始まりの物語
その者は清く澄んだ心を持っていた。
深淵を覗く知恵を持っていた。
神器の顕現たる技を持っていた。
ただ、力を持ち合わせなかった。
その者、その心により無慈悲なる王に押しつぶされる無辜の民を救いたいと願った。
その者、その知恵を分け、民は己の手で道を切り開く術を知った。
その者、その技をふるい、民は己が手が増えたように錯覚した。
民はその者に深く感謝した。
その心は行動となって表れた。1人の民がその者に仕えたのだ。
周りもまたそれに倣った。
その者、民によって生活を支えられるようになった。
その功でできた時間で、その者は救いの手をさらに伸ばすことができた。
広がりゆく幸福、王はそれを許さなかった。
その者が与え、民が感謝し、返す。
それはまるで国のようではないかと怒った。
自分の国を、自分のものを、その者に奪われたと怒った。
王は怒りのままにその者を殺せと命じた。自分から奪う者など消え去れと。
王は怒りのままに民を殺せと命じた。自分に仕えぬものなど消え去れと。
軍はすぐにその者たちの住む所にやってきた。
王の命の元、手当たり次第に、目につくものから、余すことなく全て殺した。
民はその者に縋った。助けてくれと、守ってくれと、あなたならできると。
その者はそれに答えようとした。
己が心の叫びに答え、己が知識の深きを探り、己が技の粋を以て。
しかし、救えなかった。
その者はこの世に比類なき心があった、知恵があった、技があった。
ただ、力がなかった。
力なき者に守れる正義などなかった。守れる愛などなかった。
その者は深く嘆いた。自分に助けを求めた亡骸を見て、自分が救えなかった生命を見て。
ああ、今までの人生は何だったかと。
ああ、自分は何のためにいるのだと。
皆が逃げまどい、助けを求め、そして殺される中で、
自分のことで精いっぱいの中で、その者でさえ周りが見えなくなったときに
その者の嘆きを聞く青年がいた。その青年はその者に初めて仕えた者だった。
青年は知っていた。その者が決して万能ではないことを。
だから青年はその者に仕えたのだ。その者の足りない所を、及ばない所を自分が少しでも埋められたらと願って。
青年は感じていた。その者の持つ底知れぬエネルギーを。
確かにその者に力は無いのかもしれない。だが、誰かがその者のエネルギーを引き出せたなら。
誰かがその者の剣となれたなら、彼の敵を打ち滅ぼしその者の願いの先に行けると。
だが、誰かは青年ではなかった。名もなき民の一人たる青年は決して剣にはなれなかった。
だから青年はせめて盾であろうとした。いや、青年は紛れもない盾であった。
悲しみに暮れるその者は気づけなかった。自分のことを今まさに亡き者にしようとしてる魔手に。
その者がそれに気づいたのは死んだ後だった。自分の事を最も慕い、仕え、尽くしてくれた者が死んだ後だった。
その者は深く悲しんだ。その清く美しい心は当たり前に傷ついた。
その者は前を向いた。その深く聡明な思考は自分がすべきことを示し続けた。
その者は術を編んだ。その繊細で壮大な技は己が願いの発露だった。
それは必然か、偶然か。
その者の術は自身の持て余すエネルギーを力に変えるための術だった。
力なき者が失い、それでも救いたいと願い発動した術、故の必然。
その方法に選ばれたのは青年だった。
自身に仕えるものに自分のエネルギーを流し込み、力に変える、故の偶然。
その青年はよみがえったのか、あるいは全く新しいものなのか。
その者が流し込むエネルギーに答え、青年は力をふるう。
青年は剣になった。
その力は絶大だった。暴虐の限りを尽くさんとした軍は青年を前になす術がなかった。
青年が踏みしめる台地は割れ、青年が振るう腕は竜巻を呼んだ。
軍は退いた。
残されたのは、数多の屍と傷ついた人々。
周囲には悲しみが満ちていた。
それでも前を向き、進むしかないのだとその者は知っていた。
それが死んでいった人々の望みだと、それが生きていく人々の使命だと。
その者は国を作った。
それは平和な国だ。それは幸せな国だ。
心に優れ、知に優れ、技に優れ、そして力に優れた偉大なる王の治める国だ。
偉大なる王の名は、その者の名は、、、、、
「お嬢様、お時間です。」
メイドの呼びかけに私の意識は引き戻された。
「ありがとう、ラナ」
感謝の言葉を口にしつつ私は本を閉じる。
これはこの国の創設の物語。今この本を読み返そうと思ったのは、きっと自分の道を確かめたかったのだろう。
この最も偉大で、そしてとても愚かな王の物語を読んで私の王道を確認したかったのだ。
扉が開かれ、私は前に歩き出す。
王城の広間には、これから王となるかもしれない貴族達が集まっている。長い廊下を歩きながら私は考える。
皆次の王になるために野心を燃やしている。私も王を目指す中の1人だ。
ただその立場は他の人達と大きく違う。私は貴族じゃない。
本来ならこの王選の戦いに参加する資格を持たない平民だ。
それでも王になることを譲る気はない。
私は広間に足を踏み入れる。
「本当に来たのね、ステラ」
候補者の1人であるフィル·ウンディーネが話しかけてくる。
だがそれは決して親しみからではないことを私は知っている。
彼女の言葉の内にはこちらを嘲る意図が透けて見える。
他の候補者もそうだ、私が広間に入ってから絶えず侮蔑の瞳を投げかけてくる人もいる。
だけど私はそんなものには負けない。
この程度のことで折れてしまうような軟弱な覚悟でここに来た訳じゃない。
「はい、フィル。この国の王に最も相応しのは私ですから」
広間がざわつく。目の前のフィルが憎しげに私を睨んでくる。
「あまり大きな口を叩くものじゃない、平民の分際でこの場に居ることもおこがましいとなぜ気づかない。」
候補者の1人からそんな声が上がる。
皆が貴族としての誇りを持っている。
そして私は場違いの平民。
私はヒールだ、この場で最も疎まれているのが私だ。
他の誰に負けても私だけには負けたくない、みんなきっとそう思ってる。
そんな私がこんなことを言えば火に油を注ぐことになるのは分かってる。
殺気を帯びてこちらを睨む者までいる。
上等じゃないか、仲良しこよしをしにここまで来た訳では無い、王になりに来たのだ。
私が覚悟を新たにした時、壇上に賢人会と呼ばれる人達が登るのが見えた。
賢人会、それは家柄や地位に関わらず能力のみを見て、国家運営に適すると判断された人物達が集められた組織だ。
その成り立ち故、通常国を運営する国王をトップとした貴族派閥から独立し、国家のブレーキの役割を担っている。
また、王が死んだ時に貴族派閥も解体されるため、次王選出までの国家運営と王選の管理も行う。
少なくとも今この瞬間は国家の最高責任者の一団であるため、貴族連中も礼は失せないのだろう。
彼らの存在を見るやこちらの事など忘れたように関心を賢人会へ向けた。
この場にいる全員の注目を集めたことを確認し賢人会の1人が話始める。
「さて、まずは皆様お集まり頂きありがとうございます。皆様がご存知の通り、先日国王ゴストロ·ランドール様が崩御なされました。つきましては我らがメドリナ王国のしきたりにより次王選出の儀を行うこととなります。ここにいる三十二人の方々はその候補者にございます。」
賢人会の人と目が合った。他の候補者も数人こっちを見てるのが分かる。
候補者に私が入ってることが気に入らないのだろう。
私は背筋をピンと張って真っ直ぐに立つ。
決して誰にも恥じることのないように。
賢人会の人が少し頷いて話を続ける。
「王選の方法もしきたりに従い、候補者の方々一人一人がそれぞれ選んだ従者を戦わせるトーナメント方式となります。初戦は一月後の五月十五日。皆様のご健闘をお祈りいたします。」
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王城を後にし、私たちは自分たちの家に戻ってきていた。部屋に戻るなりメイドのラナから諌言が飛ぶ。
「お嬢様、あまり他の候補者たちを刺激するようなことは言わない方がよろしいかと。」
彼女は私の僕ではあるが、私がものごころつく前から私の世話をしており、母親代わりの様な存在でもある。そのためこういったことを言ってくるのは珍しくない。
「いいの。私はカタストロ家の人間。決して誰かに屈したりしない。それよりラナ、召喚の準備は整っているの?」
「申し訳ございません。道具の手配に手間取っており、もうしばらくお待ちください。」
「そう、できるだけ急いで。」
「かしこまりました。」
ラナの返事を聞き届け私は椅子に深く腰を下ろすとじっと目を閉じた。暗いまぶたの裏で過去を振り返る。1番昔からゆっくりと、そして現在までたどり着き私は目を開ける。過去の全てを血肉と変えて私は前に進む。望む未来ははるか遠く、しかしたどり着くための1歩を今、ようやく踏むことが出来たのだ。こんなところでつまづいてはいられない。私は何としてもこの戦いで勝ち残らなければならない。
私が私であるために。