第124話 警戒の対象
大きな道の脇をリオやエリアスと並んで歩く中、ふとクリスティーナはリオへ視線を向ける。
「そういえば、貴方は止めるかと思ったわ」
「ん?」
どれを指す話なのかが分からなかったリオが小さく首を傾げて聞き返す。
そこで自身の言葉が足りていなかったことを悟り、クリスティーナは更に補足をした。
「私が彼と接触するのをよ。昨晩、随分警戒していたようだったから」
「ああ、なるほど」
今度こそ主人の言葉の意味を理解したリオは合点がいったように頷く。
そして困ったように眉を下げて笑った。
「オリヴィエ様に対して嫌悪している訳ではありませんよ。迷宮の戦いでは貢献してくれましたし、あの方が単体でお嬢様に仇なす存在となる可能性は低いと考えています。それに……」
リオは今までの出来事を振り返るように目を細める。
言葉を切って少しの間を空けてから彼は再び口を開いた。
「オリヴィエ様は嘘を吐くのがお下手なようですから。お嬢様や俺達に隠れて何かを企てていたり、後ろめたい感情を抱いている場合はすぐに気付けるでしょう」
「それは……確かにそうね」
リオの指摘をきっかけに、クリスティーナも今までのオリヴィエの振る舞いを思い返す。
仏頂面で刺々しい口調が印象的な彼だが、彼の考えていることは意外にもわかりやすかった。
ベルフェゴールを女性と認識して倒れた時然り、動揺の余り抱えていた酒樽を落とした時然り。
その他にも彼の感情の機微がわかりやすいと感じる場面は何度かあった。
それに加え、クリスティーナ達は彼が嘘を吐いた場面に遭遇したことがない。
圧倒的に言葉足らずではあるものの、その口から紡がれる言葉は殆どが本心からの物であったように思うし、下手な誤魔化し方をする時は視線を逸らしたり言葉を途切れさせたりとわかりやすく言動に現れる。
普段はぶっきらぼうで他者へぞんざいな態度を取る癖に、恩を感じた場面では躊躇うことも照れることもなく感謝を伝える。
オリヴィエという青年がそういう青年であるという事をクリスティーナとリオは、長くはない付き合いの中でも察しつつあった。
「彼は何と言うか……愚直ね」
「概ね同じ評価ではありますが、もう少し言葉を選んで差し上げてもいいのでは?」
エリアスは三人の内ただ一人、オリヴィエがわかりやすい人間であるという周囲の評価に首を傾げる。
それを横目に捉えながら素直な評価を口にしたクリスティーナをリオがやんわりと窘めた。
「……ただ、あの方単独で見た際にいくら安全だとしても周囲を取り巻く環境までがそうであるとは言えません」
辛辣な言葉選びを喉の奥で笑ったリオは、気が済むと同時に笑みを隠す。
静かに細められた目は真剣な眼差しを帯びていた。
「お嬢様も気付いてはいらっしゃると思いますが、オリヴィエ様が属している組織は現状謎に包まれています。俺達が把握していることは盗難や危険物の取り扱いを率先している方々の集まりであるという事のみです」
「まあ、本人の意思に関係なく周りへ危険を振りまいてしまうケースなんてのはいくらでもあるしな。怪しいとこに関わってるってなら尚更だろ」
リオと、彼の見解に同意を示すエリアスの言葉は正しい。クリスティーナも同意見であった。
例えばオリヴィエが自身の意志に従って動いているつもりが実は利用されているだけであるという場合。彼が良からぬ団体に利用された結果、その影響がオリヴィエと関りを持つクリスティーナ達へ降り掛かるなんていう可能性も捨てることは出来ない。
つまりリオはオリヴィエ単体を警戒しているというよりも、ディオンが率いる組織全体を警戒しているのだと言いたいのだろう。
「まあ、お嬢様の交友関係にはなるべく口出しをしたくはありませんし、オリヴィエ様への警戒や観察は俺達に任せてくれれば大丈夫ですよ。まずいと感じた時はきちんと説明した上で対処しますから」
「……そう」
「リンドバーグ卿はまあ……あまり役に立たないかもしれませんが」
「おい!」
どちらかと言えばオリヴィエに近しい人間性を持っているはずのエリアスの鈍感さなどに目を付けたリオは大袈裟に肩を竦め、そこへすかさず抗議の声が飛ぶ。
それを聞き流しながら足を進めていたクリスティーナはふと、進行方向に見えた大きな建物を見つける。
建物群の間から顔を覗かせるそれは大きく豪奢な造りをしたホールのようだ。
それは遠目から見ても昨晩足を運んだホールとは別格の物であると悟る。
「あちらは……頂いた招待状に記されていた辺りですね」
「ってことは例の舞踏会の会場かぁ」
主人の視線の先に気付いてかリオが補足を入れ、エリアスが華やかな建物の外観に感嘆の息を漏らしながら呟く。
三人は昼下がりの街の中、足を止めて暫しそのホールを見やっていた。
オリヴィエはクリスティーナ達と別れた後、目立たないルートを選び、路地裏を滑空していた。比較的大きな通りへ繋がる手前でゆったりと着地をした。
それはニコラとして働いている店に面した道。
店へ戻るまであと僅かという所で、オリヴィエの後方から声がする。
「よっ」
低く落ち着いた声。それが聞き覚えのある物でありながらも、突然降り掛かったことからオリヴィエは驚いてしまい、反射で振り返る。
「いい加減、ちっとくらい人の気配に敏感になってくれてもいいのになぁ」
目を見開き、勢いよく振り返った相手の様子に笑いながらディオンはオリヴィエを見やる。
見覚えのある顔を確認したオリヴィエは深々と息を吐きながら苛立ちを滲ませた声を出す。
「物音を殆ど立てないような相手の接近に気付くような輩がそうほいほいいてたまるか。ボス達が逸出してるだけですよ」
「はははっ、まあ否定はしないけどなぁ!」
「……揶揄いに来ただけなら戻りますけど」
「そんな訳ないだろ。オレは忙しいんだ」
背を向け、離れようとするオリヴィエをディオンは引き留める。
足を止め、半身で振り返った彼へ近づくと、ディオンはその耳元で低く囁いた。
「学院の魔導師らが動き出してる。いい加減、悠長にしてられる時間はないぞ」
いつの間にかディオンの顔からは笑みが消え、真剣な面持ちとなる。
彼から漂う緊張感にオリヴィエは顔を顰め、ため息とともに眼鏡を押し上げる。
「本当に叶えたい事があるのなら、早く行動に出ることだ。取り返しがつかなくなる前にな」
囁かれる忠告。
それを聞き届けながら、オリヴィエは静かに目を細めた。




