6話 教会とクッソ堅いパン
とりあえず、ツヤのある紺色の重そうな扉をノックした。
もちろんなんの反応もない。そもそもノックが響かないのだ。
俺は、扉を押し開けた。
驚いた。
大聖堂であることは、外観からもすぐわかる。
しかしこの中の荘厳さと煌びやかさは、なんだ。
薄暗くてもわかる細部まで施された彫刻や装飾。
天国からの光を思わせる美しいステンドグラス。
巨大なパイプオルガンが壁と一体化し、恐ろしさすら覚える。
そしてこの静寂。
まじで、天国に来たかと錯覚しそうだ。
俺は、あんぐりと口を開けて、教会の内部を見上げていた。
「お祈りですかな?」
声をかけられた。
俺は、声のする方を見た。
そこには、紺を基調にしたシックなキャソックであるが、明らかに高価な生地であることを示す光沢と、細部にはさりげなくちりばめられた宝石で彩られた、にこやかな神父がいた。
そして俺だ。
ゴワゴワのボロ切れをまとい、泥と垢でまみれた完膚なきまでの浮浪者だ。まとも食べてもいないので、顔色も悪い。目もどんよりと淀んでいることだろう。
そうだよ劣等感だよ。自分を卑下する気持ちでいっぱいですよ。
俺とこの神父を比べたら、なんだ。
平服でご参加くださいという同窓会に、一人Tシャツで参加し、周りのみんなが全員ビシッとしたスーツだった以上の恥ずかしさ、やり切れなさを感じる。逃げ出したいほどの屈辱感である。
「・・・」
もう帰ろう。いや、帰る場所なんかないが、俺には場違いすぎる。
大工でも手伝って、無理なら得意のホームレスでもしよう。人には得意不得意というものがある。
それに何より大事なのが、人間には段階、ステップというのがあるということだ。
これは無理だ。
早すぎたんだ。腐っているぜ、俺の心は。
「ナザロ教会は初めてですかな?」
まだ、気にかけてくれるのか。
優しいね。
でも、俺みたいなもんにこれ以上時間を使わないでください。どんどん惨めになるので。
罵倒してくれ、臭いって、汚いってさ。
でも、無視はいけないよね。人として。
「・・・はい、初めてです。ちょっと場違いでした。」
「いえいえ、何を言われますか。全ては神のお導きです。ささっ、どうぞどうぞ。」
優しい。
就活、してもいいの?
「・・・えと、あのー。」
「はい。どうなされたのですかな?」
「私は、ヨシュアと申します。今は自由人としての身分でございますが、キョードーのお務めを果たしたく、本日は参りました。ここでお世話になることはできますでしょうか?」
ボロボロの布切れをまとい、頭陀袋を下げ、折れた槍を杖代わりにした元ホームレス(どこからどう見ても現役のホームレスにしか見えないが)。誰が、どうして、何が哀しくてこんなのを雇うというのだろうか。
自分で言っていて虚しくなってきた。
「おお。教導者の方でしたか。これは失礼を致しました。 もちろんでございますとも、神のお導きを多くの人びとが待っております。お手伝いいただけるのであれば、喜んで。」
え。いいの?
「どうやら長旅だったご様子。寄宿舎がございますのでご案内いたしましょう。」
こんな偉そうな(腰はすごく低くて、いい人そうだが、明らかに地位の高そうな)人が、自ら案内してくれるの?
親切に見せかけて、警察に突き出されるとかないよね。
騙されてる?いやいや、俺を騙しても何の価値もないよ。無一文。持ち物は死体から剥ぎ取ったものだけ。
つまり、あれだ。
死体からものを剥ぎ取るような強欲な奴らでさえ残したものを、俺は剥ぎ取ったのだ。
どうだ、最低だろ?
「紹介が遅れました。私はヨハンと申します。この教会を任されております司教でございます。」
教会を任されているということは、社長だな。
こんなものすごい教会のトップなんだ、やっぱり超偉い人だった。
これはまずいぞ。
アホなことを考えている場合じゃない。
今後、当面はこの人が上司になるのだ。
「お、恐れ入ります。ありがたいお言葉でございます。場所を教えていただければ、自分でできますので、どうかお務めにお戻りください。」
「ヨシュア様。全ては神のお導きです。それに携わること全てが、私のお務めなのです。ささっ、こちらです。」
ぐうの音も出ない。
ここは感謝して、従おう。
今日からでも明日からでも、誠意一杯働けばいいのだから。
俺たちは、教会の外に出て、井戸のある中庭みたいなところに行った。
「まずは、お足もとを清めましょう。」
確かに汚い。
申し訳なかった。こんな汚らしい土足で教会に上がってしまって。
あとで拭き掃除します。
ヨハン様は、お手自ら水を汲み、俺の足をすすいでくれた。
いやー、申し訳ない。
聖職者様というのは、こうもできた人なのですなー。
もう、清清しいまでの罪悪感ですな。気まずい!
親切の暴力といってもいいだろう。
あ、もう。そんなに洗わないでください。
俺にできるかな?
こんなボロボロのホームレスに、ここまで親切にして。
普通なら叩き出して、塩撒かれてもおかしくないよ。
結局俺は、ヨハン司教様に汚れたところを流してもらい、それなりに小綺麗になってしまった。
「では、お部屋にご案内しましょう。」
もう、丸ごと甘えよう。
どうにでもして!
いっそ、抱いて!!
俺は、寄宿舎の一室を与えられ、体を拭く布だの、肌着(寝巻き?)だの、果てには詰襟も貸してもらい(ありがたいことに地味な、高価そうではないやつ)、トドメにはパンと水まで頂いた。
「ヨシュア様。本日はお疲れでしょうから、お休みください。明日、マルコ助祭がヨシュア様のお世話をいたします。では。」
呆気ない就活であった。
いきなり社長面接で、一発合格。
衣食住ゲット。
アホなことばかり一人で考えていたら、すべてのことが済んでしまっていた。
完璧なまでの神の導きを実感し、俺は汚れものを全部洗濯して寝ることにした。
神、超偉大だわ。
俺、明日から頑張ります。
クッソ堅いパンを齧りながら、俺は決意した。
パン堅いのは譲れないのね。