表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

65/166

65話 ヨハンの祈り

〜ヨハン元司教〜

ヨシュア様が()()旅立たれる。


そのお姿を見て、私は堪えようのない滂沱をそのままにただ祈った。



私はあの聖者を二度、裏切った。

そしてその度に温かく赦された。


一度目は、そう、あの邂逅の時だ。

聖者は、明らかに世捨て人のようなボロボロの格好をして、この教会を訪れられた。


しかし私には分かった。

その双眸は、この教会を、いや旧教そのものの腐敗を看破している。

ハリボテのようなメッキに包まれた“教会”の腐敗を。


私は恐れた。

偽善者を装うこの私、咎人(とがびと)を見つめるその哀れみの目を。


そうなのだ。私は、最初から分かっていたのだ。

あの方が、()()()()()()ことを。


しかしそれなのに私は、いやだからこそ最も過酷で汚れた仕事を押し付けたのだろう。

それは最底辺の民草への免罪符の押し売りだ。


私は、汚れきっている。


祈りなど全く無意味であることを誰よりも知っていた。

私はただの集金マシーンと成り下がり、金持ちにある種の融通と脅迫めいた世迷言を投げかけ、大金をせしめていた。

そしてそのことに満足感と達成感すら覚えていたのだ。


寝食を忘れ、身を削らんと祈るあの聖者の堕落が見たかった。

そうでなければ、私自身が否定されてしまう。

綺麗事のメッキが剥がされてしまう。


聖者は、毎日のように、貧しい人々から寄せられた免罪への少なくない金額の特赦金を、私に無造作に預けた。

ピンハネやネコババが当たり前のこの世界で、そんなものは汚れた、邪な上納金に過ぎないという、その態度。

私は、その態度に怒りすら覚えたものだ。


そうくるならと、最終的にはこのナザロにおける全ての免罪符の()()を、彼に押し付けた。

そして弱音を吐き、本音をさらけ出すその瞬間を待った。

そしてその時に、()()()()()()()()()()()・・・・


浅はかで汚れきった私の思惑は、完全に打ち破られた。


あの教会の広場で行われた奇跡の降臨と悪霊退散の奮闘。

このナザロにおける最高の伝説のひとつである。


ははは

笑うしかない。


最初に感じた私の直感は紛れもなく正しかった。

私は、ヨシュア様を、そして自分すらも嘘偽りで誤魔化し、裏切ったのだ。

そして私は彼を追放した。


使徒? 呆れた職階である。

聖ペテロといった伝説上の地位。

そんなものを押し付け、彼の居場所を奪ったのだ。

そもそもそんなものを、私なぞが授けることなどできるわけもない。

ただの自暴自棄ともいえる暴挙。


何故そんな行為をしたのか?


後悔と自責の念により、私の旧教に対する、いや()()()()に対する熱意が綺麗さっぱりと消えてしまったからだ。

“教会”よ、私を罰するなら、糾弾するならして欲しい。そんな思いだ。



後日、マルコが、新教の教えを伝聞ながら教えてくれた時、私は、新教徒の後押しをすることを決断した。


これが二度目の裏切りである。


この動機は、身勝手な汚れたものなのだ。

自己嫌悪に苦しんでいた私は、誰かに罰せられることを望んでいたのだ。


“教会”に反旗を翻せば、あの勇者が攻めてくるだろう。

いやその前に領主様が許すはずもない。


私は、同胞のみならず、ナザロの市民すらも巻き添えにした自死を選んだのだ。

そして心のどこかで、ヨシュア様に責任を全て押し付け、私は潔白のままナザロを滅亡させたかったのだろう。


そしてその目論見は、紆余曲折しながらも達成されんとしていた。

領主様が逃亡するなどの予想外の展開はあったが・・・・



戒めとはこのことだろう。

血に飢えた敵軍が目前に迫った時、聖者はまたも我々をお救いになった。

浅慮な私の思惑を置き去りにして・・・・



そして、改めて奇跡を興された。


今度は、心を抉るような恐怖をもって。

優しさでも、哀れみでもない。

恐怖と厳しいまでの強さをもって、我々を救われた・・・。


そして、明言された。

お前の祈り自体は否定しない。

だが、今はその時ではないと。

()()()()()()など、どうでもいい。

()()()()()()()()()()()()()()()()()と。


私の、それまでの信仰は、平時の、平和な時代の娯楽に過ぎなかったのだ。


しかし、その聖者は乱世における、生きるための道標としての信仰を迫った。


ああ、私はこの方に処罰されて殺されてもいい、と心から思った。

そして自虐を込めて言ったのだ。

まさに滅亡せんとするナザロの復興計画でも立てますか、と。


なぜか?

ははは、私には金の算段しかできないから。

敵を倒すことも、傷ついた人を癒すこともできない。

医療に覚えのあるマルコ司祭の方が、数段優れている。


教会に集う、決死の覚悟をした民衆に血祭りに上げられる覚悟だった。


しかし、ヨシュア様は微笑みを投げかけてくれた。

戦時下にはありえないほど、優しく、自然な笑顔を。


私は赦された。

私の存在(いま)の全てを。

私の過去の全てを。


その時、私は一度死に、新たに生まれ変わったと思っている。

そう思いたいのだ。

それほど、すべてを受け止められた、すべてを委ねた心地良さがあった。


そうだ、それは祈りだった。

私の過去の全てを赦すしるしであり、

私の今とこれからの全てを受け入れてくれる証だったのだ。


私は、この歳になって、初めて祈りの意味とその力を知った。


ヨシュア様の奇跡に触れた全ての民は、文字通り力を合わせ、このナザロを復興させた。

そればかりか、さらに驚異的なスピードで発展させようとしている。


それとは対照的に、この神聖帝国には深い闇が覆い被さろうとしている。

魔女狩りという言葉で、民の虐殺が繰り広げられ、それに派生した略奪、侵略、強奪が頻出しているのだ。


このナザロは、完璧なまでに守られている。


聖者ヨシュアは、そんなナザロを立ち、この闇に立ち向かわんとしている。


その姿は、この薄汚れた老いぼれにすら、言い様のない勇気を与えてくれるのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ