3
私のアルトゥルでのお城生活が始まった。
お世話係のエリヴィラは最初は冷たい感じと思ったが何も分からない私をよく気遣ってくれサポートしてくれた。
私の国ユベールの言葉を話せる人は何人かいるようで私の周りでは言葉が分かる人達がお世話をしてくれる。
お世話と言っても私は平民出身なので自分の事は自分で出来る。主にお勉強を見てくれる人が多かった。
私に用意された部屋は外から見た時に見えた三つの大きな塔のひとつだった。
まるで高い塔に軟禁されているような錯覚に陥りそうだがアルトゥル全体を見渡せ、晴れた日にはもっと遠くに見える下の大地も見えた。
見たこともない山々や森に建物が時々見えると、もう私の育ったナタの街からは離れていることが分かった。
塔の上なのに不思議と寒さも無い。このアルトゥルは薄い空気のベールで覆われているらしかった。
午前中はお勉強の時間でこの国の言葉や生活習慣、簡単な歴史等を習った。
【神の末裔の住む国】と言うのは満更嘘でもなかったようで、この天空の国は大地にある国を訪れては大地に祝福を送り、実りを与えると言う役割を与えられているらしい。ただ大地にある国は多いので各国に訪れるのはそれぞれ10年周期くらいになってしまう事も教えてもらった。
私と離れてから一度もイリヤに会えなかった理由はその辺にあるのかとも思ったがイリヤと目があった時のあの蔑むような冷たい瞳を思い出すと彼は私にプロポーズしたことをきっと後悔しているのだと思った。
私と結婚したくなくて迎えを延ばしていた可能性もある。
イリヤから幼い頃にこの国の話を聴いたときに【誓いのキス】はアルトゥルの人達にとってとても大事なものだと聞いていた。だからこそイリヤが結婚の約束をして私にキスした時にはとても嬉しかったのだが…
イリヤにとっては色々な国に行く中で出会った子は沢山いた筈。沢山出会った中たまたま冴えない街娘の私とちょっと気が合ったのでウッカリ結婚の約束してしまったのかもしれない…
きっと他の国で素敵な出会いがあったりしたかもしれない。
何よりもこの国の人達は皆美しい。
正直最初はイリヤ以外の人の区別があまりつかなかった。男の人も女の人のように美しく色白で金や銀の髪。私のいた街では見たこともない美形揃い。勿論エリヴィラの容姿もナタの街にいたら皆が振り返る程の美形だった。
それに比べて私ときたら…
日に焼けて肌が黒い。いや普通なんですがこっちの人に比べると色黒?
そして特に特徴の無い顔つきに茶色の髪に茶色の瞳。色気の無い身体でまあ健康そうと言えば良いのですが…
これではイリヤもさぞガックリしたことだろう…
エリヴィラから聞くに他の国から王族に嫁いできたと言う前例も無いようだった。
それを聞くと私との結婚はますます不味い事なのでは?と気持ちが焦る。
色々考えてしまうと悲しくなったが、もうそれどころじゃないほどに勉強も忙しかった。
いきなり言葉なんて覚えられるものではないと嘆くとエリヴィラは"30日で全て覚えるのではなく徐々にで良いのです"と言ってくれた。
そして生活習慣も異なる。
午後には"お茶の時間"と言うものがあった。
私の国では食事は朝、昼、晩の三食だった。
このアルトゥルでは基本朝晩の食事二回なのだが、お昼の代わりにお茶の時間と言うものが1日に二回ある。
そのうちの一回は必ずイリヤと共にお茶を飲むのだが、30日間私達は話してはいけないしきたりなので無言でお茶を飲む…と言う気まずさだ。
アルトゥルは古い国なので沢山のしきたりがあるのだ。
花嫁と花婿が30日間喋ってはいけないと言うしきたりもその一つで、お互いの口から不浄な物が入らないように…とか言う意味らしい。
そしてお茶の時間が終わると退室時にお互いの右手にキスをするのだ。
あのイリヤの冷たい瞳を見たときから私は怖くてイリヤの顔をまともに見れなくなっていた。
右手にキスをするときも緊張し過ぎて震えてしまう。
でもイリヤが私の右手に口付けをしてくれる度に、ただのしきたりだと自分に言い聞かせながらも勝手に胸が高鳴った。
でもイリヤは私を嫌っているかもしれない…そう思うと胸が押し潰されそうだった。苦しかった。
昔のイリヤままだったらきっと話す事はいっぱいありすぎてこんなお茶を飲むのに黙っているなんて辛すぎたかもしれない…
でも今のイリヤは私と話なんてしてくれるだろうか…
私はナタの街から出たこともなつまらない女、何の真新しい話題も持っていない…つまらない"行き遅れ女"の話を聞いてくれるのだろうか…
そう思うと目の前でお茶を飲むイリヤを見ることは出来ない…
そうしてイリヤの顔を見ないまま20日過ぎていた。
あと10日間イリヤと話をしなかったら私はイリヤのお嫁さんになれる…
でも本当にそれで良いのだろうか?
本当にイリヤと結婚して良いのだろうか…?
私は自分が"イリヤと結婚したい"から黙っているけれど、もしかしたらイリヤは私が喋ってしまって追い出された方が良いのかもしれない…そうすれば別の人と結婚することも出来るかもしれない…
ああ…話が出来たならイリヤに質問することも出来るのに…
でももし、もしイリヤが私と結婚することで不幸になるならそれは避けたかった。
私は今でもイリヤが好き。
イリヤには幸せになってもらいたい。
出来れば私と幸せになってくれたらハッピーだけどイリヤの負担になるのは嫌だった。
幼い頃のイリヤはよく笑っていた。
いくら目を合わせなくてもイリヤが笑っていないことくらい私にも分かる。
その日私は思いきってお茶の時間に向かいに座るイリヤの顔を見た。
するとイリヤはこっちを見つめていたようで慌てて視線を逸らし顔を背けた。
あからさまに避けられた気がして胸が苦しくなった。
幼いイリヤの笑った顔を思い出す。
もうあの顔は見られないんだ。
幼い頃の楽しい幸せな記憶の中のイリヤはいつも笑っている。
イリヤは私に対して友情はあったのかもしれないけれど、それは恋人の愛情とは違うもので今イリヤは後悔の中にきっとある。
ここで私がひと言、何か言葉を言ったら婚約は解消されて帰されるのだろう…
街の人達は嗤う?それとも同情される?
家族は?きっと肩身の狭い思いをさせてしまう…?
ごめんなさい。
でも私はイリヤが好きだから…
彼を困らせたくないの…
もっと早くにこうするべきだった。
お父さん、お母さん、出戻り娘をお許しください。
彼の迎えが来なかった日から私の覚悟はあった筈。お針子の仕事をして生きていけばいいだけだ!
さようなら…イリヤ…
私は大きく息を吸ったそして…
ガタン!!
勢いよく椅子からイリヤが立ち上がったかと思うと私の口をガッチリ押さえ込んだ。
「ん"ーーーーーーーーーーーーーーーー、、、!」
喋ろうとしていたのでうめき声が漏れる。
イリヤが私を押さえ込んで口を塞いだまま物凄い形相で睨んできた。
あまりの迫力に私は声が出なくなり固まった。
そのまま私を担いで部屋のドアの前に行き私の右手にキスをしたかと思うと無理やり自分の右手を私の唇に当て、勢いよくドアを開けて部屋の外で待っていたエリヴィラに私を渡して急ぎ足で去って行った。
イリヤを怒らせてしまった…
いや、それよりも今の行動は…イリヤは私が喋るのを阻止した…?
呆気にとられたまま去って行くイリヤの後ろ姿を見送った。
ちょっと長めの3話目です。