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悪役令嬢の婚約者【完全版】  作者: 水琴窟
結.それぞれ
7/8

1.

 


 悪魔事件からひと月後。

 魔法学園は大半の生徒が実家に帰るなど余儀なくされており、当初に比べ人の出入りも落ち着いてきた為、広大な敷地の至るところで閑古鳥が鳴いていた。莫大な資金を注ぎ込んで設立され、年々新たな設備投資が行われていたので今の状況はまさに宝の持ち腐れである。

 そんな愚かな人間達の騒動を、我関せずといつも通り咲き誇る多彩な薔薇の花。しかしこの日、奥庭は久しぶりに賑やかな人気を出迎えていた。


「グ、グレン、やっぱり…」

「ここまで来ておいて今更帰さないよ?ていうかどこに行くつもり?どちらにしろ君がいるべき場所は誰の隣か、もう決まってるよね?じゃあ同じことじゃない」

「でも…」


 薔薇の垣根の向こうから、小さくそんな会話が聞こえてきた途端に数名が椅子から立ち上がった。そしてその瞬間を待ち構えること数秒。


「ほら、おいでシルビア」


 現れた赤に突進した。正しくは、その隣にいる人物に。


「シルビアさん大丈夫ですか?また何か無茶されていませんか?僕思うんですけどもっとご自分を大切にされた方が良いと思います。魔力売っちゃダメですよ?あれは危険だと思います。あれなんで御髪短いんですか?切っちゃったんですか?グレンさんシルビアさんは腰まで長いって言ってたのに。まさか売ったんですか?献血ほどではないですけど髪も魔力が溜まる部位だって研究発表出てましたけどまさか売ったんですか?今すぐ取り返しに行きましょう?」

「ノアがノンブレスで喋ってるの初めて見たっすけど同感っす!ええええええマジで髪の毛短ぁっ!?ダメっすよ髪は女の子の命っすよ!?命大事!!粗末ダメ絶対!!いや似合ってるっすけど!!長いの見てみたかったっす!!っていうかめっちゃ可愛いいいいい!?えっマジでそこらへんのモデルよりイケてるっすよモデルやってみないっすか!?メイクもコーディネートもオレするっすよ!!」

「うっせぇよコハク途中から目的すり替わってんぞ!!オメーのピカピカ頭のせいでグレンのヨメ見えねぇだろうが!!」

「お前、も、うるさい。…これ、悪縁断つお守り。持ってると、良い」


 カオス。

 通夜だったりホラーだったりと、雅なはずの奥庭は案外忙しい。


「あはは、みんな見事に予想通りの反応」

「まったく、騒がしい奴らだ…」


 何故か心配され、何故か褒められ、何故か友好的な眼差しを受け、お守りを渡されて目を白黒させているシルビアを満足気に眺めながら、シオンはちょいちょいとグレンを手招きした。


「やぁグレン、予想よりずっと早かったのは流石としか言いようがないけど、それなりに時間がかかったのはやっぱりシルビア嬢が手強かった?」

「どちらかというと義父さん達が大変だったな」

「え?公爵はグレンとのこと賛成派だったんじゃないの?」

「そっちの大変じゃない。本当に昔から、の部分をやたら強調してるのが気になるけど、とにかく昔からシルビアの幸せな花嫁姿を見るのが夢だったらしい。それで、予め彼女を貰うって宣言してから離れたのに、いざ現実になったら涙腺崩壊どころじゃなくてね。宥めるのが大変だった」

「あぁ、なるほど」

「あと、屋敷の者達や領民か。連日連夜、感謝感激雨あられのお祭り騒ぎで全然離してくれなくてな…いいかげんキレるかと思った」


 そうは言うが、語る真紅と金のオッドアイは見たこともないほど穏やかで、シオンとロクは密かに目を合わせた。心境は、やれやれ、である。


「みんな、そろそろ落ち着いたら?彼女びっくりしてるよ」


 悪魔事件の過程でシオンが王太子であると全員が知ることになったが、公式の場ではともかく、彼らが態度を変えることはなかった。本人が友人としてそう望み、彼らもまたそう望んだためである。


「シルビア嬢、久しぶりだね。ほら、そんな風に畏まらないで。ここではただの友人だよ」

「……そう仰るのでしたら」


 謎の特攻をかけられていたシルビアは漸くシオンの存在に気づいた。慌てて礼式に則って頭を下げたが、困ったように苦笑されては無碍にできない。なにせ幼い頃は、一時期とはいえ婚約関係にあった。その頃からの数少ない親しい仲である。次に、面識のなかった四人を順々に紹介された。


「僕はノア・ユグドラシルと申します」

「君には教えるけど、この子は世界樹に選ばれた神子なんだ。で、俺の伴侶」

「シオン√だったんだ…」

「え?」

「いえなんでも。その、ご婚約されたと聞いてましたが、想像以上に可愛いくて驚きました」

「えっ…ぼ、僕はシルビアさんの方が可愛いと思いますよ?」

「えっ」

「え?」

「シルビア嬢、あんまり驚かないね?」

「…驚いてますよ?ですが、シオン様が選ばれたということは、お二人同士の気持ちも周囲のことも既に問題がないということですよね?それでしたら、私は祝福するのみです」


 まさか前世のことを白状するわけにもいかない。模範解答を述べたシルビアだったが、グレンと顔見知りのシオン、ロクは勘が鋭いので内心ではヒヤヒヤしていた。現に真意を見抜こうとする眼差しが向けられている。慌てて話題を切り替えた。


「それよりグレン、この子達に何かした…?」

「何かって?」

「だってなんか…フィルターかかってるような」


 会わせたい友人達がいる、とグレンから告げられたのは数日前のことだ。よくよく聞いてみれば、なんとRainbow knightの錚々たるメンバーと世界樹に選ばれし神子。つまりヒロイン♂だ。

 怖気付いたのは、やはり前世のゲームの知識があったからであり、実際にこの悪役顔が及ぼす影響を理解しているからである。

『シルビア』は攻略対象キャラとヒロインを事あるごとにに貶めようとするゲス令嬢キャラ。自分は違うとはいえ、仕組まれた予定調和のように、いわゆるゲーム補正の力が働く可能性も危惧していた。グレンと晴れて結ばれたからと言って、他のメンバーに会うことに不安がないわけではなかった。

 ところが、初対面のはずなのに身内のように懐かれ、この顔を見ても誰も怖がらないし嫌悪しない。いっそ異常事態と言っても良かった。


「良い機会だ。シルビアは自分が最初から嫌われて当然みたいな慣れの思考やめた方が良い」

「そうだよ、シルビア嬢。なにせこれからもっと懐かれる予定だから。尤も最初は説教だろうけど?」

「はい?」


 グレンに続いて、シオンからにこにこと不穏なことを言われたシルビアは、何はともあれここから逃げるべきだったのかもしれない。


「三獣士のことは上手いこと丸め込んでグレンにもバレてなかったのかもしれないし、俺もやっと最近知ったんだけどね?父上が教えてくれたんだけどね?まず王太子の俺を暗殺しようとした隣国の派閥とほぼタイマン張ったって何かな?」


 がっちゃん。シルビアのために紅茶を淹れようとしたノアの手からポットが滑り落ちた。魔法によって火傷をすることは免れたが、その魔法を指先で行使したシオンは凍った空気をガン無視して語り続ける。


「ノアのように転入生を装って学園内に侵入しようとしたらしいね?ジュパン家の情報網が凄いのは知ってるけど、父上腰抜かしてひっくり返ったんだって?そりゃそうだよね、王宮のお庭番衆が気付いた時にはシルビア嬢も公爵も相打ち覚悟のクライマックスだったらしいもんね。三獣士がギリギリのところで守ってたらしいけどさ、それ聞いた時なにそれ?って思ったよ?その気持ちわかる?なんで王宮に助け求めないの?俺のことなのに?ねぇ?」

「あ、あの、シオンさま」

「ジュパン家はさ、『悪を打ち払い暗黒を照らす赤き守護神』のレグルス家と並んで『光を支え闇を闇で以て制す影の守護神』なのはわかってるよ?今や本来の通り名を知るのは一部しかいないのに忠誠を尽くす姿は王臣の鑑だ、俺達がどんなに大切にしようとしても君も公爵も誇り高い。でもひとつ言っておく、いずれ俺が玉座に座った暁にはもうそんな無謀なことさせるつもりないから」

「シ、シオンさま、それはちょっと違っ」


 シルビアは二重に慌てていた。ひとつはグレンと別れた後、知られたら説教確実とわかっていながら、いたいけな少年達にちょっかいを出そうとした有象無象を内緒でコテンパンにしてきたことをバラされたことだ。

 そしてもうひとつは、シオンが何やら壮大な勘違いをしていることに驚愕し焦っていた。ぶっちゃけ『光を支え闇を闇で以て制す影の守護神』なんて通り名は知らない。たった今初めて知った。たぶん父も知らない。

 自分の行動はそんな崇高なものではない。世界が破滅して自分も巻き込まれるのが嫌だから、何よりグレンが好きだから、グレンを取り巻く彼らの憂いをなくそうと躍起になっていただけだ。なのに。


「どっかのエセ宗教団体が、ノアが世界樹と繋がりがあるって知って自己中な理論並べ立てて生贄にしようとしたんだってね?白魔術だっけ?しかも下手に魔術力高くて二人とも怪我したんだって?対抗しようとして君ったら魔力暴走させて枯渇しそうになったんだって?王宮ウチの筆頭医師が泣いてたよ?」


 ノアが瞳からハイライトを消した。


「セイジの能力を僻んだどっかの武家のご子息が市井で暴れて、その濡れ衣をセイジに被せようって罠を仕掛けたんだって?止めようとするのは良いけど、なんで丸腰で現場に殴り込みに行くの?確かにその顔面効果は高いかもしれないけど、下手したら逆ギレされて危ないってわからない?まぁ危ないってわかっててもやっちゃうのが君達親子なんだけど、実際に逆ギレされてやっぱり怪我したらしいね?頭の悪い奴に真正面からぶつかる癖どうにかならない?」


 セイジの剽軽な空気が凍った。


「頭の悪い奴らって言ったら、トキを悪質な魔女だって決めつけて時代錯誤な魔女狩りなんてやろうとした大馬鹿連中もいたらしいね?コハクが孤児だったってことを暴いて、当時家族みたいに暮らしてた人達を人質に芸能界から引き摺り下ろそうとした連中も、ロクが研究開発した新薬を悪質に利用して儲けてロクを犯人に仕立てようとした連中も、大から小まで俺達をコケにしようとした奴ら全部、君と公爵がその顔フル活用して阻止したんだって父上から聞いたんだけど何か言い訳はあるかい?」


 無理無茶無謀はしないって約束したんじゃなかったの?

 トキとコハクとロクの表情筋が死滅した。見事に全滅だった。シオンはにこにこ笑っているにも関わらず目は笑っていなかった。


「シルビア」


 ぽん、と優しく肩を叩かれたシルビアは、ホラー現象にでも遭ったかのようにビクリと肩を跳ねた。振り返るのが、とても怖い。


「説教」

「………………………………………………ハイ」


 ーー今日の目的はやっとお披露目されたシルビアの歓迎会と婚約祝いだったはずなのだが、お祝いモード全開であった彼らの心の安寧はまたしてもごっそり削り取られてしまった。

 暴かれた悪の所業()は世間的には褒められることだと彼らも理解しているし、感謝こそすれ行動全てを否定するわけではないが、どうしようもなく湧き上がる怒りと切なさを内包した説教モードに移行した原因は間違いなくシルビアにあった。むしろシルビア以外の原因が何ひとつなかった。


「顔はともかくよ、なんであそこまで意味不明な噂が流れるんだ?」

「ん?」

「あー、なんだったか…人の心や感情に欠けるだの、病的な潔癖性だの、不格好や不細工なモンは嫌うだの?さっき俺ら騒ぎまくってた時も、すぐそばの萎れかけた花見て、大事そうに摘んで今も持ってるぜ?」

「ふん、そのことか…」


 セイジが首を捻りながら見ているのは木の下で、そこに正座をさせられたシルビアが五人がかりで懇々と説教されている。一部は泣き落としにかかっていた。白と黄である。但し、ご丁寧にピクニックシートらしきものが敷かれているあたり、とんでもなく大切にされているのは丸わかりだ。

 その疑問に答えたのはロクだ。説教に参加していないのは別に容赦をしたわけではなく、時間差で説教する気満々である。セイジは単純に「説教とかガラじゃねぇ」だけだ。


「彼女が世間一般的な令嬢と好みが違うことはグレンも話しただろう。例えば宝石だが、ごく普通に綺麗で美しいと彼女も感じる。だが、執着はしない。彼女が最も惹かれるのは、朝露であり、雨上がりの滴が輝く蜘蛛の巣であり、道端の名もなき花であり、誰かが懸命に働いて流す汗だ。どれか好きなものをあげよう、といくら宝石を並べても『私はこれよりもっと美しいものを知っているので要りません』と断る」

「あー…つまりそれを拡大湾曲解釈された、と」

「彼女もまだ幼かったからな、言い回しが率直すぎた。だがそれ以上に、貴族の多くは彼女の感覚を説明したところで理解出来ないだろう。こんなに美しい宝石に見向きもしないなど有り得ない、この宝石ですら美しくないとは美的感覚が病んでいる、とんでもない潔癖性だ…とな」

「なるへそ」


 セイジは庶民出身なので貴族の感覚がわからない。とりあえず、シルビアの噂が何もかも現実と乖離していることだけは理解を深めた。


「でも、こっちもよくわかんねぇな。グレンと顔見知りのお前とかならともかく、なんで俺らンことまでリスク犯してまで守ろうとしてくれたんだ?会ったこともねぇのに」

「そのグレンと浅からぬ関係者だからではないか?確かにどこで知ったのかはわからんが…三獣士からの情報かもしれん。それに元来、根がどうしようもなくお人好しなのだ。見ていて危なっかしい上に、歯痒いと思ったことも両手では到底足りん」

「そーそ、おひぃさんったら無鉄砲だかんね〜。おバカじゃないのになんでかなーっつって俺らもいつも話してんだけどさ〜、なーんか『ずっと昔』が関係してるらしいってことしかわっかんないんだよな〜」

「なんだよ、ずっと昔って」

「それがわかったら苦労しないって〜」

「ふん、曖昧な情報だな」


 セイジとロクは顔を見合わせた。もうひとつの声は誰だ?と振り返ると、気配も音もなく飄々とそこに立つ誰かが「よ!」と親しげにニィと笑った。


「どーもどーもお邪魔してるぜ〜!おひぃさんも坊ちゃんも今日はココいるって聞いたから来てみたら、なんか面白いことになってんじゃん?なになに?また保護者増えた?ウケる〜」

「…貴様は」

「アンタが宰相のムスコ?新薬無事で良かったな〜、あれ阻止出来なかったら今頃この国、廃人だらけで終わってんぜ?」

「にぃちゃん…?」


 その時、向こうから唖然とした声が聞こえた。ロクが振り返ると、黄金色の瞳が驚愕からみるみるうちに喜色に変わった。


「よぅコハク、おっきくなったなぁ〜。なんだよ、背とか俺よりデカくなりやがってコンニャロ」

「にぃちゃん!にぃちゃん無事だったんすね!久しぶりっす!どこにいたんすか!?」


 一同の目には大きなゴールデンレトリバーがじゃれついているように見えた。それくらいコハクの喜び様は凄かったが、突然この場に現れた男は誰だと首を傾げるのは当然である。その答えは、奇跡的に説教から解放されたシルビアの一言で明らかになった。


「蛇さん。どうしたんですか?」

「ヤッホーおひぃさん。別にどうってことはないんだけどね〜、坊ちゃんに頼まれた残党狩りも大方済んだし、通りすがりにちょっと様子見だけって思ったら懐かしいのいるからさ〜、うっかり出てきちまったわ」

「お前、コハクのいた孤児院の出だったのか」

「そーなの、偶然ってやつ?調べたんだろうけど、流石に坊ちゃんも全部はわかんなかったかな〜、なにせ俺らもコハクと一緒に暮らしてたことチョー頑張って隠してたし?だってせっかく華々しい未来が待ってんのに俺らのことは汚点じゃん?」

「そんなことないっす!!」


 コハクが孤児院の出であり、そこで共に暮らしていた「家族」を探していたこともグレン達は知っていた。

 真実は、大切な弟分のコハクの人生の汚点にならないよう三獣士が徹底的にコハクとの関係を隠蔽しており、その後はシルビアの領地で世話になることが決まったことに便乗して孤児院の存在そのものを消す様に動いていた。

 その意思を尊重し、シルビアもクロードもグレンにさえ黙っていた。だからコハクは「家族」に連絡を取ろうにも出来ず、何かあったのではないかと心配していたのだ。


「オレがどうしてスカウト受けて芸能界入りしたと思ってるんすか!!皆でひもじくなくて、幸せに暮らしたいから、だからお金を稼ごうと思って一度別れる決意したのに!!頑張るから待っててって言ったじゃないっすか!!」

「そっかそっか、ゴメンな〜コハク。俺らだってオマエのこと大事だよ、でもさ、俺らのことは忘れて欲しいとも思ってたわけね?でも予想以上にイケメンになってっからうっかり出てきちまったわ〜俺も弟離れできてね〜な〜」

「会いたかったっす……!」

「おーおー泣き虫に戻っちまったじゃん」


 まさに感動の再会というやつだ。つまり、先ほど暴露された中にあった、コハクを貶めるために人質にされそうになった「家族」とは三獣士のことでもあったらしい。


「ウチの大切な領民に手を出そうとしたのですから、私と父が守るべきです。当たり前のことです」

「キリッて尤もらしく言っちゃってるけどさ〜、チビたち誘拐しようとした犯人と遭遇して食ってかかって一緒に誘拐されてちゃイイワケになんないよ?マジでアレは肝が冷えたかんね?俺も鴉も狐もガチギレして犯人半殺しにしちゃったじゃん」


 当時を思い出したのか、蛇の目は暗殺者のそれだった。新たに暴露された真相にコハクとノアは仲良く白目を剥き、残るメンバーは思わず力んだせいで米神に青筋が立った。


「ひゃあ…っ!?」


 グレンが流れるような動きでシルビアの膝裏を浚い、その身体を抱え上げた。いわゆる姫抱きであったが、かつてこれほどまでにロマンの欠片も感じさせない姫抱きがあっただろうか。片や顔面蒼白の姫、片や仏の如き微笑を口元に貼り付けながらも目には微笑ましくない眼光を爛々と光らせている王子。誰もが察していた。あ、これ姫抱きじゃねぇわ、連行だわ。


「やっぱり離れるべきではなかったかな?ねぇシルビア、そんなに寂しかった?ごめんね?お詫びに俺/僕が責任持って今からたっぷり可愛がってあげる」

「」


 さ、おいで。

 慈愛()に満ち溢れた笑みが、永久凍土一歩手前のシルビアに眼前数センチから襲い掛かった。


 間。


「アレで話してる内容が説教だって知らなかったら、いかにもイチャラブな二人の世界なんすけどね…」

「いや、二人の世界なのは変わんねぇだろ…」

「声が二重に聞こえたの気のせいっすかね…おいで、っていっそ甘さを孕んでたのが怖いっす」

「気のせいじゃねぇだろ…グレン二人がかりで説教とか俺なら耐えられねぇわ、あの人すげぇな」


 シルビアは再び木漏れ日が踊る木の下に逆戻りになり、キスでもしそうなゼロ距離でグレンに懇々と説教をされている。白目を剥いて現実逃避しようにも、麗しき恋人の顔面効果により許されていない現在。


「もうね、彼女は地面に根っこ生えるくらい説教されれば良いと思うよ。それか結婚式なんて待たないで毎晩抱き潰してくれないかな。そうしたら動けないよね?それとも脚の腱切る?」

「貴様はさらっと物騒なことを言うな。……言いたいことはわかるが」

「僕もう、あの人から目を離して眠るのが怖いんですが…」

「同意」


 今度は説教に加わらず、離れて静観しているのには理由があった。「彼に聞きたいことがあるんだ」とシオンがさり気なく集めたためである。


「で?王太子サマは俺に何が聞きてーの?」

「うん。あのグレンが、どうしてあそこまでシルビア嬢に執着するようになったのか、ずっと見ていたならきっかけを知ってるかと思ってね」

「アンタらがそれを知る必要性は?」

「あるよ。今日、グレンがこの場で彼女を俺達に会わせたのが答えだ。それなら俺達はそれを知っておく必要がある。世界を破滅させないためにも」


 更に物騒な言葉に他のメンバーはギョッとした。

 世界の破滅。それは事あるごとに冗談混じりで言ってきた同じ言葉だったが、響きが全く異なった。証拠に、シオンの眼差しは恐ろしく真剣だ。


「アタマの良い奴ってのは苦労人だね〜。ま、良いよ話しても。元から隠すつもりもなかったし、確かにアンタらは知っておいた方が良いかもとは思ってたし」

「どういうことっすか?」

「ん〜、コハク達があの二人と縁が出来たから?とりあえず今は質問に答えんね」


 飄々と軽い調子だが、蛇も真面目に語り始めた。


 話はグレンがジュパン家で暮らし始めて四年目のこと。シルビアに対する劣情込みの恋情を自覚した後の出来事だ。

 それは、事情を知らない他人から見れば何をそんなに騒ぐことがあると軽く流されるような出来事で、しかしグレンにはそうではなかったのだろうと蛇は推測している。


「北の領地って、南よか上流に近いっしょ?だから川がそれなりにあるのね?その治水が難しいからなかなか誰も領主やりたがらなかった歴史があるらしいんだけど、それは置いといて。領地の子供達がさ、遊びで小さな吊橋作ったりしてんの。大人からちゃんと習ったのか、手慣れたもんで割と頑丈なんだけどさ、そもそも消耗品じゃん?おひぃさん渡ろうとしたんだけどさ、壊れて落ちそうになったわけよ」


 落ちたところで、あくまで遊びで作った吊橋なので一メートルもない高さだった。だが、打ちどころが悪ければ怪我はする。

 一緒にいたグレンは咄嗟に手を伸ばした。反射神経は良く、その頃には背丈はシルビアを僅かに追い越し体格も順調に成長を見せていた。魔法を使うまでもなく、グレンはきちんとシルビアを支えることが出来た。出来たのだ。


「なのに、おひぃさんさ、身体捻って坊ちゃんの手から逃げたの。たぶん、巻き込んで一緒に落ちない様にって咄嗟に考えたんだろうね。坊ちゃんを信頼してるしてないとかじゃなくて、本当に単純に、坊ちゃんの無事しか考えてなかったんでしょ」


 案の定、浅い小川に落ちてずぶ濡れになったシルビアは、何故か逃げられて驚き心配するグレンに対し開口一番に言った。「それよりグレンは大丈夫?」と。


「それよりってなんだ、って。たまたま見ていた俺ですら思ったんだから、坊ちゃんは余計だったんじゃない?…たぶんさ、この時だと俺は思ってるぜ」


 蛇はこの時、グレンの真紅と金のオッドアイがーー心が、絶望に染まったと思った。


「まず間違いなく禁句だった。そんで引き金だった。それより、なんてさ、おひぃさんだけは言っちゃいけなかったよ。だって、坊ちゃんにとっておひぃさんより優先しなきゃいけないことなんてない。親を同じような状況で亡くして、その孤独を癒した人を好きになって、でもその人がその人を大切にしない。しかも自分を守るために。正しくあれは絶望だったと思うよ、俺は」


 蛇は確かに聞いた。

 愕然とした顔で、濡れるのも構わずシルビアのそばに来て、しゃがんで、膝に顔を埋めて。


 俺/僕をおいていくなーー二つの重なる声を。


「あんまり坊ちゃんが悲壮すぎたからさ、おひぃさんも流石に慌てて謝ってたけど、あれ絶対意味わかってなかったよなー。『グレン・レグルス』にとって『シルビア・ジュパン』より優先すべきことはない。わかってないよ、おひぃさんはさ、十全に。自分を軽視はしてない、自己犠牲じゃないって言うけど周りの俺らから見たらそうは見えないよね。どこかで自分を諦めてる。それも無自覚無意識に。それが坊ちゃんも俺らも怖い。アンタらも。違う?」


 誰も否定しない。沈黙だけが肯定だ。


「大切なものがある日突然、自分の手から零れ落ちて永遠に失う恐怖と虚無を坊ちゃんは知ってる。心が麻痺したまま突っ走ってたならまだしも、一度癒されちまったなら次こそはもう耐えられない。それを自分でわかってるから坊ちゃんは、ああまで完璧に強さを求めたんだと思うよ」


 シルビアに何かあれば、グレンは必ず世界を破壊して自分も死ぬだろう。


「だからアンタらは…いや、俺らは、何がなんでもおひぃさん守んなきゃいけないわけね。どう?解答はお気に召した?」

「十分だよ」


 元盗賊と王太子の横で、ガタリと一斉に立った。


「シルビアさんシルビアさん、僕、今日お会いできると聞いてクッキー焼いたんです。この紅茶と合いますから是非食べて下さい。世界平和のために。甘いものお好きだと聞きました、それなら毎日一緒にお菓子作りましょう?お菓子作っていれば無謀する暇なんてないですよね?世界平和のためにそうしましょう?」

「え?え??」

「ノアのクッキーは美味しいっすよ!そういえば、グレンより三つ年上なんすよね?どう呼べば良いっすか?シルビアねえさん?姐さん?そうだオレファッション詳しいんで可愛く見えるコーディネートしてあげられるっすよ!世界平和のためにプチファッションショーやろうっす!」

「コハク君名案です、お菓子も一緒に作りましょう世界平和のために」

「じゃあノアも一緒にコーディネートしてあげるっすね世界平和のために!」

「よぉしトキちょっくら鍛錬に付き合え世界平和のために!俺だってグレンに負けてねぇんだからな!」

「うるさい。命令、するな。…世界平和、のため。付き合ってやる」


 二手に別れた。ノアとコハクはシルビアを全力で構い倒し、セイジとトキは自分の能力値を上げることにしたらしい。心はひとつだった。


 この人、俺/僕たちがなんとか守らないと世界がヤバいーーーー!!


「ふふふ、もう良いのかい?」

「良くはない。が、飴と鞭の使い分けは大事だろう」

「ねぇ、グレンはさ、一体いつから俺達のことそんなに見込んでたの?」

「なんのことだ」


 渾身のロングラン説教を中断し、特攻した二人に場を譲ったグレンの溜飲はまだ下がっていないのだろうが。その行動が、少なくとも自分達のことは信頼しているように見えてシオンは静かに感動していた。

 出逢った当初、既に孤高の帝王と言うべき風格を醸し出す一方で、何もかも自分一人でやってしまおうとする姿勢は一種の危うさを感じさせた。友人、仲間、そんなものは一切必要ないとばかりに、何か大きな決意を背負っているような後ろ姿。その背負っている何かが気になったのが、シオンがグレンに個人的興味を抱くきっかけだった。


「悪魔事件はちょっとイレギュラーだったとしても、いずれこうなるように目論んでいたんだろう?有力な俺達が全面的にシルビア嬢の味方になって、守護するように動くように。だからあの時、彼女のことを話して、こうして会わせている。違うかい?」


 グレンは涼しい顔をしているが、蛇はニマニマと笑っている。そういうことか、とロクは大きく溜息をついた。


「ふん…なるほどな、貴様の目論見は見事に成功したわけだ。俺やシオンはともかく、四人とも見事に洗脳されている」

「正しい情報と事実を話しただけだが?」

「だから貴様は恐ろしい男なのだ」


 フィルターと言えばフィルターなのだろう。グレンがこれでもかとシルビアを語り尽くしたことで、心のHP値やSAN値に大打撃を負った四人は悪役顔に対する色眼鏡をかけるどころではなくなった。庇護欲はMaxを振り切っている。


「まぁ良いじゃない、確かにグレンはあくまで正しいことしか言っていないし、俺や王家としても願ったりだしね。ーー俺はね、Rainbow knightをこのまま俗称で済ませるつもりはないよ」

「どういうことだ」

「願望だよ」


 願望、とは言うが、王太子である以前に実力として、また性格としてもシオンが有言実行の男であることをグレンもロクも知っている。


「この学園はまず間違いなく廃校になる。だから、このままこの敷地を有効活用しようと思ってね。俺は自分でもびっくりするくらい、お前達のことを気に入ってるんだ。このまま卒業してバラバラになるなんてもったいない。科学、魔術、軍事、政治、経済、文化…それぞれ特性を持った俺達が集まれば面白いこと、今まで出来なかったことも出来る。これまでなかなか表に出てこられなかった優秀な人材を集めて、ここを拠点とした国家機関にする。俺達はそれを統率する『虹の騎士』だ」

「貴様…まさか勲章にするつもりか」

「わかりやすい称号は必要だよ。ロクだってわかってるだろう?もちろんふざけてもいない。父上もお前達の能力や功績を買ってるから賛成してくれた。国として有力な人材を束ねておきたいという意味も勿論あるけど」

「まどろっこしい。本音を言え」

「ねぇグレン」


 明るい雰囲気。瞳。だが、決して冗談ではないとわかる口調でシオンは告げる。


「名は決して万能ではないね。時にそれは諸刃の剣だ。大切なものを傷つけるかもしれない。俺も怖いよ。王太子の肩書きも名も、ノアを絶対的に守るものではない。だから俺にはお前達が必要だ」


 悪魔事件の時に、そのことをまざまざと思い知った。決して一人ではどうにも出来なかった。仲間がいたから乗り越えられた。

 喧嘩もあった。衝突もした。他人と関わるということは気楽ではない。どうしたって煩わしい部分がある。

 だが、素顔でぶつかって時に仮面も被って、そうして繋がった縁が確かにお互いを守った。


「そして、同じようにグレンにも俺達を必要として欲しい。嫌なら利用って言い方にしても良い。要はなんでも良いんだ。大事なのは、俺達が揃い踏みならそれぞれの大切なものを守れるっていうことだから。だから、そんな万が一の保険なんかじゃなくて、シルビア嬢を守るために明確な形で俺達のこと利用したら良いよ。王宮勤めの打診は蹴ったけど、こういう格好ならどうだい?」


 建前も大義名分も堂々と振りかざせば良い。『虹の騎士』の結束が、赤き騎士の愛する伴侶をも守る盾と矛になるだろう。


「気に入らないな」


 組んでいた腕と足を解き、立ち上がったグレンは冷ややかに見下ろす。


「いつ、万が一の保険だと言った?そんな曖昧なものに縋るとでも思っているのか」


 懐からひとつの魔法石を放るなり、グレンはシルビアの元へ戻って行った。それを見送った二人の目の前に、魔法石から画面が展開される。紙の書類であれば百枚は超えるであろう某大な草案だった。


「…流石はグレン。いつもこっちの想像の一歩二歩先を行くね」

「既に同じようなことを考えていた、ということかこれは」

「つまり今のって、貴重なデレだったのかな?もっとよく見ておけばよかったなぁ」


 そこには、今しがたシオンが語った構想をより具体的な計画として練られた内容が記されていた。どこまでも完璧な男だ。余計な気を回さなくても、既に自分達はグレンの未来図の構成要素として描かれているらしい。


「それはなんだ。肖像画か?いつの間に描いたのだ」

「俺じゃないよ」

「だが、それはここの風景ではないのか?」


 気分の良くなったシオンが眺めているのは、一枚の絵だ。そこには色とりどりの薔薇に囲まれて、幸せそうに寄り添っているグレンとシルビアが描かれている。


「不思議なことなんだけどね、これ、俺が七歳の時に拾ったんだよ」

「拾った…?」

「シルビア嬢との婚約破棄される直前の頃だったかな。王宮の庭にいたら、空からひらひら舞い落ちてきたんだ。凄く丁寧に描かれてるだろう?なんだか捨てられなくてね。ずっと大人になったシルビア嬢の隣にいるのは誰だろうって気になったし、俺にはこれが、何かの天啓のように思えたんだ」


 王家が決めた婚約であり、恋情こそなかったが、シオンはシルビアを婚約者として大切に想っていた。いずれ結ばれるなら幸せにしようと思っていたことも本当だ。ところが、この絵を見た時、心を込めて丁寧に描かれたこの風景が、未来のあるべき姿のような気がしたのだ。


「未だにこの絵が何なのか、誰が描いたのかはわからない。でも俺は、ずっとこの景色を見てみたかったし、自分もこんな風に幸せになりたいなって思ってきたよ」

「…そうか」

「だけど、本当に不思議なんだよね。拾った瞬間は、グレンの隣に描かれてたのは別の女の子のように見えたんだけど、見間違いだったのかな?黒髪で、今くらいの長さで、顔立ちも違ったような気がしたんだけど」

「記憶違いではないのか?絵が変わるなどあり得ん。幼少期の思い出などそんなものだ」

「うーん?まぁ、そうかもね」


 何であれ、大切な者達が幸せであればそれで良い。穏やかな木漏れ日とほの甘い匂い、賑やかな光景を眩しく見つめる。


「かけがえのない友に祝福を」


 祈りを託された薔薇の花だけが、この幸福な時間を見守っていた。

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