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ウォルバーと私  作者: 一ノ瀬きなこ(吉菜小)
第一章
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第1話 鳩

コッカテイルはオカメインコという意味の単語です。コッカテイルちゃんはほっぺが真っ赤でぷくぷくしているので、二人にそう呼ばれています。


【注意】今回少し暗い話です。また「異性に無理やり」が苦手な方にはお勧めできない内容に今話なっております。自己判断お願いします。

「アンナマリア様、お城の外に出たいと思ったことはないのですか」

 私は彼女の綺麗な髪にブラシをかける。透けるようなブロンドの髪が、いつも真っ直ぐに垂れている。

「私が立派なレディになれば、お父様が素敵な殿方を選んでくれるでしょう。そして、婚姻の暁には、お城を出ることができます。今はそのために備えるの」

彼女は雪のように白い頬を笑みの形に持ち上げた。アンナマリア様は分かっていて言っている。本当の私たちが城を出れない理由は、私たちが生まれる前から続く戦争のせいだ。私たちは、幽閉に近い生活をしている。

 アンナマリア様の乳母の子、それが私、クレア・リードだ。

 アンナマリア様といえば大河の東南、その大領主ウィリアム・ハイケーンの娘である。つまり、お姫様だ。ハイケーンには、息子と娘が一人ずつ、一人娘となるアンナマリアは一族の誰からも溺愛されていた。

「クレア、あなたは外に出たいのかしら」

 私は彼女の髪を緩く二つに結う。

「アンナマリア様と一緒なら、行ってみたいです」


「二人とも、もう寝る時間ですよ」

 私の母、アマンダ・リードが部屋に入ってきた。

 アマンダに追い立てられ、アンナマリア様はベッドに入る。そして私も、彼女に招かれて同じベッドに潜り込んだ。

「今日は何のお話」

 乳母は、子供の世話をする。その寝かしつけの際に物語を読んで聞かせる様子から、代々リードというラストネームが与えられる。

「今日は、お姫様お気に入りの南の大陸に住む動物の話をしましょう」

 私は母の方に身を乗り出した。

「そのお話大好き、アンナマリア様と一緒に図書室で図鑑を見たのよ」

「まあ、そうですか。それでは続きから」 


 お話が始まって間もなく、下の階から何かが割れる音が聞こえた。

「アマンダ、今のは何」

 アンナマリア様がお尋ねになる。びっくりした私はアンナマリア様の腕に顔を埋めた。

「様子を見てきますね、念のためにお部屋の内鍵をお掛けになってくださいませ」

 言われた通り、アマンダが出ていってすぐ、部屋の内鍵を閉める。

 またもや、何かが割れる音が聞こえた。

「侍女が粗相でもしたのでしょうか」

 私はアンナマリア様に尋ねた。

「侍女の粗相なら、一度で済む気がしますが」

 二人でドアに耳を付けた。すぐにまた、物が壊れる音が聞こえる。そして、何かが割れる音だけでない、男の人の怒号と、女の人の悲鳴。

 向かい合わせになり、お互い、目を見つめる。音がどんどん、大きくなる。それにつれ、悲鳴も怒号も大きくなり、もっと重たいものも壊れる音が混じる。

 アンナマリア様の瞳に恐怖が浮かんだ。私も心に恐怖を感じる。

 悲鳴の中に聞き慣れた声が混じった。


 お母さんだ。


 私は鍵に手を伸ばした。アンナマリア様が私を羽交い締めにする。

「だめ、今開けてはだめ」

 聞きなれた声が、聞きなれたはずの声が、聞いたこともないような捩れ方をする。

 下まぶたに涙が盛り上がった。悲鳴が言葉になって耳に入ってくる。


 開けてはなりません、お姫様。開けてはいけません。


「お母さん!!」

 扉の向こうから届く悲鳴はだんだんと、言葉の体を保てなくなっていく。

「クレア、いけません、アマンダのためにも」

 アンナマリア様も泣いていた。

 扉の向こうの絶叫がやむと、今度は扉が激しく叩かれ始める。ノックではなく、壊そうとしている。

「どこかに隠れます」

 アンナマリア様は私の手を引いた。私は泣き崩れ、引きずられる。

 クローゼットの中に、二人で入った。直後、部屋の窓が割られる。高い音が室内に響き渡った。体がキュッと強張る。

 泣き声が聞かれないように、アンナマリア様が私の口を塞いだ。彼女の手にはひどい手汗。

 私も動揺の中、わずかな理性で息を殺す。いくつもの気配が部屋の中を動き回っていた。無遠慮で品のない足音、そして、鎧の擦れる音。

 何とか、やり過ごさないと。その一心で、耐える。心臓が早鐘を打っていた。一秒が永遠に感じる。暗闇の中で、ただただ体を緊張させた。


 キー。という音を立てて、光が差し込む。目がくらむと同時に、体が床に打ち付けられ、息ができなくなった。

「こっちが姫だ。そいつはいらん、好きにしろ」

 男の声と、むせ返るような血の匂い、土の匂い、髪を引っ掴まれる痛み。

「クレア!!」

 アンナマリア様の悲鳴で振り向くと、鎧を着た男が彼女に縄をかけていた。彼女の手がこっちに伸びている。

「アンナマリア様!!」

 私も喉が切れるほど、叫び、手を伸ばした。

 しかし、髪を掴んでいる男が今度は足を掴むので、彼女には届かない。

「クレア!!」

 もっと切羽詰まった悲鳴とともに、世界が回った。私が足を掴まれていたのは、私が彼女に駆け寄るのを、妨ぐためではなかった。

 仰向けにされて、後頭部を床にしたたかに打ち付ける。目の前が点滅したのと、一緒に足の間に違和感が生じた。目が見えるようになると、知らない男の顔がすぐ近くにあり、舌が頰をはっていた。恐怖と気持ち悪さが体の中をのたうつ。

「アンナマリア様!!!」

 体を劈く、強烈な痛みが走った。痛みを逃そうと手を泳がせるも、痛みは増すばかりで、絶望する。

 いつこの地獄が終わるのか、頭を振り乱し、四肢をバタつかせる。終わりを持っていても、苦痛はどこにも行かなかった。いつまで耐えればいい。いつまで。


「クレア!クレア・リード、目を覚ませ。それは夢だ。過ぎた過去だ」

 揺さぶられて、苦痛が遠のいていく。

 嗚咽を漏らしながら、目を開けると、クラークが私を揺すっていた。肩を上下させていると、クラークは私の肩を離した。

「汗がひどい、水を汲んでくるから、拭なさい」

 クラークがいなくなってから、グレイも起きていることに気がついた。

 己の膝を抱く。

「起こして、ごめん」

 謝りながら、手のひらで涙と汗を拭う。

「おう」

 闇の中、焚き火が小さい音を立て爆ぜる。あの時の匂いも、痛みも、感触も、ここにはない。内腿に残った痣を押さなければ痛みは感じないはずだった。

「大丈夫か」

 グレイは焚き火を突いていた。

「うん」

 じんわりと熱い目頭を、腕に押し付ける。


 夜が明けて、手早く出立の用意をする。

 私は焚き火の跡を隠してから、ウォルバーに近寄った。悩みのなさそうな、呑気な顔をしている。

「幸せなヤツは嫌い」

 くねっと首を曲げて私を伺う。ちっちゃい目が乗っている時以外ずっとこっちを見るのだ。こっち見んな。


「大河を渡るまでは何もできん、焦らず行くぞ」

 後ろの二人はカッポカッポとゆっくり馬を進める。

 焦らずって、と私は口を尖らせた。アンナマリア様を早く助けて差し上げなくてはならないのに。

「おうおう、なんか言いたそうだな」

 軽口に勢いが削がれる。

 ハイケーンの宿敵であるノースはザ・ウォールと呼ばれる連峰を背に、城を持っている。ローズホイッスルと呼ばれるその城は、山から吹き降ろされる風の音からその名がついた。

 アンナマリア様が、ローズホイッスル城に連れ入られてしまえば、助けることはもはや絶望的になる。その前に、手を打たなければならなかった。しかし、グレイはゆっくりと言う。

 ハイケーンの城、ツインズとローズホイッスルのその中間には大河があり、その北西をノースが、東南をハイケーンが治めている。その大河を姫を連れた連中が渡るのを待つべきだとグレイは言うのだ。

「大河を渡るまでは奴ら隊列を崩さない。あの辺りの小さい港からは小さい船しか出せない。小隊に分かれて船に乗った後がチャンスだ。そんなこともわかんないとは、お子ちゃまは勇敢だなぁ」

 頰を膨らませる。

「コッカテイルはよく怒るなあ、ほっぺた真っ赤だぞ」

「うるさい、嫌い」

 後ろから聞こえる呑気な笑い声が静かな森に響く。

「グレイを許してあげなさい。私たちで戦えるのは二人しかいない。二人で倒せる兵は多くない」

 隣にきたクラークがそっと詫びた。期せずしてその優しさが追い打ちをかける。私は、戦えない。

「別に、お前は何もできないってわけじゃねぇよ。何落ち込んでんだ」

 むすっとした表情のままグレイを振り向いた。何であんたが気付くのよ。

「お前がいないと、姫は俺たちと面識がないからな。あんな状況だったんだ。また連れ去られると勘違いさせて、まごつくかもしれん。お前がいれば、そのリスクはないだろ」

 クラークが苦い顔をしていた。


「あれは何」

 話題を変えたくて、道の先に小さく見える幌馬車を指差した。

「行商か、武人ではないな」

 グレイが目を細めた。

「追い着こう、食べ物があるなら買いたいところだ」


 近づくにつれ、馴染みのある鳴き声が聞こえる。

「鳩だわ」

「鳩馬車か」

「それは何」

 羽が、幌の淵に糞と一緒にくっ付いている。

「旅人の連絡手段だよ。大きな都市からそれぞれ鳩を預かって街道を運ぶんだ。自分の元いた場所に彼らは戻る。これのおかげで旅の途中でも迅速に手紙を届けることができるんだよ」

 クラークは口の前に人差し指を立てた。

「コッカテイル、誰が密告者になるかわからないから、人前では男言葉を」

「わかってる」

 彼は馬を早め、馬車の前に回り込んだ。鳩馬車が止まる。

「失礼、鳩馬車で間違いないか」

「はい、その通りで」

「利用したい」

 馬車の主人は馬車を降りた。クラークも馬を降りる。グレイと私もそれに倣う。

 初めて見るものに私は目を輝かせた。主人が荷台の蓋をあけると、幾つもケージが積まれていた。その中には鳩がそれぞれ一羽ずつ入っている。

「お前の友達がいっぱいいるぞ」

「うるさいな」

 グレイのちょっかいに顔をしかめる。

「アド・リティームに飛ぶ鳩はいるか」

「はい、ご用意ございます」

 主人にクラークは銀貨を一握り渡した。

「紙とペンと蝋も頼む」

「かしこまりました」

 主人はすぐに足場を組み、なめらかな板をその上に乗せた。たったまま使えるように普通の物書き机より高く造られている。そして、インク壺と筆ペン、蝋と火打石を持ってきた。

「私めは向こうで火種を作りますので、ゆっくりお書きください」

 そう残すと、彼はさっと背を向けた。

 グレイが筆を執る。

「字が汚ない」

「なんだと」

 いつもと立場が逆転する。

「お前は綺麗に書けんのかよ」

「当たり前でしょ。アンナマリア様と同じ教育を」

 得意になってまくし立てていたら途中で二人ともに口を塞がれた。

「コッカテイル」

 クラークに表情で叱られる。馬車の主人が遠くにいるのを再確認してから口から手が退いた。

「アド・リティームって書いてみろ。クラークもだ、んで、一番綺麗な奴が手紙を書く。何しろこの手紙の送り先はあの方だ。きちんとしていた方がいいだろ。」

 グレイは声を低めて提案した。手紙を受け取るのは、アンナマリア様の兄にあたる方だ。王も王妃も城が落ちた時に殺されてしまったが、王子はわけあって違う都市から動けない状況にある。二人は王子の護衛だった。

「遊んでる場合じゃないだろ」

 クラークは眉間に皺を寄せる。

「でも、このガキは乗り気みたいだぞ」

「ガキじゃない」

 でも、乗り気なのは本当だ。私の表情にクラークは呆れながら、諦めた。

「仕方ないな」

 最初の紙は試し書き用にして三人でアド・リティームと書いていく。

 グレイの字は重心が定まらず形も汚い。クラークの字は綺麗だった。勤勉なイメージがそのまま、均一な大きさと角度で並べられてる。

 最後に私が筆をとった。


「なるほど、俺はクラークの字が綺麗な字だと思ってきたけど、確かにな」

 グレイは目を細めた。

「緩急があるのに重心が一定なんだ」

 クラークも頷く。ふふん、と私は胸を張った。優美な字の書き方を習ったのだ。


 城を出た直後に一度鳩を飛ばしたらしい。手紙の内容はその後の近況とアンナマリア様を連れ戻すのは、大河を超えたあたりになること。

 書き終わってから、主人を呼び封蝋をする。一番体調が良さそうな鳩を選んでもらい、の足に手紙を括った。

「お前、飛ばしてみるか」

「いいの」

 グレイに言われて、主人から鳩を受け取る。ふかふかとした胸毛が人差し指と中指を埋めた。暖かくて、人よりも細かく息をしている。とくとくと少し早い脈が懸命に生きていることを伝えてくる。

「軽く投げるように、離してください」

 鳩馬車の主人に頷いた。

「よろしくね」

 誰にも聞こえないくらいの声で、鳩に囁く。クルッ、クルッと喉を鳴らしていた。

 力を入れず、そっと放るように手を離した。

 手放す間際、翼の根元がぐっと動いた。小さな体からは考えられない力強い筋肉で空を飛んでいる。

 鳩は小さな体でもしっかりと、東北の空に羽ばたいていった。


 鳩馬車と別れて、しばらく。休憩で河原に腰を下ろした。クラークとグレイはなにやら話し込んでいるので、私は手持ち無沙汰にウォルバーに近寄った。

「あんたも鳥でしょ、飛べないの」

 水を飲むウォルバーの翼の下に手を差し込む。布団のようにぬくぬくと暖かい。ふと、手に何かが引っかかった。

「触っていい」

 今更な問いかけをして、恐る恐る翼を持ち上げた。


 一番太いはずの羽が、不自然に途中からなくなっている。

「だったら、そうって言えばいいのに」

 自分の小ささが急に惨めになった。翼の下に手を差し込んだままその背に顔を埋めた。涙が滲み、羽に沁みた。


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