第128話 たった一人へ向けられる想い
令嬢達が花を咲かせる恋愛話の殆どは相手の秘密を知った上で人間関係に於いて自分が優位にいるという優越感に浸りたいから、もしくは恋愛絡みの自慢か相談の機会を窺う為が理由であるとクリスティーナは推測していた。
知り合って間もないことを考えれば互いに人間関係の優劣を気にし合うような関係ではないし、相手の素直さを鑑みれば下心から来る自慢よりも純粋な相談がシャルロットの話題振りの本来の目的なのではないかとクリスティーナは結論付けた。
瞬きを繰り返すシャルロットを見ながらクリスティーナは更に続ける。
「学院では異性も多いでしょうし、それこそそう言った機会があったっておかしくはないでしょう」
「あー、確かに。誰かが突き合ったり別れたりって話は結構耳にしたかも」
シャルロットはクッキーを口へ運びながら微笑んだ。
自身の学院での生活を思い出してか、庭の景色へと視線を泳がせた彼女は少しの間の後に肩を竦めて呆れたように苦笑する。
「とは言っても私の周りの異性は生憎そういうのとは縁のない人達ばっかだったからなぁ。恋愛については疎いような人ばっかりだったよ」
「そう」
シャルロットが知人の名を列挙する度に細い指が折られていく。
学院での生活を思い出す彼女はどこか幸せそうにはにかんでいた。
「生徒会に入ってたんだけどね。ノアはすごくモテるけど魔法にしか目がないせいで本人からは色恋の気配なんて全くしなかったし、レミも頭が固いから融通が利かなくて勉強の妨げになることは避けてた。ジャンは悪ノリが多くて幼稚だし、オリヴィエはあまりにも鈍感だから……」
「……彼も生徒会に?」
「そう。意外でしょ」
「ええ、少し……」
咄嗟に言葉を濁すが、オリヴィエが生徒会に所属していたという事実はクリスティーナの中で大きな驚きを齎すべき話で合った。
オリヴィエの性格からして面倒な仕事は避けそうであるし、言動のきつさから敵が多そうな彼が学院の代表を務めるとなると批判は殺到しそうなものだ。
そんなクリスティーナの考えを悟ったシャルロットは品よく笑った。
「まあ、ノアが半ば無理矢理引っ張ってきたんだけど。でもね、オリヴィエってすごく字が綺麗なんだよ」
「初耳だわ」
「意外でしょ。だから嫌々ながら引き受けてくれた書記の仕事でも、彼が手掛けた書類はすごく読みやすかったんだ」
シャルロットはカップの取っ手に指を引っ掛けると自分の唇へゆっくり触れさせる。
静かに紅茶の味を楽しんだ後、小さな音を立ててカップを置くと彼女はテーブルに頬杖を突きながら長閑な庭の風景へとその瞳を向けた。
「本選びの件は気にしないでいいからね」
「今日の土産は本当に偶然よ。あとは飲食物以外を選ぶ口実が欲しかっただけ」
「そっか」
土産に本を選択したことは過度な気遣いから来るものではないとはっきり否定をしながらも、クリスティーナの視線は急な話題の転換の理由を問う様にシャルロットへ向けられていた。
それに気付いているのだろう。シャルロットは顔を庭へと背けたままゆっくりと口を開いた。
「あれはね、オリヴィエは選ばないと意味がないの」
「でも、彼は本を読まないのでしょう?」
「それでも、だよ」
本を読まない人物に本を選ばせる意図がわからず、クリスティーナは問う。
柔らかな風に髪を靡かせながら、シャルロットは悪戯っぽく笑みを深めた。
「本を指定したのはただの口実。本当は何でもいいんだよ」
(……ああ、そういうことなのね)
不敵でありながらも、どこか恥ずかし気に伏せられる睫毛。
靡く横髪を耳の後ろに掛けるシャルロットの仕草を視界に取られながらクリスティーナは彼女の本意に気付きつつあった。
「アクセサリーでも、花でも、雑貨でも……何でも。私のことを考えて真剣に選んでくれたものなら何でもいいの」
クリスティーナへ向き直ったシャルロットはテーブルの上で両手を汲む。
その指先へ視線を落としながら優しい声音で言葉を紡いだ。
「私だけのことを考えて、悩んで欲しい。私のことを思って選んでくれた物が欲しい」
暫し指先を弄んだ後、シャルロットは顔を上げて擽ったそうに眉を下げて笑った。
「……だから、オリヴィエが選んでくれないと駄目なんだ。他の誰かが選んでくれた物じゃ駄目なの」
柔く頬を緩める少女。その面持ちにどこか眩しさを感じて、クリスティーナは目を細めた。
彼女の言い分は十分理解出来るものだった。
オリヴィエに本を頼んだ理由。それは鈍感な節があるエリアスですら悟って微笑んでしまう程に明確となっていた。
「……貴女、変わってるのね」
偏屈で頑固で、思慮が浅い。言葉足らずで、口を開けば相手の神経を逆なでるような発言をするようなこともある。
十分に癖の強い人物であるオリヴィエをシャルロット程好意的に見れる人物も少ないだろうと思い、クリスティーナは小さく笑む。
だが、シャルロットの見解は違うようだ。
「そう思うのはきっと、クリスとオリヴィエの付き合いがまだ長くないからだと思うよ」
シャルロットがオリヴィエを評価する理由。それがいずれ分かるだろうと言うように彼女は微笑んだ。
腑に落ちず、クリスティーナが目を丸くするも、シャルロットはそれ以上を語らない。
代わりにこの話は終わりだと切り上げるように彼女は手を打った。
「あ、でも本が好きなのは本当だよ。良かったら本についても話したいな。……あ、良かったら一冊貸そうか?」
「本は好きだから、貴女のおすすめは聞いてみたいわ。でも教えて貰えれば自分で探すから、気遣いは結構よ」
「いいのいいの、お土産のお返しにさ。ジル、あの本なんだけど――」
シャルロットは離れた場所で控えていた従者を手招きして呼びつけると、一冊の本を持って来るように指示を出す。
しかしその言葉は途中で途切れた。
次いで言葉の代わりに彼女の口から溢れたのは咳の音だ。
最初は乾いた音であったそれは何度も繰り返される内、激しさを増して重量感のある音となる。
シャルロットは自身のみを案じて腰を浮かす客人三人へ問題ないと片手を挙げる。
しかし顔を上げて笑みを浮かべたところで彼女は口元を押させていた手が赤く染まっていることに気付いた。
「あ……っ」
口の端から溢れ、顎を伝って落ちる赤い雫。
それは彼女の服やテーブルクロスを少しずつ汚していった。




