第101話 静かに燃える野望
その日の夜、時間の許す限り魔導具の売り出されている店を歩き回ったクリスティーナ達は宿を取り、客室へ足を運ぶ。
オリヴィエの言葉通り、ニュイの北側では何軒かの宿屋を見つけることが出来た。
中には宿屋というよりも高級ホテルという方が正しいだろう建物もあった。金銭に余裕があるとはいえ出費をなるべく抑えたいクリスティーナ達は勿論一般的な宿屋を選んだわけであるが、宿を探す過程でそこを出入りする身なりの良い者の姿も散見された。
「やはり収穫はありませんでしたね」
「そう簡単に見つかるもんではないってことだよなぁ」
客室へ入り、クリスティーナはベッドの上、リオとエリアスは床の上にそれぞれが腰を下ろしたところで早速今日の成果の話になった。
とはいえ、それもリオとエリアスの一言ずつで片付けられる程実りのないものである。
魔導具を求めて立ち寄った店の者に問えば、耐久性を向上させる類のものは稀にに入荷することもあるが、決まった時期に入ってくる代物ではない為出会えるかどうかは運の要素が強いという事であった。
他の店ならあるいはと可能性を捨てきれない反面、あまり期待できないのも現実。となればオリヴィエから受け取った招待状をどうするかを含め、今後の行動方針は絞っておきたいところである。
しかしクリスティーナにはその話を始めるよりも先にしておきたいことがあった。
「相談したいことはあるけれど、それよりも先に済ませてしまいましょう」
クリスティーナはベッドの脇に寄るとエリアスを見た。
そして隣に座るよう布団を優しく叩く。
「来なさい」
「え?」
「治療でしょう。貴方骨折れてるんですよ」
察しの悪い騎士は何故隣に呼ばれているのかわからず、その解を求めるようにリオを見た。
助けを求められたリオは仕方なく呆れ混じりに解説をしてやる。そこで漸くエリアスは納得したようだった。
「あ! はい」
痛みを感じない訳ではないだろう。しかし戦慣れしているせいか、エリアスの痛覚に対する耐性は人一倍強いらしい。
とはいえ、第三者の目線から見ても無視できない怪我には変わりない。護衛としての仕事を全うする為にも早い内にエリアスを完治させておきたいところであった。
緊張しているらしいエリアスはあまりにも硬い動きでクリスティーナの隣に腰を掛ける。
そしてぎこちなく服を脱ぐと膝の上に手を置いた状態で制止した。
邪魔をしないようにという気遣いと、何がクリスティーナの琴線に触れるのか未だ把握しきれていない故の緊張によるものだろう。その様子は傍から見れば妙に滑稽だった。
「感覚は掴んだと思うのだけれど、まだ上手く使えなかったらごめんなさい」
「い、いえ!」
晒されたのは鍛え抜かれた上半身。日頃、服の上からではあまり目立たないが、彼の引き締まった体は今まで地道に積み重ねてきた鍛錬の成果をものにしていた。
そして皮膚を走るいくつもの生傷や、此度の戦闘で負った傷の処置として巻かれた包帯。
それはエリアスが今まで何度も体を張りながら己の使命を全うしてきたことを主張している。本人は自らの経歴をひけらかそうとはしないが、直接本人から聞かずとも、彼の歩んできた道が険しいものであったことを察するのは容易いことであった。
クリスティーナは包帯の上からエリアスの腹部に優しく手を添える。
筋肉の硬い感触が触れた手から伝わる。
(……大丈夫。魔法を使った時のことを思い出すのよ)
一度深呼吸をしてからクリスティーナは目を閉じた。
瞼の裏を過るのはエリアスを窮地から救った時のこと、そしてノアの前に飛び出し、『闇』を祓った時のこと。
魔力の流れをはっきりと意識する。体を循環して、指先から抜けていく感覚。
そして魔力を放出することで得られる効果。自分が何を求めているのかを明確にイメージする。
今回は『闇』を祓う為の魔法ではない。傷を癒す為の魔法だ。
傷が塞がり、折れた骨は修復され、健康な状態へと戻る。そんなイメージ。
魔法の発動に集中していると、クリスティーナは自身の体の内側から温かさが増し、エリアスに触れている箇所へと優しい温度が広がっていくのを感じる。
同時に聞き覚えのある声が頭の中へ響く。
――まだだ。
刹那、瞼の裏に浮かぶのは豪奢且つ広大な空間。視線の先の玉座に座するのはイニティウム皇国の皇帝だ。
皇国騎士としての立場を示す制服に身を包んだ『自分』と他数名の騎士は玉座の前に跪き、己の功績を評する皇帝の言葉に耳を傾ける。
実力が高く評価され、爵位を授与すると宣言される。
騎士にとって光栄なことであるはずの出来事。首を垂れる者達が喜びと誇らしさを顕わにする中、『自分』の心はやけに冷めていた。
――まだ足りない。これじゃあ意味がない。
『自分』は渇望する。
更なる評価と見返り、それを得る為に必要な能力。それを得た先にある絶対的な権力。
多くの騎士にとって目標であり最高位である立場を得ながら尚、自分の目標は達成されない。
腕の立つ騎士として戦い続けるだけではこれ以上成り上がることは出来ない。ならばどうすればそれに手が届くのか。
様々な思惑を『自分』の頭が過っていく。
跪いている騎士達が口を揃えて国の為に剣を振るうと誓う。
勿論『自分』もそれに倣う。
しかしその胸にあったのは国や皇帝への忠誠心ではなかった。
権力へ対する異常な程の執着と渇望。それは『自分』の胸の中で人知れず静かに燃え続けていた。
過る光景。聞こえる声。それらにクリスティーナが気を取られている間、彼女の体からは淡い光が溢れ出していた。
クリスティーナの全身を包むそれは、彼女の掌を伝ってエリアスの胴体にも伝わる。
そして触れられている箇所から広がるように、エリアスの体も温かな熱と光に包まれた。
優しい光はエリアスの緊張をゆっくりと解していく。その温かさに身を委ねれば、肩の力が抜け、膝の上で作られていた拳は緩み、強張っていた表情からも余計な力が消えていく。
緊張から解放されたエリアスは程なくして自分の身に起こる変化にも気付くことが出来た。
訴え続けていた体の鈍い痛みが徐々に引いていくのを感じる。
痛みはゆっくりと収束し、体が随分と軽くなる。
やがて抱えていた痛みが完全に鳴りを潜める。
それを合図に、二人を包んでいた光は緩やかに収束した。
「おお……」
「……調子はどうかしら」
目を丸くして肩を回すエリアス。
その様子を視界に捉えながらクリスティーナは容態を問う。
「全然痛くないです。すげぇ……」
「完治しているか定かでない状況で下手な衝撃を与えるのはいかがなものかと思うのですが」
「治ってたから! 痛くないから!」
負傷していた箇所を軽率に叩いて怪我の調子を確認するエリアスをリオが嗜める。
浅はかな思慮を蔑むような視線にエリアスは言い訳を返した。
(感覚がわかってきたのね。意図的に使えるようになってきている)
回復魔法を自分の意志で行使することが出来たことに、クリスティーナは安堵の息を吐く。
しかし同時に気に掛ったのは回復魔法を行使した際に過った映像だ。
(あの光景と声は恐らく――)
様子を窺うようにエリアスへ視線を移すクリスティーナ。
その気配に素早く気付いた相手は灰色の瞳で彼女を見つめ返した。
「何でもないわ」
「……? そうですか」
自分がどうかしたのかと問うように向けられた視線に、クリスティーナは首を横に振る。
クリスティーナの言葉を信じたエリアスはそれ以上主人の視線を気に掛ける様子もなく、脱いでいた服を着始める。
エリアスがクリスティーナに背を向ける。
晒されている肌、包帯の下からは深く広い切り傷の痕がはっきりと残っていた。
彼が持つ傷の中で間違いなく一番目を惹くそれは、あどけなさを残す若い青年が抱えるものにしてはあまりにも痛々しいものだ。
服を着る工程を見届けながら、クリスティーナは先の映像と初めて回復魔法を使った日に聞こえたエリアスの声を交互に思い返す。
日頃、情けない姿や浅慮な言動を見せる騎士。
彼の本質がそれだけではないことをクリスティーナは少しずつ悟り始めていた。




