32話 教皇ゲラシウスと新教、そして質問
「ふ〜〜・・・。いや、困ったものよのぉ・・・・」
“教会”の頂点たる教皇ゲラシウスは、黄金の玉座からマステマを見下ろしながら、長い溜息をついた。
「教皇様。力及ばず申し訳ございません。ただ、ご宣託にはなかったがことがいくつかありまして」
「・・・モレ・クではない。 余はな、ゲエンナの乱立を危惧しておるのだ」
「そ、それは、ザラム教団への牽制として・・・」
教皇ゲラシウスは、ギロリとマステマを睨んだ。
「果たして、そうなるかのぉ。 暴食は教会を飲み込む闇となるやもしれんぞ」
マステマはぐったりと首を垂れた。
〜ヨシュア〜
カイロンの親父を仲間に迎えてから3ヶ月が過ぎた。
いいニュースと悪いニュースがある。
いいニュースからいこう。
カイロンの親父は優秀だ。
万能、といって差し支えないだろう。
まず、人望が凄い。
俺のようなコミュ障には及びもつかない能力だ。
“教会”でも領主でも、地元の顔役でも、すぐに打ち解けることができる。
もちろん交渉力も抜群である。
俺たちは、カイロンの親父の手引きで勇者どもに荒らされた街々を巡り、人びとに《道》を説いて回ったのだ。
効果は抜群だ。
カイロンの親父のお陰が8割、俺の話術が3割、メフォストのアシストがマイナス1割。
「私たちは、主の前では完全に平等です。そして私たちが何をしようとも、それは主の御心のままなのです。やるべきことはなにか? それは人間としての生を、すべてをかけてまっとうすることなのです。主は私たちをそう創られたのですから」
これが、俺の新しい解釈だ。
もちろんこれまで通り《神》を信頼してもいい。
ただ、それだけじゃない。価値観はひとつじゃない。
つまり好きにしろと、ただし全力で。
そのパワーが、これからの世界を方向付けるだんぜ、と。
そして、質問を受け付けた。
かつて“教会”は、疑問を挟む余地などなかった。
でもさ、俺は疑問・質問大歓迎。
自分で考えることが一番大事だからな、ペテロが言ってたことだ。
Q.免罪符は〜
A.紙切れです。
Q.お祈りは〜
A.暇つぶしです、お好きならどうぞ。
Q.金儲けは〜
A.お仕事です、お得意ならどうぞ。
Q.神様は〜
A.人間ごときには、どうにもならん。
てな感じだ。
ここまでがいいニュースだ。
そして悪いニュース。
どうしてこうなった??
俺は、完全にお尋ね者になっちまったのだ。
丁寧に説明しよう。
俺たちデコボコグループは、前域での経験(大体がペテロから教わったこと)を元に、困った人びとに道を説いて回り、幾許かの施しを頂こうと、そして寝床の提供を受けようと、控えめに考えていたのだ。
が、
想定を遥かに超えて、ウケた。
その主因は、勇者の暴挙だ。
人びとは、“教会”の横暴に怒り心頭してたのだ。
そこに俺たちだ。
メッセージは、“教会”を疑え。もっと言えば、“神”という言葉を使わないのだ。
神すらも疑っちゃう?
みんな熱狂したね。
そうだ、そうゆうことが言いたかったんだと。
よく言ってくれたと。
怒ったよねぇ“教会”は。
カイロンの親父がいなければ今頃磔ですな。
そして止めは、俺の失言だ。
(この新解釈は)「我が朋友ペテロ導師の予言である」的なことを何回か言ったわけ。
ペテロは只者じゃねーとは思っていたが、まさかあの“教会”の始祖だとは思わんよね?
まあ、とにかく侮辱だーってことになったわけ。
ということで、俺は完全に“教会”から見たら背教者で、反逆者という烙印をいただいたわけだ。
ところがね、俺たちの応援団も続々と現れているという感じなのだ。
ややこしいね、まったく。
怖いよ。
いや、本当にマジで、カイロンの親父がいなければ大変なことになってたわー。
んで、メフォストは本当に役に立っていないわー、まじで。
〜ナザロの町人〜
世界は今激動を迎えているようだ。
あの方の噂が毎日のように届くが、いまさら驚くまい。
“教会”の締め付けは日々厳しさを増しているが、ヨシュア様の説く《道》は、われわれの心を捉えてはなさい。
そうなのだ、私たちの漠然とした疑問が、当たり前のように解かれていく。
主の前で、人は平等。
些細な悪事も善行も、すべてをひっくるめて人は人なのだ。
免罪符や人頭税、たどたどしい祈りで主の御心がどうなるというか?
細かなことにいちいち介入する神?
我々はただ与えられた定めを全力でまっとうする、それこそが真の信仰である。
この考え方はいつしか“新教”と呼ばれるようになり、これに追随するものは“新教徒”と呼ばれた。
そして“教会”は古き解釈、“旧教”などと揶揄されるようなったのだ。
どちらが正しいか、それは誰にもわかるまい。
ただ我々は目撃している。
そうヨシュア・ウル・メシアが起こしたあの奇跡を。
ナザロの町は、“新教”の先鋒となった。




