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悪役令嬢時々ヒロイン――一番の悪役は活き活きしてるお兄様。

作者: maruisu

「エリザベート・ド・スタンレー公爵令嬢、今日この場で私ははっきりと宣言する。王と王妃の御前で。私はエリザベート・ド・スタンレー公爵令嬢との婚約を今日この日を持って破棄させていただく!」


 青天の霹靂っていうのは、こういうことを言うのでしょうか。

 いえ、私にもわかってはおりました。婚約者であるフィリップ殿下が他の女性にうつつを抜かしていることは。

 ですけれど、殿下は王冠と恋を天秤にかける方ではないと信じていたのです。

 まさか、王陛下が決めた婚約者である私をその地位から落とすことはないと信じておりました。

 この時までは。


「あら、まあ……」

 わたくしの口から洩れたのは、情けなくもその一言でした。

 いえ、他に言葉が見つからなかったのです。


 どうしてこうなったのか。

 事の発端は、殿下が王立のパブリックスクールに入学されたことでした。

 王族であるからこそ、広い人脈と市井を知るのは大事なことであるとされ王族の子弟はみな王立のパブリックスクールに入学されます。そこでご学友と友情を深め、今後のつながりを持ち、平民の生活を知ることで彼らの暮らしがよくなるには王族として何を知るべきか、を身を持って学びます。私の婚約者であるフィリップ・オブ・ギース皇太子殿下も例外ではございませんでした。


 殿下の学園生活はとても充実したものだと聞き及んでおります。優秀な成績を収めているばかりか、生徒会の活動に専念されて学園内の皆様の生活を守り、寄宿舎では監督生を務めていらっしゃるそうです。なんてご立派なんでしょう。私はまるで自分のことのように喜んでおりました。

 しかし懸念材料がないわけではございません。殿下の回りには女性の影も多く、なんでも親しくなさっている女性がいらっしゃるという事を、わがスタンレー家縁の筋からの情報として入ってきておりました。

 ですがそれも仕方のない事なのでしょう。それまで王宮から出ることの叶わなかった殿下。遊び相手は産まれた時から婚約者と定められた二歳年下の子どもと、貴族の子弟で固められた学友と呼ばれる子ども達。自分の意志で友人を決める事の出来なかった殿下は、パブリックスクールに入学してようやく、自分で付き合う友人を選ぶことができたのです。

 そんな殿下を、どうして責めることが出来ましょうか。 

 

 充実した学園生活を送っていた殿下に対し、私は殿下がパブリックスクールに入学されてからというもの、遊び仲間もいなくなってしまい孤独な日々を過ごしました。

 殿下の花嫁となるために基本的な勉学はすべて家庭教師に学んでおりましたし、必要なマナーも一流の講師によって教育されておりました。お妃教育は殿下がパブリックスクールに入学してから王宮へ伺い、王妃陛下と女官長によって厳しく学んでおります。ですから、忙しい日々と言えばそうでしたが、勉強ばかりのつまらない日々を送っておりました。

 王となる殿下にとって下々の者と関わるのは有益ですが、王妃となる私は外の世界など知らない方が幸せだと、囲われた鳥のように穏やかに代わり映えのないかごの中の生活だったのです。


 そもそも私たちは、親が決めた婚約者でした。

 現王陛下には王子はお二人。実家の後ろ盾のない王妃腹の王子である第二王子の出自の低さを補うための駒として、私は生まれながらに第二王子の婚約者として定められたのです。

 ですからこの婚約には殿下と私の意志はございません。

 婚約者として幼いころから引き合わされていた私たちは、幼馴染の気安さで殿下が学校へ入学するまで遊び仲間として過ごしておりました。

 そんな私が殿下への恋心に気がついたのは、皮肉にも殿下がパブリックスクールに入学されてからでした。殿下と共に過ごしている時は気がつかなかった恋心を自覚したのです。殿下と過ごした時間が、自分にとってどれだけ幸せだったのかを。

 私に向けられる殿下の眼差しをずっと独り占めしていたいと。


 ある日、殿下が長い休暇の時に王宮に戻られました。その時、殿下はパブリックスクールでのご学友を連れておられました。殿下は私にもご自分のご学友を紹介して下さいました。

 その中におられたのが、キーラ・ド・ボートレー男爵令嬢でした。

 殿下のご学友は他には男性ばかりでしたから、その中でたった一人女性を紹介された時は驚きました。

 キーラ嬢は殿下の同級生でした。もちろん共学ですので棟は違いますが、同じ寄宿生活という気安さから、キーラ嬢と殿下は急速にその距離を縮めて行ったそうです。

 キーラ嬢と殿下は私の目から見てもとても気安く、仲睦まじい様子でした。その親しさが男女であっても友人と呼ぶのが相応しいのか、私にはわかりかねるほどに。王宮内でもそれを隠すことなく、親しく交流されておりました。

 殿下はキーラ嬢をあくまでも友人の一人だとおっしゃっておりましたので、私はそれを信じたかったのです。


 ですが殿下にとってそんな私はただの足枷でした。

 殿下の帰省中にそれをまざまざと思い知らされる出来事が起こったのです。

  

 王宮でみなさまが過ごされているとある日、殿下が私にお声をかけてくださいました。みなさまがいらっしゃるときには適度に距離を取っておられましたから、殿下に直接お声をかけていただき、私はとても嬉しかったのです。

 ですが、殿下から掛けられたお言葉は私の期待を裏切るものでした。

「キーラが嫌がらせをされているそうだ。もちろん彼女は直接そんなことは言わないが、困っている様子だ。君が何かをしているのなら、やめてもらえないか?」

 突然の殿下の言葉に、訳が分からず返事などできませんでした。

 殿下がおっしゃるには、私がキーラ嬢にワインをかけたり、夜会のためのドレスを破いたり、彼女の大切な持ち物を破損させたり、侍女たちに命じていやがらせの数々をさせたというのです。

 

 キーラ嬢を見つめる殿下の顔はとても喜びに満ち溢れていました。目の前のキーラ嬢が愛おしくてたまらない、そんな眩しそうな表情を浮かべる殿下の様子に、確かにわたくしは嫉妬いたしました。


 ですが、私は断じて否定させていただきます。


 私がキーラ嬢に対して嫉妬したからと言って、仮にも王妃となるべく育った私が男爵令嬢に対してそんな非道なふるまいなど断じていたしません。王妃は何があっても私情で動いてはいけないのです。ですからいくら嫉妬しようとも、そのようなことをしてはなりませんし、またする必要は私にはございません。

 時が来れば、殿下と私は結婚するのですから。


 殿下は返事が出来ずに固まっている私を見て、ため息を一つ漏らしました。

「否定をしないという事は、君がやったという事なのだね」

 その言葉で、私は慌てて首を横に振りました。

「何のことだか、私にはわかりかねます。ですからお返事など、しようがございません!」

 必死にそう言った私の顔を見て、殿下はもう一度ため息を漏らすだけでした。


「エリザベート。君はもう少し賢い子だと思っていたよ」

 

 そう呟いた殿下の声色には失望の色が浮かんでいました。


 ああ、なんてことでしょう。わたくしは自分が罪に陥れられたのだと、わかりました。


 悲しくて悔しくて仕方のない私は、つい感情の赴くままにその夜キーラ嬢の部屋へ直談判しに行きました。


「何のことかしら?」

 殿下に言われたことをキーラ嬢に説明し、あなたが殿下にそんなでたらめを言ったのかと詰め寄りました。しかし、彼女は扇で口元を隠すと、白々しくもそう言い切りました。


「なんのこと――ですって?

 私、あなたのドレスを破いたり、持ち物を隠したり、そんなこと身に覚えがございません!」

 わたくしがそう声を荒げても、彼女はどこ吹く風でした。

 それどころか、ふふと小さく笑っています。


「そんなの、『本当のこと』なんてどうでもいいの。フィリップが私をいじめてるのがあなただと思えば、それでいいのよ。

 あなたがみっともなくあがけばあがくほど、フィリップは私の言葉を信じるわ。

 いい? あなたはフィリップにとって親に押し付けられただけの婚約者なの。言っていれば親の傀儡。一緒にいたって息が詰まるだけだわ。そんなあなたのこと、フィリップが信用していると思うの?

 それに比べて私は、フィリップが自ら選んだ友人――いいえ、恋人なのよ。その私の言葉と、押しつけられただけの婚約者の言葉と、どちらを信じるというのかしらね」

 ふふふ、と彼女は声を高くして笑っています。


「それに、あなた本当に分かってないのね。今夜こうしてあなたが私の部屋に訪れたのは、フィリップも知っているの。

 彼、自分も立ち会おうかと提案してくれたわ。でも私、『何があっても大丈夫よ。エリザベート様は、きっとあなたと私が仲良くしているのが気に入らないんだわ。自分のものだと思っているフィリップの横に、親しくしている女性がいるという事が気に入らないだけなの。私たちがただの友人だと、心を込めて話せばわかってくれる――』って、彼に言ったの。

 そしたらフィリップは私をただの友人じゃない、君のことはきちんと僕が守るから。そう言ったのよ」

 彼女の笑い声がどんどん大きくなります。

 言われている言葉の意味は分かっても、それを理解したくない私は耳をふさぎたくなりました。彼女はくるりと私の方を向くと、ずいっと顔を近づけてまいりました。


「ね? わかるでしょう? 私がフィリップに『エリザベート様はすごい剣幕で私とあなたの仲を邪推して、私を怒鳴ったわ』そう言ったら、彼、どう思うかしらね?

 わかったら、あなたは悪役を演じてればいいのよ、――ずうっとね」

 そこに浮かんでいるのは、勝ち誇ったような笑顔でした。


「ひどい!」

 あなたって人は――!!」

 私が耐え切れなくなって声を荒げたその時でした。

 彼女はにやりと、意地の悪い光をその瞳に浮かべました。

 それと同時に目の前をきらりと指輪が光りました。彼女が手を上げたのです。私は上げられた彼女の手に一瞬気を取られてしまいました。

 あ、と思った瞬間でした。キーラ嬢はおもむろに自分の頬を力いっぱい叩きました。小気味よい音が部屋に響きます。


「な! 何をなさっているの?!」 

 私のその言葉にかぶせるように彼女は叫びました。


「きゃあっっ!! やめて! エリザベート様!!」


 その必死の叫びに、私は彼女が何を言っているのかわからなくなりました。戸惑っている私をよそに、次の瞬間、入ってきたのは殿下とそのご学友たちでした。


「キーラ!」

 殿下は一目散にキーラ嬢に駆け寄ると、ほおを押さえて俯いている彼女の顔を心配そうにのぞき込みました。

「大丈夫か、キーラ」

 優しくその顔を上げさせると、彼女の右頬に浮かんだ蚯蚓腫れを見て、殿下は少し息を飲みました。

「……腫れている。冷やした方がいい」

 そう言うのが早いか、侍女に濡れた手拭いを持ってくるように命じています。

「指輪が、引っかかったのか」

 彼女の蚯蚓腫れのその大きな一つは、金属で引っかかれた跡のように見えます。殿下がちらりと私の指元を確かめた時、私は背筋に冷たいものが流れるのが分かりました。

 私の左手には常に我が家の紋章印が刻まれている指輪がはめられています。

 キーラ嬢は素早く殿下の腕に顔をうずめるようにし、首を横に振りました。

「私は大丈夫。ね、だから心配しないで、フィリップ」

 そう弱弱しく微笑むキーラ嬢は、確かにはた目から見れば気丈に振る舞っているように見えます。そんなキーラ嬢に心配そうな顔をして慰めている殿下がおりました。


「エリザベート!」

 殿下の声に、私は肩を震わせました。怒りのにじみ出ている殿下の声に、私はなんて答えればいいのか、わかりませんでした。

 さっとキーラ嬢に視線を移すと、彼女は困ったような表情を浮かべながらも、口の端で笑っているのでした。


「いい加減にしないか、エリザベート! 仮にも君は王妃となるはずの人間だ。醜い嫉妬で他人に害をなす君を、王妃として認められるわけがないだろう? 少し、考えたまえ!」

 キーラ嬢を庇うように背にしながら、私に対峙している殿下は明らかに怒っておられました。それからすぐにキーラ嬢をご学友の方たちに預けると、私のいない控えの間で手当てをするように言いつけておりました。

 

 部屋には、私と殿下が残されました。

「エリザベート」

 わたくしにそう呼びかける殿下の声は、普段から何の感情もない淡々としたものでしたが、今日は全く違いました。抑揚のない呼びかけはいつものようでしたが、それは怒りを抑えるがゆえに声を押さえているのだという事は容易くわかりました。

「君は自分が何をやったのか、反省するんだな!」

 

「私――私はそんなことしてません!」

 私は殿下には誤解されたくないと、ようやく声を振り絞りました。ですが必死の抗議もむなしく、殿下は聞きたくないと言ったふうに首を横に振ると、足早に部屋を後にしました。


 一人残された私は、その部屋でぺたりと座り込みました。

 どうして? どうしてこんなことになったの?

 悔しさに耐え切れなくなって、わあわあと泣き出した私を部屋に連れ戻したのは、私に幼いころから仕えている侍女と、城の衛兵たちでした。


 それから私は殿下が休暇の間は自宅へ帰されました。殿下が休暇中に自宅へ帰されたことを訝しんだ父でしたが、殿下から何かを聞いたのか、私に何かを言う事はしませんでした。


「エリザベート、お前も休暇だと思って、ゆっくり休みなさい」

 訳知り顔の父がそう言って、ふさぎ込んでいる私を慰めてくださいました。

 幸い、その時には殿下と同じパブリックスクールに通っていた兄が、スクールで知り合った友人と一緒に帰省しておりました。兄に久方ぶりに会えたのは殿下とキーラ嬢のおかげだと、自分に必死に言い聞かせてあの屈辱的な王宮での出来事を忘れようと努めたのでした。


 それから殿下の休暇が終わると、何事もなかったかのように、わたくしのお妃教育がまた始まり、続けられました。殿下との騒動が耳に入っているはずの王妃陛下は「あの子も困った子ね」と笑っておっしゃっていました。

「いいのよ、エリザベート。あなたが他人に害をなすような子じゃないことはわかってるわ」

 王妃陛下のその一言に、涙が溢れてきました。


 それから殿下とは顔を合わせないまま、一年という時が過ぎていました。殿下はもうすぐ、パブリックスクールを卒業します。殿下にとっては二年の寄宿生活はあっという間だったのではないでしょうか。楽しい思い出を作りつつも、王宮に戻ってくればまた元の殿下との生活に戻るのだろうと私は漠然と考えておりました。

 あれからキーラ嬢と殿下の仲がどうという話は私の耳には全く伝わってきてはおりませんでしたから。


 殿下の卒業を間近に迎えたころ、王宮では夜会が開かれました。王宮主催という事は、王と王妃両陛下が主催という事です。

 この日、私は王妃陛下の計らいで社交界へのデビューを迎えることになりました。

 わたくしには生まれながらに婚約者がいましたから、社交界で結婚相手を見つける必要はありませんでした。ですから社交界デビューが必要ではございませんでしたけれど、殿下が卒業をしたらすぐに結婚式が待っています。その前に王陛下は私と殿下の婚約を発表し、主だった貴族方との顔つなぎをさせようと取り計らってくださったのです。

 貴族の娘にとって憧れのデビュタントです。わたくしも多分に漏れず、その日に胸を躍らせていました。

 わたくしのエスコートは父でした。王妃陛下は殿下にさせるつもりでいたそうですが、どうやら時間に間に合わないという事でした。王妃陛下は婚約発表までには戻るように伝えてあるから平気よ、と慰めてくださいました。

 

 当日、無事にデビューを済ませ、両陛下に謁見を済ませた私はホールに殿下の姿を見つけ、胸が高鳴りました。

 殿下はすっかり大人びていて、背も伸びておられました。一年でこれほど凛々しくなるのかと驚くと同時に、この方が自分の婚約者だと思うと嬉しさとなんだか気恥ずかしさがこみ上げてきました。


 しかし、殿下は私を見つけるとまるで嫌なものでも見るかのように眉を顰めました。

 その表情を拝見し、私はいつかの騒動のことを殿下はまだ誤解されているのだとわかりました。ほんの少し前まで躍っていた自分の心が急にしぼんだような気がしました。

 殿下はつかつかと私のそばに足早に近づいてきます。一年ぶりにお会いするというのに、その表情には強い怒りが浮かんでおりました。


「フィリップ殿下……?」

 恐る恐るお声掛けすると、殿下は私を睨み付けました。


「――君という人は!」

 殿下が発したのは、その一言でした。殿下の横にはいつの間にかキーラ男爵令嬢がおりました。

「フィリップ、やめて。私なら、大丈夫なの!」

「何を言っている、キーラ!? 大丈夫なはずないだろう? それに、証人がいるんだ。レドリーだって、ヴァンだって、キーラが襲われているところを見たというじゃないか」

 レドリー様はオーデリー伯爵家の跡継ぎであり、ヴァン様は財務長官トンプス子爵家の二男でいらっしゃいます。皆、パブリックスクールでの殿下のご学友でした。わたくしも貴族の端くれとしてお名前を存じ上げているだけで、お会いしたことは一度もありません。


「レドリー、ヴァン!」

 フィリップ殿下にそう呼ばれたお二人が姿を現しました。お二人とも燕尾服と騎士服に身を包み、正装をされています。

「発言を許す」

 フィリップ殿下にそう言われれば、お二人とも話すしかありません。

 おずおずと私の顔を見ると、二人は意を決したように顔を見合わせて、口を開きました。


「あれは、前回の休暇の時のことです。僕とヴァンとキーラは三人で卒業の催し物の道具を買いに、外出許可をもらい街へ行きました。買い物を一通り済ませて、一息ついて、いざ帰ろうという時でした。僕たちを男たちが囲み、『キーラ・ド・ボートレーはいるか?』と尋ねてきたんです。ただ事じゃないと思った僕たちはキーラを庇うようにして相手にしないでやり過ごそうとしました。

 だけど男たちは僕たちの後ろにいたキーラを見つけると、『こいつだ!』と言って彼女を斬りつけてきました。その時、男たちが持っていた短剣の柄にスタンレー家の紋章が見えて、それで彼らがスタンレー家の私兵だと分かったんです」

 レドリー卿はその時のことを思い出したように、悔しそうに唇を噛みしめました。


「な、何をおっしゃってるの!」

 訳が分からない私は、その場がどんな場であるかも忘れてついカッとなって声を荒げてしまいました。

 するとキーラ嬢はみるみる表情を崩されて、わっと声を上げて泣き出しました。

 なぜ私がそのようなことをしなければならないのでしょう?

 ですが泣き崩れる彼女は私を指さします。


「これが! これが何よりの証拠ですわ! フィリップ、この方はこうして私に対する非道の数々が明るみに出ても、知らぬ存ぜぬで通すつもりなのよ!」

 わたくしを睨み付けながら、彼女は腕に巻かれている包帯をこれ見よがしにさすり始めました。隣にいる殿下に向けている眼差しは縋るようで、涙で目頭が潤んでおいでです。


「……どういうことなのでしょう?」

 目の前で糾弾されているのは、私です。

 どうやら私は婚約者の心変わりに嫉妬して、何の罪もない一人の令嬢に傍若無人な振る舞いをし、あまつさえ私兵を動かして令嬢にけがを負わせたというのです。当然のごとく私兵は我が家の専属の私兵であったそうで、ご丁寧に我が家の紋章入りの短剣を持っていたそうです。

 

「証拠は、ございますの?」

 わたくしからすれば、当たり前の主張です。証拠もないのに一方的に悪役にされてはたまりません。


 何事かと集まった人々の前で、レドリー卿は震えながらもしっかりと発言いたしました。

 どういうことなのかしら?

 わたくしが、わが家の私兵を使ってキーラ嬢にけがを負わせた?

 なぜ、なぜ私がそのようなことを?


「エリザベート――君がこんなに愚かな女だとは、失望したよ」


 殿下が発したその言葉にショックを受けて、私はその場に倒れてしまいそうでした。

 殿下のその一言は、私の淡い恋心を木端微塵に砕かれました。

 殿下は私を愚かな女だと評価なさいました。殿下のおっしゃる「愚かな女」――その意味は、自分の目の前に姿を現せる価値などかけらもない、存在するに値しないものという烙印でございました。

 私と婚約していた16年の日々よりも、知り合ってほんの数年の彼女の言葉を信じるのです。


 そして、私は心を決めました。

 わたくしはフィリップ殿下をお慕いしておりました。今、この時まで。

 ですが、殿下の心はもうとっくに離れていたのです。


「エリザベート・ド・スタンレー公爵令嬢、今日この場で私ははっきりと宣言する。王と王妃の御前で。私はエリザベート・ド・スタンレー公爵令嬢との婚約を今日この日を持って破棄させていただく!」


「あら、まあ……」

 わたくしの口から洩れたのは、情けなくもその一言でした。

 いえ、他に言葉が見つからなかったのです。


 ショックで立ち尽くしている私の横にすっと現れたのは私の兄、次期スタンレー公爵家の当主であり現ラングリッジ子爵であるレスリーお兄様でした。お兄様はそっと私の肩を抱きました。


「フィリップ殿下。これはこれは、お久しぶりですね。両陛下主催の王宮の夜会で、このような騒ぎを起こし、わが妹を巻き込むとは感心致しませんね」

 お兄様の登場に、私は気を取り直しました。


「ラングリッジ卿!」

 なぜかお兄様に真っ先に声をかけたのは、キーラ嬢でした。お兄様は声のする方を見ると、キーラ嬢の姿を見つけにっこりと微笑まれています。

「キーラ嬢、相変わらずお可愛らしい。まるで蝶のようだ」

 お兄様の言葉に、周囲で夫人たちのため息が聞こえます。お兄様、無駄に色気を振りまきすぎでいらっしゃいます。思いがけないキーラ嬢を褒める言葉に、むっとしたのは殿下でした。

 キーラ嬢は頬を赤く染めていましたが、お兄様に怒る殿下を嗜めようとしています。


「それに、何やら聞いているとわが妹がそちらのキーラ嬢に失礼なことをしたとか。

 それは、本当かい?」

 お兄様がキーラ嬢に水を向けると、キーラ嬢はお兄様を目の前にして「ええ!」とはっきりとお言葉を返しておりました。


「僕も父も母も、エリザベートを甘やかせたつもりはないのだけどね。殿下、キーラ嬢、妹がすまなかったね」

 お兄様はあくまでもいつもと同じ口調を変えません。そこには殿下に対する畏敬の念などは感じられず、鷹揚としておりました。それにイラついたのか、殿下は唇を噛みしめます。

「ラングリッジ卿、事態はもうそれだけでは済まないところに来ているんですよ!」

 殿下は苛立ち、吐き捨てるようにそう言うと、お兄様を睨み付けてから私を睨みました。


「フィリップ殿下、君は今、わが妹であるエリザベート・ド・スタンレーとの婚約を解消すると言ったね。王と王妃両陛下の御前でそのような宣言をしたら、もう取り消すことができないよ?」

 殿下とは裏腹に、まるで世間話でもする様な気安さでお兄様はそう明るくおっしゃいました。

「ええ、もちろんです。僕は今日限りでエリザベートとの婚約を破棄させていただく。これはずっと学園にいる間中考えていたんだ。僕が王位を継ぐならば、王となる僕を支えるべき王妃は心から愛する女性でないと務まらないと……。

 申し訳ないが、僕はキーラを愛しているんだ」

 フィリップ殿下は隣に立つキーラ嬢の手をそっと取りました。そしてまっすぐとお兄様の目を見つめていました。

 

「お兄様……」

 殿下の言葉に愕然としながらすがるようにお兄様の腕を掴みました。その腕に込められた力を感じてか、兄はそっと私の手を握り返しました。その力強さにほんの少しだけ安心いたしました。

「ごめんね、エリザベート。君にはひどいことをするようだけど、これも国のためだから。フィリップ殿下が君と婚約を解消してキーラ嬢と結婚するには、これしか道がないんだよ」

 ああ、それはお兄様がおっしゃることはごもっともです。

 殿下と婚約を解消するとなれば、王族に非があると思わせてはならないから私が火の粉をかぶらなければなりません。そこに罪があろうとなかろうと、結果は変わらない。誰かが悪役にならなければいけないのです。


「とまあ、そのためにフィリップ殿下はエリザベート、君を悪役に仕立て上げたようだね。それも仕方ない。国家にとって殿下と君では比べ物にならないからね」

 ダメ押しをするようにお兄様がほほ笑みます。

 それに呼応するようにフィリップ殿下も笑顔をお兄様に向けています。そしてその横には、キーラ嬢がキラキラと輝かしいばかりの笑顔を私に向けていました。

 これではまるで、四面楚歌です。フィリップ殿下もお兄様も、私がフィリップ殿下の婚約者では国が納得しない、そう言っているのです。


「そう。エリザベート様、あなたは散々私を見下しておりましたけれど、フィリップ殿下とあなたでは、その立場はまるで違うのです。そして、フィリップ殿下の想い人となった私とも、もう住む世界が違うのですわ」

 キーラ嬢は追い打ちをかけるようにそうおっしゃいました。

 わたくしがキーラ嬢を見下したなど、そんなことはありません。でも今更そんなことを言っても何もならないのは、私にもわかっております。


 こうなっては完敗です。

 フィリップ殿下、名ばかりの婚約者だったとはいえ私は殿下を確かにお慕いしておりました。


 殿下のあまりの仕打ちに、私は知らず知らず涙がこぼれていました。


「そう、国としての有用さは全く違うんだよ? フィリップ殿下」

 今まで鷹揚として笑顔で話していたお兄様の声が、一瞬にして変わりました。

 背筋にぞっと悪寒が走るような冷たい声です。


「――茶番は終わり。

 エリザベートが泣くまで追い詰めるつもりはなかったんだけどな」

 お兄様は私に軽くウインクします。まったくこの兄ときたら……。本当に呆れるばかりです。


「――え? は?」

 戸惑いを隠せないフィリップ殿下と、何が起きているのかわからないキーラ嬢はお互いを見合って目を丸くしております。

 ええ、まあ、ついていけないですよね。

 わたくしもお兄様の考えにはついていけませんから。


「僕の可愛い妹との婚約を破棄するのは、君の心変わり――そういう事だよね?」

「ですが、エリザベートはキーラ嬢に公爵家の令嬢としては決して好ましい事ではない数々の嫌がらせを、あまつさえその身に危害を加えようとしました。それが将来の国母のすることでしょうか」

 フィリップ殿下はホールに聞こえるほどの声で、演説をしてみせます。その容貌も相まってなかなか人を引き付けるのがお上手です。


「うん。そうだね。エリザベートがキーラ嬢に対して、数々の嫌がらせや危害を加えようとした――というのが、君たちの主張だね」

「お兄様! わたくしはそのようなことをしてはいません!」

 するお兄様はふうっと一つため息を吐きました。

 ああ、嫌です。ため息は嫌いです。いつかの日の殿下を思い出してしまいますから。


「――エリザベートはそう言っておりますよ、殿下?」

「こちらには証人もいるんだ!」

 だんだんと殿下の口調が荒くなっていきます。

「そうです、ラングリッジ卿! こちらには証人がおります!」

 いらいらする殿下に呼応するように、キーラ嬢も声を荒げます。

 周囲の人々は何事かとこちらを窺っておりました。それもそうでしょう。皇太子殿下とその婚約者、貴族の中でも一二を争う権力を持つスタンレー公爵家の次期当主、その中にこの場に相応しくない男爵令嬢が、人目もはばからずに大きな声を上げているのですから。


 お兄様はそんな周囲にもどこ吹く風でいらっしゃいます。まるきり自分のペースを乱してはおりませんでした。

「僕はね、エリザベートがフィリップ殿下が好きなのを知っていたから、あえて反対はしていなかった。まあ恋なんてはしかみたいなものだからね。

 いつか国のためを思い、婚約者のことを顧みて、元のさやに納まるのならそれはそれで構わなかった。

 だけどね、心変わりをした君がエリザベートを悪役にして切り捨てるというのなら、僕にも考えがある」

 お兄様は私の肩に手を乗せたまま、顔は笑っているのに声は冷たいという普通の人間にはなかなかできそうにもないことを平然とやってのけておいでです。兄の怒りを見た事のない私は、この兄が普通にお怒りになるのかと、もはや別のところに関心を向けてしまっておりました。


「証人がいる――ねえ」

 そう言うと、兄はキーラ嬢を見据えます。一瞬ぎくりとするほど冷たい目を向けてから、まるでそれが嘘だったかのように見惚れるほどの笑顔を作りました。

「キーラ嬢、まずは一つ。

 わが妹が君にワインをかけたり、衣装を割いたりしたと証言していたが、自作自演だったことは、王宮の侍女と夜会の主催者の家のメイドたちが見聞きしている。

 今回その証言をしてくれた人達をここに連れてくることは構わないが、事細かに証言させるから長くなるよ?」

 キーラ嬢はお兄様の突然の言葉に、え? え? と目を丸くしております。

 お兄様はさらに続けました。

「それと、証人がいるという君に襲い掛かった暴漢の件だが。

 わがスタンレー家の私兵が当主を通り越してエリザベートの命令だけで動くことはありえない。ってことは、君はスタンレー家の当主が私兵を他の貴族へ向けたと証言したってことだよね?

 君、スタンレー公爵が誰だかわかってる?」

 静かに問いかけられて、フィリップ殿下の顔がみるみる青ざめていきました。

 え? え? とさらに首を傾げているキーラ嬢と、青ざめているフィリップ殿下の顔を交互に見ると、お兄様はフィリップ殿下ににっこりと笑顔を向けています。


 どうやらフィリップ殿下は、スタンレー公爵家の当主という名を出されて初めて、事の重大さを認識されたようでした。

 ここまで来てしまえば、女の嫉妬によるもの――では済まされなくなります。


「スタンレー公爵は現国王陛下の弟で、君の叔父にあたる。君は、その父上が嫉妬に狂った娘のために私兵を男爵令嬢に差し向けた――そう証言したということだよ」

 フィリップ殿下に言ったお兄様の言葉に、殿下の側にいたレドリー卿は真っ青になっておられました。父の名を騙ったとなれば、レドリー卿にもそれ相応の罰が与えられることでしょう。

 もちろん兄は、レドリー卿に向かってそう言ったのです。

「でも! あれは確かに!!」

 レドリー卿がそう言いかけて、兄に睨まれました。お兄様は一瞬射るような鋭い目でレドリー卿を見ると、それ以上は何もおっしゃいませんでした。


「フィリップ殿下、第二王子の君がどうして皇太子の地位に就けたのか、それを君は分かってるのかい?」

 

 そう、わが国には王子は二人。殿下の他に兄君である第一王子がいらっしゃいます。

 現国王陛下が妻に迎えたのは二人。

 初めの王妃陛下は男爵家の令嬢ながらも王自らが熱望されて王妃として迎えられ、第一王子をお産みになられたけれど、その時の産褥熱でお命を落とされたそうです。王は深い悲しみに包まれ、王妃陛下に似ている王子を見ると王妃陛下を思い出されるからと殿下を遠ざけていらっしゃると聞き及んでおります。

 そして第二王妃と呼ばれる現王妃陛下は、伯爵家出身でいらっしゃいます。

 すでに王子がいらっしゃるため、身分も財力も最低限の家格の家が選ばれ、王宮に嫁がれました。王妃陛下は王妃不在を埋めるために選ばれたいわば人身御供のような存在でして、お世継ぎの期待は一切されておりませんでした。しかし、皮肉なことに第二王妃は王子殿下をお産みあそばされました。

 王妃陛下ご自身は穏やかで優しい女性でございまして、わが子に王位を主張するという事は一切ございませんでした。


 この二人の王子とも、出自は複雑です。


 第一王子は男爵家出身ですけれど、そのご実家は広大な領地を持ち、事業にも成功されて財を成しております。けれど、身分は高くありません。

 第二王子のご生母は現王妃陛下でありますし問題はございませんが、王妃陛下の実家は領地が広いわけではなく、めぼしい特産品があるわけでもなく、どちらかというと貧しいとされる貴族に属しております。そんな伯爵家に王子の後ろ盾をするほどの権力も財力もございません。

 という事で、二人の王子は有力な後見人をつけなければならないのです。

 

 そうして後見人の一人として選ばれたのが現国王の弟であるスタンレー公爵でした。

 臣籍に下った際に前国王陛下の私領を全て受け継いだのがスタンレー公である我が父です。王領はすべて陛下に、前王の個人の資産はすべて父が継いだという事もあり、父の領地や財産は王家のそれに匹敵するほどです。

 地位も財産も権力も父は申し分ないのです。ですが、甥だからという理由だけで後見人になるほど父は甘くはありませんでした。

 そこで父は二人の王子の立場を鑑みて、第二王子に私を嫁がせることに決めました。婚姻による後見故に王子は私との婚約により皇太子として擁立されたのです。


 どうやら殿下は、そんな大人の事情を全くご存じなかったようです。


「僕が王位に就くなら――? 笑わせてくれるね。君がキーラ嬢を選んだ時点で、キーラ嬢が王妃になることも君が王位に就くことも未来永劫ない」

 お兄様は真っ青になっているフィリップ殿下に追い打ちをかけるようにそう言いました。

「そんな……、僕は皇太子なのに……」

 フィリップ殿下の言葉がむなしくホールに響きました。


「エリザベートだけが矢面に立たされるのなら、別にどうとも揉み消すことができる。

 だけどね、この貴族社会で家名に傷をつけられることは何よりのタブーなんだよ。

 君たちは貴族社会で生まれ育ち、そんなことも勉強しなかったのかい?

 いいかい? 君がわが家の私兵が君を襲ったと証言したおかげで、スタンレー公爵家はボートレー男爵家をわざわざこの貴族社会から追放しなければならなくなったんだ。


 というわけでキーラ嬢、いいかな?

 我が家の管理記録も、王都の治安記録にもわがスタンレー家が私兵を出したことは記されていない。それがどういう事だかわかるね?

 そんなことはなかった、という事だ。という事は、どこをどう探しても我が家の私兵が動いた形跡はない。

 しかし、困ったことに我が家の兵が訓練用に使っている短剣が数本、数か月前に盗まれてね。これはきちんと盗まれたと王都の治安部隊に報告をしている。短剣には我が家の紋が刻まれているから、見ればすぐにわかるはずだ。君が襲われたというその賊はその剣を持っていた。

 これが意味することは、一体なんだと思う?」

 まるで小さな子どもに諭すように、お兄様は優しく優しくキーラ嬢に語り掛けます。キーラ嬢はお兄様の顔を惚けたように見つめるだけでした。


「君は先ほどの件といい、自作自演が上手いようだね。どこかで雇ったごろつきに、うちの紋入りの短剣を渡した。そして自分を襲わせて、スタンレー公爵家の仕業に見せかける。上手くいけば、エリザベートをその地位からずり落すだけではなく、スタンレー公がいなくなって、自分の父親が宰相の地位につける――そこまで考えての行動ととれるが――」

 

 お兄様にそこまで言われて、初めてキーラ嬢はひっと小さな悲鳴を上げました。

「そんな!」

 金切声をあげたのは、キーラ嬢でした。

「ラングリッジ卿、あなたが、あなたが――」

 キーラ嬢は、喘ぐようにそう言うと詰まらせた言葉を落ち着けるように深呼吸なさいました。

 しかし怒りで顔は真っ赤になっていらっしゃいます。

 怒りを含んだ瞳でお兄様を睨み付けると、キーラ嬢は叫びました。

「――妹の行為は目に余る。将来の王妃だか何だか知らないけれど、大きな顔が出来ないように、切り捨てたいって……そうおっしゃって、私に取引を持ちかけたのは、どこのどなただとおっしゃるの!?」

 キーラ嬢のその衝撃的な発言に、辺りはどよめきました。それはそうでしょう。殿下の婚約者の兄が先陣に立って妹を追い落とすってどういう事ですの?

 恨みがましい目でお兄様を見ると、お兄様はちょっと困ったように笑っています。


「キーラ嬢、君は何を言っているんだ?」

 はあはあと息を切らせているキーラ嬢とは対照的に、お兄様は微笑みながら立っています。


「兄妹でしらばっくれるつもりなの!? 私に私兵を貸すと言ったのはあなたじゃないの!?」


 キーラ嬢の衝撃的な告白はさらに続きました。

「私が可愛いから、協力したいって。殿下とうまくいくようにしてあげるから、僕と取引しないかって、あなたがそう言ったんじゃない! 悪いようにはしないって。だから私……」

 キーラ嬢は泣き崩れました。


「ふふ。あははは」

 お兄様が突然笑い出しました。

「ねえ、教えてくれる? 僕がそんなことをするメリットって、一体どこにあるというんだ?

 ぼくは、スタンレー公爵家の次期当主だ。どうして僕がそんなことをしなきゃいけない?

 それに比べて君は、さっきのこともあるし自作自演がお好きなようだね」


「ひどい! だって、私のことが可愛いって……、君を見ていると何でもしてあげたくなるって、そう言ったじゃない! 上手くいく知恵を授けてあげるって――そう言って……」


「ふふ。そうだね、君は可愛いよ。パブリックスクールで知り合った王子が将来王になる。その権力に目がくらんで、手っ取り早く自分が婚約者になろうとする。王子と相思相愛になればそれが叶うって信じてるあたりは、単純でかわいいねって思うよ。だからフィリップと上手くいく知恵を授けてあげたじゃないか」

 お兄様は自分の価値を知っている。その容姿もそうだし、自分の実力もそうだし、地位もその全てをひっくるめて自分の価値をわかっている。

「少し可愛いって褒めようものなら、自分に好意を持っていると信じちゃう単純さも、面白いよ」


「な、何ですって!」

 キーラ嬢が真っ赤になっている。


「『フィリップ殿下は王族だから逆らえないけど、私、ホントはラングリッジ卿がタイプなの。私が王妃となることが出来たら、あなたのことも悪いようにはしないわ。私たち、共犯者ね』――そんなことを囁いていたね、君」

 お兄様! 純真無垢な妹の前でそんなことをおっしゃらないで、汚らわしい。

 真っ赤になっている私の頭をお兄様が軽く小突きます。どうやら私が白い目でお兄様を見たのを見逃さなかったようです。


 お兄様の発言に驚いているのは、キーラ嬢だけではなく、フィリップ殿下もその凛々しい顔に驚きの表情を浮かべて苦々しくキーラ嬢を見ておりました。


「キーラ!?」

「う、ウソです! うそです、そんなこと!!」

 殿下の顔を見て必死に否定するキーラ嬢の顔を見て、私はキーラ嬢がお兄様にもとり入っていたことを実感しました。

 お兄様はふるふると首を横に振るキーラの顔を見て、にっこりと微笑んでいます。それでもお兄様の笑顔を見慣れている私には、その笑顔の後ろには黒い炎が立ち上っているように見えるほど、陰険な笑顔ですけれど。


「そう、妹の行為は目に余るんだよ。未だにこんなフィリップが好きで、キーラ嬢、君に何かされてもやり返すこともできない、うじうじしている妹はね。

 それにね将来王妃になるつもりだか何だか知らないけど、人の妹を差し置いてそんなことを考える輩は、排除したいと思うのは世の兄の常――だと思うけど?」

 お兄様は屈託なく笑います。


「キーラ嬢、君の希望は叶うよ。エリザベートと婚約を解消したフィリップ殿下はもう廃太子となるし、王家からも追放される。平民が誰とどうつき合おうと、私たちには関係ない。殿下――いいや、フィリップとはそれでうまくいくじゃないか」

 嫌味たっぷりに殿下という言葉を訂正したお兄様の底意地の悪さが垣間見えて、背筋が寒くなります。まったく、こんな血が私にも流れているのかと思うと、本当にぞっとするのですけれど。


「わかったかい、フィリップ。エリザベートが婚約者ではない君は、王族として生きる価値がない――ってことなんだよ。そんなこともわからずに、今まで散々よく人の妹をコケにしてくれたね」

 それからくるりとキーラ嬢に向かう。

「君のことを蝶みたいだって言ったことも嘘じゃないよ。男から男に渡り歩いて、花の回りを飛ぶ蝶みたいだったからね。

 面白かったよ。退屈しのぎにはね」


「初めから、グルだったのね!」

「――なんのこと?」

 悪びれる様子もなく、お兄様は肩をすくめてみせました。

 お兄様のその言葉に、キーラ嬢は打ちのめされたように床に座り込んでしまわれました。わたくしだったら、こんな公衆の面前でここまでコケにされたらもう生きてはいけません。それなのにまだ大声を上げる気力があるとは、感嘆するばかりです。


「さあ、行こう。エリザベート」

 兄に促され退出しようとした私は、思い出したようにキーラ嬢の横に立ち、そっと耳打ちをしました。その言葉に、目を見開いて真っ赤になっているキーラ嬢を見て、自分が勝ったのだとようやく実感いたしました。


 キーラ嬢に何を言ったのかって後でお兄様に聞かれたので、お答えしておきました。お兄様はこれが大笑いっていうのかしら? ってほど大きな声で朗らかに笑っておりましたけれど。


「『本当のこと』なんてどうでもいいのでしょう?

 ――ねえ、私上手く悪役になれたかしら?」



 その後のフィリップ殿下――いいえ、今では臣に下ることになったフィリップ殿は爵位も与えられず、王立のパブリックスクールで教師見習いをされているそうです。衣食住は確保されているだけ、陛下の温情だとおっしゃっていました。

 キーラ嬢――ボートレー男爵家はスタンレー公爵家に含むところがあるという事で、お取り潰しになりました。いえ、王と王妃の怒りはすっかりボートレー家へ向かってしまい、温情も何もなくお取り潰しです。キーラ嬢が処刑されなかったのがせめてもの救い……とのことです。

 二人が上手くいったのかは、さすがにわたくしの元まで情報は届いておりません。もっとも、知りたくもないですけれど。


 私が次期スタンレー公爵家の当主である兄に相談したのは、あのお妃教育の暇を出された時でした。キーラ嬢のやり方に、空恐ろしくなったのです。

 兄は私の身に起こったことを聞くと、怒りました。

「フィリップはバカなのか?」

 それが第一声でした。


「本当のことなどどうでもいい? ――そんなことを言うのならば、こちらも手段を選ばずにやるだけだ。ほんの少しだけ目鼻立ちのいい娘が、わがスタンレー家に逆らうなどと片腹が痛い」

 お兄様は、どこをどう切っても貴族というものなのでした。それがスタンレー家の教育ですし、陰謀渦巻く宮廷では、これぐらい相手を出し抜かないとどうともならないのでしょうね。

「エリザベートがフィリップを好いていたから、このまま第二王子を皇太子に据えようと思ったのに、ホントにバカな奴だ。

 おい、ロベルト、お前、うちの妹はどうだ? フィリップに捨てられたらもらってやってくれ」

 お兄様がそう声をかけた先に座っていたのが、ロベルト殿下――第一王子でした。

 何でもお兄様とはパブリックスクールで知り合ったご学友だとか。突然水を向けられたロベルト殿下は、困ったような笑みを浮かべると私に小さく手を振ってきました。

 黒い髪に黒い瞳のフィリップ殿下とは似ても似つかない、金髪碧眼の前王妃の血筋を色濃く残したそのお姿はとても優しそうでした。きっとその優しい面差しも前王妃にそっくりなのでしょう。王陛下が最愛の王妃を思い出して苦しくなるくらいに。


 そして、お兄様はフィリップ殿下とキーラ嬢を罠にかけたのです。

 まったくわが兄ながらその腹黒さにはついていけませんでした。


 そして私、エリザベート・ド・スタンレーは今では皇太子である第一王子の婚約者となりました。王族に嫁ぐこと――は私の産まれた時からの使命ですから、仕方ありません。そこに愛があろうとなかろうとそれだけは決められた未来なのですから。

 なぜ殿下方が外の世界を知ることが出来て、婚約者である私が外に出ることが出来なかったのか。

 その意味を考えればわかるはずです。替えがきかないのは、私の方――だったのですから。


 ロベルト殿下は結婚式の日にこうおっしゃいました。

「僕は君を大事にするよ。僕には王冠が大事だから。王冠を運んでくる青い鳥の君ももちろん何よりも大事にする。僕たちは信頼で結ばれる夫婦になろう」

 どうやらロベルト殿下は私を大事にしてくださる方のようです。誠実なお言葉に私の今までが少し報われた気がいたしました。


 フィリップ殿下にもそのお気持ちがほんの少しでもあれば、あんな末路を迎えることはなかったのに。

 ――あら? ではやはりあの二人にとっての悪役は私だったのかしら?

 でも、もうどうでもよろしいわね。

 二兎を追うものは一兎をも得ず――でしたかしら。フィリップ殿下に教えて差し上げればよかったわ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

胸くそ悪くなった方々、ホントごめんなさい。

登場人物みんなゲスい。

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― 新着の感想 ―
[一言] それぞれの、その後を、、後悔とか、『本当のことなんて、どうでもいいの』の言葉を聞いた、それぞれの反応が読みたいです。
[気になる点] お兄様はこれが爆笑っていうのかしら? 爆笑の使い方が違います。ここは大笑いか高笑い(こっちは少しニュアンスが違うけど) [一言] 面白かっただけに、少しの誤用が目立ってしまいましたね。…
[一言]  兄は私の身に怒ったことを聞くと、怒りました。 「フィリップはバカなのか?」 怒ったこと?
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