初めてのレッスンと狩りと
あの日から、なんとなくグズグズと日がたって、私は今、領主館の皆さん相手にバレエの先生をしている。
「体はまっすぐ。自分の中に一本の木が立っているイメージで。片足立ちになってもその木は揺らぎません。
頭は上に向かってどんどん伸びます」
一番のポジションを取る。
わかりやすいように脱力した状態から体を上に伸ばしていく。
その状態で右足をY字バランスの状態に持っていく。
そして耳につけたところでピタリと止まる。
世に言う『シックス オクロック』だ。
「おおっ!」
「と、このように体幹を鍛えれば、多少のことではびくともしない体が出来上がるのです。ではやってみましょう。足を上げる必要はありません。まずは両足でしっかり立つことから始めましょう」
彼らが覚えたいのは、綺麗にダンスを踊る方法。
バレエじゃない。
だからバレエの基礎そのものではなく、彼らに必要なことだけ考える。
五番のポジションはいらないな。
ジャンプもいらない。
姿勢と体幹とボールドブラは最低限として、フロアでの動きと回転も入れておくかな。
自分の体を自分で制御できれば、ダンスだけでなく生活の上でもきっと役に立つと思う。
◎
「ねえ、あちらの世界はどうなってるのかなあ」
「俺たちにはわかんねえ。アルかギルマスに聞いてくれ」
「教えてくれないのよ。最初にメールを打ったっていうのは聞いたけど、その後どうしても教えてくれないの」
今日、私はエイヴァン兄様と組んで、小さな動物を狩りに来ている。
淑女教育とお館の皆さんへのバレエ風味レッスンに一日、次の日はこうして冒険者教育と一日おきに過ごしている。
「教えないのはそれなりの理由があるんだろう。悩んだって仕方がない。目の前のことに集中するんだ。解体するぞ。よく見ておけ。メモを忘れるな」
「はーい」
今日の獲物はウサギ。魔物である一角ウサギではない普通のウサギだ。
エイヴァン兄様はそれを近くの立ち木に逆さに吊り下げる。
「いきなり切り始めると毛が肉について後で面倒くさいことになる。だからまず、毛皮をはぐんだ」
兄様はウサギの足のほうからスッスッと皮を剥いでいく。
魚の皮を剥ぐようにナイフを使うのかと思っていたが、細かいところ以外は素手で十分きれいに剥ぐことができる。
皮を剥ぎ終えると、エイヴァン兄様はウサギの下に穴を掘る。二の腕から指先くらいまであるだろうか。それなりに深い。
そしてウサギの首の血管を切って血抜きをする。
「日本の北の方では、解体した後雪に押し付けて血抜きをするそうだ。俺はしたことがないが、あちらに戻ったら調べてみるといい。ただ、それをここでやるとなあ」
そう言ってエイヴァン兄様は内臓の処理を始める。
すると汚れ物はその穴に落ちていき、周りを汚すことはない。
「内臓や血を放置しておくと、獲物を求めて他の獣が寄ってくるのは現世と同じだ。違うのは集まってくるのは獣だけではなく、魔物もいるということだ。だから急いで処理する。ゆっくり雪の上で血抜きしてそれを放置しておくと、俺たちが魔物に血抜きされちまうからな。とにかくスピードが勝負だ」
解体を終え、きれいに丸裸になったウサギをベルトに取り付けたバックに入れる。
それほど大きくないのにウサギが丸ごと収納される。
「獲物は冒険者の袋に丸のまま入れていい。中は時間も止まっているからそのまま保管される。便利だろう」
「それって空間魔法とか希少なものなの?」
「いやあ、冒険者登録されていれば誰でももらえるぞ。それに登録された本人しか使えないから、盗まれたりすることもない。クラスが上がれば収納量も上がる」
「途中で亡くなったら?」
「ギルドの倉庫に移動。中身が無駄になることもないし、生存確認も出来て一挙両得」
続いて汚れ物の落ちた穴に近くの落ち葉をたっぷり入れる。
「汚れ物の処理には二通りある。一つはこうやって埋めてしまうこと。もう一つは・・・」
エイヴァン兄様は以前突き当りの墓場で見せたように穴に手をかざす。
穴の中の落ち葉が一瞬で燃え尽きる。
「こうして落ち葉と一緒に灰にする。その後もう一度土で穴を埋めておしまいだ。火の魔法が使える奴限定だがな」
「どうして灰にするの」
「・・・街の外の農耕地区を見たか? 素晴らしい実りだろう」
昔のヒルデブランドはそれほど豊かな土地ではなかった。
農業の知識もなく、手探りでの農地改良。
他の街からの輸入に頼る日々。
街全体で協力しての配給生活。
この土地で農業が軌道に乗れば、子供たちにお腹一杯食べさせてあげられるのに。
そんな中、一人のベナンダンティが現れた。
彼は現世でも農家で、この悲しい現状に冒険者ではなく農家となることを選んだ。
「試行錯誤の末に掴んだのがこの方法だ。もちろんこれは取っ掛かりで他にも色々したんだがな。そして何年もかかって土壌改良し、今の豊かな土地がある。だから冒険者たちは、今でもこうやって近くの土地が潤うよう、同じ方法で処理をしているんだ」
ただし現世では無理だぞ。こちらだから出来る方法だからな。
そう言ってエイヴァン兄様は立ち上がり、ヨイショと背中を伸ばした。
「どうだ、初めての狩りと解体は。ウサギなんて学校とか動物園でしか見たことがないだろうが」
「ウサギの飼育係だったわ、小学校のとき」
え゛と兄様が黙った。
「死んじゃったコもいたけど、主事さんが布に包んで連れてって、それきりだった」
「そうか」
「・・・ここではちゃんとご飯になって食べてもらえるのね」
ポンポンと兄様に頭を叩かれる。
「チュートリアルを終えた後に冒険者になれない奴は、たいていウサギ狩りで挫折するんだ。可哀そうとか、残酷とか言ってな。確かにそうかも知れん。仕方がない。スーパーの棚しか見たことがないんだからな」
だがな、と続ける。
「生きていくには食べなきゃならん。スーパーがなければ自分で調達せにゃならん。で、一部のダンジョン以外、肉は塊で出てくるわけじゃない。必ず狩るものがいて、解体するものがいて、売るものがいて買うものがいる。そして料理をするものもな。たくさんの危険と手間があっての食事だ」
ロープやナイフを仕舞い、帰るぞと兄様が言う。
「俺たちは生きるために命を奪う。そしてそこから生きていく糧を得る。だからこそ、全ての物に感謝しつつ、『いただきます』と『ごちそうさま』が言えるんだ」
なんとなく、今日はエイヴァン兄様がカッコよく見えた。
◎
その夜のことだった。
例によって私は眠れない。
無駄だとしりつつ、真っ暗な部屋のベットで羊を数える。
「羊が一匹、羊が二匹・・・」
小学生のときに聞いた歌で、羊を数えていたら突然羊が鳴き出したんで、眠たくても寝れなくなっちゃったってのがあったなあと、何百匹目かを数えた時だった。
「ルー、聞こえるかい。ルー」
誰かが私を呼んでいる。
でも、知らない声だ。
「ルー、僕だよ。目をさまして」
僕って、誰よ。知らないわよ、あなたなんて。
「もうお昼を過ぎたよ。お腹が空いてるんじゃない。一緒に食べよう」
だから、知らない人とはご飯は食べられないわ。
「君がエイヴァン兄さんと一緒に狩ってきたウサギ。ハイディさんがシチューとテリーヌにしてくれるって。君の好きな黒パンとチーズもつれてくれるってさ」
黒パンとチーズ・・・美味しそう。あの酸っぱさがチーズと合うのよね。
・・・なんでウサギを狩ったの知ってるの?
ほんの少し、目を開けてみる。
「ルー! 気が付いた?!」
会ったことがない、さわやかな感じの日本人の男の子が私を覗き込んでいた。
お休みいただきありがとうございました。
本日はちょっとだけ長めです。
そして栄螺堂は最高でした。