末姫さまの思い出語り・その10
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「私もそのお話をうかがいたいです、ディードリッヒ兄様」
母が扇子をパシッと閉じる。
「私の時もそうですが、一部の低位貴族婦人がおかしい。兄様はなにかご存じではないですか」
「ああ、それについても説明しなければな」
マールが新しく冷たいお茶を入れてくれる。
砂糖もミルクも入っていない焦げ臭い香りのお茶だ。
「男爵夫人から聞き取りをしたのだが、あの令嬢は女学院に入学するまでは極々普通の少女だったそうだ」
「普通、ですか ? 」
「そう、普通の、当たり前の十才の女の子だ」
夫人がおかしいと感じ始めたのは二年の冬。
お気に入りの乳母を罵倒し扇子で殴ったのだと言う。
「今まで仲が良く高齢の乳母を気遣うやさしい娘だったのに、一体どうしてしまったのだろうと問い詰めると、女学院で貴族婦人として使用人に厳しくしなければいけないと習ったのだそうだ。そして決して侮られないよういつも凛とした態度でいるようにとな」
始業前と終業後には『淑女の嗜み』とかいうのを唱和させ、ベッドに入ってからもそれを心の中で数回繰り返すよう指示されていた。
女学院の二階でそんなことが行われているなんて知らなかった。
「自分たちがどれだけ気高く優れているかとか、平民は貴族のおかげで生きているのだとか。要するに自尊心や虚栄心を増長させる言葉だ。それを毎日続けていたら、一体どんな令嬢が出来上がるだろう」
「最悪、ですね。ええ、とんでもない価値観の低位貴族婦人が大量生産されてしまいます」
特に眠い頭でそんなことを考えていたら、それを毎日続けたら、否が応でもその言葉が心の奥底まで染み渡ってしまうだろう。
私だって一日の終わりには母から教わった『五省』を思う。
でもそれは自分自身の一日についての振り返りと反省であって、貴族としての価値観を押し付けられるなんてことはない。
第一そんなものは両親を見ていれば自然に身につくものだ。
一々教わるものじゃない。
「実は低位貴族の中にはあの女学院には通わせてはいけないという噂があったそうだ。そういう家々が金を出し合って、私塾のようなものを運営しているところもある。ダルヴィマール領にも似たようなものがあるだろう、テラコヤが」
ヒルデブランドにもあるけれど、一定数の住民がいる村には昔からテラコヤという場所があって、平民は五つくらいからそこに通って読み書き計算を習う。
優秀な子供のためには領都にもう一つ学校が用意されていて、卒業後に文官試験を受けたり領地内のテラコヤに派遣される教師になったりする。
それと同じように家庭教師を雇えない依子のための寄宿学校もある。
屋敷の中にも使用人のための教室がある。
ディーおじ様のエリアデル領でも取り入れて、今は同じように領民への教育が進んでいるという。
『知識と真心は世の海を渡る為の舵と錨』
ダルヴィマール領にはこの考えが浸透している。
また他領の高位貴族もまた自分たちが領民に支えられていて、故に領地のために尽くすのだと考えている。
他国は違うらしいが。
「男爵家でも女学院を退学させようとしたらしいが、令嬢本人が受け入れずに通い続けていたそうだ。そして夫人は護衛達への暴言を見て、自主的に修道院に入れるよう手続きを進めていた。残念ながらその前に沙汰が下りてしまったが」
「・・・男爵ご夫妻のご心痛、なんと申し上げたらよろしいのでしょうか。とても穏やかな方とお見受けしましたけど」
けれどまだ引っ掛かりはある。
なぜ女学院はそんな偏った思想教育をしたのだろうか。
個人経営ではない、王立の学校だ。
同じ王立の騎士養成学校ではそんな話は聞こえてきていない。
「私は平民枠の一階組でしたから、ダンスなどの芸術系や刺繍、貴族間のお付き合いの仕方などは習っていませんでした。それ以外の学術系は科目はダルヴィマール領の寄宿学校と同じです。水準はとても低いものですけれど」
貴族婦人には分数も少数も必要ないとは言え、この年で三桁の掛け算を延々と解き続けるのは辛い。
さすがに騎士養成学校ではもう少し上を教えている。
騎士団では書類仕事もこなさなければいけないからだ。
「そのことだが、本来なら一階には平民枠だけが入り、騎士爵以上は二階で教育されるはずなんだ。ところがここ数十年、一部の騎士爵の生徒が一階で平民と過ごしている。そしてその名簿を見ると面白いことがわかった」
ディーおじ様はひとまとめにされた紙の束を取り出した。
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『五省』とは、九十年前の海軍兵学校時代から続く海上自衛隊幹部候補生学校の伝統だそうです。
出典は幹部候補生学校のサイトです。
ルビだけ付けなおしています。
一 至誠に悖るなかりしか
〔誠実さや真心、人の道に背くところはなかったか〕
二 言行に恥づるなかりしか
〔発言や行動に、過ちや反省するところはなかったか〕
三 気力に欠くるなかりしか
〔物事を成し遂げようとする精神力は、十分であったか〕
四 努力に憾みなかりしか
〔目的を達成するために、惜しみなく努力したか〕
五 不精に亘るなかりしか
〔怠けたり、面倒くさがったりしたことはなかったか〕
「出典と書いてコピペと読む」とおバカなことを言った学生が昔いたそうです。
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