BIRD STRIKE
F-16の様な単発機にとって、エンジンがその機能を失うというのは致命的な事だ。双発機であれば残ったエンジンでどうにか出来るが、単発機はそうはいかない。唯一の命綱が切れる様な物である。
基本的に海軍が単発機を嫌い双発機を好む理由も、広い海原ではエンジンが停止した場合の生還率に直結するからである。
鳥がエンジンに吸い込まれた直後、主警告灯が点灯し警報がコクピット内を満たす。
警告灯パネルにも“ENGINE FAULT”が点灯した。
『Bird Strike!Bird Strike!』
叫ぶように緊急事態を宣言、カナリスは落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせる。
バードストライクが発生し機体が損傷、エンジンが故障した場合、最も推奨されるのは機体を捨てて脱出する事だ。
『上昇!』
操縦桿を緩やかに引く、急上昇すれば速度を失い、エンジンが故障した今、失った速度を回復させる手段が無い。
それに脱出するにも、ある程度の高度が必要だ。
『減速!』
高度を稼いだらスロットルを引き減速、カナリスは事前の訓練と知識に基づいた判断により、脱出の手順を踏み、射出ハンドルに手を掛ける。
「……」
機体の操縦はまだ反応がある、高度も速度も安定している。
そして何より、“エンジン火災警報灯が点灯していない”。
カナリスの頭の中に天秤が浮かぶ。“緊急脱出” “現在の状況での基地への帰還”、その2つを天秤にかけた。
こいつは多分まだ、飛べる。
カナリスはそう判断すると射出ハンドルに置いていた手を操縦桿とスロットルに戻し、スロットルをアイドル位置まで引き、機体姿勢を安定させた。
エンジンの回転数は低下し、モーターは発電を止める。エンジンの回転数が35%以下になると、緊急発電装置が作動した。
「これで……!」
JFS、START2。
甲高い音と共にJFSが始動、エンジンを最小の回転数で維持する事でモーターの回転を維持し、各操縦翼面の油圧や、電源を始めとする機能を維持する事が出来た。
『ABORT Training!ABORT Training!ABORT Training!Bird Strike!』
高高度から訓練全体を監視していた教官機のF-16DMが降下し、カナリスのF-16の隣に並ぶ。
カナリスがそちらに目をやる、後席でヘルメットのバイザーを上げ、カナリスの機体の方を見ているのは“ルーラー”教官だ。
『カナリス訓練生、状況を報告しろ』
凛と張った声に背筋が正される。
『了解、エンジン故障警報点灯、出火警報は出ていません。現在スロットルアイドル、機体は安定しています』
『了解、外から見てもエンジンから火は出ていない、まずは落ち着いて、訓練通りやれ』
『了解』
カナリスは呼吸を整えると、TAC-C2に緊急を宣言、自機の位置と高度、速度を伝達する。
『了解4-1、以降全ての対応はLeaf4-1を優先させる、訓練は中止、全訓練生、RTB』
『Rapier1-1、訓練生を引率して基地に向かえ』
『了解』
カナリスが自機の状況を把握し姿勢維持に注力している中、訓練生はF-14について行き帰投コースに乗る。
『落ち着け、高度も速度も十分だ、基地まで帰れる充分なエネルギーはある。機外を見ても目立った外傷はない、エンジンから火が出てなくて良かったな』
『えぇ、本当に』
F-16のパイロットは緊急時に無動力となった場合の緊急手順での飛行訓練を繰り返し行う。カナリスはがそれを出来たのは訓練を繰り返して来たお陰だ。
『焦らず姿勢を維持しろ、基地に向かって飛ぶ事だけを考えるんだ』
運動エネルギーの急損失を避ける為に急な高度変更や旋回を避け、教官のアドバイス通りに基地に向かって飛行を続ける
『フォートフラッグ管制室、こちらリーフ4-1、Pan-Pan,Pan-Pan,Pan-Pan. Engine Fail, Engine Fail.』
『リーフ4-1、こちらフォートフラッグ管制室、パンパン了解、状況報告せよ』
『リーフ4-1、バードストライク発生によりエンジン故障、出火警報無し、JFS作動中、油圧と電源は生きている。機体安定、現在高度12000ft、速度300kt』
やがて通信をTAC-C2から入出域管制へと切り替える、降下率や飛行ルート、着陸コースのやり取りが行われた。
『リーフ4-1、こちらフォートフラッグ管制室。全機着陸した、周波数130.0はすべてオープンだ、切り替えて管制塔と交信せよ』
『了解、周波数130.0に切り替える』
カナリスは無線の周波数を切り替え、管制塔との回線を開く。
『フォートフラッグ管制塔、こちらリーフ4-1。バードストライクが発生している、滑走路上にアレスティングワイヤーと、消防車の待機を要請する』
『こちらレイピア1-1、追加で着陸後、擱座機収容機材も要請する』
『リーフ4-1、レイピア1-1、了解した、風は微風、滑走路が空いた。』
基地まで10マイル、オーバーヘッドパターンで着陸する余裕はなく、今回はそのまま着陸進入するストレートパターンだ。
『4-1、俺が上空から見ててやる、先に着陸しろ』
カナリスは耳を疑う。
通常ではこういった場合、故障機は最後に着陸させる。故障機が滑走路上で擱座して滑走路を塞ぎ、後続が着陸出来なくなるのを避ける為だ。
『いえ、しかし』
『俺達は誘導路に着陸する、心配すんな、お前になら出来るさ』
『了解……やってみます』
カナリスはグローブの下の手が汗ばむのを感じながら、操縦桿を握りしめる。
速度を確認、着陸コースに乗ったうえで、現在速度は278kt。着陸には早すぎるが、今は無動力飛行中、エネルギーを維持する為に無闇な減速は出来ない。
基地の滑走路が見えたら一気に減速、着陸するしか方法は無い。
『フォートフラッグ管制塔、こちらリーフ4-1。滑走路、目視確認。着陸する』
『リーフ4-1、こちらフォートフラッグ管制塔。風は微風、着陸を許可する』
滑走路を目視確認、再び速度を確認すると、230ktから220ktに下がっている、滑走路も見え、そろそろ減速に入る為着陸脚を下ろす。
『3グリーン、チェック、ギアダウン』
行動を復唱する様に声に出すのは、万一墜落した時のフライトレコーダーに残る様にと、行動を復唱する事で自分自身を落ち着かせる為だ。
『緊急制動フック、ダウン』
左補助コンソールのフックスイッチを操作、緊急用のアレスティング・フックを展開。滑走路の中程では、既に緊急用のワイヤーが張られている、そこに引っ掛けて停止を狙うのだ。
『220……200……』
機体が滑走路に近づく、フライトパスマーカーは迎え角表示と横一線、高度も徐々に下がってきている。
着陸復行も出来ない状況で、機体が滑走路上に滑り込む。
『減速……!』
息が詰まる、スロットルのスピードブレーキスイッチを引き、減速しながら機体は滑走路に接地した。
いつもより強い衝撃と振動、12度の機首上げを維持しつつ、機首が下がって来たらフルアフト。前脚を接地とほぼ同じタイミングで、機体がグンと後ろに引かれるような急な減速Gを受ける。
緊急制動用フックがワイヤーを上手く捕らえた様だ、速度も急激に下がり、程なくして機体は完全に停止した
『はッ……はっ……!』
呼吸が荒い、着陸する瞬間からここまで息をするのを忘れていたカナリスは、震える手でスロットルをOFF位置へ引き、射出座席のレバーを上げて風防を開ける。
『リーフ4-1、こちらルーラー、ナイスランディング、よくやった!』
『はい……!ありがとう、ございました』
教官の通信を聞きながら、シャットダウンの手順を進めていく。JFSが切れてエンジンの回転数が落ち、主発電機の電源が切れてエンジンRPMが20%を下回ったらバッテリーのMAIN PWRをオフ、酸素制御パネルからSUPPLYノブをOFF、Diluterレバーを100%にしてアビオニクス電源を全てオフにする。
「ふぅ~~~……」
酸素マスクを外してヘルメットを取り、大きく息を吸うと、カラカラに乾いた喉に空気が通って張り付き軽く咳き込む。視界がぼんやりとし、ようやくアドレナリンが引き、集中力が途切れて来た頃、こちらに走って来る航空消防隊の消防車のサイレンが聞こえはじめた。
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訓練生が全過程を終え、空軍長官と教官達が認めた彼らは、実戦部隊への配属が行われる。
ドラゴンナイツ40名を始め、パイロットを志望した異世界人52名の内、多くの訓練生が途中で脱落、転科していき、最終的に戦闘機パイロットとなれたのは16名。
元ドラゴンナイツは14名が残り、フォートフラッグ空軍基地所属の戦闘機パイロットとなる。
「しかし、あの時はよく機体を着陸させる判断をしたな」
配属式の後、慰労会を兼ねた軽い祝賀会が教室で行われた。
全員に飲み物が配られ、乾杯の後それぞれの隊員の話が盛り上がる中、カナリスは“ルーラー”教官と話していた。
「ええ、本当に。あの時は胆が冷えました」
「もしよければ、あの時脱出じゃなく緊急着陸を選んだのか聞かせてくれないか?」
教官の言葉に頷きながら、その時の緊張を思い出して乾いた喉を潤す。
「あの時は……バードストライクの衝撃と、現状を把握するので精一杯でした」
コクピットで鳴り響く警報音、警告灯もどれがどの警告なのか、知識として持っているだけに飛行中に実際に聞くのでは緊張の度合いが違った。
「止まりかける思考を無理やり動かして、こうなったらどうしたらいいかを思い出しながら脱出までの手順を踏んだのですが、エンジンから火は出てない事に気付いたんです」
「警報灯か」
「えぇ」
教官も気付いたらしい、出火警報が出ていなければ無動力飛行がまだ可能だ。それにエンジンを切れば各動翼を動作させている油圧も止まる為、操縦不能になってしまう。
「脱出も考えました、しかし頭の中で、天秤にかけたんです」
「天秤?」
「はい、片方は“ここで脱出して救助を待つ”、もう片方は“機体を操縦可能な状態に復旧させて帰投する”」
カナリスが飛ぶとき、状況を判断する為に使っている手法の1つだ。選択肢のある場合、その両方を天秤にかけて、目的に適した方を選ぶ。
「まだ飛べる、そう思った時には帰投する方に天秤が傾いて、JFSを始動してました」
「ふむ……脱出を選ばなかったのは?」
選ぼうと思えば、カナリスは即座に脱出という手段も採れた筈だ。しかしそれでもカナリスは帰投を選んだ。
「多分……脱出が怖かったんだと思います」
「怖かった、ねぇ……」
「推奨される手段は脱出、F-16に装備されている射出座席の負傷率は低い、そう分かってい増したし、緊急脱出の訓練は初めてでしたが、それでも実際に飛行している戦闘機から放り出された経験はありませんから」
ルーラーはその場にいた別の教官と顔を見合わせ、感心したような表情を浮かべる。
「今度からは機体を無駄にしても空中で実際に射出座席で緊急脱出する訓練も必要だな」
「あぁ、上に掛け合ってみるか」
カナリスは何か間違ったかと思ったが、教官の視線に射貫かれて姿勢を正す。
「カナリスの判断は見事だった、機体を捨てず、自分の知識と技術に自身を持ち、最後まで希望を捨てずに機体を基地まで持ち帰った、称賛に値する」
ルーラー教官が拍手をすると、周囲の教官も同じように拍手。訓練生達は何だ何だと様子を見に来る。
「だが、機体を捨ててでも脱出しなければならない時も今後ある。それは判断材料を天秤に乗せる暇もなく、一瞬で判断して動かなければならない。それは覚えとけ。機体なんて消耗品、パイロットの命が一番大事なんだからな」
「は……はい」
戦闘機パイロットは予備がいる、団長のヒロトは人員の召喚も出来る為、代わりのパイロットも用意できる。
しかし、今この場にいる“カナリス・フルブラック”というパイロットは、1人だけなのだ。
「そういう状況判断をするなら、お前のTACネームは“リブラ”だ」
「“リブラ”……ですか」
「そうだ、“天秤座”だ。ぴったりだろ?なぁ、“アクア”」
“アクア”と呼ばれたのは、元ドラゴンナイツのエーリヒだ。それぞれ既に、TACネームが付けられている様だ。
TACネームは上空で互いを呼び合うニックネームのようなもの、それはそのパイロットの不名誉なやらかしや趣味、経歴、仕草、様々な物から名付けられる。
カナリスは状況判断の手法から、天秤座を意味する“リブラ”が与えられた。今後、彼は“リブラ”と呼ばれる事になる。
「第2戦術戦闘飛行隊は“トレミー”隊だな」
既に決まった隊員のTACネームはホワイトボードに書かれており、そこへ“リブラ”が追加される。
演習の時に囮にされた“ゴート”
敵機を闘牛士の様にいなす“マタドール”
編隊長と合わせるのが美味い“ジェミニ”
敵機の集団を分断する様な戦術を取る“シザー”
非常に好戦的で攻撃的な飛び方をする“ファング”
同じく攻撃的でトドメ刺し役の“スティング”
唯一の女性パイロットの“バルゴ”
BVRAAMを使うのが美味い“シューター”
頑固者の“ラム”
流麗な操縦が特徴の“アクア”
釣りが趣味の“フィッシャー”
スタンドプレーが目立った“ウルフ”
ウサギの様に逃げ足の速い“ロップ”
そして“リブラ”のカナリス。
元ドラゴンナイツ14名で編成される第2戦術戦闘飛行隊は、“トレミー”隊となり、実任務に就く事となった。
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実戦部隊として配備されたカナリス……もとい“リブラ”の肩には、大尉の階級章が付いている。ドラゴンナイツの団長から、ガーディアンに吸収後、訓練を経て着いた役職は第2戦術戦闘飛行隊隊長だ。
訓練飛行の為に駐機場を歩く彼のヘルメットには“Libra”の文字と、彼のパーソナルマークである天秤が刻印されている。
「“リブラ”」
彼を呼ぶ声に立ち止まり振り返ると、そこにはエーリヒ……“アクア”の姿があった。同じくTACネームの刻印されたヘルメットを持って、中尉の階級章を付けている。
「“アクア”、今日は頼んだぞ」
「もちろんです隊長、今日の撃墜判定は俺が貰いますよ」
「そりゃ頼もしい」
話しながら自分の機体の前に歩を進める、“アクア”も自分の機体に向かっていった。
彼らに与えられた機体はF-16CM、訓練機と同じ機体だ。
もうすっかり覚えた手順通りに機体の外装チェックをし、それが済んだらコクピットについてスタートアップ、機体が目を覚まし、F110-GE-129エンジンが唸りを上げる。管制塔にタキシング許可を貰い、誘導路を通って滑走路までタキシング。
滑走路進入許可、カナリスは僚機と共に滑走路へ進入し、ラインナップを完了する。
『FortFlag TWR, Ptolemy1-1. RWY Clear』
『Ptolemy Fort Flag TWR Cleared for Takeoff. Wind calm. Climb and maintain 3000.』
管制塔の通信を復唱した彼らは、新しいTACネーム、コールサインと共に、空へと駆け上がっていった。
パイロット育成編終了です。
この話を書くにあたって、米軍の公開資料を和訳したり、DCS、FalconBMS等の動画や資料を上げられている方々が居り、そう言ったものを調べて書きました。
その過程で、飛行機を飛ばす、そして戦闘をするという事が非常に高度な知識を要求され、高レベルの技術であるという事を感じました。
専門職は何でもそうですが、これを空気が薄く凄まじいGののしかかる環境で行える戦闘機パイロット、やっぱり凄いですね……