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第十章 宝の在処といびつな暗号


 

  

   

   


「彼方……彼方……」

「ん……?」

 ボソボソと耳元で低い声が聞こえて、彼方は重い瞼をゆっくりと開いた。

「彼方」

「――っ!」

 とたん、青白い顔がヌッと目に飛び込んできた。

「ぎゃああ!」

 心拍数が最大限まで跳ね上がり、自分でも驚くほどの絶叫が口から飛び出す。青白い顔の主は、実に心外そうに彼方を睨んだ。

「――ぎゃあってなんだ」

 その目元にはうっすらとクマが浮いていて、どことなくやつれている。この顔を見慣れた彼方でさえ、一瞬幽霊かと見紛うほどだ。

「び、びっくりした……」

 ドキドキが収まらないまま、彼方は縁側との境にある障子に目をやった。部屋の中には白々と日が差し込み、外からは雀の鳴き声が聞こえる。枕元に置かれた時計の針は朝の五時をさしていた。まだ起きるには早い。

「ど、どうした、涼。……こ、こんなに朝早く」

「なに動揺してるんだ」

 生気を感じないお前が怖かったんだよ。とは言えない。

 美しい雪女に惑わされて凍らされた男の気持ちがよくわかる。人々がうらやむ美貌も時と場合によっては恐怖の対象だ。

「いや、悪かった。なんでもないから……」

 友人を化け物扱いしてしまった後ろめたさが、彼方の表情を硬くする。涼は怪訝そうに件の暗号文を取り出した。

「暗号が解けたぞ」

「え?」

 サラリと言われて唖然としていると、涼は覚書と一緒に暗号文を彼方の手の上に置いた。

 まるで、褒めてほしがっているようだ。

「ほ、本当か? 本当に解けたのか?」

「宝の在処もわかった」

「ええええ!」

 さすがの彼方も目をむいてしまった。

「宝の在処がわかった? どこだよ?」

「それは賀上にも説明するから、後で言う」

「そ、そうか。そうだよな」

 というか、もしや涼は徹夜してこの謎を解いていたのか。

「ひょっとして、寝てないのか?」

「覚書に手間取って、ついな」

「ついじゃないよ! お前、寝不足は大敵だろ!」

「説教の前に言うことがあるだろう」

「え……ああ」

 彼方は渡された暗号文と覚書に目を落とした。

「す、凄いな! まさか本当に宝の在処がわかるなんて……」

 促されるまま褒めると、涼は一回うなずいて布団の上に倒れた。

「涼」

 数秒も立たないうちに穏やかな寝息が聞こえてくる。どうやら限界だったらしい。

「お前……」

 答えをお預けにしたまま寝るのはないだろうとは思うが、さすがに起こすのは忍びない。彼方は呆れながら涼の布団を掛けなおした。

 満足そうな寝顔に、なぜかおかしさが込み上げてくる。寝てる彼方を叩き起こしてまでも暗号解読の報告がしたかったとは、意外と子供っぽいところがあるではないか。

 彼方は目尻を下げて盛り上がった布団をポンポンと叩いた。

「本当によく頑張ったな。お疲れさん。お前は本当に凄い奴だよ」

 心からの呟きだったが、涼は目を覚まさなかった。



 名探偵がようやく覚醒したのは、賀上が二人を起こしにきてくれたときだった。あれから三時間ほどしか経っていないので、ちゃんと眠れたのか心配したが、涼はいつになく元気だった。暗号解読の成果のおかげでアドレナリンが出ているのかもしれない。

 甘酸っぱくて食感の良い千枚漬けをおかずに朝食をすませ、涼はさっそく暗号文と京都の地図を食卓に広げた。

 宝の在処がわかったと聞いて、賀上だけでなく浩一や京香、辰子までもが茶の間に集まっている。宝探しが子供の遊びだと思っていても、やはり先祖代々のお宝の在処は気になるらしい。

「さて、本題だが……」

「えらくもったいぶりよったな、早く早く!」

 賀上はソワソワと涼を促す。いよいよ宝が隠された場所がわかるのだ、気が逸るのもわかる。

 皆の視線を一身に集めて、涼は暗号の一文目を指さした。

「『鬼が来て 結解破りし暴れ龍 天に昇りて雄風睨む』これは、先に解読していたように天龍寺から南東のことだ」

 涼は地図上の天龍寺に丸を付けた。

「そして、二文目『三尊の阿弥陀が見つめし大日如来 仁王を超える』これも仁和寺から南東」

 地図上に赤い丸印が増えていく。

「そして、四文目……」

 涼は三文目を飛ばして四文目を指さした。

「『朱の回廊登りし狐 守りなき日本国臨み 龍の来訪を待つ』だが、これは伏見稲荷の千本鳥居から北西を見るという意味。そして、最後の『龍の来訪を待つ』の部分だが、俺はこれを天龍寺のことだと思っている」

「天龍寺?」

 意外な説が出てきた。

「じゃあ、なんだ? 千本鳥居から北西を見るって天龍寺を見ろって意味だったのか?」

「まぁ、簡単に言えばそうだな。天龍寺は伏見稲荷のちょうど北西だろ」

 涼は言いながら伏見稲荷に丸を付け、天龍寺と一本の線でつないだ。

「おお。確かに天龍寺の南東。伏見稲荷の北西や」

「で、三文目は?」

 まったく触れられてない三文目が気になり彼方が問うと、涼は宇治の平等院に丸をつけた。

「三文目は『極楽舞し四羽の神鳥 水天下りて二羽の使いを阿弥陀に放つ』だが、これは四文目の解読に習えばすぐに解ける。まず『極楽舞いし四羽の神鳥』この部分に該当するのは平等院鳳凰堂のこと。最初の文言が平等院鳳凰堂を指すとわかれば、あとは簡単だ。『水天下りて二羽の使いを阿弥陀に放つ』これは雨が降って水面に映った鳳凰が阿弥陀に放たれるという意味。俺がこの三文目を一番最後に回したのは確信が欲しかったからだ。平等院には阿弥陀如来像がある。それを指しているのなら、俺の推理は振り出しに戻る。だが、伏見稲荷の四文目と合わせて考えれば自信が持てる」

 涼は地図の平等院と仁和寺を一本の線で結んだ。

「二羽の神鳥が放たれた場所は阿弥陀如来像がある仁和寺で間違いない」

「……」

 地図には天龍寺と伏見稲荷、平等院と仁和寺が繋ぐ線で見事な×が付いていた。

「この四カ所がクロスする場所……」

 涼の赤ペンがクロスを指した。

「宝は、東寺にある」

「東寺……?」

 皆、しばらく声が出せなかった。二つの線がキレイに東寺上を通過している。

 あまりに見事なクロスに、涼の導き出した答えは疑いのないもののように思えたが、賀上はまだ懐疑的だ。

「ほ、ほんまに東寺にあるんか? あそことうちのご先祖様になんの関係があんねん」

「……そ、そうやね。東寺いうても広いし、いったいどこにあんの?」

 もっともなことを口にする賀上に京香も同調する。

「ひょっとして、それが最後の五文目に隠されとるんか?」

「……いいや」

 涼は賀上家の面々を見つめて、ゆっくりと首を横に振った。

「残念だが、宝探しはここで終わりだ」

「――えっ」

 この場にいた全員が驚いた。ここからが肝心だというのに終わり? 涼は何を言っているのだ。

「宝探しが終わりってどういうこっちゃ。東寺のどこかにあるんやろ?」

 賀上に掴みかかられて、涼はすっと覚書を食卓の上に置いた。

「ここに、宝の在処が書いてある」

「え? 読めたんか?」

「いいや、ほとんど読めない。だが、あることさえわかればいいんだ」

 涼は『覚書』をめくって説明を続けた。

「二代目賀上伝左衛門が、徳川家から茶碗を拝領したのは寛永二十一年……一六四四年。ちょうどその頃、二代目は東寺の五重塔の再建に携わっている」

 涼が『覚書』の文字をなぞるが、彼方たちには読めない。かろうじて東寺と五重塔という文字が理解できたくらいだ。

「東寺の歴史を調べてみたが、五重塔の再建は徳川家光の寄進だ。たぶん、その仕事の褒美で茶碗を拝領したんだろう」

「……」

「そして、暗号を書いたとされる七代目賀上伝左衛門の最後の仕事が、東寺の南大門の移築だ。明治二十八年、三十三間堂の西門を東寺の南大門に移築している」

 涼がめくったのは一番最後の頁だ。文字もだいぶ近代的で読みやすくなっている。そして、その仕事を最後に記述はなくなっていた。

「俺はこう思ってる。先祖代々続いた家業を廃業するにあたり、七代目はけじめをつけたかったんじゃないだろうか。東寺の仕事で拝領した賀上家の誇りを東寺にお返しする。これ以上ないほどのけじめのつけ方だ」

「え? そ、それやったら涼ちゃん……宝は?」

「東寺の南大門の下に眠ってるんだろうな。まさか、重要文化財の下を掘り返すわけにはいかないだろ? だから、宝探しはここで終わりだ」

「な、なんやてぇぇぇぇ! ありえへーん!」

 賀上は頭を抱えて吠えた。

「ようやく、ここまで来たのにー!」

「しょうがないだろう。それとも夜中に東寺に忍び込んで門の下を掘るか? 俺は手錠をはめられるのはごめんだぞ」

「あかん、立ち直れへん。ご先祖様もいけずや! もっと子孫が豊かになること考えてくれんと! 宝が見つかったら売ったろう思うてたのにー!」

「――先輩、俗物的ですね」

 まさか、先祖代々の宝を売るつもりだったとは。彼方ならバチが当たりそうでできない。

「いや、冗談や。冗談やけどな! くそー なんやねん!」

「冗談とは思えない悔しがりようですけど」

 賀上を見る彼方の目が冷えていく。ここまではっきりと売り払うと言い切られては、力を貸したのがバカらしくなってくる。

「ま、まぁ、大和。落ち着きや。はしたない」

 賀上家の当代として、宝の所有権が一番にあるのは浩一だが、あまりにも息子が取り乱しているので、逆に冷静になったようだ。

「残念やけど、これぞ職人やわ。頑固で融通がきかへん。……東寺にお返しするなんて、一本気すぎるわな。こんな完璧なけじめをつけられたら、家業を継がんかった俺らはなんも言えへん」

 朗らかに笑う浩一の顔に不満は一つもなかった。彼は宝の在処がわかっただけでもいいという。彼方も謎が解けたので、なんとなくすっきりしていた。今後、東寺に赴くときは南大門が一億の札束に見えてしまうかもしれないが、それはそれだ。

「――ちょ、ちょお、待て。一件落着の雰囲気になっとるけど、おかしいやないか。暗号は五文目まであるんやで? これが東寺の南大門を指しとるっちゅうんか? 俺にはそうは思えへんけど」

「……それだ」

 諦めの悪い賀上が食い下がると、涼が突如不敵に目を光らせた。その爛々とした眼光に、一同は慄く。

「え? どないしたんや、涼ちゃん。めっちゃ悪人面しとるやん。怖いで」

「失礼な」

 涼は我に返ったのか、一つ咳払いをした。

「俺が本当に解きたかったのは、この五文目だ。これを解くためには、どうしても他の四文を解く必要があった」

「え?」

 彼方は賀上と顔を見合わせた。

「どういうことだ?」

「この五文目をよく見てみろ」

 涼は紙を掲げて一同に見せた。

「この暗号だけ文字が濃い。おまけに文も他と比べて毛色がちがう『初鳴きの鈴虫違えし朱の門 落陽背負いし祖 我が科睨む』この文だけ、自分という人間が出てくるんだ」

「えーと、つまりどういうこっちゃ」

「……まだわからないのか?」

「わからんから聞いとるんや。わかったら、わざわざお前を巻き込んでへん!」

 なぜか偉そうに言い切る賀上に、涼はため息をついた。

「五文目の文字は色が一定に濃くて、文字の滲んだ部分に黒い点ができてるだろ」

「お? おう」

 言われてみれば、そうだ。他の暗号と比べて五文目は明らかに使われた墨が他と違うように見える。

「これは、墨汁の典型的な特徴だ。他は固形墨で書かれているが、この五文目だけ墨汁で書かれているんだ」

「そ、それが?」

 キョトンとする賀上に、涼は意外な言葉を口にした。

「いいか。墨汁が発明されて初めて世に出たのが明治三十一年。暗号が書かれたのは明治三十年。この五文目だけは少なくとも明治三十一年以降、誰かが書き足したものなんだ」

「ええ?」

「当時の墨汁はすぐ固まって文字自体も劣化が激しかったらしいが、この文字はキレイなまま残されている。ということは、少なくとも明治三十一年よりもっと時代を経てる可能性がある」

「――っ!」

 京香は驚きのあまり口を押えた。彼方も賀上も絶句して穴があくほど暗号を凝視する。

「字面は七代目賀上伝左衛門に似せてはいるが、これは明らかに別人の文字だ。俺は、最初から、この五文目が気になってしかたがなかった。いったいこれはなんなんだ。明治期に隠された宝の在処を示した暗号なのに、近代に誰かが文を付け足している。あまりにもいびつすぎるだろう」

「……なら、お前が宝探しに協力してくれたんは、お宝そのものが目当てじゃなかったっちゅうんか?」

「宝には始めから興味がなかったが、他の文を解かなければ五文目も解けないと思った。でなきゃ、わざわざこの暗号文に書き足されてる意味がないだろ」

「――……」

 畳みかける涼の推理に、彼方はすっかりのまれていた。広隆寺近くの喫茶店で暗号文を初めて見たとき、涼の反応がおかしかったのはこれだったのか。

「喫茶店でスマホを見てたのは、墨汁の歴史を調べてたのか?」

「暗号が書かれた時期に墨汁があったのかどうか知りたかったんだ」

「……驚いた」

 誰かが暗号文に後から新たな暗号を付け足した? なんだそれは。ぞくぞくする。宝目当てで自分たちが一文目、二文目だと頭をひねっている間に、涼は一人三歩先のことを考えていた。その事実だけで脱帽だ。

 人はあまりにも感動すると鳥肌が立つというが、今その意味がようやくわかった。感情のキャパを超えると体に表れるのだ。

「ほんと、尊敬するよ」

 それだけ言うのが精一杯だった。

 涼は素早く目を瞬く。あまりにも率直な言葉に戸惑っているようだ。宝の在処を導き出したときは、自分から褒められたがっていたのに、不意打ちの賛辞に弱いとは。

「この暗号を解かなきゃ東京に帰れないよな、涼」 

 いつになく声に力が入る彼方に、涼はぎこちなく頷いた。

 思えば、彼方がここまで強く暗号に興味を持ったのは初めてかもしれない。それほど、この謎は興味深かった。

「涼は五文目についてなにか見当はついてるのか?」

「ああ。昨日、お前が源氏物語の鈴虫について話してくれただろ? それで、ピンときたことがある」

「最初の文言『初鳴きの鈴虫違えし朱の門』は、二千円札が発行された年を示してるんじゃないかと思うんだ」

「二千円札?」

 意外なものが出てきた。二千円札は発行されるにはされたが、ほとんど世の中に出回っていないお札だ。

「なんで二千円札なんだ?」

「――彼方君、見たことない? 二千円札の絵柄には源氏物語の鈴虫の一節が書かれとるんよ」

 京香が近くの茶箪笥から封筒を取りだした。

「発行された年に記念に数枚購入したもんやけど……」

 そう言って京香は一枚の二千円札を裏にして食卓の上に置いた。左側には直衣を纏った男性二人の絵と文字が描かれている。右側には十二単を纏った女性の絵だ。

「このデザインの左側は『鈴虫の巻』の絵と枕詞だ。文字は詞書の上だけが書かれているから文としては読めない。右側は『紫式部日記絵巻』からとった紫式部の絵。そして表面は……」

 涼が二千円札をひっくり返すと、立派な楼門が描かれていた。

「沖縄の守礼門だ」

「守礼門……知ってるよ。首里城の大手門だよな。……確か赤いんだ」

「そうだ」

 彼方が言うと、涼は肯定した。

「つまり『初鳴きの鈴虫違えし朱の門』は、ほぼ二千円札の発行開始日だと考えて間違いない」

「初鳴きってそういう意味か……。でも違えるって?」

「……それはまだ、解読中だ」

「そうか……」

 涼にしてはなんだか歯切れが悪く感じながらも、彼方はスマホで二千円札の発行開始日を調べた。

「平成十二年七月十九日……。――えっ、ちょっと待てよ」

 彼方は軽く驚いた。

「平成十二年七月十九日っていったら……俺の生年月日だよ」

「――っ」

 その場にいた全員がわずかに顔を歪めた。驚いているというより、不思議がっている表情だ。

「そうか……俺、二千円札と同じ誕生日なのか」

 偶然の一致だと彼方が言ったときだった。いきなりバンッと誰かが食卓を叩いた。辰子が頬を紅潮させて一同を睨んでいる。

「さっきからくだらん話ばかりや。ご先祖様のお宝が東寺にあるやて? そんなわけないやろ。二千円札の話にしてもアホらしいこっちゃ。こんな話やめややめ!」

 辰子は食卓の上にあった暗号文を取り上げ、乱暴にエプロンのポケットに押し込んでしまった。

「子供のお遊びや思うて放っといたけどな。もう、アホなマネはさせへんで大和。――彼方、あんたもさっさと東京にいんでまい」

「お母はん! 急になんちゅうことを言うんや!」

 突然怒り出した辰子の剣幕と暴言に驚いた浩一が母を叱る。

「彼方かてお母はんの孫やろ、もう少し言い方を考えたりや」

「やかましいわ、ええ大人が朝からしょうもないもんに付き合わされて。あんたら恥ずかしないんか? 浩一、京香さん。さっさと店へ出る支度せんと開店に間にあわへんで」

 辰子は暗号文を奪ったまま、さっさと茶の間から出て行ってしまった。

「お母はん!」

 浩一も京香も戸惑いながら辰子の後を追う。彼方はなぜ急に辰子が怒り出したのかわからず、ただ呆然と大人たちが消えた障子を見ていることしかできなかった。



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