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ウォルバーと私  作者: 一ノ瀬きなこ(吉菜小)
第二章
34/41

第33話 ノース凱旋舞踏会にて

アンナマリア様視点。

さて、いよいよ煌びやかな舞踏会・・・かな?

嵌められた。


 貼り付けた笑顔の下で、歯の根が合わない。


 酒の匂いと、笑い声。そして緑色のドレスで埋まった広間で、私たち二人だけが、真っ白い衣装を身につけていた。

「アンナマリア様はハイケーン領の人ですから、こちらの様式を知らなかったんです。私も忙しくて手が回らず」

 立て板に水の白々しい嘘。トシュテンの口は詫びている。だがその実、恣意的に私に恥をかかせていた。どの色のドレスを選んだのかその話は夕食時にしかと伝えている。

 ノース領では催しの度に色が決められる。季節に合わせたものであったり、主賓の固有色であったり。固有色そのものは両国に共通するものの、その発展の仕方が異なっていた。

 会場は緑色のドレスに染まっていて、私とルヒトだけが真っ白い衣服を身につけていた。悪目立ちをしていた。

「でも綺麗なドレスですわ。とてもお似合いでしてよ」

「ありがとうございます」

 同じ台詞を添えて、同じ角度の会釈を何十回も交わす。

 系統色ならトシュテンから半歩下がって人々の印象に残らずに済んだだろうに。これで、ローズホイッスル城に人質として囚われているハイケーンの王妃がどのような外見なのか、敵国全域に知られてしまう。私の外見は一目で人々の記憶に深く残るものだ。なぜこの顔に、この体に生まれたのか。それさえも忌々しかった。

 挨拶のたびに、露出の多い女性の胸元と鮮やかな緑が映る。色差、その鮮やかさと、自分の置かれた環境に吐き気がこみ上げてきた。ふっと気が抜ける。

 後ろから腰がしっかりと支えられた。

「トシュテン様、申し訳ございません。アンナマリア様の履物がお足に合わないようで」

「そうか、代わりの用意はあるのか」

「はい、お部屋に。一度、失礼しても」

 ルヒトが笑顔のままやり取りを済ませ、私の手を取った。

「まだ顔色には出ていません。広間を出るまでは前を向いていて下さい」

「あなた、嘘のつき方が上手いわ」

 揶揄したつもりであったのに、彼は涼しく答えた。

「主人に似たんでしょう」


「ドレスを脱がせて、汚してはいけないから」

 手足が冷たくなって、脂汗が吹き出る。下着だけになった途端、我慢がきかなくて、床に胃に入れたばかりのものを吐き出した。床の冷たさが膝下と手のひらを急速に凍えさせる。

「ごめんなさい」

 唇を強引に拭おうとした手を制される。

「床の掃除はすぐにできますから」

 コルセット越しに背を撫でる彼の手は兄のそれを思い出させる。訳も分からず涙がこみ上げてきた。体調の悪さがそうさせたのか、もしくは、ここでの私の扱いに胸を痛め配慮を怠らないこの男に気が緩んだのか。後者だとしたら、この人を遠ざけなければ。気を緩めるなんて、とんでもない。

 ぼたぼたと涙が溢れた。

「片付けまで、私の寝台で少し休んで下さい、床に座り込んでいては悪化させます」

 汚れた口元を布で拭った。居室は、ツインズ城でのそれと異なり狭い一間だ。汚物がある部屋の寝台ではまた気分が悪くなると考えたのだろう。俯いて動けないでいる私に彼は、お体に触れます、と断った。腕が肩にかけられる。朦朧としていれば、ふわっと体が浮かんだ。ルヒトの首筋が目前にある。横抱きにされていた。

 久しぶりにきちんと人の肌に触れている。耐えてきた心細さが破裂してどうにかなりそうだった。

 寝台に降ろされ、口を漱がされる。肌が離れる時、指先が追おうとしてしまった。きゅっと握りこんだ。不安なことが、溢れるのに抵抗をしなければならない。

「御髪が崩れてはいけませんから、横にはならずに」

 ヘッドボードに体を預けた。また、もよおしてもいいように、洗面器が手の届く位置に置かれた。当然のように、ルヒトは後ろ手でドアノブを捉える。

「ルヒト」

「はい」

「開けておいてください。その……あなたの部屋は私のより狭いから、息が詰まってしまいます」

 扉が開け放たれると、私の部屋まで見通せる。上着を脱ぎ、汚物を躊躇なく片付けるルヒトをわけもなく眺めていた。

「哀れなものね、そんな汚らしいものに触るのが務めだなんて。自分より歳が下の女にいいように顎で使われて、嫌気がささなくて」

皮肉が口をついて出た。

片付けを終えた、ルヒトは私の足元に跪く。私を見上げる眼差しは柔らかい。

「発言をしても」

「許しましょう」

「奴隷でも、感情はあります。嫌な仕事はあります、無理をして気が狂うものもいる。それでも、貴女に関わることは不快だと思いません」

「そうしなければ、妹の身が脅かされるからですか」

苦笑する様は、私のわがままを受け入れる兄のそれに少し似ている。

「それも、もちろんあります」

気が良くて、人はみな、優しい心を持っているはずだと、どんなに裏切られても信じているところも。

「やはり、奴隷に感情があるのと同じように、貴女にも感情があると私は知っているからでしょう」

頭が悪いところも。

「本当に愚ね。あんまり生意気な口を利くと妹にも厄が及びますよ」

「申し訳ございません」

「以後、気をつけなさい」

 俯いて、やり過ごすのを、彼は気がついていて、背を向けてくれるのだ。弱い姿を見られるのを私が嫌うから。


 このまま休んでいたいのは山々だが、言い訳に使ったのは靴の履き替えだ。

 そろそろ広間に戻ろうと、ドレスを元どおりに身につける。薄紅を引いていると、扉が叩かれた。

「お開けして」

 戸口の真ん中にお供を引き連れて立っていたのは、面識のない貴婦人だった。


「お飲物をご用意しますか」

「結構よ、下で注がれた分で食べ物が入らないくらいなんだから」

 重たいであろう体に見合った手を振ってルヒトの申し出を断りながら、部屋を見回す。

「失礼ですが」

「下でご挨拶させていただいたけれど、あんなに沢山いれば覚えているわけもないわね」

 座りますよ、ぞんざいな物言いで、どかりと腰掛けに座る。

「リカルドソンの家から来た者です。私のことはラウラ小母とでもお呼びなさい」

 お供の数や態度からも、ノース領内でもかなり良い立場にいるように窺える。ハイケーンより君主と領主たちには距離があるのだと察していた。

「ラウラ様、あまり私にこのような接触をするのは適切ではないかと思われます。トシュテン様に叱られてしまいますから」

「そう、それが私は気に入らないんです」

 ラウラ小母の声は不必要に大きかった。顔をしかめないようにするのが一苦労なほど。

「こんな狭くて質素な部屋に閉じ込められて、こんな男奴隷に身の回りの世話をされて、かわいそうでならないのですよ」

 今日の舞踏会で改めて知った。奴隷を連れている人間はいなかった。ラウラが大勢引き連れている者たちも自由民の身なりであった。

「いいえ、命があるだけでもヘルベルト様、トシュテン様に感謝しても仕切れないほどです」

 漏らす苦笑に、ラウラは身を乗り出した。

「でも、願いが叶うなら、あなたはこの状況から脱したいと思っているでしょう」

 そっと手を握られた。

「私たちに協力すれば、必ずあなたを解放しましょう。ノース領の力関係は極端です。あなた方のところのように仲良く手を繋いでいるわけでないの。ヘルベルトに権力が集中しすぎているのが、現状だわ」

 君主に敬称をつけないのは、彼女が、敵意を彼らに孕んでいると見ていいのだろうか。

「叩くのなら、今なのですよ」

 握られた手に力が込められる。反射で引きたくなった。

「終戦後の復興はもう始まっています。可哀想だけれど、あなたの国の兵も間も無く鎮圧されるでしょう。ハイケーン領に出ている軍や各地に散っている兵が城に集まりきる前に行動を起こしたいのです」

「何をいっているのか、私にはわかりませんわ」

 罠だろうか、トシュテンに差し向けられた。ゆるく頭を振り、手を引いた。

「芝居はおよしなさい、この程度のことが分からなくて、今まで生きていられるもんですか」

「私に何を望んでおられるのです」

「ただ、私と仲良くしていてくれればいいのです。トシュテンにその都度伝えてもらいたいことくらいは出てくるかもしれませんが」

 反旗をひる返すつもりで、それに誘われている。そんなことは分かりきっている。

「まあ、すぐとは言いません。何か用があれば、人目につかないように、そこの男奴隷に伝言を託します」

 ルヒトを顎で指すその刹那に、彼への軽蔑が見て取れる。瞳が冷たいのだ。

 具体的な返答を避け、微笑めば、先ほどまでの冷たさが優しげな顔に豹変した。

「いい、あなたのためでもあるのよ。あなたの言う通り、長居は危険ですからね。さっさと老人は家に帰ることとします」

 なにをもたもたしているの、居室の外に仕替えていた御付きをせっついて、嵐のように彼女は去っていった。

ハッピーエンドに向けラストで盛り上げるため、序盤の今はずっと不幸に落ちる話が続いております。

ずっと下り坂も読者の皆様が疲れてしまうかなと思ったので25話『月白色』で「舞踏会、綺麗なドレス」と少し持ち上げて今話で落としてみました。緩急ある下り坂、いかがでしたか、ご感想お待ちしております。

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