第112話 開幕前
翌日夕刻。安価で質素なローブを三つ購入したクリスティーナ達はそれを身に纏って一軒の店を出る。
「やはりどの店にも置かれていませんでしたね」
一行は薄暗くなった街を宿とは別の方角――民間オークションの会場であるホールへ向かって歩いていく。
「んー……これ、ちょっと鬱陶しいな」
自身の顔を隠すフードの端を指で抓みながらエリアスが眉を下げる。
それを視界の端に留めながらリオは肩を竦めた。
「念の為ですよ。今から向かい先が秩序のない場所であればどんな因縁を付けられるかもわかりませんから」
「顔を覚えられない方が楽なのは今後の行動にも言えることでしょう」
「はい……」
簡易的とはいえ正体を隠す手段を用意しておくのは今後にも役立つかもしれない。
そんなクリスティーナの発言にエリアスは渋々頷いた。
三人は適当な店で夕食を摂りつつ、開場までの時間を潰した。
開場時刻と同時にクリスティーナ達はホールへと訪れた。
ホールへと踏み入れる者は一行の他にもまばらに見られ、それを確認しながら入り口前に立つスタッフに入場を促される。
参加者の代表名など基本的な情報を問われる書類には一番顔が割れにくいリオの名を使い、それ以上の本人確認が行われることもない。その後は入場料を支払うだけで実に簡単に入場を果たした。
元は劇を鑑賞する為の用途を想定して建てられたのかもしれない。ホールは観客席と広々としたステージの二つに大きく分けられる構造を取っていた。
数多い座席の全てが埋まることはないが、それでも観客席のどこを見ても客の姿を確認することが出来る程度の人数が確認できる。座席には平民貴族、老若男女を問わない客が腰を掛けていた。
「案外貴族っぽい身なりの人もいるんだな」
人が少なく、三人が固まって座ることができ、尚且つ通路に近い位置。
そこを一足先に確保したエリアスが内側の席に腰を掛けながら暢気な声を漏らす。
(何も考えていないように見えて、こういう仕事は出来るのよね)
見慣れない場の景色に興味を抱きながら忙しなく辺りを見回す騎士の隣へ座りながらクリスティーナは心の中で呟く。
更にその隣、通路に一番近い席へリオが座り、三人はオークションの開催を待った。
「まあ、俺達が知らされたオークションは主催者の認めた者でしか参加が出来ないものですから。参加者は貴族の中でもさらに絞られていると考えれば、招待状を得られない者はこういった場で目ぼしい品を探すのかもしれませんね」
「ほー、なるほどなぁ」
「それにしても、街の規模に対してオークションに出席する人数が多い気はするわね」
ニュイは決して広い街ではない。街を行き交う人々の数を鑑みても、土地相応の人工であると考えられるだろう。
となればオークションに出品される多額の金が詰まれるような物を求める裕福層の数も多くはないはずだ。
まず娯楽の為に金を費やせる者の母数が少ないこと、そこから更に珍しいアンティークや魔導具に興味を示し、オークションに出席したがる割合を考えれば、埋まっている席の数はクリスティーナにとって意外な数であったと言える。
また、身綺麗な平民や豪奢な服に身を包んだ貴族はまだしも、ややみすぼらしさを覚えるような、豊かな生活を送っているとは思えない身なりの者まで見つけることが出来た。
このオークションの入場料は決して高いわけではない。それこそ金銭に余裕のない平民であっても少しずつ貯金をしたり、節約や一定期間我慢を強いる生活をするだけで集められるような額だ。
だがそんな苦労をして集めた金も全てホールの中へ入る為の金銭として徴収される。その後開催される競りに参加するだけの額は残らないだろう。
そんな、何かを競り落とすだけの額を持っているとは思えないような身なりの者が少なからず見受けられたのがクリスティーナは特に気になった。
参加者やホール全体の様子を観察しながら、時に雑談を交えながら三人は各々時間を潰す。
競り自体の開始時刻が近づいた頃合い。刻々と近づく時間につられるように観客席へ進む客の数が多くなる。
その時、客の波に呑まれた幼い少女が席の通路で足を取られ、転倒する。
恐らくは親に連れられてやって来たのだろう。床に両手をついた少女は連れを探すように視線を彷徨わせるが、どうやら目的の人物の姿を見つけることは出来なかったようだ。
転倒から数秒の間を空けてから、その幼い顔は見る見るうちに歪み、大きな瞳から涙が溢れた。
「ママ……っ、ママァ!」
他の客は落ち着いた雰囲気の会場に不釣り合いな程わんわんと泣きじゃくる少女を避けるように通り過ぎ、自身の席の確保へと勤しむ。
泣き喚く少女の声は思いの外大きく、彼女の連れがその声に気付いて合流するのも時間の問題だろう。
しかし場違いにも騒ぎ立てる幼い姿には、周囲の席に座る客の冷たい視線が集まりつつある。中には舌打ちをする客もおり、その厳しい視線と態度が更に少女の恐怖心を煽る。
「向かいましょうか?」
ふと、親を探す少女の姿を見守っていたクリスティーナへとリオが声を掛ける。
泣き続ける少女が気に掛り、また周囲の人物の反応の品のなさが鼻についたこともあり、場の収拾を求めようとクリスティーナは頷きかける。
しかしそれよりも先に動く人影があった。
「どうされましたか、レディ」
靴の踵を小さく鳴らしながら、その人物は少女へと丁寧な仕草で片膝をつく。
それはシルクハットを被った男。金髪の髪を帽子の下に隠した彼は、ポケットからハンカチを取り出しながら少女へと差し出しながらその顔を覗き込んだのだった。