。
だがその言葉は、嘘を吐かれたことや館を勝手に歩き回ったことに対して怒りを覚えているようには見えず、ただ淡々と事実を確認しているかのようであった。
クリスティーナは返答に躊躇う。
本人を目の前に貴方を陥れたのだと告げるのは聊か気が引けることだ。また、一使用人としても客人が嘘を吐いて館を練り歩く企てをしていたという事実は好ましくなくて当然のことである。
だが、ここで事実を伏せれば恐らく彼はクリスティーナの先の問いに対しても同じ様に返すはずだ。
こちらが偽りを述べる以上、相手に誠実な返答を求めることは出来なくなってしまう。
「……ええ。貴方の言う通りだわ」
悩んだ末、クリスティーナはその場凌ぎの嘘を吐くことを諦めた。
「貴方が不快に思っても仕方のないことをしてしまったとは思うわ。……けれど、できれば誤解はしないで欲しいの。貴方やシャルロットに危害を加えるつもりで行動した訳ではないのよ」
「……では何故?」
「それは……」
自身の正体とそれに直結する言葉を他人へ漏らすわけにはいかない。
言葉を濁し、クリスティーナが返答に悩んでいる内に沈黙が訪れる。
気まずさを伴った空気の中、彼女が何も言えずにいると、不意にジルベールが小さく息を漏らして苦笑した。
「……申し訳ありません。困らせたいわけではないのです。……そうですね、質問を変えましょう」
ジルベールはやはりクリスティーナやリオを疑う素振りを見せない。
しかし二人の真意を探りたいという意図は少なからずあるだろう。彼は真っ直ぐと二人を見据えたまま続けた。
「お二人はあの先にある物について知っていたのではありませんか」
「……っ」
クリスティーナは思わず目を見張る。
先程開かれかけた扉の先、そこにある物が何であるか、具体的に知っている訳ではない。だがあそこには何かがあるという確信の元動いていたクリスティーナにとって、ジルベールのその問いは核心を掠めるものであった。
だがクリスティーナの動揺を誘う彼の言葉はそこで留まらない。
「明確にはわからずとも、あの先に危険性を帯びた何かがあるのではと感じたのではありませんか?」
彼の言葉は裏を返せば館に危険な物があると仄めかすものだ。
だが今のクリスティーナにとって驚くべきことはそこではなく、事情の一切を知らないはずであるジルベールが自分の行動の理由の殆どを言い当ててしまったことである。
返されるのは沈黙。だがクリスティーナのその反応からジルベールは何かを見出したのかもしれない。
「……シャルロット様をお待たせして随分経ってしまいましたね。先に戻りましょう」
彼は懐中時計を取り出して時間を確認すると二人へ笑い掛けた。
「続きはまた後程……よろしければご帰宅前にでも、お時間を頂ければ幸いです」
「……わかったわ」
クリスティーナの短い返答に頷きが返される。
三人は再びシャルロットの寝室へと向かって歩き出したのだった。