第108話 死者を騙る者
宿屋の女性、グレースと別れた一行はその日の晩のみを事前に予定していた宿泊先で過ごす。
翌日、宿のチェックインの為昼間にグレースの店を訪れると彼女はにこやかにクリスティーナ達を迎え入れる。
そして受付のカウンターに三人の名を書き入れると宿泊時の簡単な決まりごとの説明を始める。
その姿を眺めながらクリスティーナが思い出していたのは昨晩、自身の店を是非宿泊先にと三人を誘ったグレースの表情。
そこにあったのは誰かへ向けられた気遣いと――
(……罪悪感)
昨晩誘いを切り出したグレースの瞳の奥、何か後ろめたい感情が潜んでいることにクリスティーナは気付いていた。
その感情がどこへ向けられたものなのかはわからない。ただ、クリスティーナ達を誘うことが何かの罪滅ぼしやそれに準ずる意味合いを持っているのではないか、という推測をクリスティーナは持っていた。
「さて、こんな所かしら。何か質問はある?」
「いいえ。ありがとうございます」
グレースの問いにはリオが答える。
彼女から聞かされた説明はどれも別の宿泊施設でも聞くような一般的な注意事項ばかり。特筆すべき内容もない。
では後程夕刻に。と魔導具店散策へ戻ろうとクリスティーナが踵を返した時。
店のベルが鳴って、店内へとオリヴィエが姿を見せる。
店の準備の手伝いをしていたらしい彼は酒樽を抱えて屋内へと足を踏み入れたところでクリスティーナ達の姿を視界に留めた。
そして数秒呆けていた彼は両手をうっかり滑らせ、抱えていた酒樽をその爪先目掛けて落としたのであった。
***
「お前達は悪質な付き纏いか何かか?」
オリヴィエがクリスティーナ達へ、そんな言葉を投げたのは夜も更けた頃合い。魔導具店を見て回り、宿で夕食を摂った後のことであった。
二階の客室への案内をグレースから承ったオリヴィエはクリスティーナ達を客室前まで連れてから眼鏡を押し上げてため息を吐く。
「まさか。貴方を追いかけ回す程暇じゃないわ」
「人助けの先に貴方がいたのは偶然ですし、その後の流れはどちらかと言えばグレース様のお考えですよ」
「あの人か……」
クリスティーナのとげとげしい返答を気にした素振りは見せず聞き流しながらも、グレースの名前が出たところで彼は呆れたように目頭を押さえる。
暫しの沈黙。それ以上自ら語るつもりはないらしいオリヴィエへクリスティーナは声を掛ける。
「別に貴方にさほど興味がある訳ではないけれど。でもお互いの為にも、多少の事情くらい話してくれていいんじゃないかしら」
何もわからずオリヴィエではない別人として振る舞えと言われても腑に落ちないし、今後も暫くは毎日すれ違う程度の関係である以上オリヴィエが『ニコラ』として動きやすくある為にも事情説明を挟むという事は都合がいいことであるのではないかとクリスティーナは考えたのだ。
そんな指摘に、オリヴィエは悩む素振りを見せる。
そして暫くしてからその口を小さく開くが、そこで周囲を気に掛けるように視線が巡らされる。
恐らくはクリスティーナ達以外の存在が近くにあることを危惧したのだろう。
それに対してはリオが言葉を付け足した。
「近くには俺達以外誰も居なさそうですよ」
「そうか」
リオやエリアスが戦闘慣れしていることをオリヴィエは知っている。故にリオの言葉はすんなりと彼に受け入れられた。
「話す分には問題ない。他言しないのであれば」
一つ間が置かれる。クリスティーナ達は無言でオリヴィエを見据えていた。
明確な返答ではないが、三人の反応を他言の意思なしと判断したのだろう。彼は腕を組み、壁に背を預けると再び口を開いた。
「僕はこの街でいくつかの顔を持っている。事情は一つに絞り切れるわけではないが、オリヴィエという名がこの街で広がるのが好ましくないというのが大きな理由だ」
オリヴィエは視線を移す。一階へと向かう階段を黄緑の瞳で映しながら彼は話しを続けた。
「『ニコラ』というのは彼女ら夫婦の息子の名だ。けど僕は実際には『ニコラ』ではない。その名を借りて居座っているだけの偽物でしかない」
「……本人はどうしているの?」
やや踏み込んだ質問だっただろうか。クリスティーナがその考えに至ったのは疑問を口に出し、それを受けたオリヴィエが静かに睫毛を伏せたのを見てからであった。
「既に他界しているらしい。詳しい話は知らないが」
死者の名を借り、己を偽っているという事実。それを明らかにしたオリヴィエであったが、その瞳が罪悪に揺らぐことはない。
彼の中にはそうするだけの明確な理由と、己の目的を見失わないだけの芯の強さが在るようであった。
彼の告白は客観的に見れば理由がどうあれ否定されるような内容だろう。
しかし何故だか、クリスティーナは彼を批判する気にはなれなかった。
一切の揺らぎを持たない、真っ直ぐさを誇る彼の瞳には他者の批判を受ける覚悟も、決して褒められたものではない行いであると自覚して尚つらなければならない理由も存在しているのだとはっきりと告げていた。
「僕は家族というものがどれだけの重さを誇る言葉であるか知らない。だが、褒められた行いでないことくらいは理解している」
余計な口出しはするなと言うように、言葉による牽制が入る。
静かに目を細めたオリヴィエは、壁から背を離すと仕事へ戻るべく階段へと向かって歩き出す。
クリスティーナ達の脇をすり抜け、階段の手すりに手を掛けた彼はそこで振り返った。
「では、ごゆっくり」
そこにあったのは仏頂面の『オリヴィエ』としての姿ではなく『ニコラ』としての姿。
巧妙が故に、どこか無感情さを感じる柔らかな作り笑い。
オリヴィエそれを残し、今度こそクリスティーナ達の元から去っていった。




