37話 人心の改革とウル・メシア
〜ジュナイブのジャン〜
人心の改革とは、ここまで急激に、圧倒的に行われるものなのか?
確かに、私はヨシュア様の言葉を直接聞いた。
ただ聞いただけではない、私が質問をし、それに直接答えてもらったのだ。
私は、今までの疑問が春の雪解けのように晴れ、以前の私とは完全に別の人間になることができた。
しかし、このジュナイブの人びとはどうだ?
口伝なのか、何かの文書を目にしたのか、次々に目覚めていくではないか。
いや、もちろん、喜ばしい。
しかし恐ろしくもあるのだ。
あのウル・メシアの力が。
私はこの新しい教えを守ることに対して、微塵の恐れもない。いやそうではない、この新しい生がその全てをかけて、この価値を守りたいと叫んでいるのだ。
かつてあっただろうか。
ここまで、心を揺さぶる言葉が。
ヨシュア様は言葉の多い方ではない。
しかし、こちらが尋ねれば、明確な答えが返ってくる。
直ちに理解ができなければ、的確な例えで理解を促してくれる。
その言葉が、乾き切った体に水が染み込むように、そして、それまでの自分とは全くの自分に組成を変えてしまう。
そんな力だ。
そのような強力な力が、伝聞でも発揮されている。
また、あの方の高潔さに心が洗われる。
われわれは、ヨシュア様には全てを差し出せる。しかし、その要求はあまりにも少ない。
日々の最低限の糧があれば、それでよいといわんばかりに。
できの悪いリンゴを召し上がった時も、私は叱られるものと覚悟したが、なんと幸福そうなお顔をされた。
固いパンでも、冷めたスープでも、聖職者のような高貴な方が喜ばれるようなものでは決してないのに、心から美味しいという表情をされるのだ。
そして、われわれの日常をつぶさに、そして温かく見守ってくれる。
その優しい目は語りかけてくれる。それでいいと、それこそが人間が生きるということであり、信仰なのだと。
ジュナイブの人びとが、一気にヨシュア様のファンになるのも当たり前か。
新教軍には、多額の寄付金が集まり、志願兵も瞬く間に膨れ上がり、整備・訓練されていく。
この大きな流れは止まるまい。いや、より大きくなり、この国を、この世界を巻き込むだろう。
他の誰が否定しようとも、この私だけでも、この命を捧げたいと願う。
新教は、私たちの人生を肯定してくれる。
それを否定するものを、私は否定する。
〜ダヴィド〜
ダヴィドは、激怒した。
前回に引き続きまたあのナザロである。
今度は、“教会”に仇なすという。
もはや救済の余地もない。
あの時は、東の国と反対方向であったというだけの理由で、討伐を後回しにしてしまった。
やはり、それは間違いであった。
その慢心が神の怒りを買ったのだ。
今度は容赦しない。
あの忌々しい蛇につけられた醜い傷は、神からのメッセージである。
天命に対して些かの疑問や怠慢があれば、必ずや神罰が下るのだ。
今度は俺がそれを執行する番である。
今度の兵は数も力も比べ物にならないほど小さいが、全騎が死兵となって任務にあたるぞ。
全ては神のためだ。
「いざ、神敵はナザロにあり!!」
ダヴィドの怒号が放たれた。
〜マステマ〜
ふ〜
結果オーライ、になるのかしら。
ゲラシウスには、切り捨てられた形になったけれど、このナザロ討伐で武勲を上げれば、勇者の名はもう一度輝くことになる。
聖獣L-vthnにつけられた傷も、聖痕として箔になるかも知れないわね。
でも、今回の戦力はあまりにも弱い。
ダヴィドだけが頼りだけれど、戦争において人間ひとりがどうであってもあまり意味がないわ。
彼の戦略も、ないようなものだしね。
いざとなったら、私がやるしかないのかも知れない。
ただ姿を表すことになるし、また皆殺しにならざるを得ないわ。
そうなったら意味ないものね。
ん〜どうしようかしら。




