40話 導師ヴァルマと魔人ケルファ
〜導師ヴァルマ〜
私の瞑想は常に深い深い沼の底で行われる。
瞑想の沼。
もちろん本当の沼ではない。思考の奥深くにある、光の届かない静謐で特別な空間である。
ここには誰も、何も立ち入ることができない。
はずであった。
「ヴァルマよ」
あるはずのない声が響く。
私は、動揺しながらもその続きを待つ。
「ヴァルマ。ヴェーダには決定的な欠落がある」
その声は、我がクルファの民の聖典“ヴェーダ”を侮辱した。
心がざらつくが、その先を聞きたいという思いが先行する。
「それが何か、わかるな」
わかるな、だと?
どうゆうことだ。
ヴェーダは、人と人、人と自然との繋がりを尊しとする教え。
そこに矛盾や破綻はない。
このような厳しい自然環境の中、山の民は、助け合い、幸福を見つけながら生きてきた。
そのことが何よりの証。
問題があるとすれば、異教徒どもだ。
欲望にまみれ、謂れのない搾取、略奪を繰り返し、細々と生きる我が民を追い込んだ。
我が民は、強靭ではあるが戦士ではない。
人を殺す訓練も、武器もない。
そもそも自らよりも弱き者を助けんとする教え。
その優しさこそが仇となったのだ。
我らにも文明があれば、このような恥辱を味わうことはなかった。
ヴェーダは間違っていない。
異教徒どもが間違っているのだ。
話にならん
「・・・手に入らぬものへ、童のごとき眼差しを憧憬という」
「・・・諦めは失望。」
「・・・己の今から目を背け、保身に走れば、それは嫉妬だ」
なんだ。
なんのことだ。
「ヴェーダには、その人の本質に寄り添うところがない。ただのやせ我慢よ」
やせ我慢だと
違う!
違うぞ、我々はただ、我々のあり方を守りたいだけだ。
「ヴァルマよ。欲を捨てんとするならば、まず一度、その欲と向き合え」
よ、欲だと。
平和に生きたいとするこの細やかな願いが、欲だというのか。
な、ならば教会どもは、東の国はなんなのだ。
「目を背ければ見えているものすら歪む。答えは常にこの沼の底にあったであろう」
くっ、我々は確かに文明を欲している。
し、しかし、それは他者を蹂躙するためではない。自らを守るためだ。同じではない!
「ヴァルマよ。そなたは近く異教徒と会うだろう。踏み出すのだ。我はそなたとともにある、ここでな。」
ともにある、だと?
誰なのだ、あなたは?
「我が名は、ケルファ。人にして魔に至る者」
これが、魔人ケルファとの邂逅である。
我が山の民は、この時より魔人ケルファとともに立ち上がることとなる。




