閑話・宰相府の穏やかならざる午後・後編
長くなりました。
切るところが見つけられなくて。
新人の見習いは正式採用されれば宰相府では、いや王城史上初めての女性文官になる。
と言ってもどうもピンと来ない。
なにしろ可愛らしい見習いメイド服だ。
そして朗らかで気が利く。
書類の配達を頼めば、同じ方面の省庁の担当者に声をかけて一緒に持って行ってくれる。
見直し計算をさせれば間違い箇所の訂正はもちろん、新しく表に書き出す。
紛れ込んでいた別件の資料は、すぐにその担当者に回す。
朝は一番に来て室内を軽く掃除をする。
インク壺にはインクが足され、文箱には新しい紙が補充されている。
そんな仕事は侍女が勤務時間内にやるのだが、朝から整っていると途中で手を止めなくてすむ。
書き損じを入れる反故籠の中は空になっていて、なおかつ間違って捨てたと言えば「これでしょうか」と差し出してくる。
打てば響くというか、一を聞いて十どころか百くらいの結果を出してくる。
見習いなので重要な案件は任せられないが、下準備を頼めば完璧に仕上げてくる。
ここ二年ほどグズグズだった仕事が、あっと言う間に正常に回るようになった。
正職員になったらどんな仕事をしてくれるだろうか。
いつの間にか『お嬢』と呼ばれるようになった彼女の活躍が待ち遠しい。
だが、半年経っても彼女は見習いのままだった。
その年は見習いは一人も入ってこなかった。
昇格しなかったのはそのせいだろうか。
翌年。
見習いが六人入った。
けれどお嬢は見習いに据え置かれた。
相変わらずのダルヴィマール侯爵家の見習い侍女のお仕着せ。
膝っ小僧が丸見えになったので背が伸びたことに気が付いた。
秋になって見習いが正職員になった。
それでも彼女は見習いのままだった。
その辺りから様子がおかしくなった。
それが顕著になったのは年明けからだ。
「お嬢の仕事、増えてないか ? 」
「ああ。いつももっと余裕を持って仕上げてくるのに。おかしいなあ」
彼女は午前中は自分の机で書類仕事をし、午後は宰相殿下の御用を手伝っている。
その合間に書類の配達や細かい雑用を片付けている。
今まではそれを余裕で捌いていたのに、ここのところゆとりが見られない。
バタバタと王城内を走り回る姿を、新人たちは鼻で笑っていた。
昼食の席で耳をすますと、「いい年して若作り」「雑務にしか使えない」などという声が聞こえてくる。
注意すべきだろうか。
それより気になるのは彼女の仕事の遅さだ。
「変だな。私はいつもと同じ量を任せているんだが」
「私もだよ。それに昼休憩に行っている様子もない。なんだか痩せたんじゃないか ? 服がゆるゆるになっているような気がする」
春が近づいてくる。
娘は十六になって『成人の儀』の準備に大忙しだ。
ドレスや髪飾りを新しく作るゆとりはないので、妻が着た物を流行りの形に作り替える。
けれど髪や肌の手入れに普段よりも高価な香油を使う。
どんどん綺麗になっていく娘は父親として誇らしい。
だがそれとは反対にお嬢の顔色が悪くなっていく。
目の下の隈はもう化粧では隠しきれなくなっている。
お嬢の机の上の書類は消えては積まれ、積まれては消えを繰り返している。
あの書類の山はどこから現れるのだろう。
何よりもあのはつらつとした笑顔が消え、曖昧な微笑みに変わっている。
変だ。
「どういうことです、これは ! 」
年度末進行が佳境に入ったある日、一人のご婦人が宰相府に入ってこられた。
厚いベールで顔を隠しているが、体全体から怒りを醸し出している。
そのご婦人はすぐに部屋を出ていかれた。
そしてその後お嬢がバタバタと呼び出されて行く。
その日宰相殿下とお嬢は戻ってこなかった。
◎
翌朝、私たちは驚愕の事実を知らされた。
まさかお嬢が童顔でも若作りでもなく、本当に未成年の少女だったとは !
見習い仕事だけをしていると思っていたのに、実は殿下の下で最重要案件を手掛けていたなんて知らなかった。
だが、あの優秀さだ。さもありなん。
今お嬢は自宅で治癒師の治療を受けているそうだ。
睡眠不足と栄養不足に疲労で体はボロボロで、『成人の儀』までに回復するかどうかわからない、と。
なんでこんなことに・・・。
その後で彼女が任されていた書類が返却された。
私達に返されたのは以前と変わらない量だったが、新人の六人、彼らの前に置かれたのは書類の山だった。
「君たちは自分の仕事のほとんどを彼女に押し付けていましたね。彼女の出した結果を自分の物として報告していた。けれど、最初からばれていましたよ。なぜなら、導き出し方が前宰相スケルシュ伯と同じだったからです。あれは君たちのような若輩者に出来ることではありません。誰かの手を借りなければね。いつまで続くかと見ていましたが、さすがにやり過ぎましたよ」
昼行燈と陰で笑われていた宰相殿下。
あの書類の山がどこから来たのか知っていたのか。
新人たちの提出した書類。
その出来を見て古参の職員は「今年の新人は見どころがある」と喜んでいた。
なので本来正職員になったばかりでは任せないような仕事も回していた。
それが全てお嬢の手柄の横取りだと ?
それを殿下は初めから見破っていたと ?
そうだ。
皇配に選ばれるほどの人物だ。
無能なはずがない。
女帝陛下よりも目立たないよう、そう演じていたのだ。
「君たちには選択肢はありません。まず不特定多数のいる場所で彼女について根も葉もない話を声高に話した。名誉棄損です。正規職員と言う彼女より優位な立場を利用して、一人では捌ききれない量の仕事を押し付けた。職務怠慢です。そしてそれを自らの成果だとしていた。虚偽の申告です。この三つで十分に懲戒解雇の対象です」
「 ! そんなつもりではっ ! 」
「解雇の後、児童虐待の罪が加算されます。扶持の返却などは求めません。罪状を公表するつもりもありませんから、君たちの家族の不名誉にはならないでしょう。では、消えなさい」
新人たちは待機していた騎士たちに連れていかれた。
宰相殿下は話は終わりですと執務室に去った。
残ったのは書類の山だ。
私たちはそれを切り崩すべく、手分けして立ち向かった。
年度終わりまで二週間しかない。
覚悟を決めるしかなかった。
◎
書類と格闘しながら、私は宰相府からの移動を希望した。
お嬢の体調不良に気付いていながら何もしなかった。
一言「休みなさい」「手伝おう」と声をかけていれば、少しは彼女を助けられたのではないか。
押し付けられた書類だって見つけられた。
何よりも何故やつれていく姿に自分の娘を重ねて見ることをしなかったのか。
そんな自分の不甲斐なさと情けなさにやりきれなかったからだ。
だがそれなら自分もという仲間の多さに、宰相殿下から待ったがかかった。
これを反省材料としてさらに職務に励めと。
宰相府職員が一丸となって年度末処理を乗り切った翌日。
『成人の儀』がやってきた。
娘の一世一代の晴れ姿に、年甲斐もなく目元が潤んだ。
騎士爵の娘なのでまとめてのご挨拶ではあるが、落ち着いた様子で安心した。
男爵、子爵と挨拶が続く。
伯爵位からは一人ずつだ。
さすが高位のご令嬢。
どの方も素晴らしい資質をお持ちだ。
そして最後のご令嬢になった。
「ダルヴィマール侯爵家ご息女」
扉が開かれ、ダルヴィマール家の不思議なドレスを着たご令嬢が現れた。
父上譲りの薔薇色の髪と、母上譲りの愛情深そうな愛らしい顔。
何よりも他の令嬢とは違う知的で全てを従える圧。
思い出した。
今は亡きスケルシュ閣下とよく似ている。
緊張しながらも安心して仕事をすることが出来る。
この人について行けば何の問題もないと言う信頼感。
春の除目では発表されていないが、宰相殿下からは今年度から宰相府に配属されると聞かされている。
新しい風が吹いてきた。
これから何が始まるのだろう。
私の心は宰相府に配属された時のように高鳴っていた。
一日置いて新年度の始まり。
今年は五名の見習いが入って来た。
挨拶が終わった後、宰相殿下が紹介したい人物がもう一人いると言われた。
部屋に入って来たのは期待通り、ダルヴィマール侯爵令嬢だった。
「本日より『宰相執務室室長』を拝命いたしました。見習い以外の皆さんは、いままで通り『お嬢』とよんでくださいね」
扇子の向こうで若々しい笑顔が輝く。
「さあ、お仕事を始めましょう !」
この朝から宰相府の快進撃が始まった。
次回から末姫ちゃん目線に戻ります。
こんなに長くかかるなんて・・・。
四十行くかもしれません。
がんばる
お読みいただきありがとうございました。