第137話 確信へ変わる予感
クリスティーナとリオは並んで館の廊下を歩く。使用人の姿が殆ど見られない静かな空間を横切りながらクリスティーナはリオを横目で見やった。
「こちらは進展がなかったわ。ある程度予想はしていたことだけれど」
「ということはやはりシャルロット様に魔法を使う以外の別の方向から解決策を考えなければなりませんね」
クリスティーナは小さく頷く。
そして一つ間を置いてからリオへ問い掛けた。
「貴方の方はどうなの?」
「言われた通り、可能な範囲でシャルロット様の周辺のお話は伺って来ましたよ」
クリスティーナはシャルロットの元へ訪れる前に、折を見て館の事情を探るようリオへ指示を出していた。
シャルロットが体を崩すようになった時期や原因を把握することが解決策に繋がるのではないかと考えたのだ。手始めに彼女の周辺の事情を探ることが出来れば自分の求める情報が得られる。そう思ったからこそクリスティーナはリオへ指示を出した。
「まず、ジルベール様は予想以上に心身共に消耗していらっしゃると考えられます。彼の振る舞いをとシャルロット様へ向けられる忠誠を見るに、本来は感情的になることも、主人に関する情報を容易に漏らすことも考えにくい性格であるはずですから」
「その言い方だと今回は違ったようね」
「ええ。消耗から冷静さが欠けてしまっているように思えます。……お陰で思いの外様々な話を伺えました」
使用人の少なさと悪化する主人の容態。それだけの材料が揃えば精神的に不安定になってしまうことも理解できる。
そしてそれは今回のクリスティーナ達にとっては都合の良い話であった。
リオは得た情報を主人へ共有し始める。
「シャルロット様についてですが、お体を崩されたのは凡そ一年前。学院の長期休暇でご帰宅になっている時に突然倒れられ、以降は体調が芳しくない状況が続いているそうです」
「突然……そう」
急性の病気は短時間で命に関わるものは多くとも、長期間を経て体を蝕んでいく類のものは稀であるとクリスティーナは認識している。勿論医学的な知識は持ち合わせていないが、少なくとも一般人が思い当たる病気の範疇ではそうだ。
本当に何の前触れもなく倒れたのだとすれば、それはクリスティーナの病気に対する認識の範疇ではやや違和感を覚えるものである。
「また、医師もシャルロット様が患っている病気に心当たりはないとのことでした」
「医師にもわからない病気……? 黒い靄の発生と絡めると尚更ただの病気ではないような気がするわ」
「同感ですね。お嬢様にしか視認できない靄が何物かはっきりとしていない以上、断言はできませんが……それでもただの病気として片付けるには腑に落ちない点が見受けられます」
「ええ。だからまずは……」
確信染みた主人の発言に同意する従者の言葉。クリスティーナはそれに小さく頷きながら、ふとその足を止めた。
そしてシャルロットやジルベールに教えられた手洗いとは別の方角を見やった彼女は小さく囁く。
「行くわよ」
「はい」
クリスティーナが見やったのは廊下の先へ続く黒い靄だ。それがどこへ続いているものであるのかを確認すべく、彼女は手洗いを口実にシャルロットの部屋から離れたのだった。
速足で靄を追うクリスティーナの言葉に頷きを返しながらリオはその後を追う。
二人はシャルロットの部屋とは逆の方角へと足を進める。
(……嫌な感じだわ)
黒い靄を辿って進むにつれて、クリスティーナは自身の背筋が冷えていくような感覚を覚える。
進むほど濃く、大きく広がって見える闇。肌で感じる悍ましさと、息苦しさに冷や汗が流れる。
「クリス様」
「……平気よ」
主人の顔色の悪さにいち早く気付いたリオが声を掛けるも、クリスティーナは首を横に振る。
長く続く靄の先、見過ごしてはならない何かがあることは最早確実であると本能が告げる。
それが何であるのかを確認しなければとクリスティーナは顔を顰めながらも足を動かした。
そして長い廊下を時折曲がりながら進み、二人が館の端が近づいた時。黒い靄がとある一室へと入り込んでいる姿を見つける。
直角に曲がり、扉をすり抜けてその先へ消える闇。
その濃さも、クリスティーナの感じる嫌悪感も凄まじいものであった。
尋常ではない何かがこの先にある。
近づくことを拒絶したがる本能と、動かなければ謎は解けないと自身を奮い立たせる理性の双方が攻防を繰り広げ、クリスティーナの顔は強張った。
「……リオ」
「お嬢様」
この先に入る方法はあるかと問おうとしたクリスティーナの言葉はしかし、リオの囁きに遮られる。
まさかと僅かな焦りを滲ませる彼女へリオは頷きを返した。
「人が来ます」
「……こんなところで」
すぐ傍に謎を明かすことに繋がるかもしれない手掛かりがある。
だが人がやって来るとなればそれは十中八九館の者。許可を得ていない部屋への侵入は困難を極めるだろう。
手掛かりを目の当たりにして諦めて戻る他ない状況にもどかしさを抱えたクリスティーナが僅かな苛立ちを零す。
見つかった時の言い訳は簡単ながら用意している。手洗いの行き来の間に迷ってしまったと言えばいいだけの話なのだ。
その言い分であれば嘘を見抜かれたとしても疑われ、警戒される可能性はあれど強く責め立てられることはないだろう。
嘘であるという確固たる証拠がないのだから。
クリスティーナは深くため息を吐くとリオが視線で示す方向――自分達が歩いてきた廊下へ振り返った。
「……おや。見知らぬ御人がこの様な場で一体何をされているのか」
色素の薄いブロンドの髪の中年男性。彼が身を包んだ服はどれも一級品であり、至る所には宝石など一目で高価なものだとわかるだろう物品を身に着けていた。
離れた位置からクリスティーナ達の姿を捉えた男は会話が出来る程度まで二人と距離を詰めると口を開き、静かに目を細めたのだった。