紅葉
ある秋の日。
俺は休日に山の中を歩いていた。
といっても、目的は山登りではない。
それに、山というほど標高も高くなかった。
「お、いいところ見つけた」
景色のいいところで足を止め、バッグからカメラを取り出して写真に撮った。
俺は写真を撮るのが趣味で、休みの日にいろんなところに出かけては気に入った風景を撮影している。
「もう夕方か…そろそろ下りるかな」
独り言を言いながら、カメラをケースに閉まってバッグに入れた。
「…あれ?」
紅葉の葉が絨毯のように足元に散らばった地面が印象的に思えたが、その一角に違和感があった。
一本の木の根元に、自分と同じ年ぐらいの女性が座っていた。
俺は気になって歩み寄り、しゃがんで目線を同じにして声をかけた。
「こんなところで、どうしたんだ?」
「…嫌になって、逃げてきた…」
女性はそれだけ言って、立てた膝に顔をうずめた。
細々した話し方だったが、声ははっきりしていた。
「逃げ出したくなるほど嫌なことがあったのは仕方がないにしても、暗くなる前に山を下りたほうがいいぞ?夜になると何も見えなくなるからな」
「う…」
ふと見上げると、空は夕焼けで赤く染まり、周りはさっきより薄暗くなっていた。
「これ以上長居はだめだ。すぐ真っ暗になる」
俺が言うと、女性は渋々ながらも立ち上がり、一緒に山を下りた。
…女性のほうが俺より少しだけど、背が高かったのは余談だ。
山を下り、見慣れた町中に出て、もう帰ろうかと思った。
「ここまでこればもう大丈夫だ。それじゃ、気をつけて帰れよ?」
そう言って自分の家の方向に向けて歩き出したが、袖が軽く引っ張られた。
「…待って…一人に、しないで…」
俺の袖に触れる女性の手は少し震えていた。
普通は家まで送っていくのかもしれないが、女性の家を知らないし、そもそも俺は彼氏じゃない。
女性に彼氏がいて、この場面を見られたらと思うと寒気が走った。
「…彼氏は、いない…むしろ、無理だから…」
山にいたのは、思うところがあったんだろうな…。
「…お腹、空いた…何か、一緒に食べよ?」
片言(?)ながら、必死に頼んでくる感じがした。
この状態で、一人にしてはいけない感じがして、一緒に食事をすることにした。
「いいけど、その前に…」
俺は自分のバッグに入っていた財布の中を見て、青筋が走った。
普通はこんなことを、しかも女性の目の前でするべきではないのかもしれないが、後になって足りなくなったらと考えたら…。
「安いものでもいいなら…」
「…私、出すから、気にしないで…」
「さすがにそこまでは…」
「…私が、誘ったから…来て…」
女性に連れられ、一緒に歩いた。
二人で向かった先は、どこにでもありそうなファミレスだった。
「…私、出すから…好きなもの、頼んでいい…」
向かい合って座り、無表情で、必要最小限なことだけを言う。
「それじゃぁ…」
好きなものを頼んでいいと言われたものの、俺は自分の少ない持ち金で払っても、おつりが出る程度の値段のものを頼んだ。
出すとは言われたものの、やっぱり自分の食べた分は自分で出すことにした。
女性は俺が頼んだものより少し高めのものを選び、オーダーしたが、ここでふと思い出した。
「そういえば、お互いに名前知らないな?」
「…あ…私、長月 紅葉…高校1年…」
さっきまでより少しはっきりした声で名乗った。
「秋月 康太。俺も高1だ」
まさかと思い、通っている学校名を言うと・・・。
「…私、そこのA組…」
「一緒の学校だったんだな。俺はC組だ」
しばらくして、頼んだ料理が運ばれてきた。
旨そうな香りが鼻をくすぐる。
初めて来たこともあり、試しに一口食べてみた。
「!…美味い…」
お世辞抜きで本当に美味かった。
「…よかった。気に入ってもらえて…」
紅葉は言いながら、少し微笑んだ。
「冗談抜きで、本当に美味いな」
これだけ美味い料理を作るなんて、かなりの苦労と手間をかけただろうなと思う。
それでも、食べてもらう人のために手を抜かないどころか、全力を注いだ気持ちがこの料理から感じられた。
紅葉も自分が頼んだ料理を美味そうに食べていた。
ずっと紅葉に色々聞きたいことがあったが、今は聞くことではないと思って何も聞かずに食べ続けた。
「…何も、聞かないの?」
半分以上食べたころに、紅葉が顔を上げて聞いてきた。
「気になってはいたけど、美味いものを食べてるときに、余計なことはしないほうがいいと思ってな」
実際、食べ終わってからでもいいかと思っていた。
「…そう…でもそれなら…」
「言いたくないなら、無理に話さなくていい。「あまり言いたくない」って顔に出てるぞ?」
俺が言うと、紅葉は驚いた。
「…無表情なのに?」
「表情は顔に出てないけど、目が訴えてるぞ?「今だけでいいから、そっとしておいてほしい」って」
「う…」
“話を聞いてほしい。でも今は何も聞かずにそばにいてほしい”という気持ちが、紅葉の目から伝わってきた。
「学校が同じということもあるし、聞く機会はいくらでもあるから。俺はただ、その時を待つだけだ」
「…それなら…」
紅葉はいいながら、ポケットから携帯を出してきた。
「…番号、教えて…」
「わかった」
言いながら、俺も自分のポケットから携帯を出し、自分の番号を教えた。
紅葉は俺が教えた番号を自分の携帯から発信して番号を教えてきた。
お互いに教えた番号を登録して、料理を食べ終わり、しばらくして解散した。
(会計の時、紅葉は俺の分も出そうとしたが、それを止めて自分が頼んだ分は出した)
送ろうとしたが、紅葉の家はファミレスの隣にあったことで呆気に取られてしまった。
(ファミレスは紅葉の両親が経営していると後で聞いた)
翌日の月曜日。
俺はいつも通りに学校にいた。
紅葉のことが気になったけど、今は無暗に声をかけないほうがいいと思った。
校舎の奥のほうにある、誰も利用しそうにない階段に座りながら、どうしようかと考えていたところに・・・。
「…秋月君…」
いつの間にか目の前にいた。
「長月さん…」
「…紅葉でいい…」
俺のことも名前で呼んでもらうことにした。
「…隣、いい?」
「空いてるから、座ればいい」
俺が言うと、紅葉はゆっくりと座った。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
朝のHRまであと5分ぐらいだったが、何も喋らない二人の間だけ、時間が止まってる感じだった。
シーンとした空気は、不思議と落ち着かせた。
結局、何も喋らないまま、朝のHR開始を知らせるチャイムが鳴った。
「行くか…ん?」
俺は言って立ち上がり、教室に行こうとしたが、紅葉が俺の袖を軽く引っ張った。
「…お昼、屋上にいる…」
そう言って手を放して教室に行った。
「・・・・・・」
紅葉が何を言いたいのかは何となくわかったが、勘違いの可能性も否定できない。
少し慎重に動いたほうがよさそうだ。
1限目の授業が終わり、騒がしい教室の空気が苦手で、朝のHR前にいた階段に座った。
紅葉は今は隣にいない。何となく、紅葉がいるA組の教室を見てみたけど、教室のどこにも姿がなかった。
(どこかに隠れてるのか…静かなところが好きみたいだな)
自分も静かなところが好きだから、なんとなくだけどわかる気がした。
あっという間に昼休みになり、俺は購買でパンを買って屋上に向かった。
だが、どこを見ても誰もいなかった。
「あれ?…あ」
もしかしてまだ来てない?と思っていると、首の周りに何かがそっと触れた。
「…ありがと。来てくれて…」
後ろを見ると、紅葉は嬉しそうな顔でうっとりしていた。
俺の首には紅葉の両腕が巻き付いていたが、紅葉は首から腕を離し、俺の腕を軽くつかんで引っ張った。
「…あそこ、座ろ?」
そう言われて一緒にベンチに座り、紅葉は手に持ってた弁当を広げ、俺は買ったパンを袋から出した。
ファミレスで食事したときみたいに、お互いに黙々と食べていた。
「…久しぶりに人と話せて、嬉しい…」
半分ほど食べたところで、紅葉が話しかけてきた。
「…それに康太の隣、落ち着く…」
紅葉は片言で話すが、言いたいことは何となくわかった。
今になって、紅葉の隣は不思議と落ち着くことに気付いた。
「…こんな話し方しかできないから、教室ではボッチ…」
「おまけに、騒がしいのは苦手みたいだな?」
俺が聞くと、小さく頷いた。
自分も同じだから、紅葉の気持ちは何となくだけど、わかる気がする。
「国語の朗読とか、音楽で歌う時、困らないか?」
「…教科書に書いてあることをそのまま読めばいいだけだから、朗読は普通にできるし、歌も歌える…」
これを聞いて安心した。
「…でも、会話はこんな感じでしか、無理…」
何が紅葉をこんな性格にしたのかはわからないが、むしろ個性かもしれないと思った。
「…でも康太は、こうしてそばにいてくれる…」
言いながら、もたれかかってきた。
「ただそばにいるだけだぞ?」
「…それでも、嬉しいの…」
俺にできるのは、こうしてそばにいることだけ。
「…放課後、来てほしいところがあるの…」
どこだろうと気になったものの、聞かないほうがいいだろうと思って場所を聞かずにOKした。
危ないところに連れていくのではないことが、目を見て分かったからだ。
放課後。
紅葉に連れていかれた先は、カラオケボックスだった。
「…料金、康太の分も私が出すから…」
ついたとき、「…え?」と思わずにいられなかった。
案内された部屋に入り、紅葉は慣れたような手つきで歌う準備をして座った。
「…知ってほしい。私のもう一つの顔…」
言いながら曲を選び、スタートボタンを押した。
そして曲が流れたが、聞いた瞬間から俺は驚かずにいられなかった。
普段の話し方からはとても想像できないほどの激しい曲調で、大丈夫か?と思うほどだった。だが・・・。
「え!?」
紅葉は普段のことが嘘と思わせるように、普通に歌っている。
しかも高い声を出す部分も普通に出す上に、息切れもなかった。
曲が終わり、紅葉はマイクを置いた。
「…これが、私のもう一つの顔…」
紅葉はこの歌唱力を生かして、将来は歌手になりたいと思ったらしい。
だが、オーディションのとき、「歌は上手だが、普段とのギャップがありすぎる」と受け入れられなかったそうだ。
どの音楽事務所でも同じことを言われて嫌になってしまった。
「…それであの日、あの山にいた…そこで、康太に会った…」
そういうことだったのか…。
「…本当は、思いっ切り歌いたい。でも…」
普段の話し方から、敬遠されるということか…。
ここで、あることを思いついた。
それを紅葉に話したら、やってみようということになった。
数日後。
通っている学校で文化祭が開かれた。
体育館で参加者たちの特技を披露する催しが開かれ、手品や落語などを披露して、そのたびに拍手が起きた。
「さぁ!次は可愛い女の子の催しです。どうぞ!」
司会が言うと、紅葉が出てきた。
それを見た観客の一部がざわざわとなった。
「お名前と、披露する内容をお願いします」
「…1年A組、長月紅葉…歌います」
そう言ってマイクを手に取った。
『おいおい、あんな話し方で歌えるのか?』
『どうせ国語の時みたいに棒読みでしょ?』
なんて声が聞こえたが、紅葉は気にしてない感じだった。
そして曲が始まった。
『あ!この曲!最近話題になった!』
『ちょっと、こんな難しい曲、あの子に歌えるの!?』
と騒ぐ生徒がいた。
しかし・・・。
♪私は自分の殻に閉じこもってからずっと暗闇の中に一人だったわ
♪これからもずっとそうだと思って生きること以外諦めてたけど
♪そんな時に出会った彼が私の手を引いて連れ出したの
♪外に出て久しぶりに見上げた青空は本当に眩しかった
♪(生きることを諦めなくてよかった)
『この歌、元々引きこもってた人が歌詞を作ったんだっけ?』
『そうよ。そこに自分の経験も入れてるって何かで見たことあったわ』
♪私は殻を破り勇気を出して踏み出す新たな一歩を
♪次への二歩目は彼と一緒に踏み出したい
♪その一歩一歩は小さいけど私はそれを大事にするわ
『え…歌い方が、あの曲のまま!?…』
『…すごい…あの長い歌詞で息切れしないなんて…』
♪私の心は今も暗い闇から抜け出てないけどもう大丈夫よ
♪大切な人がいつもそばにいるから一人じゃないし怖くない
♪彼に名前を呼ばれるたびに私の心に光が射して暖かくなる
『まるで、自分のことを言ってるみたいだ…』
♪どんな困難も彼と一緒に乗り越えて見せる
♪手を取り合って乗り越えた先にある光を信じて
♪常に大切な人と共に前を向いて生きるわ
♪最愛の彼と二人で新たな世界へ向かって
『無表情なのは相変わらずだけど、必死な気持ちを感じるわ…』
歌い終わり、一瞬無音になったが、すぐに絶賛の声と拍手が体育館中に響き渡り、紅葉は驚いて固まった。
先日のカラオケで思いついたのは、今日の文化祭で歌ってみないか?と言ってみたことだった。
最初は渋ったが、歌手になれる道が開けるかもしれないと言ったら、しばらく考えた後にやってみようということになった。
「素敵な歌唱力をありがとうございました。今の気持ち、届けたい人はいますか?」
視界が聞くと、紅葉は頬を赤くして小さく頷いた。
「…C組の、秋月康太…」
みんな一瞬にして静まった。
「…オーディションを何度も落ちて、歌手を諦めかけた時に、彼に出会った…片言しか話せない私に、普通に話しかけてくれた…嬉しかった…」
紅葉・・・。
「…康太…これからも、隣にいてほしい…片言でしか話せない私でいいなら…」
「ほら、行って来いよ」
友人が俺の背中を押し、俺は導かれるようにステージに上がった。
「紅葉…よく頑張ったな」
俺は渡されたマイクを手に取って言うと、紅葉は歩み寄ってきた。
「歌手の道、目指すなら俺は応援するぜ?」
「…ありがと。でも…」
ここまで言って俯いた。
「紅葉の隣でずっとな」
これを聞いた紅葉は、驚いて顔を上げた。
「写真を撮ることしか、趣味がない俺でもよければ…だけどな…」
頭を掻きながら言うと、紅葉は抱き着いてきた。
「…バカ…でも嬉しい…」
紅葉が言うと、また体育館中に歓喜の声が響き渡った。
こうして俺に、片言しか話せないけど、歌がメチャ上手い彼女ができた。
数日後。
紅葉はあの文化祭で、ボッチから一気に学校でトップクラスの人気者になった。
ついにはファンクラブもできるほどで、急変した生活に紅葉は戸惑うばかりだった。
休み時間のたびに、紅葉のところに生徒たちが押し掛けるが、その紅葉の隣にいる俺はおまけ扱いみたいな感じだった。
紅葉のそばでずっと応援するといったものの、これなら俺がいなくても大丈夫かな?と思うのだった。
放課後にカラオケに誘われることもよくあったが、紅葉が「康太が一緒じゃないと行かない」と言って俺も連れて行かされる羽目になるのだった・・・。
カラオケでは紅葉の番になると、ファンな生徒たちが踊りだして、俺は苦笑するしかなかった。
カラオケからの帰り。二人で誰もいない公園により、ベンチに座った。
「…康太…」
しばらくはお互いに何も言わなかったが、紅葉が声をかけてきた。
「ん?」
「…あの歌の通りに、私は康太と…ずっと一緒に、前を向きたい…」
紅葉・・・・・・。
「…私は…康太が…好き…」
そう言って、自分の唇を俺の頬に当ててきた。
「…将来…お嫁さんに、なりたい…」
そこまで考えてたとは…。
紅葉の想いの強さを改めて知った瞬間だった。
ならば俺も、腹をくくるべきだと思った。
「俺はこれからも…ずっとそばで、紅葉を支えるから…」
「…うん…」
数年後、夢を叶えた紅葉はデビューしてよくテレビに出るようになった。
その紅葉の夫になった俺は、マネージャーとして一緒にいる。
「今日は新曲の披露だな」
「…うん…康太が作った歌詞、私にピッタリ…」
話し方は相変わらずだが、これを聞いて安心した。
「さぁ、出番だぞ?」
「…うん。行ってくる…」
そう言ってステージに向かおうとしたが、急に振り返って・・・。
「…大好き…」
そう言って自分の唇を俺の唇に押し当ててきた。
「俺もだ」
ステージに向かう紅葉の背中にそっと声をかけた。
ステージの真ん中で照明の光と歓声を浴びながら歌う紅葉は、誰よりも輝いて見えた。
ある歌を聴いてこの小説を思いつきました。
作品中の歌詞は、元になった歌の歌詞を自分なりにアレンジしたものです。